第四章 繋がる光
1節 仮説の再考
広々とした校内は、青々とした芝生と木々の近くにベンチがあり、ちょっとした公園のようになっている。重厚で立派な建物の前には、こじんまりした噴水とオブジェがディスプレイされている。
「わぁ、こんなにも素敵な所で研究してるんだね。凛も一緒に来れば良かったのに……」
「凛なら、ここより慈光庵の方が喜ぶでしょう」
と、法月さんの所に行った凛の話をしながら、碧と私は研究室に向かった。階段を登り静かな廊下を歩きながら、やはり『バイオフォトン』って言葉の響きだけでも難しく感じる……。でも未知の領域って感じもして、私は期待値が上がり続けていた。歩みを止めた碧が、目の前のドアをサッと開いた。
「ここだよ……ようこそ、わが研究室へ!」
部屋の壁は、歴史を物語っているように淡いベージュ色で、元々は白かったのだろう。透明な壁で仕切られた小部屋が2つと大きめな部屋があり、全ての部屋の様子が見える造りになっていた。
「あれ、いないな……神崎さんは?」
と碧は白衣を羽織りながら、計器の数値を記録している仲間に碧は声をかけた。碧たちを出迎えに行ったとの事で、どうやら入れ違いになったようだ。
「待ってる間に、この間のおさらいをしようか?」
「うん、分からないことや質問したいことも出てくるかもしれない……そうしよう!」
碧が話す『バイオフォトン』と光の存在や『生命エネルギー体』という新たな言葉を含めて、それぞれの関係性や繋がりが、私には難解過ぎた。さっぱり分からない時は、疑問や質問さえも思いつかないので、一つずつ言葉と概念の説明してもらう事にした。
「一言で言うと、私の仮説だと不可解な現象が科学的に説明できるかもしれないってことで……」
『生命エネルギー体』という碧の概念は、個体の身体を物質であり器と考える。器の中に『生命エネルギー体』という意識や記憶などの情報のかたまりが内包されていると考えるらしい。
例えば、見える身体の中に見えない身体があり、それぞれ別の働きをしつつも相互作用して調和がとれている、という。
この概念を使えば、パソコンに例えると、身体がパソコン本体で、『生命エネルギー体』が記憶などの情報となる。
そして『臨死体験』というのを当てはめて考えると、通常は2つで一つの身体が一時的に別々の動きをした後、元の状態に戻った……と考えているらしい。
また、器としての身体は、血流やイオン化などでの『電磁気』信号の回路であり、意識や記憶などの情報はDNAからの光信号の回路となる。つまり『バイオフォトン』の回路の『生命エネルギー体』となる。
「ん~~、分かるようで分からないかも……」
「そうだよね。私も生存の証拠となる『バイオフォトン』が『臨死体験』や死後の幽霊と同じかどうかという部分が自信ないな……」
いつもは熱弁を振るっている碧が珍しく自信なさげにため息をついた。静かな部屋の中に、コツコツと規則正しい音が近づいてきた。
「あら、早かったのね」
と飲み物を手にした女性がドアを開けて入ってきた。シンプルな紺色のワンピースに黒いハイヒール、ゆるくカールした柔らかそうなロングヘアの彼女は、私に気付き軽く会釈した。
助教授とだけを聞いていた私は、何となくメガネをかけた男性を勝手にイメージしていた。
だから、上級生かと思うほど若々しく、薄化粧でありながら魅力的な彼女が、その助教授だと私が認識するまで数秒かかってしまった。
「助教授の神崎蓮子です」
「は、はい……結城茜です。よろしくお願いします」
「もう1人の友人(凛)は、学校よりもお寺の方が良かったらしいです」
私たちは、簡単な挨拶をしながら窓際に置かれたソファーに座った。
2節 仮説の深堀り
「碧さん独自の仮説の話だったわね、楽しみだわ」
と神崎さんは、目を輝かせている。碧は、私たちの時とは違って、専門用語を多用しながら事実や現象、『生命エネルギー体』の概念の説明を始めた。碧の仮説と矛盾点になりそうな部分、いずれは検証実験に挑みたいと話している。専門家同士の話は理解力が高い為か、テンポが早い。
【碧の仮定する概念】
・生命の二元的側面:身体と生命エネルギー体 物理的に認識する肉体は、電磁気信号の複雑なネットワークによって機能する。脳や心臓のような筋肉や臓器は、血液中の塩分が通電性を高める事で全身に電気信号が効率的に伝達する。身体のシステムは全てこの電磁気信号が基板となる。
・生命エネルギー体:意識や思考、感情、記憶といった非物質的な側面を司る存在 これを光信号のネットワークであると仮説する。バイオフォトンは細胞から発せられる微弱な光であり、光が水に集まりやすい性質を持つ。水が生命エネルギー体の情報を保持、伝達する。物理的に作用しない。意識などで過去、現在、未来への時間的環境も自由に行き来ができる。
・DNA:2つのシステムの共通設計図 マクロな身体とミクロな生命エネルギー体は、DNAという共通の基盤によって同時に作られると仮定する。DNAは身体という電磁気信号システムの詳細な物理的設計図であるだけではなく、意識や記憶、生命エネルギー体の基盤となる『光信号の設計図』も含まれる可能性がある。
話し始めた時は、3人でソファーに座って、碧が手帳のメモを指さしていた。夢中になっている2人は、私の存在を忘れて立ち上がりホワイトボードの前で記号や数字を書いたり消したりしながら熱心に話し込んでいる。2人の会話についていけない私は、ポツンとソファーに座りながら、缶コーヒーについた水滴を指先でくるくると意味もなく円を描いている。そんな時、突然ポケットが振動し、コーヒーをぶちまけてしまうくらい驚いた。
「ヒマしてるでしょ?」
と、凛が電話の向こうでいつものように見透かしている。小声で話しながら私は廊下へと急いだ。
【碧の仮定と臨死体験】
・臨死体験と『信号の切り替わり』 通常時生命エネルギー体の微弱な光信号は、身体の電磁気信号のノイズの中に埋もれている。内在しているが存在感が皆無である。身体が危機的状況になる臨死体験によって、電磁気ノイズが消え、光信号に切り替わる。
・幽霊の存在:本来の姿への回帰(?)残留:死後分解がすすむDNAや細胞のネットワークに生命エネルギー体の情報パターンが残留磁性のように一時的に残っている。残像のようなものが幽霊として知覚される現象の一因ではないか。
・知覚 幽霊が水場で目撃例が多いのは、水が光を集め、情報を媒介しやすい性質を持つ為かもしれない。
・目撃者の条件 共感能力の高い人や五感が鋭い人。
「つまり、ここまでの話だと……DNAの設計図には物理的なものと非物理的なものの2つがあって、同時に作られる。器としての身体の物理的な回路は電磁気信号で、非常時に光信号に切り替わるということね」
「そうです。臨死体験はこれで説明がつきます。ただ……死後の幽霊となると、残像や残留エネルギーくらいしか思いつきません」
ひと通り『生命エネルギー体』と光の関係性という仮説を説明し終えた碧と神崎さんが、時間を持て余している私のソファーの横に戻ってきた。
「この仮説を考えるきっかけになったのが……入院中の友人がとった不可解な言動だったのね?」
神崎さんは、すっと天井に視線を移し、ポツンポツンと数カ所を指さしている。私は、やりきった感を纏う碧の肩を『お疲れさま』の気持ちを込めてポンポンと軽く叩いた。
3節 発想の転換:始まりと終わり
科学的会話について行けない私は、オカルトだけど質問してみた。
「あの〜、筋違いの話かもしれないですが……幽霊って世界各国で目撃や体験例があるのは、何かがあるって事になりませんか?例えば、寒気を感じる、鳥肌が立つ、暗闇なのにぼんやり見える、というのは……碧の説明にあった目撃者の条件にある五感や共感能力が高い人に当てはまりませんか?」
「身体から抜け出した『生命エネルギー体』が物理的に他人の身体に接触してる?」
「と、すれば……憑依現象も、他の身体に入り込んだ『生命エネルギー体』が意識や行動を乗っ取ると考えられますね」
「しかし、死後分解がすすむ中で、その『生命エネルギー体』のシステムやネットワークが維持できるのでしょうか?」
「磁石と釘のように、くっついた事がある釘とくっついた事がない釘の違いのように、身体のネットワークとして形成された分子と周りの分子に違いがあるとすれば……維持しやすい或いは再形成しやすいかも!?」
「だから、光を集めやすい水場や湿気が多い所で幽霊の目撃例が多いの!?」
「という事は、生者も死者も『生命エネルギー体』を使っているって事になるのかな?」
「と言うよりも、宇宙に偏在する原初の生命エネルギー体が自らを具現化するためにDNAを創造し身体という器を作ったのが生命の始まりと考えると、どうかな?」
「それって、身体を持たない生命体が地球環境で生存する為や物理的作用の為に身体を創ったってこと?」
「確かに……それなら生者と死者が『生命エネルギー体』を使い、分解によって維持できなくなった幽霊は一定の条件で再形成するか消滅すると考えることができるかもしれない」
「というか順番が……身体が死を迎える時『生命エネルギー体』は、器から解放され本来の光信号の姿に戻る?」
神崎さんと碧の会話に入ろうとタイミングを見計らっていたが、テンポが速すぎた。
二人の話によると……始まりであり終わりである生命、終わりは新たな始まり?……やばいな、頭がこんがらがってきたぞ。
やはり科学的会話について行けない私は、ソファーに座ったまま、時折、二人の熱気を帯びた議論に耳を傾ける事にした。
碧の仮説は、単なる物理的な現象だけでなく、意識や記憶、さらには「幽霊」といった不可解な現象にまで説明の光を当てようとしている。それは、この世界の常識を根底から覆すような、途方もない可能性を秘めているように思えた。
神崎さんが、ふと私の方を振り返り、優しく微笑んだ。
「結城さん、私たちもまた違う視点から議論を深めていきましょうね」
その言葉に、私は漠然とではあるが、自分もこの壮大な探求の一部に関われるかもしれない、という微かな予感を感じた。まだ何もかもが不確かなままだったが、目の前には、私たちが知る世界の扉を、さらに大きく開く可能性という鍵があるのかもしれない。