第三章 始まりと終わり
1節 作戦会議2
病院の冷たい空気を纏ったままでは、まともに思考を巡らせることもできない。碧の提案で、私たちは病院から少し離れた喫茶店に足を踏み入れた。昼時を少し過ぎた店内は、人がまばらで落ち着いた雰囲気だ。窓からは午後の日差しが差し込み、テーブルの上では、ホットチーズサンドが美味しそうに湯気を立てている。
「はぁ……ようやく、まともに息ができるようになった気がする」
凛が、ふ~っと息を吐きながら、頼んだフルーツサンドを一口頬張る。
目の前では、碧が既に手帳を開き、私たちがおしゃべりしている間にも、先ほど確認した遥華の母からの情報を簡潔にまとめあげていた。
私は温かいカフェオレを一口飲み、頭の中で散らばっていた遥華の言葉や、碧のメモに書かれた魅力的な単語たちを一つずつ拾い集めていく。ここからが、私たちの「謎解き」の始まりだった。
「そう言えば、『臨死体験』ってメモに書いてあったけど、ついに碧もオカルトに興味が出てきたの?」
期待を込めて私は、碧に聞いてみた。
「あぁ……オカルトじゃなくて。もしかしたら科学的に考察出来るかもって思ったんだよね。これも凛や茜の影響かな」
「えっ、科学的に!?」
「ちょっと、もう一度手帳のメモを見せてくれる?」
私は、急いでテーブルの上の料理や飲み物をササッと移動させて、真ん中にスペースを開けた。碧は、手帳を広げて置き、私たちは改めてメモの項目に注目した。
「オカルト脳の私がひっかかる単語は、『臨死体験』だけだよ。他は小難しい科学的な専門用語に見えるけどね」
「世の中の大抵のことは物理的に数式で表せるものなんだ。日々の研究や検証で新しい発見もあるしね……」
「へぇ〜、じゃあ『臨死体験も』誰かが科学的に研究とかしてるって事?」
「そうだよ。……実は私もその1人なんだよね」
「えぇ〜!?」
意外な碧の返事に、私たちは驚いた。
「でも……いつも……幽霊はいない……って言うよね?」
「うん、そう言ってるよね」
凛と私は、『臨死体験』が天国に行った、一時的に透明になって生き返る、魂となって天井から見下ろしていたとか、浮遊していて人をすり抜けた……とか。うまく言えないけど、何となくそんなイメージを持っていた。
メモの『量子、素粒子、光子』を順番にペンでなぞりながら
「量子……。素粒子、光子……。それが粒子や波の性質やエネルギーを持っていて……」
「ちょっと待って、待って!」
「急に難しい事言われて、頭が痛くなりそうだよ」
私たちは、いきなり始まった碧の科学的説明や知識について行けず、慌てて待ったをかけた。
「ちょっと、すみませ〜ん。食器を片付けていただけますか?」
と、私は店員を呼んだ。これで慌てた拍子に食器を落下させる心配がなくなるはずだ。すぐに店員がやってきて、飲み物以外の食器を静かに運んでいった。
「碧ったら、急に専門用語使って説明するんだもん。びっくりしちゃったよ」
「そうだよ。私は拒絶反応を起こしそうになったよ」
碧は『ごめん、ごめん』と手を合わし、3人はそれぞれの飲み物に手を伸ばした。
自然は好きだが物理や数学が苦手な凛と好奇心から得ただけの偏った知識の私に理路整然と説明していく碧。
「それで、パソコンをイメージして考えてみればいいの?」
「そう、取り合えず簡単なイメージでいいよ」
「えぇ?全然分からないよ」
凛の泣き言は聞こえなかったかのように、碧は『臨死体験』の仮説を続けた。
「身体と幽霊をパソコンの本体と記憶情報に例える。
横たわる身体はパソコンが休止中……或いは停止中と考え、その情景を見聞きしている幽霊は、バックグラウンドで記憶しているソフトウェアとする……分かる?」
「何となく……ぼんやりだけどイメージできたかも」
「だから、昏睡状態の遥華が病室の様子を見たり聞いたりした記憶があるってこと!?バックグラウンドで?」
「そうそう!」
「なるほどね、イメージできたら分かりやすいかもしれない」
先程、食堂で碧が『原因不明』って項目でトントンしてたのも、パソコンに例える話に繋がるとは思いもしなかった。人と幽霊を機械的に考えるところも碧らしさかもしれない。
「じゃあ、やっぱり幽霊はいるじゃん」
「そうなるよね?」
と、オカルト仲間が増えたようで嬉しくなって私と凛はニッコリした。
「いや、私は幽霊とは違う存在だと考えているんだよね……今は……」
碧は続けて、『幽霊』という言葉をあえて使っているのは、私たちに専門用語の拒絶反応があるからだと言った。そして碧の考えているものは、光を発する存在らしい。
遥華が語ったという『光の存在』と、確か法月さんも興味持っていたのを思い出した。
「遥華のいう『光の存在』と碧の考える『光を発する存在』は、同じものなの?」
「うん。今は、恐らく同じだと仮定して考えているよ」
「メモの項目で言えば、どれの事?」
「これの事でこれとこれが繋がっていて……」
と、手帳を指差して聞くと、碧は『バイオフォトン、光子、DNA』の項目をペン先でなぞっている。凛と私は覗き込んで、
「ん~~、難しそう……」
「……?私はパス!ケーキ頼んでいい?」
私と違って凛の興味は、ケーキに移ったようだ。私たちは、『OK!』と手で合図しながら、2人で考察を続ける事にした。まず、私が初めて目にした『バイオフォトン』というものについての説明が始まった……かと思いきや、以前2人で考察した話だった。
「茜とは前に、『原始地球』の『生命の起源』について一緒に考察した事があったよね、覚えてる?」
「もちろん!!すごく楽しかったよ……で、それが何なの?」
「実は、あの時の考察が今回の件に繋がるかもしれないって……何となく私は思うんだよね」
「えっ、どういう事?全然違う話じゃんかぁ」
2節 生命と光
『原始地球』の『生命の起源』という考察する(私にとってはほとんど妄想になる)のは、時間がいくらあっても足りないくらい壮大でロマン溢れるテーマだ。碧は科学的な理論や検証実験の結果を話すことが多く、証明されていないことや自分の仮説は口に出さないことがある。そんな時は、決まってあの……腕組みと目を閉じるポーズになる。
一緒に研究している助教授にも話せない仮説が煮詰まると、私が大抵のことは興味を持つ事を知っている碧が打ち明け話にやってくる。
私の好奇心を刺激する話題の時は、2人で盛り上がり、そうでない時の私は聞き役に徹しているので、正直細部の内容はあまり覚えていない。だからこそ、碧は私の記憶の再確認が必要なのだろう。
ビッグバンによって宇宙が誕生した事、プラズマの雲の中から『光子』や『素粒子』が形成された事、『原始地球』約46億年前の地球は高温で生命が生存不可能だっただろう……という話は、かろうじて私の記憶に残っていた。
そして、『生命の起源』については、今思い出しても胸が躍る。ある程度冷えてきた地球に初めての生命が誕生したのはいつだろう?どんな条件が必要だろう?物質から細胞という生物になったのは?物質と生命の違いは『DNA』の有無なのか?……など次々と疑問が出てきた。地球の話がいつしか宇宙の話になって、あまりにも壮大過ぎて考察も行き詰まってしまったものだ。
碧が言うには、これらの考察を逆方向にしてみようというのだ。つまり、今までの最小は、細胞か『DNA』で考え次第に脹らみ、やがては宇宙となっていった。逆というのは、宇宙からではなくていいので、細胞や『DNA』から更に小さく考えてみようということらしい。
つまり、細胞を細かく見ていくと、ミトコンドリアや核が見えてくる。RNAやDNA、タンパク質やアミノ酸、元素や原子、陽子、中性子、電子、『光子』といった『素粒子』へと、どんどん小さくなっていく……。
「ちょっと……待って、待って。頭がパンクしそうだよ」
と凛に続き、今度は私が両手を挙げて降参した。ちょうどその時、凛が頼んでくれていたケーキが3つ運ばれてきた。
「凛、グッジョブ!!」
と、私は凛の手をギュッと握り、助け舟が来たタイミングの良さにも感謝した。
「美味しい〜!!脳が喜んでる〜!!生き返る〜!!」
「難しそうな話ししてたね、私にはチンプンカンプンだわ。まだ続くの?」
「うん、もう少しかな……」
と、碧も少し疲れたようにケーキに手を伸ばした。
「難しいことは分からないけど、目に見えるものを顕微鏡で見てみるって感じ?」
「凛ったら、聞いてないフリして実は聞いてたね!?」
「BGMのようにだけどね……」
と凛が笑顔で答えた。碧は、凛の食べかけのケーキを指差した。
「小さくなるって……言ってみれば、このケーキ。小麦粉とか卵や砂糖が材料に入ってるよね」
「うん、それは分かるよ」
「これを科学的に考えると、炭水化物やタンパク質って言い換えられるんだよ」
「それも分かるよ。コンビニで裏面に原材料や栄養成分とかカロリー書いてあるよね」
「そう!それが科学的表示で、栄養成分は……口で咀嚼し唾液という消化液と胃に向かうよね。消化管を通過しながら小腸まで数種の消化液と混ざり、血管を通過できるくらい小さくなるの。通過できるサイズになってやっと吸収できて、血管をめぐって栄養が全身に行き渡るようになる。人の身体でも、科学反応してるんだよ」
一気に熱弁を振るう碧に、のんびりと凛が言う。
「小学校の理科の授業みたいね」
「そう、科学も物理も身近でよくある現象なんだよ」
「そうそう、だから面白いんだよね」
「ふ〜ん、そうなんだぁ」
碧の説明を楽しそうに聞いてる凛を見て、なぜだか私は嬉しくなった。
「そういえば、碧は幽霊が光っていないって言ってたでしょ?でも、暗闇でも幽霊が見えるって事は光っているからじゃないのかなぁ?」
「……なるほど、という事は……」
と腕組みをして碧は呟き、動きが止まったがまだ目は閉じていない。凛と私は顔を見合わせて、碧を見つめた。
『バイオフォトン』とは、『DNA』の複製やストレスがかかった時などに放出される『光子』のことらしい。生命活動をしている細胞や『DNA』が発する光は、とても微弱な光なので特殊な高感度の機器でしか確認できないという。
碧の大学でも研究されているらしいが、『バイオフォトン』は肉眼で見えないのはもちろん、存在さえ疑われるほどの微弱な光だから、検証実験も大変なのだという。
碧が言うには、高感度の特殊なカメラで人間を撮影したら、人のカタチに光っている『バイオフォトン』が確認できるそうだ。それは、人が見えるはずもなく通常のカメラなどにも写ることは無い微弱な光のかたまり……『バイオフォトン』つまり『光子』のかたまりだ。
これが、目に見えないとしても存在していて……遥華がいう『光の存在』で、光らないが幽霊といわれるものではないかと、碧の仮説と考察の内容を話してくれた。
碧の仮説によると、一般的に幽霊や魂と言われているものは、『生命エネルギー体』ではないかと考えている。これは、心や意識、記憶などの目視できないものなのではないかと考えている。大胆な発想過ぎて、この仮説は碧の頭の中だけに留めていたらしい。
しかし、遥華の事があって、直感的にバラバラのピースが一気にまとまり、繋がるような気がしたという。
それが、碧の『生命エネルギー体』という独自の仮説によって、不可解な現象が当てはまり繋がるのだと熱く語った。
「……何となく、碧の言ってる事が分かってきたような気が……」
「……分からないなぁ。」
「私自身も整理できていないから、今度大学で話し合ってみようかな?」