第20話~終
※今回はクライマックス――第20話からエピローグまでを一挙に投稿しています。
異世界にICUを作る。それは、命を救うというだけでなく、「命の価値に境界線を引かせない」戦いでもありました。
直哉がこの世界で灯した火は、信仰と制度と戦場を越えて、確かに“技士たち”へと継がれていきます。
どうか最後まで、彼の選んだ答えと、守り抜いた想いを見届けてください。
第20話 命に国境はない
王国中央議会、大円堂。
玉座の間を模したその厳粛な空間で、今日、国家としての重大な決断が下されようとしていた。
議題――《中立医療制度の法制化》。
“国境・身分・出自を問わず、すべての命に対して平等に医療を提供する”
それは、戦乱の時代にはあまりに理想的すぎると多くに嘲笑された案だった。
だが、今、あの戦場の“命の最前線”から帰還した者たちの証言が、その理想を現実に引き寄せつつあった。
「……敵兵を治療する制度など、国家の安全保障に反する」
「王国の資源を“誰の命にでも使える”と定めれば、いずれ国が弱体化する」
「命に差があって当然ではないか。“支える価値”がある命と、ない命は存在する」
貴族階級の中からは、最後まで強い反発の声が上がっていた。
直哉は、そのすべてを聞いた上で、静かに壇上へと進む。
「……私の名は神谷直哉。臨床工学技士です」
静まり返る議場の中、彼の声だけが響く。
「私はこれまで、多くの命を“支えてきた”者です。そして、助けられなかった命にも、何度も直面してきました」
彼の手には、セレス治療区での記録石。そこには患者たちの声が収められていた。
「この声は、“救われた命”が遺したものです。“ありがとう”“もう一度、生きたい”“ただ、呼吸ができるだけでいい”……そう言ったのは、敵でも味方でもなく、“人”でした」
重い沈黙が落ちる。
「皆さんは、“命の価値”を判断しようとします。でも、その価値は、誰かが決めるものじゃない。命は“生きようとする力”そのものです。それが敵兵であろうと、罪人であろうと――目の前で息をしている限り、“人”なんです」
視線が、議員たちの顔を一人ひとり見つめていく。
「私は技士です。命を選ぶ者ではなく、命を繋ぐ者です。どうかこの国が、そんな“繋ぐことに意味がある”制度を、正式に持てる国でありますように」
議決の時間が訪れた。
「中立医療制度法案に――賛成か、反対か」
長い一瞬のあと、票が集まっていく。
……賛成多数。
王国は、正式に“命に国境を設けない医療制度”を施行することを決定した。
その夜、医療室では小さな祝賀会が開かれていた。
「やりましたね……! 本当に、“変えられた”んですね、世界を」
エルナが目に涙を浮かべながら笑う。
見習いたちも、それぞれの思いを胸に、静かに頷き合っていた。
直哉は、その輪の外に一歩引いて立っていた。
遠くの空には、星がひとつ、流れていた。
(俺はただ、命の隣にいたかっただけだ。戦いたかったわけじゃない。でも……やるしかなかったんだ)
彼の背後には、これまで繋いできた数多の命の記憶があった。
そして今――そのすべてが、未来への扉になった。
完
エピローグ その灯は、次の誰かへ
王国議会で「中立医療制度法案」が可決された翌日。
医療室の片隅で、直哉は一通の手紙を読んでいた。
――“あなたの技術を、我が国でも教えていただけませんか?”
差出人は、隣国ゼルファンの若き公女。かつてセレス治療区で命を救われた兵士の妹であり、王族にして医療再建の先頭に立とうとしている人物だった。
「……“技士”が、国を越えて届いたか」
彼は窓の外を見上げた。
王都の空は晴れていて、その向こうにある国々までもが、少しだけ近くなったように感じた。
その夜、エルナが言った。
「これからは、“教える”だけじゃなく、“送り出す”時代になりますね」
「そうだな。命を守る場所を、ここだけにしておくわけにはいかない」
直哉は技士のローブを脱ぎ、棚にそっと掛ける。
「俺の役目は、もう次に回す時期かもしれない」
「じゃあ……次に進みますか?」
エルナのその言葉には、迷いも、躊躇もなかった。
数ヶ月後。
王都の門を出発する小さな一団があった。
中立治療区の経験を積んだ若き技士たちが、世界各地へと赴任していく。
彼らの手には、“誰も見たことのない命の地図”が握られていた。
目指すは、砂漠の交易都市。氷雪の村。山間の小国。そして、戦が終わらぬ東方の帝国――
直哉は見送る門の前で、最後に静かに言った。
「命を支えるための技術を、お前たちの手で、もっと先へ運んでくれ」
技士たちは頷き、進み出す。
“医療”という名の火は、今、
ひとつの国を越えて、世界を照らし始めた――
ここまで読んでくださった皆様、本当にありがとうございました!
「ICUを異世界に持ち込んだら?」という発想から始まったこの物語は、最終的に“命を諦めないことの意味”にたどり着きました。
医療技術は魔法ではありません。それでも、命を救おうとする人の手によって、奇跡に近づくことができる。
主人公の直哉は、その信念だけを胸に、この世界でICUを作り上げました。
物語はここで一区切りですが、彼らの未来はこれからです。
読んでくださった皆さま、感想や評価をくださった方、静かに見守ってくださった方――すべての読者に、心からの感謝を。
もしこの物語が、少しでもあなたの心に残ってくれたなら、これ以上の幸せはありません。