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第5話~第7話

※今回は第5話~第7話の3話分をまとめて投稿しています。


ICU勤務の臨床工学技士が、異世界で“命を支える技術”を武器に奮闘する物語です。


今回は、信仰と医療の対立、“奇跡”と“救命処置”のすれ違い、そして――救えなかった命。

この世界で命を守るということの、重さと現実が描かれます。


心に刺さる場面が多いかもしれませんが、読んでいただけたら嬉しいです。

第5話 医療を拒む者たち

 救命処置から一夜明け、村はざわめいていた。

 「見たか? 本当に死にかけていた子どもが生き返ったんだぞ……!」

 「神官様の祈りでも治らなかったのに、あの“技士様”が手をかざすと……!」

 倉庫を改装した小さな医療室は、すっかり“奇跡の場所”として噂になっていた。呼び名も自然に定まりつつある。「命の」――人々はそう呼び始めていた。

 直哉は、まだ眠っている少年の容態を確認しながら、生体モニターの魔具に目を向ける。脈拍も安定し、体温も正常に戻っていた。

 「よし……退院は明日以降だな。身体を動かせるようになるまでは静養が必要だ」

 異世界には“退院”という概念すらないが、彼はあえてそう呼び続けていた。いずれこの世界でも、それが当たり前になるようにと願って。

       

 だが、その頃。医療室から少し離れた神殿の奥では、別の思惑が動いていた。

 「……放置しておくのですか、司祭様?」

 鋭い声で問うたのは、銀の刺繍が施された祭服を着た青年神官。彼の視線の先では、老人の司祭が目を閉じて椅子に腰かけていた。

 「神に祈ることなく、命を弄ぶ……それが“治療”というものならば、それは神意への冒涜。貴族が望むならともかく、下々にそれを与えるとは……」

 「異端……と?」

 「それに近い」

 司祭は静かに目を開けた。その瞳には、静かな怒りが宿っていた。

 「命の価値を均等にするという考えは、美しく聞こえる。だが、それが混乱を招く。神の加護に与れぬ者が、神官の役目を代替することを許せば、この秩序は崩れる」

 青年神官は深く頭を下げた。

 「命じてください。私が――動きます」

       

 午後。

 医療室の前には、すでに数人の村人が列を作っていた。風邪、打撲、呼吸の乱れ――原因も症状もさまざまだが、皆一様に「助けてもらえる」と信じて訪れている。

 直哉は一人ひとりの症状を見極め、可能な限り手当を施していた。魔具による簡易な診断、洗浄、熱魔具による温熱処置、そして口頭での生活指導。やれることは限られているが、それでも変化は確実にあった。

 「おい、あんた本当にただの“技士”なのか?」

 そう話しかけてきたのは、昨日救った少年の父親だった。泥だらけの服、節くれだった手。何度も頭を下げながら、彼は問いかけた。

 「俺は、この子が助かるなんて思ってなかった。神殿の司祭にも『あとは祈るしかない』って言われてた。でも……」

 「助かった。それがすべてです」

 「……あんたは“神”じゃないのに、神様以上のことをやったよ」

 直哉はそれには答えず、そっと笑った。

 「いいんですよ。俺はただの“技士”ですから」

 その言葉が、逆に人々の信頼を深めていく。

       

 その夜。

 医療室の扉が音もなく開いた。外はすでに日が沈み、空には二つの月が浮かんでいる。

 「……誰か?」

 直哉が身構えると、ローブ姿の青年神官が立っていた。顔は整っており、威圧感はないが、瞳の奥に一切の感情が見えなかった。

 「お初にお目にかかります。私は神殿付きの神官、リーヴェと申します」

 「神殿から……?」

 「“命を救う行為”に関心を持ちました。ぜひ、一度お話を」

 そう言って、彼は穏やかに微笑んだ。

 だが直哉にはわかっていた。この男は――本心を隠している。


第6話 祈りか、技術か

 医療室に漂う薬草の匂いをかき分けるように、リーヴェ神官は静かに歩みを進めた。足音すら立てず、まるで空気の一部のようだった。

 「ご挨拶が遅れました。私は神殿より遣わされました、リーヴェと申します」

 整った顔立ちと丁寧な言葉遣い。だが、その瞳は氷のように冷たく、直哉を見つめる視線には一分の揺らぎもなかった。

 「神殿の者が、俺に何の用だ?」

 直哉は生体モニターの魔具に視線を移したまま、椅子に腰かけたまま答える。背筋は真っすぐに伸び、声にも動揺はない。

 「人々の命を救っていただいた。その功績に、神殿としても敬意を表すべきだと考えました」

 「……それだけのために?」

 「もちろん、それだけではありません」

 リーヴェは手を組み、落ち着いた口調で続けた。

 「あなたの“治療”は確かに成果を上げています。神の奇跡よりも早く、確実で、目に見える。ですが――それがすべての人にとって幸福とは限りません」

 「なぜだ?」

 「命は、神より授かったもの。我々神官の務めは、“救う”ことではなく、“導く”ことにあります。神意に従わず、ただ延命だけを求める行為は、いずれ魂を歪ませます」

 直哉は黙ってリーヴェを見つめ返す。

 「あなたの“技術”がこの世界に広まれば、確かに多くの命は延びるでしょう。しかし、同時に“死”の意味が変わります。“祈り”ではなく、“器具”にすがる人間たちが、果たして正しく生きられるでしょうか?」

 その問いは、信仰から発された真剣なものだった。だが直哉は、迷いなく言い返す。

 「……死の意味なんて、俺にはわからない。ただひとつ、わかってるのは――“助けられた命が、生きる理由を見つけていく”ってことだけだ」

 「……」

 「俺が関わるのは、“死にかけている今”だけだ。そこから先をどう生きるかは、その人の問題だ。だが、生きられる可能性を、信仰の都合で潰されるのは……耐えられない」

 リーヴェは一瞬、口元を引き結んだ。

 「……ならば、お尋ねしましょう。たとえば、命を繋ぐために“他者を犠牲にせねばならない”場合、あなたは迷わず装置を動かしますか?」

 直哉の脳裏に、過去の現場がよみがえる。

 ICUにおける人工呼吸器の選択。どちらの患者に装着するか――。片方の延命が、もう一方の“死”を意味する現実。

 「……苦しい選択を、何度もしてきたよ」

 静かに、だがはっきりと答えた。

 「でもな、そのときも俺は“誰かを救う”ために動いた。“誰も殺さない”ために動いたんだ。だからこそ、俺はこの技術を使う。どんな犠牲も構わないって思ったことは一度もない」

 リーヴェは、長い沈黙のあと、ふっと笑った。

 「あなたは誠実な方だ。しかし、誠実すぎる者は時に世界を壊す。……お気をつけください。あなたの“医療”は、信仰を信じる多くの者にとって、異端に映る」

 それだけ言うと、リーヴェは医療室を後にした。

       

 その夜、直哉はベッドに腰かけ、何度も繰り返し、神官の言葉を反芻していた。

 「祈りと、技術。信仰と、現実。……正しさは、いつも一つじゃない」

 彼の手元には、魔具化した小型の除細動器があった。明日届く重症患者のために、準備を進めているところだった。

 「それでも――俺は止まらない。命が目の前にある限り、手を伸ばす」

 この世界に“医療”という火を灯した男の、静かな決意がそこにあった。


第7話 届かなかった命

 朝焼けが倉庫を赤く染めるころ、一台の荷車が医療室の前に止まった。

 荷台には、ぐったりとした少女が横たわっている。年の頃は十歳ほど。顔は土のように青白く、唇に血の気はない。

 「高熱が四日も続いているんです。村の薬師には『運を天に任せろ』としか……」

 父親と思しき男が縋るような目で訴えてきた。

 「……運なんかじゃ、救えない。任せてくれ」

 直哉はすぐさま診察台に少女を移し、衣服をはだけて状態を確認する。

 「熱は……四十度近い。脈拍も異常、意識混濁。敗血症の可能性がある。けど、この世界に抗生物質は――」

 現代医学なら、点滴と抗菌薬で救えたかもしれない。だが、この異世界ではそれが叶わない。再現できるのは医療機器のみ。薬品は作れない。

 「頼む……この子を、助けてやってくれ」

 父親の震える声が背後から届く。だが、直哉は沈黙したまま、汗を流しながら処置を続けていた。

 体温を下げるための冷却魔具。酸素供給魔具による補助呼吸。循環維持のための魔具加温。できる限りの手は尽くした――それでも、反応は鈍くなる一方だった。

       

 数時間後、少女の呼吸が止まりかけた。

 「……除細動準備。AED魔具、起動」

 魔具型AEDを少女の胸にあて、微弱な電撃を与える。身体がわずかに跳ねる。だが、心電の光は戻らない。

 「心拍、……戻らず。再度除細動、エネルギー上昇……!」

 何度も、何度も。直哉は手を止めなかった。

 「動いてくれ……頼む……! まだ間に合うはずだ!」

 魔具の光はだんだんと弱くなる。直哉の声も、かすれていく。

 「……っ、くそっ……!」

 機器を床に叩きつけそうになった手を、ぎりぎりで止めた。静かに、モニターの魔具が淡い青い光を消した。

 ――死亡確認。

       

 「直哉……?」

 気配に気づいて振り返ると、医療助手として動いていたエルナがそっと覗き込んでいた。かつて彼が救った少女だ。彼女は、少女の亡骸にそっと布をかけ、祈るように手を合わせた。

 「ねえ……あなたは全部正しくやってた。だから……」

 直哉はかぶりを振った。

 「……救えなかった。努力も、知識も、技術も……全部足りなかった」

 椅子に崩れ落ちるように座り、肩を落とす。あの日のICUを思い出す。人工心肺を回しても、心臓を開いても、救えなかったあの患者。

 それとまったく同じ、やり場のない無力感。

 「患者は……死んだ。俺はまた、助けられなかった」

 しばらく、沈黙が続いた。

 「……でも、それでも、私は助けられたと思う」

 小さく、けれどしっかりした声が届いた。

 「この子は、一人で死ななかった。誰かに必死で看てもらえて、最期まで大事にされた。それって、すごく――温かいと思う」

 直哉はゆっくりと顔を上げる。エルナの目には涙が浮かんでいた。

 「私は、あなたに救われた。だから、私はこれから、あなたと一緒に命を守るって決めたの。今日、助けられなかった命があっても――明日、また救える命があるんでしょう?」

 言葉が、胸に刺さる。そして、染み込んでいく。

 直哉は拳を握り、立ち上がった。

 「……ああ。そうだな。俺は止まれない。明日を、救えるようになるまで」

 敗北の中に灯る、次の希望。

 直哉は再び、生体モニターの魔具に手を伸ばした。


ここまでお読みいただき、ありがとうございました!


第5話~第7話では、「医療を拒む価値観」や「命に間に合わなかった無力感」など、主人公の直哉にとっても読者にとっても重たいテーマを扱いました。


それでも、彼が前に進もうとする理由――“たとえ救えなくても、手を伸ばす”という姿勢は、今後の物語の中核となっていきます。


次回、第8話以降では、命を支える拠点が広まりはじめる一方で、新たな政治的な圧力も迫ってきます。


どうぞ、引き続き見守っていただけたら嬉しいです。

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