01_プロローグ
聖女アンドロメダはお金のために聖女を騙る女である!
田舎の教会が運営する貧乏孤児院で育ったアンドロメダは、世の中は何をするにもお金が必要だと強く思いながら育った。
育ててくれた神父と一人だけいたシスターは優しく、一緒に育った同じ境遇の兄弟達と過ごす生活は好きであるし楽しくはあった。しかし貧しさのせいで苦労する事も多かった。愛と慈悲の心を教わっても、空腹と劣等感の前では揺らぐ事も多かった。
だからこそアンドロメダは自身に“聖女の資格”があると知った時、それを大いに利用してやろうと決めたのである。
「私は女神様の声を聴き届けました――私が愛をもって、皆様を導きます!」
などと、今までお金が無いながらもお腹を満たすために大人の受けが良い生きる術を学んできたアンドロメダは、10という齢にして聖女として求められる、人々を導くような大人びた立ち居振る舞いで聖女の資格を調査に来た教会の者を騙した。
騙された教会の者はその時の事を「あれはまさに聖女に相応しき資格と気品を持つ少女だった」と語り、アンドロメダは「上手くいったけど大丈夫かこいつら」と内心で思ったそうだ。
聖女の資格とは、大きく分けて3つ。
【聖なる浄化魔法を使える】、【回復魔法の素養がある】、そして【女神の声が聴ける】だ。
これら自体は順に、教会関係者ならば基本は使える、一般の誰でも使える訳ではないが使える者は多く居る、ハッキリと聞こえる者は滅多に居ないが僅かに聞こえる者は街に一人程度は居る、というようなものである。
つまり聖女の資格を持つ者とは「珍しいが、全く居ない訳ではない」という程度だ。しかし貴重である事には変わりなく、資格があり希望する者は王国首都にある専門の教育機関で教育を受ける。そして教育を無事完了した聖女見習いは、【司祭】となり教会に従事するか、卒業時に授かる司祭の資格を得て各々の分野へ歩みを進めていく。聖女の教育とは言うが、聖女と認められるのはほぼおらず、数十年に一人か二人程度だ。
(司祭では駄目だ。聖女になって、権力を得て好きにお金を使える立場になってやる!)
お金のために聖女になってやると燃えているアンドロメダは、司祭という立場では満足できない。絶対に聖女になって優雅な生活を得てやる、と生まれ育った孤児院を出る時に強く心に誓ったのである。
(私の持つ能力が聖女の資格に及ばない事は分かっている。けど、やるしかない)
アンドロメダは自覚していた。自分は本物の聖女の器ではない、と。
少なくとも語られる聖女のような器は持っていない。
本当の親は分からないような血筋。文字は読める事は読めるという程度。マナーも見よう見まねで本質を理解していないような、他の聖女候補に馬鹿にされるような教育の行き届きの無さ。
浄化魔法も回復魔法も扱えはするし他魔法よりは得意ではある。が、聞こえる女神の声はあまりにも微かなのだ。この声の聞こえなさが、自分が聖女では無いとアンドロメダを自覚させてしまっていた。
(だけどやってやる。愛想よく振舞って、優しくそれらしい事を言って皆を騙し、皆が私に対して「聖女様ー!」と持て囃し女神様ではなく私に祈るような雰囲気を作ってやる! ――そしてお金を手に入れてみせる!)
だが中身がどうであれ外見を取り繕えば良い。お金のためにアンドロメダは周囲も人々も騙しきると誓った。
誓いの後、アンドロメダは努力もしたし挫けなかった。
他の貴族聖女候補からは下賤な出自だと嫌がらせを受けた。
嫌がらせはせずとも遠巻きに馬鹿にする者も少なからず居た。
けれど他の聖女候補よりも厳しい道を選び勉学も他者の数倍努力した。
挫けそうな時も、お金のために、そもそも今までと比べれば食べるのに困らない現状は充分恵まれた環境であると自分を励まし、聖女を騙るために日夜自分を奮い立たせた。
「アンドロメダよ。――貴女を、聖女に相応しき女性と認める」
そして聖女の素養が発覚して六年後、人を騙す事にかけては才能が有りすぎたアンドロメダは聖女として認められた。
内心では、
(オラァ見たか私を嫌がらせした貴族どもめ!)
と悪態を吐きつつ、
(というか騙されて私なんかを聖女にするって、この教会と王国、大丈夫?)
などと変な視点から自分を見て、教会と王国を心配した。
だが心配するような場所だからこそ、本物ではない自分が聖女になれたのだと前向きに考え、これから来るであろう輝かしく素晴らしい未来を内心で大いに喜んだ。
「これからもより善き未来のため、聖女として恥じぬ振る舞いをしていきたいと思います」
アンドロメダは宣言して笑顔を振りまくと、聖女の誕生を一目見ようと集まっていた国民と教会関係者は歓声をあげた。
見た目は年相応に可愛らしくも美しい清楚な外見。
言葉と振る舞いは慈愛に満ちており。
この人に付いて行けば大丈夫だと思わせるカリスマ性。
しかし中身は聖女になるために、聖女では無い自覚を持ちながら周囲を騙して聖女を騙りお金を得ようとするドス黒い心。
(私はやり遂げた。これから明るく順風満帆な聖女生活が待っている! ふふ、ふふふ、あーはっはっは!)
偽聖女アンドロメダが、ここに誕生した。
そしてしばらく経ってから彼女は思う。
この時が自分にとって一番幸せな瞬間だったのではないか、と。
◆
(聖女辞めたい!)
聖女アンドロメダが誕生して2年。18になったばかりのアンドロメダは聖女になった事を後悔していた。
(書類仕事や自国他国問わずやってくるお偉いさんとの会談! 教会関係者では浄化しきれない瘴気や浄化が必要なモンスターへの対応! しかも時間を作ってお祈りをして女神様の声を聴かなくちゃいけないし、私の自由が少ない! あと! お金はあんまり使えない!)
聖女としての判断をしなければいけない書類は多い。それが印を押すだけのような書類でも、キチンと確認して押さなければ後のトラブルになるので、隅々まで目を通さなくてはいけない。後で知らなかったも通じず、そのようないい加減な仕事をする聖女と噂されれば偽物だと疑われる可能性が上がる。
また、数十年ぶりの聖女という事で会談、謁見を希望する者は国内外でも多く、彼らには聖女として相応しい振る舞いが必要なために、気を張り詰める時間が長くなる。
時には聖女の力が必要なほどに呪いや毒といったもので困窮している場所へと急いで足を運ぶ必要もあれば、浄化が必要なモンスターを自ら討伐する時もある。
“女神の声が聞こえる”“女神の代わりに人々を導く”が重要な聖女にとって、女神に感謝をする時間は欠かす事はできない。いくら忙しくともこれを長期間欠かせば聖女として怪しまれる。なので時間を見つけても大聖堂で祈りを自主的に捧げなければならない時もある。
そしてなによりお金は自由に使えない。
これがアンドロメダにとってなによりも重大で致命的だ。
どんなに忙しくともお金を自由に使えれば先述の多忙など我慢が出来る。対価に見合う激務だと許容できよう。しかし【聖女】アンドロメダにとってのお金とは、教会や国民のために使えるように管理、扱う運営費なのである。多少の融通は利くが自由に使える訳ではない。当然自由に使える給金のようなものは存在するが、激務にはあわず、何より使う時間が少ないのである。
(よく考えればそうだよねー……聖女が寄付金で贅沢三昧していたら色々言われるだろうし……)
アンドロメダが扱う教会の運営費は、モンスター討伐の報酬なども含め寄付やお布施が主である。つまりは国民のお金であり、税金に近い。寄付金、税金で己が欲を満たすために贅沢をすれば反感も買う。
ましてや清廉を謳う聖女が欲に目をくらませれば「本当に聖女なのだろうか」という疑問も湧くだろう。アンドロメダは周囲に疑問を抱かせぬように欲望を我慢しつつ、自分の懐に入る訳でもないお金を動かす事を書類上で承認しながら、内心で溜息を吐いていた。
危険な仕事も面倒な仕事もあり、気分が悪い時でも人々のために笑顔を見せなくてはならないような、普通とは違う振る舞いを求められる立場だとアンドロメダも始めから理解している。しかし仕事の多さと種類は、自分の想像より上だった。
(くっ、なんかこう、聖女って清楚っぽく振舞って、慈愛の心でたまに微笑みを向ければ後は他の人達が面倒な事をしてくれる……顎で使えるような立場だと思っていたのに……!)
アンドロメダは自身の容姿が整っている自覚がある。
丁寧に整えた長く美しい金色の髪。深く澄んだ海のような青い目。肌はキメ細やかに整備と良化に努め。スタイルも栄養を気にして維持し。笑顔を作れば男女問わず安堵を感じさせ見惚れさせる事が出来る方法を勉強した。
容姿を利用し、どうすれば人々に望まれる聖女像の幻想を抱かせるのかも分かっている。だからこそ、ここまで登り詰めることが出来た。
登り詰めた後は整った容姿で笑顔を向ければ、信仰心と、魅惑的――俗な言い方をすれば男女問わずの向けられる性欲で勝手に周囲がお膳立てしてくれて、自分は楽できるとアンドロメダは思っていたのである。
実際は登り詰めた後でなければ見えない仕事が多く、無視できない仕事が多すぎたのであるが。
(まぁお金は使えたというか、扱えるお金自体は増えたんだけど……こっそり贔屓で弟妹達を優遇できたのは良いけど、書類上だから実感ないなぁ……)
アンドロメダ個人の懐は孤児院時代などと比べると潤ったが、自分の手で現金そのものを扱う事は少なく、精々滅多にない休みの日に隠れて買い食いをする程度であり、書類上はもっと大きなお金を動かしているので実感が少ない。
他には着服とまではいかないが個人で贔屓、好き勝手出来たお金もかつての弟や妹達の暮らしに使っただけである。贔屓の結果である改善された弟達の生活は、多忙のため出身孤児院に行く事ができておらず、成果も確認できず実感が湧かないのである。
余談だがその贔屓の際に、育った孤児院が極貧だったのは教会の管理体制が甘いせいだと思っていたアンドロメダだったのだが、実はそれなりの生活が出来るお金が支給されていたのにも拘らず、神父とシスターがギャンブル好きで結果的に極貧生活になっていたと知った。その時のアンドロメダは怒りのまま2人を鉱山送りにした。長年の着服は本来もっと厳しい処遇を受けるのだが、処刑投獄などせず働かせる場所に送ったのは一応お世話になったのは確かである故の情であろう。なお、神父とシスターは今日も元気に稼いだお金を明るく散財している。それを聞いた時アンドロメダは「お前らの方がお金を自由に使えるのか……!」とよく分からない怒りに包まれたとか。
「……別世界から聖女を召喚する?」
そんな忙殺される日々のある日、アンドロメダは将来の自由に使えるお金のために熟している仕事の手を止めるような報告を受けた。
アンドロメダは今日も変わらず教会での聖女の書類仕事、及び効能の高い回復薬の製作など、聖女の仕事をしていた。どれも直接はお金にはならないが、将来のお金のためであるので手は抜かずに、止める事もなくキチンと熟していた。
しかしアンドロメダと同年代の二人の女性従者の内の、白い髪の女性がアンドロメダの執務室に入るなり報告してきたのは、聞いた内容をそのまま問い返し、お金に繋がる仕事の手を止めてしまうような報告であった。
「ごめんなさい、どういう事?」
普段とは違い、敬語で話す厳かであり包容力のある慈愛に満ちた聖女としては砕けた口調で、よく分からない報告の意味を白の従者に問いかけた。
「はい、では詳細をお伝えいたします」
凛とした雰囲気の、かつては教育機関で聖女の座を争った白の従者は問い返されるのを予想していたのか、手元に持っていた資料を渡し、アンドロメダが内容を読んでいるのを見て内容を補足するように報告をする。
「昨日未明、王都外れにある建物にて集団で集まり謎の儀式を行っているという情報が入り、騎士団の一部が調査に向かったとの事です」
「謎の儀式?」
「はい。なんとその一団は、“今の聖女は聖女を騙る女だ”などと不敬な事を言い、真の聖女を別の世界から召喚しようとしたんです!」
なんて見る目のある奴らなんだ。
内心で素直にアンドロメダは感心した。
アンドロメダは自分が聖女を騙る女である事を自覚している。真の聖女に関しては本当にそのような者が居るのか、居たとしても別の世界に居る女性を無理矢理連れて来るのは如何なものか、などとは考えているが、見る目はある一団なのだと、表向きには話が通じない者達に対する嘆きと慈愛の表情を浮かべつつ、内心ではその一団に対する評価を上げていた。
ただその真の聖女とやらを、相手の許可なしに別世界にから無理矢理連れてこようとしている点に関してはただの拉致のため、総合ではマイナス評価である。
「その儀式をやっていたのってどんな子達?」
「無認可自称聖教団体、【黄道十二】です」
「あー、あの団体かぁ……」
【黄道十二】の名はアンドロメダもよく知っている。聖女と認められてからの二年間、多くの人々を魅了して来たアンドロメダにとっての己の魅了が通じないどころか邪魔をしてくる頭を痛める存在だからである。
血筋が悪い、教育機関時代の態度がよろしくない、聖女ならばもっと浄化も回復魔法も優れているはずだ。そのような事を言いアンドロメダを目の敵にし聖女と認めない団体。聖女就任当初と共に発足し、なにかと難癖をつけていたような、政治的に排除する事が難しい貴族が後ろ盾の面倒な存在である。
この半年は聖女としての人気が高まりつつある世間に押され見る機会が減っていたが、自然消滅した訳でも活動がし辛くなった訳でもなく、今回の儀式のための潜伏期間なだけであったようである。
「それで別世界? から、真の聖女を召喚しようとしてどうなったの?」
「はい、女性の召喚自体は成功した模様です」
「……したんだ」
別の世界、というものに関してアンドロメダは物語のものだと思っていたのだが、真偽はどうあれ、召喚された女性は別世界から来たかのような女性のように思わせられる、という事を白の従者の言葉と資料から読み取った。資料の記述が曖昧である点から、推測はできても本当に別の世界から来たのかなどの結論は出してはいないようである。
「その少女はどうなったの?」
「現在騎士団女性寮にて保護しているとの事です。ただ……」
「……話を聞ける段階には至っていない、か」
「はい」
結論を出しきれていない理由の一つに、怯えて話を聞ける状態ではない、という記述がある。
言葉はなんとか通じる。しかし文字の読み書きは互いに出来ない。
突然の見慣れぬ景色の場所に連れて来られ、怪しげな黒装束を身に纏い血走った眼をした団体に囲まれ、直後に踏み入った騎士団との捕物劇。
混乱は必至であり、保護をし落ち着かせるだけしかできない状況。記述によると名前すらまだ把握していない状況だ。
「だから私に話を聞いて欲しい、と」
「はい。聖女様なら慈愛と包容力を以って彼女の混乱を治める事など容易き事と判断されました。真の聖女は貴女様以外ありませんから、まさに当然の判断と言えましょう!」
「そ、そう。ありがとうね」
白の従者とアンドロメダは聖女教育機関時代からのライバル関係であったが、今は友人であると同時に、白の従者はアンドロメダを聖女と崇めて尊敬の眼差しを向けてやまない従者でもある。そんな白の従者の、自身を本物であると疑いもしない表情と言葉に内心で苦笑いを浮かべつつアンドロメダは、資料を最後まで読んでから紙を整えて机の上に置き、立ち上がった。
「じゃあ話を聞きに行こうか。身支度を整えてから行くから、貴女はその事を伝えておいてもらえる?」
「畏まりました」
白の従者は礼をするとそのまま部屋を出ていく。
足音が遠ざかっていき、気配が無くなり一人になった部屋にてアンドロメダは小さく溜息を吐きながら呟いた。
「真の聖女、か」
呟いた言葉の意味はアンドロメダ自身も理解出来ないまま、誰の耳に届くのでもなく消えていった。
「お待たせしました。行きましょう」
「はい」
執務用の衣装から、内政仕事用の聖女衣装、白を基調とした袖も足元もベールのようなゆったりとした薄布で構成されたワンピース状の服に着替えたアンドロメダは、聖女として相応しく振舞うために丁寧語と相応しい声色を使いつつ、伝令に行っていた白の従者と合流してから異世界の少女が居るという騎士団女性寮へと馬車で向かう。
途中聖女が乗っている事に気付き目が合った王都民には手を振り、関係者以外立ち入り禁止の騎士団敷地内への扉の見張りをして馬車を止めた騎士団員には、声掛けと聖女スマイルを見せる。
「せ、聖女様を拝謁する事が出来るなんて……今日はなんて幸運なんでしょう!」
信仰もあるが、アンドロメダ自身のお金のために身に着けた処世術とアイドル力が充分に利いている事を再確認しつつ、この調子でこっそりお金を個人的に渡して来ないか、だがそうしたら断らないといけないし面倒事が増えるだけか、などと考えつつ、目的地である騎士団女性寮まで辿り着いた。
「彼女の様子はどうですか?」
馬車から降り、待機していた複数の女性騎士の内で代表である騎士に問いかけるアンドロメダ。問われた女性騎士は自身より年下ではあるが目上の相手である聖女に緊張しつつも、それを出来る限り表に出さずに報告をする。
「はい。一時間ほど前に確認した所、落ち着いて来てはいますが、今度は我々に対する警戒心を出して食事にも手をあまりつけていない状況です」
「分かりました。二人で行きますので、皆さんは待機していてください」
「ですが警戒心から錯乱し、彼女が聖女様に何かすれば……」
「大人数で行ってもさらなる警戒を抱かせるだけでしょう。大丈夫ですよ」
「……分かりました。何かあれば、すぐに駆け付けますので」
「ふふ、大丈夫ですよ。ですがお気遣いありがとうございます。行ってきますね」
報告をした女性騎士団の第二団長は不安そうであったが、アンドロメダの感謝と笑顔を見ると何処か照れとも信仰による感激とも言える感情を抱き、礼をして言われた通りにその場で見送った。
見送られたアンドロメダは異世界の少女が居るという、元々人気が少なく、今は気を使っているのか普段より静まり返った女性寮の奥の部屋の前へと立つ。
「中へは私だけ入ります。貴女は外で待機していてください」
「はい。お気を付けて」
白の従者は一人で行かせる事に不安を覚えつつも、ここで揉めても聖女は引く事は無く、困らせるだけであると理解しているため素直に従った。
アンドロメダが一人で行くと言った理由は三つある。
一つは先程第二団長に言ったように大勢で行くと相手が警戒心を抱くから。
一つは醜態を晒さないようにするためだ。
別世界からの召喚の真偽は不明だ。アンドロメダが嘘であると思っている割合はかなり大きい。しかし事実であった場合、他国とはさらに違う文化を持つ者と相対する事になる。今まで遭遇した事の無い未知の相手に対し、戸惑い、困惑して醜態を晒した場合の聖女としての威厳を損なわないようにするために、一人で行く。白の従者であれば多少の醜態は目を瞑られる事を理解はしているが、念のためである。
そして最後の一つは、アンドロメダ自身も無意識に警戒している事だ。一種の防衛本能と言っても良い。
「入ってもよろしいでしょうか?」
ノックを三度し、返事を待つ。この動作や呼びかけすらも失礼に値する、常識外れどころか喧嘩を売っている行為に当たる行為ではないかと不安になるような間があいた後、中から「……どうぞ」という力のない声で、入っても良いというアンドロメダでも理解できる言語で返事が来た。
(王国語、本当に通じるんだ)
報告では通じるとはあったが、最悪通じなければ身振りでどうにかしようとも考えていた。通じるならば別世界というのも眉唾物である可能性が高いと思いつつ、アンドロメダは扉をゆっくり開ける。
奥の部屋のせいで手入れが甘いのと年月のせいなのか、ギィッ、と音を立てて扉が開かれる。その音に中で僅かに驚いたかのような雰囲気を感じ取りつつ、中に居る少女をアンドロメダは見た。
(――あ、ヤバい。この子、本物の聖女だ)
彼女を一目見た瞬間、直感的に理解した。
最後の無意識に警戒していた事が正しかったと意識的に証明してしまった。
アンドロメダは他者を蹴落とすか、仲間とし時には利用するために観察して素養を見抜ける術に長けている。特に聖女に関する3項目に関しては特別鋭く敏感だ。
その見抜くための目が少女の内なる素養を見抜いた。見抜いてしまった。
同時にまだ覚醒には至っていないであろうから周囲が気づいていないのだろう、とも理解する。
浄化魔法。比べる事すら烏滸がましい聖なる浄化の力を内に秘めている。
回復魔法。相手のために祈れば奇跡かのように回復する使い方ができる。
女神の声を聴く力。望めば相応しい声を聴く事が出来る力を持っている。
本人は恐らくまだ自覚は無い。この世界と法則や常識が違う世界出身であるが故に才能を発揮する方法を知らないだけで、知れば遺憾なく聖女として振舞う事が出来よう、と、アンドロメダは分かる。分かってしまう。
(私なんかと全然違う)
彼女は自分と違い取り繕う必要も無く認められる本物だ。と、本物を見せつけられ、アンドロメダは自身との違いで無力感に苛まれた。
(この子が居れば私の立場が危うくなる)
同時に黒い感情がアンドロメダに沸き上がる。
聖女は必ずしも一人しかなれない訳ではない。同時に二人存在する場合もあり、歴史にも実例が確認されている。
だが新たな聖女が任命される時は、基本前回の任命から数十年離れた時期であり、二人の聖女は親と子、もしくは祖父母と孫世代といった年齢の差がある。同年代の聖女というのは過去に存在した例はない。
本物の聖女である彼女が、偽物である自身と隔絶した聖女としての才能を見せつければ、今見せている自身の聖女としての力は偽物だと周囲に知れ渡り、自分は聖女を騙った偽者として処刑される。
アンドロメダはそう危惧した。妄想で片付けるほどアンドロメダは楽観的では無く、現実には偽者の自覚のある自分と本物と言える少女が目の前に存在している。
(――どうする)
バタン、と。立て付けのせいか勝手に閉まった扉の音でアンドロメダは我に返る。
アンドロメダの目の前には自身を脅かす爆弾が居る。そして今、この場に居るのは二人のみ。好機と思える状況である。何をしても露見する可能性はかなり低い。
(いや、なにが出来るというの。この場で才能が目覚める前に処理する? この世界の常識だとでも言って祝福のふりをして魔力を封印する? どれも悪手でしょうが)
この場でなにかした所で後から綻びの生まれる短慮な行動にしかならないのに、好機と思えてしまうほどアンドロメダは焦っていた。
(好機なのは一人で来たから焦りとかを、脅えて相手を見れていない彼女以外に見られなかったことだけ。考えろ。どうする。元の世界に戻す魔法を探して使う? 別の国に送る算段を付ける? 考えろ、考えろ私……!)
ともかく、彼女が居れば自分が偽物だと発覚してしまう。どうにかして彼女を排斥しなければならないと思考を巡らせる。
(待てよ……?)
しかしそこでアンドロメダは思考に待てをかけた。ある妙案が思い浮かんだのである。
(彼女の面倒を見て聖女にすれば、私はあの激務から解放された上にその功績と今までのコネで稼げるのでは……?)
そんな、妙案と思っているのは本人だけの案を思いついたのである。
(私が彼女と交流して、仲を深めて聖女としての才能を開花させる準備を整える。そして開花する段階になって、この国のために自分は後任として彼女を指名すると言い、聖女であると認める。本物の聖女の輝きを前に盛り上がる中、私は穏便に聖女交代できるのでは!?)
具体案などアンドロメダにはまだない。今の彼女はふわふわとした都合の良い夢だけ妄想し、現実を見ずに足を踏み出して全てを失うような危うさがある。現実に敗れる、ありふれた夢想家で敗北するような何処にでも居る存在のようだ。
だが厄介な事にアンドロメダはそれを夢で終わらせない実力があった。過去にお金のためにと聖女を目指し、叶えた。その行動力はこの突拍子もない案を妙案として成り立たせる可能性を有する程度には存在している。
(これはいける。いける! これを今この場で思いつけた事が何よりも好機であり運命の分岐点! ふふ、ふふふ、あーはっはっは!)
つまりはこの時、この案を思いついた瞬間。
召喚や聖女に関しての一連の出来事が、とても面倒な事になったのである。
「あ、あのー。私に何か御用なのでしょうか……?」
内心は荒ぶりながらも、表面上は慈愛の表情を浮かべて黙るアンドロメダ。
その謎の状況に、召喚された黒髪の少女はただ困惑するのであった。