【10話】進展と後退
翌日。
いつもと同じ時間に起きた俺は、朝食を食べに食堂へ向かった。
いつもと同じトライアングルの配置で食べる朝食の時間が始まる――そう思っていたのだが。
俺のあとに食堂やって来たイレイスは、いつもの定位置に座らない。
なぜか俺の左隣に腰を下ろした。
「…………。どうして俺の隣に?」
「食事をするときの席の指定を受けた記憶はありませんよ。それなら、どこに座ろうと私の自由のはずです」
「いや、それはそうだけど……それにしたって何で俺の隣なんだ?」
「深い意味はありません。それでも強いて言うのなら……そうですね、私なりの仕返しというところでしょうか」
楽し気に声色を弾ませたイレイスは、ピンと人さし指を立てた。
「昨日は私に生意気なことを言いましたよね。あなたは年下で、私の弟です。今日からそのことを、たっぷりと分からせてあげます。ですから覚悟しておいてくださいね、ミケくん」
語尾に音符がついているかのようにご機嫌に宣言してきたイレイスは、立てていた人さし指で俺の鼻の先をちょんと押した。
俺のことを『ミケくん』って……。いやそれよりも、覚悟ってなんのことだ……。
情報量の多さに頭がパンクしそうになる。
寝起きでまだ脳が本格的に稼働していないというのに、いきなりこれはキツい。
しかしそれでも俺は、前に進めたという実感を得ていた。
何だかよく分からないが、イレイスとの仲はかなり縮まっている。
イレイスと仲良くなる、という俺の目的はこれで達成されたと言っていいだろう。
目先の目標だった、姉妹と仲良くなるというのはこれで達成。
いよいよこれで、姉妹の仲を縮める、という本来の目的に入ることができる。
「ふぁ~あ…………は?」
あくびをしながら食堂に入ってきたリリンは、隣り合って座っている二人を見た瞬間動きが静止。
寝起きでしょぼついていた目が、一気に大きくなる。
「失礼いたします」
メイドが朝食を配膳していく。
その間もずっと、リリンは驚いた顔でこっちを凝視しているままだ。
「はいミケくん」
スープをすくったスプーンを持ったイレイスが、それを俺に向けてくる。
つまりは、あーん、だ。
とびきりの美少女にそんなことをされてすぐに対応できるほど、俺は女性経験が豊富ではない。
顔を真っ赤にしながら、ともかく首を横に振る。
「ミケくんたら照れちゃって……ふふふ。かわいいです」
俺の反応を楽しんでいるイレイスは、いたずらな笑みを浮かべた。
感情表現に乏しかったあのイレイスと、同一人物とは思えない。
それともこれが、演じることを止めた本当の彼女なのだろうか。
「ちょっと! 何してんのよあんたたち!!」
食堂に入ってきてからというもの黙っていたリリンが、ついに動く。
ギロリと睨む視線。それは俺に向けられていた。
「いや、俺じゃねぇよ!!」
「嘘つくな! じゃあなにってのよ……まさか、そいつの方から――」
「朝から騒々しいですよ、リリン」
ピシャリと言ったイレイスは、俺にあーんしてきたスプーンを自分の口へと運んだ。
さっきまでの楽し気な雰囲気はすっかり消えて、普段のクールさが戻っている。
「私が何をしようが、あなたには関係ありません。ミケくんの隣に座るのもご飯を食べさせてあげるのも、全て私の自由です。いちいち騒がないでください。うっとうしいですから」
「……ッ!」
リリンが奥歯を強く噛む。
瞳には涙が溜まっていた。
「なによなによ! もう勝手にしたらいいじゃない! 気持ち悪い!!」
背中を向けたリリンは、小走りで食堂から出て行ってしまう。
イレイスと喧嘩をしているところはこれまでに何度も見てきたが、こんな風になるのは初めてだ。
席を立った俺は、急いでリリンの後を追いかける。
「おい」
リリンの肩に手をかけると、パァン!
手の甲をおもいっきりぶち当てられ、はねのけられてしまった。
「気安く触らないでよ! 気持ち悪い!!」
涙で顔を濡らしながら、リリンは大きな声で叫んだ。
俺に背を向けて、走り去っていく。
リリンの叫びには、明確な拒絶の意思があった。
それは初めて話しかけたときと同じ――いや、それよりももっと上だった。
……あれ? これはもしかして、やっちまったってやつでは?
せっかく縮まってきていたリリンとの距離が、こうして離れてしまった。
通路に立ち尽くす俺は、マジか……、と力なく呟いた。




