008
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ミザルが扉をノックすると、返事も聞こえないうちに扉が開いた。
「おはようございます」
中からなんとも無表情の桜子が出てきた。
「おはようございます。よく眠れましたか?」
「あなたたち(悪魔)って早起きなんですね」
ミザルの言葉が言い終わらないうちに、桜子の口から若干棘を含んだ言葉が出てきた。
「おや、起こしてしまいましたか?僕が起こしたにしてはすばやいお着替えで・・・」
桜子は昨夜ヴァルナが持ってきてくれたスーツを身に着けていた。少し短めのジャケットに膝上のダブルのパンツ。それに膝までの靴下に脹脛の高さのソールの厚い編み上げブーツ。
それなりに支度に時間のかかりそうな格好だ。
「ええ、起きていましたよ。で、ご用件は?」
半分だけ開けた扉に手を掛けたままで、一歩も中に入れないぞという雰囲気にミザルは肩を竦めた。
「ひとつお願いがありまして」
「なんでしょう」
ミザルは癖で組んでいた腕をはずし、周りを見回す。そして姿勢を正してから少しだけ桜子に身体を寄せて囁いた。
「レグルスのことなんですが・・・」
そこまで言うと、桜子は苦笑に近い笑いを口元に浮かべ、無言で扉を広く開き中へ誘うように手招きした。
「?」
促されるまま中へ入ると、桜子は後ろ手に扉を閉めた。
「お伺いしましょう?」
ミザルは再び姿勢を正すと、桜子の正面に立った。しかし、あまり背の高くない桜子を見下ろす形となり、失礼な気がして大きく一歩下がった。
「ええ、昨日も詳しい話は聞いていないのですが、どうやらレグルスがあなたに対してとんでもないご迷惑をお掛けしたようですね」
「ええ、まぁ(迷惑なんて生易しいものじゃないですけど)」
「やっぱり」
そう呟くとミザルはゆっくりと丁寧に頭を下げた。
「レグルスをあまり叱らないでやっていただけませんか?」
そして、顔を上げると何故か困ったような桜子の笑顔がそこにあった。
「笑っていただけるようなことを言ったでしょうか?」
困惑気味のミザルの言葉に、桜子は小さく手を振って否定の意思を表した。
「違うんです。馬鹿にしたとかそういうんじゃないんです」
そう言いながらも笑顔は消えない。
ミザルが腕を組んで自分の行動を振り返ってみたが、やはり笑わせるようなことをした記憶は無かった。
しかし、昨日から困惑した表情や、不本意と顔に顔に書いてあるような表情しか見たことのないミザルからすると、その笑顔は何かしらほっとさせるものがあった。
しばらく我慢するような様子で笑っていた桜子は、大きく息をつくと口を開いた。
「皆さんレグルス君が可愛いんですね」
予想外のことにミザルが眉を顰めると、桜子は指を3本立てをミザルに突き出した。
「あなたで3人目なんです」
「・・・何がでしょう?」
「レグルス君を叱らないでやって欲しい。許してやって欲しいっていいに来た人が、3人」
ミザルがぽかんと口を開くと、桜子は指を折りながら話して聞かせてくれた。
「まず、暗いうちに叩き起こしてくれたのがイオさん。で、次がディオネさん、そしあなた。私ってそんなに怖そうに見えました?これでも気は長いほうなんですけどね」
そして、どこか遠くを見るような目でミザルを見た。
「それに怒っても仕方ないし・・・」
と、小さな声で付け足した。
「あ、デネブさんってどこにいます?サンドイッチのお礼を言いたくて」
「食堂ですよ。案内しましょうか?」
「お願いします」
勢いよく頭を下げた桜子の黒髪が元気に揺れた。
朝食の時間が決まっているわけではないが、まだこの時間は早いうちに入り、食堂と呼ばれている巨大な食卓のある部屋は込んではいなかった。
映画で見たことのあるような大きな食卓は冗談かと思うほど長く、30人ほどが座れるほどのものだった。
それが3台も並んでいるのだ。
(本当に屋敷って言う規模じゃないなぁ)
桜子は天井からぶら下がるシャンデリアや自室にあるよりも何倍も大きな暖炉や壁に無数にかかっている、『不気味』という共通点しか見出せない絵画を見回して感嘆のため息をついた。
まず食堂に辿り着くまでに階段を2階分下り、更に何度か角を曲がり庭を見下ろしながら渡り廊下を渡り、更に更に廊下を歩き続けて来たのだ。
「奥にデネブさんがいますよ」
ミザルが指差す方向には両開きの扉があり、その奥から食器やシルバーの重なり合う音がにぎやかに聞こえている。
「ありがとうございました」
ミザルに礼を言って持っていてくれたポットを受け取り、扉の中へ入った。
「おはようございます」
扉の中は大きな厨房だった。中では5人程が忙しく動き回り、デネブはポットに出来たての珈琲を入れているところだった。
「デネブさん。おはようございます」
その声に顔を上げたデネブは両手を開き、少し目を丸くした。
「まぁまぁ可愛らしいこと。よく似合ってるわ。サンドイッチはお口に合ったかしら」
「はい、美味しかったです」
「それはよかったこと、朝食は召し上がる?」
「あ、いいんですか?」
「ええ、ええ。あなたの分もあるのよ。食べてくれないと勿体無いわ」
「じゃぁ、遠慮なく」
プレートの上に、オムレツ、サラダ、コンソメスープ、ロールパンという朝食を整えると手渡しながら、
「がんばってね」
とろ、励ましてくれた。
桜子は笑顔で受け取ると、何とか扉を開けて食堂へ戻った。
きょろきょろと周りを見回し、出来るだけ端の席で食べようと思っていると、持っていたプレートが手から急に消え、代わりに大きくて柔らかいものが顔にぶつかり、押しつかられた。
「---!!!」
声にならない悲鳴を上げると、障害物が取り除かれた。
そこには朝から艶やかなヴァルナの笑顔とヴァルナの大きな胸が鎮座していた。
どうやら、そのふくよかな胸で窒息死させられそうになっていたようだ。
「おはよ」
「・・・おはようございます」
「危なかったですね」
ヴァルナの横にはミザルが桜子の持っていたプレートを手にしてた。
間一髪でプレートを死守してくれたらしい。
ミザルは呆れたようにヴァルナを一瞥してからプレートを桜子に返し、食堂の奥を振り返りながら言った。
「イオ先輩とレグが一緒にいかがですか、だそうです。僕もご一緒しても?」
その丁寧な言いように、断る理由も見つけられず、うなずくしかなかった。
「ズルイ!私も!」
ヴァルナがミザルを押しのけんばかりの勢いで厨房へ向かって早足で向かっていった。
結局朝食が終わるまでには人数が増えて7人になっていた。
レグルス、イオ、ヴァルナ、ミザル、ディオネ、セドナ、そして桜子。
レグルスは始めこそ、桜子の顔色を見るような怯えとまでは行かなくとも、不自然な素振りだったが、桜子やイオやミザルの気遣いと、ヴァルナやセドナの天然の明るさも手伝って、持ち前の明るさを取り戻していた。
食堂から帰る際に、イオが小さな声で後で訪問する旨を伝えてきた。