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理解は出来たが納得は出来ない。
否、どんな説明をされても納得は出来なかっただろう。
桜子はデネブが貸してくれた衿の高いワンピースの胸元を無意識に掻き合わせた。
胸の中がざわざわと騒いで落ち着かない。
「どのくらいで帰れるんでしょう?」
意識してディオネは無視した。
イオは緋色の瞳を伏せ、長い指を顎に絡ませるようにしながら思案した。
「年単位で先かもね」
「そんな無責任な!!」
「こちらも早くリスクには帰っていただきたいんです」
「リスク呼ばわりしないで!」
キーーー!と叫びそうな勢いで桜子が立ち上がる。
「コレは失礼。思わず本音が出てしまいました」
「ディオネくーん、話がややこしくなるから・・・」
イオがひらひらと手を振って2人の喧嘩を止める。
「師匠は行く先々で勝手に契約して、代償回収の指示を出したら僕らの到着前にどこかへ消えちゃうからなぁ・・・」
「しばらく様子を見るしかないですね」
声色の違う声が聞こえた。
また出た・・・。桜子はうんざりした顔で部屋の中を見回した。
悪魔は人を驚かせるのが余程好きらしい。
「おや、露骨に嫌な顔をされてしまいましたね」
桜子が振り返ると、先ほどまで桜子が座っていた場所に眼鏡の青年が姿勢よく座っていた。
白いシャツに黒いベストを羽織り、ネクタイの変わりに細いリボンをだらしなく結んでいる。
黒髪をきっちりと撫でつけ、無愛想の一歩手前くらいの機嫌がいいとも悪いとも取れる表情をし、
イオやディオネより若干若く見える。
驚いてよろめきかけるのを、イオが桜子の腰を支えて立ち直らせる。
「ミザル、彼女は桜子さん。桜子さん、彼はミザル」
イオがなんとも簡単な紹介をするものだから、桜子は困った表情のまま慣れない握手をすることになってしまった。
「魂を半分だけ回収された希少な生物がいると聞いて見学に来たのですが、それが女性だとは思ってもみませんでした」
物珍しそうに頭の先からつま先まで観察される。
「き、希少生物・・・」
すでに人間扱いさえされていないらしい事実に、桜子が頭を抱えた。
「どこで聞き込んできたの?一応トップシークレットなんですけど」
さほど重要でもない様子でイオが尋ねると、ミザルが扉の外を指差しながら一言。
「レグ」
「あぁ、レグがまだ落ち込んでるんだ」
「ええ、大きな声で独り言を呟いていましたよ?」
大きな声の時点で独り言とは言えないだろうが、いつものことなのかイオは肩を竦めただけだった。
「レグはしばらく外出禁止にしないと。で、ミザルが言ったようにしばらくは様子を見る以外に方法はなさそうだから、しばらくは冥界で生活してもいます。師匠とコンタクトが取れるように努力します・・・ってことでいいかなぁ?」
いいかなぁ?と問われても困ってしまう。
そもそも桜子には落ち度は無いのだし、こんなとんでもないこと、どうやったら解決に向けて進んでいくのか見当も付かない。
「それ以外の方法は、現世に戻って削られた魂の寿命と睨めっこしながら余生を過ごす・・・くらいかな?」
どちらにしろ、最低で最悪の選択肢しかないらしい。
どちらも最悪ならば、前者にかけるしかない。
「こ、こちらでお世話になります」
「おや、顔に『不本意』と書いてありますよ?」
ミザルの悪意の無さそうな(?)余計な一言に、イオが噴出した。
ミザルとディオネは早々に部屋を去ったが、イオだけはそのまま部屋に残った。
先ほどの態度といい、彼が一番責任を感じているらしかった。
「ここは寮みたいなもので、師匠の弟子が何人も入れ替わりながら共同生活してるの」
イオはベットに横向けに寝転び、立てた腕に頭を乗せるという姿勢で窓際の桜子に話しかけた。
相変わらず光源乏しい中でも周りの様子は良く見えた。イオの固そうな髪も長い指も緋色の瞳も、暗闇が邪魔をして精彩を欠くということは無かった。
「桜子ちゃんは学校とか通ってたの?」
初めて名前を呼ばれて不覚にもドキッとしてしまった。
その声が妙に優しく甘く聞こえるのは桜子の自意識過剰のせいか、はたまたイオの謝罪の気持ちが声を通じて出たものか・・・?
「はい。高校に・・・」
今日も明日も明後日も当たり前に通うはずだった高校。
当たり前に繰り返すはずだった毎日。
その喪失感に気がついて、桜子は足元に深く大きな穴が開いたような強烈な不安を感じた。
「あの、私は今現世ではどうなってるんですか?」
声の震えが出ないよう、イオに背中を向け早口で尋ねた。
「行方不明になってる。体はここにあるんだし・・・」
あっさりとした言いように、桜子の心臓が締め付けられる。
心配する家族の顔が頭の中に浮かんでくる。膝の力が抜けそうになり、窓枠を掴み損ないその場にしゃがみ込んでしまった。
「大丈夫?」
衣擦れの音でイオが体を起こしたのが分かった。
「大丈夫です」
でも立ち上がることは出来ない。その気力が湧いてこない。
しばらくイオは声を掛けることもしなかった代わりに、部屋を出て桜子を1人にすることも無かった。
案外、優しい人なのかも・・・。
桜子が立ち上がり、何とかサンドイッチを口に出来るようになると、イオはそれをニッコリ微笑みながら眺めた。
その視線に懐かしいものを感じた。
(お兄ちゃんみたい)
桜子は3才年の離れた兄をイオの中に見つけた。
兄の慶二はイオのように整った顔はしていないし、良く喋るほうではない。しかし、落ち込んで1人で居たくない時や心細いと感じると、付かず離れずの距離にいてくれた。
親が仕事で帰りが遅くなるときは、大学のサークルがあろうとコンパがあろうと早く帰ってきてくれた。
自分の為に帰ってきてくれたのかと尋ねたこともなければ、お礼を言ったこともなかったが桜子は感謝していた。
それをふと思い出した。
「?」
穴の開くほど顔を見つめられたイオは小首をかしげるばかりだ。
「女の子の食事をそんなに見るのは失礼です」
自分でも可愛くないと思いながらも、口から出る言葉を止めることはしなかった。要は照れくさかったのだ。
「これは失礼いたしました」
イオは右腕を優雅に胸元に引き寄せ、左手を腰に回して慇懃に頭を下げた。
その気障ったらしい仕草が良く似合っている。
「食べてる様子が可愛くって」
桜子が驚いて咽そうになると、イオは背中を軽く叩きながら一言付け足した。
「希少生物って感じで」