ヒロインとして虐げられることがイケメン攻略の第一歩なのに、周囲の令嬢たちが優しすぎて困っています
「くっくっくっ。あーっはっはっはあ! 私が幸せになるための物語はここから始まるのよお!!」
私は思わず高笑いをしていた。
これからの薔薇色の人生に思いを馳せて。
──私はシオンとしてこの世界に生まれた。前世の記憶を携えて。いわゆる転生者ってヤツよ。
まあ前世の私は子供の頃から病弱で、大半が病室で過ごしていたみたいだけど。ろくに青春することなく十四歳でくたばったことを考えたら今の私の身体は健康そのものってだけでも最高よ。
そうよ、健康なだけでも十分だったんだけど、運はようやく私に味方をした。まるでこれまでの痛く苦しい前世の反動のようにね。
今の私はピンク髪の愛らしい外見の女の子。
その姿を見て前世の記憶が刺激された。中世ヨーロッパ風の魔法飛び交う異世界、『あの』乙女ゲームのヒロインがこんな姿だったような……?
前世で結構な数の乙女ゲームをプレイしてきた私だけど、その記憶は完全には戻っていない。前世の記憶といってもこの辺りの記憶は靄がかかったようで『あの』乙女ゲームの内容をはっきり思い出せないのよ。
それでも私が『あの』乙女ゲームの世界にヒロインとして転生したとするならば、お金持ちのイケメンと結ばれるルートは用意されているはず。そんなにひねった内容じゃなかった気がしないでもないし、正確なルートは思い出せなくても乙女ゲームの『定番』を押さえておけば自然と攻略対象のイケメンと仲良くなれると思う。
そう、そうよ。
私にはお金持ちのイケメンに愛される薔薇色な将来が待っているのよ!!
そんなわけで十四歳で平民ながらに魔法の才能を開花させた私は王子さえも通っている王立魔法学園に途中から特待生として転入することが決まった。やっぱりね。ヒロイン補正があると思っていたわよ!
なんかこの世界の魔法は血筋依存らしく、魔法の才能に優れた血筋が貴族の始まりみたいだから基本は高位の貴族の血筋の連中が凄い魔法を使えるけどごく稀に私のような例外が生まれるとか。
そういう人間は王立魔法学園に特待生という枠組みで招集される。なんか国家事業というか王命というかそんなんだから断ることはできないとか。才能如何によっては貴族として取り込むことで平民の力が増すことを防ぐという戦乱の時代の風習がそのまま残っている感じね。
ちなみに完全に貴族の血が混ざっていない純粋な平民が特待生になるのはここ最近では全然なかったようで、今の王立魔法学園には私以外の平民はいない。つまりちょー肩身が狭いのは確実よ。
まあその辺のアレソレは今は置いておいて。
大事なのはご都合主義にまみれた展開が私に降り注いだこと。
六月の下旬。それも二年生から社交界の縮図と化した王立魔法学園に転入する。この世界のヒロインとして大恋愛の末に身分の高いイケメンを射止められるよう世界全体が接待してくれている。
さあ、待っていなさい、イケメンども。
『定番』の流れで射止めて私の薔薇色の人生を彩ってもらうんだからね!!
そんなこんなで王立魔法学園に来てから一ヶ月が過ぎた。
もう全くこれっぽっちもイケメンと仲良くなれなかった。
おかしい。
こんなの絶対におかしい!
攻略対象のイケメンたちとの薔薇色の物語はどこにいったのよお!!
「ちくしょう。私はヒロインのはずなのに……っ!」
この学園には同級生に騎士団長の息子や第二王子、一個下の後輩に宰相の息子、一個上の先輩に三大公爵家の一角ヘクトリアクター公爵家の令息と攻略対象だと思われる候補は何人か在籍している。
ヒロインである私にとってはよりどりみどりな状況なのに全然接点ができない! 普通ならなんかイベントが起きてなんだかんだで攻略対象のイケメンたちと仲良くなるはずなのに!!
どうしてこんなことになっているのか。
学園に転入するまではまさしく『定番』通りだったのにここにきて躓いたのはなぜか。
元になった乙女ゲームを正確には思い出せなくても魔法の才能に目覚めたように向こうからご都合主義なイベントが舞い込んでくるはずだからその流れに乗っかればいいはずだったのにここまで何も起きないとなると……。
これは私から行動しないとフラグが立たない感じ?
前世の記憶がしっかりと思い出せれば簡単なんだけど、未だに靄がかかったようでこっちはアテにできそうにない。
だったら仕方ない。
『定番』を総当たりしてフラグをたてるしかないわよね。
となれば……、
「そうよ。ヒロインなら悪役令嬢に虐げられないとね」
私がよくやってきた乙女ゲームのヒロインはよく意地の悪い令嬢に嫌がらせを受けていた……気がする。そこをヒーローが助けるってのが『定番』だったのよ。
ここで嫌がらせを自作自演とかしちゃうと途端にヒロインのほうが破滅する『定番』にルートが変わっちゃうから注意が必要だけど。特に悪役令嬢が転生者だったらこのパターンに入りやすいから要注意。
だけど、逆に言えば自作自演とか余計な反撃材料を与えなければいいのよ。
悲劇のヒロインってのはどんな世界でも好まれるもの。
そこから逆転して幸せになる『定番』を含めてね。
方針は決まった。
明らかに悪役令嬢になるポジションの人間に接触して、なんだかんだで私を虐げてくるように持っていけば最後には攻略対象のイケメンに助けられて最終的に薔薇色の人生を突き進める!! ……はずよ。
何がなんでも私は幸せになってみせる。
痛くて苦しいだけだった前世の分までこの世界では絶対に幸せを掴んでやるんだから!!
ーーー☆ーーー
「おはようございます、レティアス公爵令嬢様」
翌日、私は教室で同じクラスのご令嬢に声をかけた。
腰まで伸びた金の縦ロールに澄んだ海のように綺麗な碧眼、一見しておっとりしているようでいて多くの令息令嬢が集まる学園の中でも一際存在感を放っている令嬢によ。
セルフィー=レティアス公爵令嬢。
三大公爵家の中でも最大規模、つまり国内でも王家に次ぐ家柄の令嬢。しかも第二王子の婚約者になるのは間違いないとまで言われているのよ。こんなの第二王子ルートにおける恋敵、悪役令嬢はこの人に間違いないわよね!
くっくっくっ。
クラスメイトのモブ令嬢たち(といっても伯爵令嬢とか侯爵令嬢とか平民にとっては天の上の存在なんだけど)が何やらざわついているけど、そうよね。平民のほうからセルフィー=レティアス公爵令嬢に声をかけるのは気に食わないわよね。
学園において身分は関係ない。
昔は魔法の才を多く発掘し、成長させ、最終的に国の力として取り込んで戦乱の時代を生き残るためにもそんな校則があった。だけど今の平和な世の中じゃ半ば形骸化している。だからこそ学園内においてさえも身分の差を無視する奴は普通いない。
だけど、それこそ攻略の糸口なのよ。
だってどれだけ形骸化していようとも学園内において身分は関係ないんだから私は何も間違っていない。それを気に食わないからと跳ね除ければ大義名分はこっちに手に入る(実際には空気を読めない私のほうが悪いのかもだけど、明確な過失さえなければどうとでもなるのよ)。
感情のままに平民ごときが生意気だと叱責してくれれば私の勝ち。
何なら平手打ちでもしてくれれば暴行罪のおまけつきだから、是非ともクラスメイトたちの目がある中でやらかしてよね。
平民の私だけなら泣き寝入りするしかないけど、だからこその攻略対象のイケメンよ。その力で私は生き残って幸せな未来を掴み取る。
だから、さあ、私を悲劇のヒロインにしてよ!
最終的に救われてハッピーエンドを迎えるためにね!!
「あら。ごきげんよう、シオンさん!」
…………。
…………。
…………。
あ、れ?
どうして、あれれ???
なんか普通にあいさつを返されたんだけど。
待って待って待って! 平民のくせに何様だくたばりやがれくらいの反応が返ってくると思っていたのに!
「ふふふ。シオンさんから話しかけてきてくれるとは嬉しいですわ。少しはここにも慣れてくれたのかしら」
何そのほんわかした反応!?
片手を頬に当てて嬉しそうに微笑む余裕まであるし!!
「え、ええーっと、そうですね」
「それはよかったですわ! 慣れない環境で苦労も多いと思います。わたくしでよければ遠慮なく頼ってくれていいのですからね」
まずい。
こう、なんか、とにかくこの空気はまずい!!
悪役令嬢とヒロインの邂逅なのよ? 普通なら初っ端から険悪な空気が漂っているものじゃん!
もっと敵視してよ。
そうじゃないと攻略対象のイケメンに助けてもらうことができないじゃん!!
ーーー☆ーーー
セルフィー=レティアス公爵令嬢は周囲から一目置かれている存在よ。
家柄もそうだけど、学力から魔法の実力から礼儀作法からとにかく全部が全部優れている彼女がちょっとシオンってのむかつくから虐げてやりますわ!! とか言い出せば途端に私は悲劇のヒロインになれる。
後は流れに身を任せれば第二王子ルート辺りに突入するはず!!
まあさっきはおっとり流されたけど、向こうだって平民ごときが同じクラスに混じっているのは気に食わないと思っているに決まっている。どうせ貴族令嬢として培ってきたポーカーフェイスで誤魔化しただけよ。
となれば、よ。
どんどん絡んでいけばいずれは我慢の限界を迎えて私のことを虐げてくれるはず!!
遠慮なく頼ってくれていいとセルフィーのほうから言ってくれたことだし、ここはお言葉に甘えて仕掛けさせてもらおうかなっ。
「レティアス公爵令嬢様。私、ここの授業についていけなくてですね。できればお勉強、教えてくれませんか?」
さあ、怒るのよ!
平民ごときが公爵令嬢の時間を割いて勉強を教えろと舐め腐ったことを頼んでいるのよ!? もうこんなの怒るっきゃないよね!!
……まあ、ここで叱責された『だけ』で酷い扱いをされてきたんですと攻略対象のイケメンに助けを求めるのは馬鹿だってのは私もわかっている。
これはあくまできっかけ。
私のことを嫌って、虐げてやると思わせるのが重要なんだから。
一度嫌がらせが始まればエスカレートするのは時間の問題よ。私の態度の悪さよりも嫌がらせのほうが酷い段階になってから攻略対象のイケメンに助けてもらえば私は悲劇のヒロインになれる。
そう、そうよ。
私がヒロインならそういう風に世界が回るのよ。そうじゃなければ一度死んでおきながらこの世界に転生することも、平民でありながら魔法の才能に目覚めるようなご都合主義も起きるはずないんだから。
痛く苦しいだけだった前世の代わりに今世ではとことんまで幸せになれるはずなのよ。
だから私はこの世界を攻略する。
誰でもいい。都合のいい誰か──ヒロインを救って幸せにしてくれるヒーローを手に入れてみせる。
だから。
だから。
だから。
「もちろんよろしいですわよっ」
なあんで即答で頷いちゃうかな!?
お願いだからちょっとは怒ってよお!!
「それで、わからないのはどこでしょうか?」
「え、ええっと、とりあえず全部ですかね? あいにくと前の学校ではどの科目もここまで難しいことは教えてなかったですし、何より魔法学なんて存在しませんでしたから」
思わず本音が出ていた。
前世の知識なんてちっとも役立たないというかほとんど病室で過ごしてきたからそもそもそこまで頭良くないし、今世で学んできたことは最先端を突き進む王立魔法学園の授業内容にはちっとも通用しない。
というか前の学校じゃ多くの平民は使えもしない魔法を学んだりしなかったからね。二年の途中から入って授業についていけるわけないじゃん!
あ、でも、これはこれでアリかも。
王立魔法学園にふさわしくない劣等生がとかそんな感じで蔑んでもらえるかも!!
「そうですか。それではまずはシオンさんの学力がどの程度か見せてもらいましょうか。その上でここの授業についていけるよう微力ながらシオンさんのお勉強のお手伝いをさせていただきますわ」
「あ、はい」
ぶっちゃけ勉強関連は難しい以前に魔法学とかどこから取り掛かればいいかもわからないくらい意味不明だったから教えてもらえるのは普通に助かる。
助かるんだけど、こう、なんか、複雑だなあ!!
ーーー☆ーーー
なんかいっぱい集まった。
放課後、私に勉強を教えるということで最初はセルフィー=レティアス公爵令嬢だけだったのが気がつけばクラスメイトの大半が私のために居残りしているのよ。
それもセルフィーに媚を売るとかならまだわかるんだけど、そういうのでもなさそうなのよね。わたくしでよければお力になりますわとか何とか言っているクラスメイトに裏とかなさそうだった。
そんなわけでお勉強会はとっても有意義だった。
何なら軽いお祭り騒ぎというかクラス全体で私の学力を向上させようと一致団結してとんでもない盛り上がりを見せていた。
くそう。
なんで伯爵令嬢とか侯爵令嬢とかが集まって私に懇切丁寧に勉強を教えてくれるのよ。特にセルフィー=レティアス公爵令嬢! この中でも飛び抜けて立場が上なはずの貴女がなんだって率先してお勉強会を取り仕切って……だあ! やめて基礎をわかりやすくまとめたノートとか自作しないでよどうして公爵令嬢が平民のためにせっせと手間暇かけてそんなものを作っているのよお!!
至る所に私が少しでも理解しやすいようにという工夫が見て取れて本当、もう、親切すぎるわよ!!
とまあ、そんなこんなで授業にもなんとかついていけるようになった。授業中に先生に当てられて何とか答えたらそれだけでクラスメイト全員が喝采をあげたのは、その、そこまで喜んでくれると感謝やら嬉しいやらとにかくむず痒かったけど。
まあ後から思い返して恥ずかしくもあったけどね!
授業後にあの盛り上がりは何事だったのかと他のクラスの令嬢たちが押し寄せた時にクラスメイトたちが──特にセルフィー=レティアス公爵令嬢が興奮気味に──私のことを自慢していた時はちょっと勘弁してと思ったし。
あれ、そんなに難しいヤツじゃなかったじゃん!
そんなに持ち上げられるほどのことじゃ絶対にないから!!
というか凄いのは私のような凡人の学力をここまで上げてくれたセルフィー=レティアス公爵令嬢たちなわけで、つまり、だから、『シオンさんは本当に凄いのですわ!』とか本当そんな胸を張って自慢しないでよねっ。
ーーー☆ーーー
ざわざわしていた。
数日後、教室の隅でクラスメイトの令嬢たちが私とセルフィー=レティアス公爵令嬢が話しているところを見てこそこそ何かを言っているのよ。
あっ、これはまさか平民ごときが高貴なるレティアス公爵令嬢に馴れ馴れしく接して何様だと取り巻き的な令嬢たちがブチ切れている感じ?
もう最初に嫌がらせしてくるのはセルフィー=レティアス公爵令嬢でなくてもいい。誰でもいいから私のことを虐げて!!
「シオンさん、最近セルフィー様とよくご一緒にいらっしゃってございますわよね」
「ええ」
そうよね、気に食わないわよねっ。
本人にも聞こえるように悪口を言っていこう! そこから嫌がらせをエスカレートさせて攻略対象のイケメンが助けないといけないと思うほど悲惨な目に合わせてよ!!
「「よかったですわねえ!!」」
……へ?
なん、え???
「二年の途中から慣れない学舎にやってくるだけでも心細かったでしょうに、前の学校よりも難しい授業についていかないといけない心労はいかほどでございましょうか!」
「それでも懸命に努力していましたでしょーよ。本当にシオンさんは素晴らしいお方ですわよっ」
「そんなシオンさんが楽しそうにしているのは我が事のように嬉しいでございますわあ!!」
「ええ、ええ、わたくしもとっても嬉しいでしょーよ!!」
何でそうなるのよお!!
ここは普通なら嫉妬からの嫌がらせコースのはずなのに! もっと『定番』に則っていこうよ!!
……っていうか、楽しそう?
私、そんなに楽しそうにしている???
え、まって、セルフィー=レティアス公爵令嬢は悪役令嬢として私の幸せの礎にするつもりで、だから、なのに、その当の本人と一緒にいて私ってば楽しそうに見えるわけ?
いや。
いやいや!
そんなわけない、それは、その、おかしいじゃん!!
だから違う、私は別に楽しそうになんてしていないから!!
ーーー☆ーーー
それからもセルフィー=レティアス公爵令嬢は私の仕掛けをほんわかとかわしていった。
私がこの間のお勉強会のお礼だとクッキーを焼いて差し入れしたら(普通なら平民の作った得体の知れないものなど食べられないと床に投げ捨てて踏みつけるくらいは『定番』なのに)『本来なら毒殺の危険から他者から出されたものは食べないよう言われているのですけれど、シオンさんからであればありがたくいただきますわ』と口にしてくれたり。しかも絶対に高級な料理で舌が肥えたあの人には物足りなかっただろうに笑顔で美味しいと褒めてくれたし! お返しにといただいた公爵家お抱えの料理人の一品とは天と地ほどの差があったのに何で私のクッキーなんかを美味しいと褒められるのよ!!
私がセルフィー=レティアス公爵令嬢や他のクラスメイトがお茶会をしようと相談しているところに突っ込んで私も参加したいですと身の程知らずにも言ったら(平民ごときに参加資格があるとでも思っているのかと悪態をつくくらいは『定番』なのに)『もちろんよろしいですわ。シオンさんもお誘いしようと思っていましたもの!』と受け入れてくれたり。しかもお茶会自体も本来なら礼儀作法とかあるだろうに私に合わせて楽にできるようになっていたし。あんなにも自然に、気兼ねなくお茶会ができたのは絶対にセルフィー=レティアス公爵令嬢たちが気を遣ってくれたからよ。
私が(こうなったらでっちあげでもいいから嫌がらせを演出して悲劇のヒロインになってやるとちょっと迷走して)わざとペンを無くしたことにした時にはセルフィー=レティアス公爵令嬢の号令でクラスメイトの令嬢たちがお高いドレスが汚れるのも構わずに探してくれたり。もういたたまれなくてなくしたと思ったのは私の勘違いでしたと申し出たら怒るでも呆れるでもなく『それは良かったですわ!』と即答してくれたし! というかあの人もそうだけどクラスメイトの誰も文句の一つも言わなかったってどういうこと!?
ここまでやられて普通許す?
貴族令嬢どころか同じ平民でもお前ちょっとふざけすぎと苦言を呈してもおかしくないと思うんだけど!?
本当に、なんでこんな私に優しくするのよ。
自分が幸せになるためにセルフィー=レティアス公爵令嬢を利用しようとしている人間なんかに、なんで……。
ーーー☆ーーー
まずい。
こんなの攻略対象のイケメンと仲良くなる以前の問題よ。
肝心の乙女ゲームの内容を正確には思い出せないのが本当足を引っ張っているよね。正規のルートが思い出せないから何が最適解なのかわからない。っていうか普通こういう世界に転生したら都合よく原作知識があるものじゃないの? 『定番』ってのはそういうものだと思うんだけど!!
いや、思い出せないものをねだっても仕方ない。
こうなったらちょっと強引にでも状況を進めないと。
私がヒロインとしてこの世界を攻略するためにもセルフィー=レティアス公爵令嬢には悪役令嬢になってもらわないといけないんだから!!
……なんか胸が痛む気がしないでもないけど、こんなの気のせいだから。気のせいったら気のせいなのよ!!
「セルフィーっ!!」
教室に入った私は大声でそう声をかけた。
セルフィー=レティアス公爵令嬢に向けて。
「セルフィーとはもうお友達だと思ったから呼び捨てにしたんだけど、もちろんいいよね?」
は、はは。
あーっはっはっはあ!! 流石のセルフィー=レティアス公爵令嬢でもここまでやられればブチ切れ間違いなしよねえ!!
何せ平民が呼び捨てで、しかもタメ口で話しかけているのよ? 今すぐに魔法でぶち殺しにきてもなんらおかしくないわよっ。
この世界には明確な身分の差がある。
学園においては身分は関係ないとはいえ、そんなものでこれまで培ってきた価値観がそう容易く変わるものか。
私はこの世界で十四年を生きてきた。
だから思い知っている。貴族のプライドは絶対に私を許さないことを。
お忍びで街を散策していた貴族に対してタメ口で話しかけた平民がその場で半殺しにされるなんてのが別に珍しくないんだから。
それくらい横暴で、無茶苦茶で、理不尽なのが貴族という生き物なのよ。……『あんなもの』が何の前触れもなく現れて悲劇を撒き散らすような危険地帯で生き残るためなら手段なんて選んでいられない。
ほら、今はセルフィー=レティアス公爵令嬢もいきなりのことに驚いて目を見開いているけど、そこからその瞳に怒りや憎悪が浮かぶのも時間の問題よ。
引き金を引いた。
私の手で状況を次の段階に進めた。
だから、もちろん、もう今までのような関係ではいられない。
ここの授業にようやくついていけるようになって『よく頑張ったですわ』と優しく頭を撫でてくれたこの人が、私の手料理なんかを嬉しそうに口にしてくれたこの人が、礼儀なんてなっていない私とのお茶会を心の底から楽しんでくれたこの人が、私がなくしたペンを探すためだけに埃に塗れても一切気にしなかったこの人が、ついに私のことを虐げるべき敵として扱うのよ。
そう望んで行動してきた。
まだ見ぬ攻略対象のイケメンとの仲を深めるために。
そのために、そんなことのために、私はセルフィー=レティアス公爵令嬢を悪役令嬢として貶めようとしている。
こんな私にだって一人の人間として真っ直ぐに接してくれたこの人を蹴落としてまで乙女ゲームのような未来を手に入れようとしている。
全ては痛く苦しいだけだった前世の分まで幸せになるために。この世界で貴族に搾取されることなく幸せに生きるためにはこうするべきだから。
だけど。
それでも。
私にあんなにも優しくしてくれた人を傷つけてまで手に入れた幸せに本当に価値なんてあるわけ?
意地になってこの人のことを悪役令嬢にしようとした。
私のことを虐げてくれるように立ち回った。
これまでは空回りに終わった。だけどここでセルフィー=レティアス公爵令嬢が我慢の限界を迎えて私のことを敵と認識したら?
「シオンさん」
「あ、まっ」
「いいえ」
遅い、何もかも。
これまでの日々を振り返ればそこに目的のものはあったのに。
楽しかった。
そうよ、セルフィー=レティアス公爵令嬢との日々は楽しかったのよ。
身の程知らずにも好きになってしまうほどに。
自分の気持ちに気づくのがこんなにも遅く、だから全ては手遅れだった。
せっかく目の前に続いていた幸せを、前世の頃から追い求めてきた健康に普通に誰かと仲良くなる道を他ならぬ私の手で閉ざしたんだから。
だから。
だから。
だから。
「シオンと、わたくしもそう呼んでよろしいですわよね!! 何せわたくしたちはお友達ですもの!!」
「…………え?」
あれ?
な、んで……怒っていない?
「だめ、ですか?」
「だめじゃない。だめじゃないけど……怒ってないの?」
「怒る、ですか?」
「だって、私のような平民が公爵令嬢様を呼び捨てにして、しかもタメ口だし」
おずおずと尋ねたら、首を傾げられた。
本当に不思議そうにセルフィー=レティアス公爵令嬢はこう答えた。
「怒りませんわよ。お友達ならば当然のことですからね! それに、ふっふ。いいことを教えてあげますわ」
「いいこと?」
「ええ」
セルフィー=レティアス公爵令嬢はどことなく胸を張ってこう続けたのよ。
「この学園では身分は関係ないのですわ!!」
「それは知っているけど」
反射的に返したらポカンとして、そしてじわじわとセルフィー=レティアス公爵令嬢の顔が赤くなっていった。
ばっと両手で顔を隠して、
「うう。知っていたならばそうおっしゃってくださいなっ」
「え、ええと、ごめん」
「大体知っていたならば何の問題もないこともわかっていたはずでしょう!! もうっ、シオンがこのことを知らないから怒られるのではないかと怯えていると思いましたのに!!」
ま、まあ、それはいいですわ、と切り替えるようにわざとらしく咳払いを挟む。
「とにかく、そういうことで別にわたくしたちがどんな風に話していようとも、どれだけ仲良くなろうとも、周りからうるさく注意されることもないのです!!」
「いい、の? 私は貴女が思っているよりも醜悪な人間かもしれないよ?」
だって私はこんなにも優しい人のことを自分の幸せのために蹴落とそうとしていた。
だからどこまでも優しいこの人の隣に立つにはふさわしくないのは明らかで。
だから。
なのに。
「そうだとしても、わたくしは他の誰でもなくシオンと仲良くなりたいですわ。ええ、そうです、シオンが嫌だといっても絶対に仲良しになってみせますからね!!」
即答だった。
迷いなんてどこにもなかった。
ああ、こんなの私の負けよ。
多分セルフィー=レティアス公爵令嬢……ううん、セルフィーと関わったあの瞬間からヒロインとしての私は死んでいたんだと、今ならそう思える。
「うん。私もセルフィーと仲良しになりたいな」
まだ見ぬ攻略対象のイケメンなんかよりも、この世界の誰よりも、私はセルフィーのことが好きになってしまったみたい。
ちなみに、よ。
教室でこんな会話をしていればもちろんクラスメイトたちの耳に入るのは当然なわけで、なんか、こう、拍手喝采の大騒ぎだった。
もちろん悪意ある言葉は聞こえない。
よかったですとか自分もシオンさんのこと大切なご友人だと思っていますわよとか青春ですねえとか尊いでございますとかシオンさんらしくてかわいらしいでしょーよとか、こう、いや別に悪気がないのはわかっているんだけどその微笑ましい感じがある意味で私の心を抉ってくるんだけど!?
「もうやめてえ! 恥ずかしくて死ねるからあ!!」
違う。
確かにこれまで散々虐げてほしいと思っていたけど、私が求めていたのはこういうのじゃない!!
いやまあ今は虐げてほしいとすら思っていないんだけど、それはそれとして、やめっ、みんなしてそんな顔で私を見ないでえ!!
ーーー☆ーーー
それを、偶然通りかかった第二王子が目撃していた。
最近は忙しくてあまり学園には来れなかったので、平民ながら王立魔法学園に転入した少女を見るのは今日が初めてだった。
「慣れない環境で困っていたら王族として助けてやるべきかとも思ったが、あの様子なら私の出番はなさそうだ」
そう呟き、満足そうに立ち去っていったのだが、そのことにシオンが気づくことはなかった。
そんな風に他の攻略対象とのフラグもシオン本人は気づくことなく片っ端からへし折っていくことだろう。
たった一つ。
悪役令嬢になんてなるわけがない彼女とのフラグを除いて。