5.
プレイストン伯爵家に先触れを出すと、是非来てほしいとのことだった。
ソフィアをお供に車寄せに向かうと、御者はフランクだった。すぐにソフィアが声をかける。
「おや、フランク。貴方、馬車を扱えるの?」
「……」
無言のまま、フランクは頷いた。
「本当でしょうね。ま、ゆっくり頼むわ。伯爵家までよ」
馬車に乗り込むと、滑らかに動き出した。
そして気付いた。
「ねえソフィア。馬車、今までと変わった?」
「いいえ、いつもと同じ馬車だと思いますけど」
「乗り心地が、とても良いわ。何が変わったのかしら」
ソフィアが御者台に声をかける。
「フランク、馬を変えた?」
「……いえ」
「じゃあ何か変えたことはある?」
「…………」
フランクは黙ってしまった。答えに窮しているらしい。
いつもは揺れたり、カーブや曲がる時に遠心力が働いたりお尻が上下するのだが、それがほとんどない。
停まる時も、すーっと自然に止まって身体が前のめりにならない。
「ひょっとして、フランクは御者の才があるんじゃないかしら?」
馬車を降りてから、そう言うと彼は黙ったままだったが嬉しそうにした。
そして、何かを言いたそうにもじもじしている。
数日の片付けの間に、ここで急かしてはいけないと分かって居た。
せっかち気味で、ちゃきちゃきするタイプのソフィアが
『言いたいことあるなら早くいいなさい!』
と急かすと彼は焦って黙ってしまう。
しかし、後からよくよく聞いてみれば、彼が言いたかったこととは、物置の床にひびが入っているから気を付けた方がいいとか、木箱に大きな棘が出ているから触れない方がいいとか、大事な注意点ばかりだった。
リルルメイサとソフィアは、急かさないようにしてじっと黙って彼の言葉を待った。
「……夕方に、雨が降りそうです」
「そうなの? 今、こんなに晴れているのに」
風は少し冷たいが、陽が照っているのでそこまで寒くはない。雲は少しあるが、晴天だ。
すると、ソフィアが得意げな顔で告げた。
「分かったわ。貴方、古傷があるんでしょう。天気が崩れる前に、古傷がある人は痛むって探偵小説で言ってたもの」
ソフィアは探偵小説が好きでハマっているらしい。
しかし、フランクは首を横に振った。
「……風に湿気がある。馬が落ち着かない。雷雨になるかも」
「では、早めにお暇しましょう」
フランクの天気予報を信じた訳ではないが、突っぱねて長居するつもりもない。
こうして訪問した伯爵家だが、知らない間に荒れ模様になっていた。
まず、迎え入れてくれたのが伯爵夫人ではなく知らない女性だった。
「ごきげんよう。貴女がリルルメイサね。アシュレイ商会のご令嬢の」
「ごきげんよう……」
誰だろう、と思いながら顔を見つめる。
金色の髪に利発そうな蒼の瞳の美女だった。にこやかに自己紹介をしてくれる。
「私はヴィーラ。レニュオーヌ伯爵家の娘よ」
「はい。えっと、夫人はいらっしゃいますでしょうか」
「お義母さまは精神的に参っていらっしゃるのよ。それで、私が内向きのことをしているの」
「あの、それでは伯爵かジョシュアお兄さまは」
すると、彼女は目を細めて忠告するような口調になった。
「ジョシュアお兄さま、というのは頂けないわね。私の婚約者で夫となる人よ。いくら商会のご令嬢でも、身分というものがあるでしょう?」
それは確かに。アルベールも、ジョシュアは婚約したから近付くなと言っていた。
しかし、勝手知ったる伯爵家だ。この広い屋敷の中を、子供の頃から何度も走り回って探索しまくっていた。屋敷の構造は知り尽くしている。夫人の部屋も。
チラリとソフィアを見ると、言い返したくてうずうずしている様子だった。こういう時は、彼女に任せるに限る。
ソフィアはすぐ口を開いた。
「お嬢さまは先触れを出して訪問されています」
「礼儀を知らない方は、この屋敷に入れる訳にはいきません」
「まあ! それでは帰れとおっしゃっているんですか?」
「皆さまお忙しいのです。またのお越しを」
なんと、門前払いならぬ玄関払いをされようとしている。こんなことは、生まれて初めてだった。
そこにジョシュアが通りかかった。すぐにソフィアは大きな声をかけて手を振る。
使用人としては破天荒すぎる振る舞いだろう。
「あっ! ジョシュアさま! こっちです!」
「やあ、騒がしいと思ったらリルルとソフィア。よく来てくれたね」
ジョシュアは何も気にせず、にこやかに招き入れようとする。
ヴィーラはスッとジョシュアの脇に控えると、戸惑ったように告げた。
「ジョシュアさま、私、あまりにも礼儀がなっていない方に驚いてしまいましたわ」
それはさっきのキツい態度とは全く違い、弱々しさを感じさせるものだった。
リルルメイサは驚いて目を丸くしたし、ソフィアは半目になっている。
ジョシュアはハハハと声に出して笑って言った。
「それでこそ、リルルとソフィアなんだよ。さあ、おいで」
応接室に招き入れてくれたジョシュアは、使用人にお茶を申しつけるとヴィーラに言った。
「アルベールの思い出話をするんだ、君はいいよ」
「私も、ぜひ伺いたいわ。ジョシュアさま……」
「君には分からない話ばかりだからね。さあ、母上の所へ」
ヴィーラは同席したがっていたが、ジョシュアはそれを聞き入れずに追い出してしまった。
リルルメイサは何と言っていいのだろうと思っていたが、彼はハアと溜息を吐いた。笑顔が消え、疲れの色が見えていた。
「ジョシュアお兄さま……」
「アルベールが居なくても、日々は過ぎていくし人も状況も変わっていく。分かっているんだがなあ……」
「その、私、神官さまに相談したの。そしたら、遺された者が納得できるように、事故のことをちゃんと知った方がいいんじゃないかって」
少し考えた後、ジョシュアは口を開いた。
「そうか、知りたいのか。君は強いね、リルル」
「強いわけでは、ないんだけれど」
「私たちはずっと思い出に浸って、時を進めたくないと思っていたんだ。父と、母も。ヴィーラだけがその状況を変えようと私たちをせっついて、それが正しいのだとは思うが正直参っている」
「ああ、それで……」
だから、過去の象徴であるアルベールの婚約者候補を家に入れないでおこうとしたのか。
ちらりとソフィアを見ると、彼女が続けてくれた。
「差し出がましいようですが、あの方、お嬢さまを追い返そうとしたんですよ。あの方に任せておいたら、この屋敷は良いようにされてしまいます」
「それは分かっているんだが、今は事業と領地、王宮のことで父も僕も手一杯なんだ。彼女のことは母に任せているんだが、それも思わしくなく……」
何だか、ジョシュアも行き詰まっているようだ。
ソフィアが口を挟む。
「とりあえず、ご自分の屋敷に戻って頂いたらいかがでしょう」
「事情があって、そうもいかないんだ」
伯爵家の内部事情も色々あるのかもしれない。
そこに、またヴィーラが声をかけてきた。
「お茶をお持ちしました」
使用人に頼んだのに、自らティーワゴンを運んできてお茶を淹れようしている。
うーん、この押しの強さよ。
少し、気詰まりになっているとジョシュアが立ち上がった。
「いや、お茶はいい。リルル、調査報告書を見せよう」
リルルメイサも立ち上がって、ソフィアと共に執務室へと案内される。
ヴィーラは瞳に強い感情を込めてリルルメイサの背中を睨んでいる。その視線が突き刺さって振り返ったが、ヴィーラの目は怖いままだった。