4.
「なあに、お父さま」
「イーサンがアルベールを殴ってしまった後のことだ」
「ああ、そういえばお兄さまは無罪放免だったのかしら」
今更思い出して尋ねると、父は説明してくれた。
「私とイーサンは、殴ったことについては謝罪したが、リルルの結婚については反対した。だが、彼は私たちに跪いて誓ったんだ。決してリルルに無理強いはしないから、償わせてほしいと。これまでのような振る舞いは改めるから、交際を禁じないでほしいと。あのアルベールが、だよ」
「…………」
貴族が平民に跪くなど、絶対にあり得ないことだ。
プライドが高く、尊大なアルベールがそんなことをするなんて、と目を丸くする。最近、彼に関して驚くことばかりだ。今まで見てきたアルベールは、一体何だったのだろう。
そう思っていると、父は教えてくれた。
「私は尋ねた。どうしてそこまでリルルに拘るのかと。アルベールなら、いくらでも貴人同士の良い結婚相手がいるだろう。だが、彼は言った。リルルを愛している、どんなことをしても彼女と結婚したいと思っている、その為には何でもすると」
「何でも……」
ちょっと、怖い。思わず身を震わすと、すぐにソフィアが熱いお茶の入ったティーカップを置いてくれた。
父は背もたれにドサッともたれ、少し疲れたような顔をして言った。
「その言葉を、伯爵一家は好意的なものとして捉えたようだ。アルベールがそこまで言っているのだから、許してやってほしいと。イーサンが殴ったことも不問にすると言ってもらえた。だが私には、アルベールの宣言は恐ろしいもののように聞こえたんだ」
「僕もだよ。リルルが無理やり襲われているように見えて、カッとなってつい殴ってしまったけれど。それでリルルを嫁がせるなんてことになると申し訳ないよ」
「いいえ、お兄さま。ありがとう。お兄さまが庇ってくれて、嬉しかったわ。でも、そうね。明日、アルベールとちゃんと話をしてみるわ」
「大丈夫か、リルル。アルベールと二人きりになるんじゃないよ」
「大丈夫よ、ソフィアに付いててもらうわ。それに、どっちにしてもお見舞いには行かなきゃいけないし」
翌日の新聞には、アルベールがリルルメイサを庇って怪我をしたが、婚約者を守った英雄だという風な記事が書かれていた。
確かに守ってもらったし、間違ったことは書いていないと思うのだが、今までのことと家族の反対から、どうにもすんなり彼を愛せない。
まだ愛とか恋は分からない。それでもソフィアの言う通り、絆されてはいると思う。
モヤモヤしながら、アルベールの見舞いに行った。
通された彼の私室で、ベッドに座っている姿を見てギョッとする。
アルベールは素肌にシャツを肩に羽織っているだけだった。腕も通していないし、当然ボタンもとめられていない。胸板が意外と逞しいとか、そんな風に見てしまって慌てて目を逸らした。
「リルル、来てくれたんだな。さ、ここに座って」
ベッド脇に置いてある椅子を勧められ、素直に座りながら口を開く。
「ええ、怪我は大丈夫?」
「やはり痛みはあるし、夜には熱も出る。でも、リルルが来てくれたら痛みも無くなった」
今までにない素直な言葉と、眩い笑顔だ。
それに、じっと見つめられるとドギマギしてしまう。
「……そう、良かったわ。ちょっと、聞きたいことがあって」
「何だ?」
「その、わざとナイフで刺されたりなんて、してないわよね?」
そんなことする訳がない、わざと怪我なんてするか。
その言葉を待っていたが、彼はすぐには答えなかった。
まさか、違うよね?
アルベールを信じられない思いで見つめると、彼はフッと笑った。
陰のある、退廃的な笑みだと感じてしまった。
「……さあ、どう思う?」
「どう思うって。そんなことする人なんて、居ないと私は思うんだけれど」
「一瞬のことだったし、無我夢中だったから覚えていないな」
「そうよね」
良かった、そんな訳ないわよね。そう思ったが、彼は続けた。
「でも、それでリルルが俺の元に居てくれるなら、腕の傷なんて何とも思わない」
「アルベール、貴方おかしいわ。そんな人じゃなかったでしょう……」
彼は意地悪で、嫌なことばかり言ってきて、いつも苛めてくる性悪だ。だから、女の為に、それもリルルメイサの為に怪我をするなんて想像もつかない。
しかし、彼はじっとりとした視線で見つめてくる。
「だとしたら、リルルが変えたんだ」
「私が……?」
「そうだ。俺を死なせたくないと言っては、傍に来てくれる。俺を見つめてくれる。以前のリルルなら、俺を見なかった。死んでもどうでも良さそうだった」
「そんなことないわ。貴方が亡くなる度に、私は胸が痛かったもの」
「だったら、その気持ちが俺を変えたんだろう。以前より、ずっとリルルを好きな気持ちが強くなった。どうしても離したくないんだ」
確かに、彼が変わったのは事実だ。
しかし、それは己のせいではなく時間を戻ったせいではないかと感じた。
時間を戻して、何度も世界を変えていく。その度に何か、代償のようなものが必要なのでは無いのか。それが、アルベールの心だとしたら。
命を救う代わりに、彼の心が変わっていったのかもしれない。
ならば、どうすればいいのだろう。どうしたら分かってもらえるのだろう。
首を横に振って、しどろもどろに説明する。
「あの、アルベールが変わったのは、私が助ける為に時間を戻ったかもしれなくて。命と引き換えに、心が変わったのかも。でも、それは私のせいじゃなくて、そういう力が働いたのかもしれない? だから、アルベールが大丈夫かちょっと心配だわ」
「俺が心配?」
「ええ」
「それは嬉しいな。もっと、俺のことを考えてほしい。傍に居るだけじゃなくて、俺をずっと見つめてほしい。リルル、どうすれば俺のものになってくれる?」
そんなこと言われても。
ドギマギして、更にしろどもどろになった。
「分からないわ。私、そういうの、分からなくて。でも、貴方に死んでほしくなくて。結婚は、したくないけど、でも、私。アルベールのものになるとか、ちょっと怖くて……」
「怖くしない。優しくするから。リルル、手を」
「え、ええ……」
向かい合って、怪我をしていない右手を差し出されたので、そっと掴む。
彼は優しく握って、そして穏やかな声を出した。
「前にも言ったけど。俺はリルルが好きだ。だから、リルルが結婚したくなるまで待つよ。もしずっとそうならなくても、ただ傍には居たい」
「うん……」
「その為に、婚約したい。俺に、傍で待つ資格をくれないか」
こんなに自分を好いてくれて、怪我までして守ってくれた人に、そうまで言わせて嫌だと言える訳がなかった。
この返事をしてしまっていいのだろうか、そう思いながらも目を伏せて言った。
「うん……」
「ありがとう! リルル、愛しているよ」
後ろで、ソフィアが(あちゃ~)と天を仰ぐ気配がしたけれど、それにも何も言えなかった。
アルベールが喜んでいるし、ニコニコしているので、じゃあもういいかなとこくりと頷いたのだった。




