2.
シャリオスが馬車を見て言った。
「そのまま進んでいたらと思うとゾッとするな。でも、今これが壊れることによって山場は越えた、ような気がする」
「馬車が身代わりになってくれたのかしら」
「それは空想的な考えだな。経年劣化か、傷んでいたかだろう。だが、本来なら走行中にこうなる筈だった」
すぐに馬車の修理の手配を、となったが今日中にはとてもじゃないが無理だとなった。
それよりは、護衛の一人を早馬として行ってもらい、新しい馬車を伯爵家から迎えに寄越す方がいいだろう。
すると、アルベールがこちらをじっと見つめながらサラリと誘ってきた。
「じゃあリルル。今日は一緒に泊まろう」
「え……、私は帰るわ。馬車もあるし」
「でももうすぐ日も暮れる。無理せず明日帰ればいいだろう」
どうなのだろう、とフランクを見ると彼もアルベールの言葉に頷いた。
「……雨で、道がぬかるんでいます。早くは走れないので、遅くなりそうです」
それを聞いてソフィアが、まだ繋いだままのアルベールの手をビシッとチョップした。
「泊まるとしても、別の宿屋です。アルベールさま、いつまでお嬢さまと手を繋いでいるのですか」
「ここで一緒に泊まっても構わないだろう」
「いけません! お嬢さまの評判に関わります!」
二人が揉めだしたので、シャリオスに話しかけた。
「夕飯はどうしようかしら」
「飲食店に今から予約をしよう。御者も含めて、全員で八名か。早馬の使いになってくれる護衛には、特別手当を出してやってくれ」
テキパキ仕切ってもらえるので助かる。
「ええ、そのように」
ソフィアが別の宿屋に予約に向かい、護衛の一人が食事の予約に走ってくれる。
旅って、色々トラブルがあっても楽しいものなんだと初めて知った。
食事の席でも、いつもは同席しない御者や護衛の皆とテーブルを囲みワイワイと食べる。知らない話を聞くのはとても面白かった。
ひとしきり笑って食べた後、お開きになった。
リルルメイサが泊まる宿屋まで、アルベールが送ってくれるというので並んで歩く。
「旅って面白いのね、アルベール。いつもはお父さまとお兄さまと、決められた旅程で移動するから知らなかったわ」
「俺もそうだ。でも、今楽しいのはリルルと一緒だからだ」
「そう? 私は何もしていないけれど」
「皆を楽しませる空気を作っているのは、リルルだと思う。そんなリルルとだから、俺は一緒に居たいんだ」
「そう、かな。私はずっと、アルベールの前では、楽しくなかったし何も言いたくなかったけど」
何かを言ってもあげ足を取られ、嫌味ばかりで目を合わせるのも嫌だった。
それを伝えると、彼にも分かったのだろう。
「俺以外の人たちとは、楽しそうにやってた。自分のせいだって分かっているのに、それにまた嫉妬したりしていたな」
「嫉妬……」
「そうだ。でも、きっと将来は、リルルと結婚出来る。そう信じて態度を改めなかった。はっきりと、俺と結婚しないと宣言されて、驚いたし焦った。リルルと結婚する為には、変わらなきゃいけないとやっと分かったんだ」
「…………」
何だか、アルベールは色んなことを考えたり悩んだり、複雑なのだなと思ってしまった。
リルルメイサは、そんなに深く考えたことはなかった。
彼に優しく呼びかけられる。
「リルル」
「え、ええ」
いつの間にか、宿屋の前についていた。
彼はリルルメイサの手を恭しく持ち上げると、手の甲にキスをした。
「俺は無事に帰りついて、求婚するつもりだ」
「う……」
「おやすみ、リルル」
「おやすみなさい、アルベール」
去って行く彼を見送る。
何だか平静で居られず、胸がドキドキしていた。
「またお嬢さまは、絆されて。隙だらけなんだから」
「わっ! びっくりした。急に近付かないでよ」
ソフィアに苦情を言うも、すげなく跳ねのけられた。
「お嬢さまがボーっとしてるからですよ。アルベールさまが死んでしまうって大分気に病んでらっしゃったから、旦那さまも旅を認めましたけど。生きて帰ったら、そのままお別れでもいいんですからね」
「お別れ……」
「旦那さまには、くれぐれもアルベールさまと過度な接触をさせないようにと言いつけられてます。求婚されてもお断りして大丈夫ですからね」
「…………」
無言で宿屋に入り、入浴などの休む支度をしてベッドで横になる。
帰ったら、人生を決めなければいけないのだ。
今までだったら、アルベールとの求婚を拒否しても良いならそうしていただろう。
けれど、アルベールの気持ちを色々聞いてしまったら、断っても良いのだろうかと悩んでしまう。
二人の仲が、今日みたいな関係でずっと居られたなら、それは楽しいだろう。
でもでも、結婚した後でまたアルベールが意地悪になって嫌なことばかり言ってきたら?
考えは尽きない。
夜はゆっくり更けていくのだった。
翌日、朝から早馬が帰ってきて、昼までにはアルベールが乗る馬車が届くとのことだった。
リルルメイサは先に帰っても良かったのだが、まあここまで来たらアルベールを最後まで見届けようということになって、皆で待つことにした。
そして昼から、再び領地の中心街に走り出した。
夕方には、いつもの目抜き通りに到着する。
無事に、誰も怪我することなく着いた。
「ああ、良かったわ」
「本当ですね。お嬢さま、カフェで休憩してから帰られますか?」
ソフィアの言葉に、それもそうだなと考える。
昼に出発するので、朝昼兼用のブランチを食べただけで小腹が空いていた。
今屋敷に戻っても、夕飯はいつもの時間なので待つことになる。帰るなり食事を要求するのも忙しない。
「そうね。お茶と、何か軽い物でも食べましょうか」
「私、お店に言ってきますね」
アシュレイ商会と関わりの深い、いつものお店にソフィアが用意を言いつけに行く。
シャリオスは遠慮すると申し出た。
「ちょうどこの近くにある書店に行きたかったので、俺はこれで。懐に余裕がある時に行けるのは嬉しい」
この旅で、シャリオスにも存分に謝礼を払っていたのだった。
アルベールもこの動きに気付いて、自分の馬車を降りてリルルメイサの所へやって来る。そして馬車を開けるなり言った。
「また間食か?」
「また、って。ええ、そうよ。アルベールも一緒に行く?」
「喜んで。お手をどうぞ、リルル」
「……ありがとう」
率先してエスコートしてくれるアルベールなんて、不思議な感じだ。親切にしてくれるなんて、とまだ信じられない気持ちが強い。
けれど、こうやって彼が無事に居てくれるなら良かった。
リルルメイサは、無事にここまで彼が到着したことで安心して気が抜けていた。
この場にいる全員がそうだった。いつもの領地の、いつもの清潔で安全な場所で、何も起こるはずがないと疑いもしなかった。
そこに、異様な雰囲気の男が現れた。
馬車から降りたばかりのリルルメイサはハッとし、身をすくませる。
アルベールがその男の前に立ちはだかった。
「カネ、金だ。カネ寄越せ」
「……なんだと?」
「その女は、金貨バラまいたんだろ! 金、寄越せぇ!」




