4.
突然の申し出だったが、了承する。
「ええ、勿論。迎えを呼びましょう」
「すぐ近くに、知り合いの店がありますの。すぐそこですから、大丈夫よ」
ヴィーラが手をぐいぐい引いて行く。
ヴィーラのすぐ近くとは、普通の人には足を踏み入れ難い裏路地だった。豊かプレイストン領なので、スラム街などは無いがしかし表通りにはないすえた匂いは感じる。
そして、彼女が足を踏み入れたのは取り壊し間近と思われる廃ビルだった。中はガランとした三階建ての建物は、窓の部分が全て取り払われている。
突き落とされたらすぐにでも落ちてしまうだろう。
不吉なことを考えてしまって、身体がふるりと震えた。
「ヴィーラさま、こんな中に入ってもよろしいんですか」
「大丈夫よ」
知った場所とばかりに、ずんずん階段を上がっていく。
果たして、三階部分にはたくさんの男たちが居た。柄が悪そうなのが大変だが、やけに身なりの良い中年男性もいた。まるで、商売人のようにピシッとした三つ揃いを着ている。
ここでやっとヴィーラは手を放してくれた。
そしてリルルメイサを憎々しげな瞳で睨んで口を開いた。
「さっき、わたくしの幼少期の話を聞いたわね」
「え、はい……」
さっきは教えてくれなかったが、今なら良いのだろうか。そう思いながら返事をすると、ヴィーラは目をらんらんとさせながら言う。
「貴族とは名ばかりの伯爵家だったわ。貧しくて食べるにもことかいて、お金になるものは何でも売ったわ。お母さまや私も含めてね」
「……でも今は、持ち直されたのですよね?」
今は伯爵令嬢として何の遜色もない装いだ。しかし彼女の憎しみの言葉は止まらない。
「ええ、こちらのドルーゼ商会の力を借りてね」
「!」
聞いたことがある名前だ。確か、プレイストン伯爵家とライバル関係にある大貴族が使っている商会で、アシュレイ商会に意地悪を仕掛けている。
ヴィーラは歪んだ笑みを浮かべた。
「今から、貴女にはその身を汚してもらうわ」
「何故でしょうか」
「そんなこと、貴女が知る必要はないわ。世間知らずで金満なお嬢さん」
下卑た男たちがじりじりと近付いてくる。
流石にのんびり屋のリルルメイサでも恐ろしいし焦る。
すると、背後で不敵な声がした。
「それは、ドルーゼ商会としては、君とアルベールが結婚して欲しくないからだよ」
「シャリオスさん!」
ちゃんと来てくれた、とホッとする。
その隣に居たアルベールも、口を開く。
「俺はリルルが汚れたとしても結婚する」
「……何故ここに」
ヴィーラが低い声で尋ねた。それにも、アルベールが答える。
「彼女を一人にさせる訳がない。ちゃんと話も聞いていたし見守っていた」
「箱入りのお嬢さまね。フン、でもこの多勢に無勢じゃどうするの」
ここで、身なりが良い男性、おそらくドルーゼ商会の関係者が口を開いた。
「全員、始末しろ」
ヴィーラが驚いたように振り返って言った。
「そこまでするの? 痛い目を見てもらうだけって言っていたのに!」
「商会の名を聞かれたからには仕方がない。チャーリー、やれ」
その名前には聞き覚えがあった。一回目の事故の時、御者になっていた男だ。
やっぱり、ドルーゼ商会の関係者でアルベールを殺す為に事故を起こしたのだ。
でも、彼も亡くなった筈だ。離れた場所で見つかったのは、口封じというやつかもしれない。そういう冒険小説を読んだことがある。
リルルメイサはポケットから巾着を取り出した。中には、必要かもしれないと入れておいた金貨がたっぷりある。
「チャーリーさん、貴方はいくらで雇われているのかしら」
「…………」
男は無言だったが、構わず続けた。
「その十倍、出すわ。それに、この後の身の保証も」
「っ……」
チャーリーはソワソワとした空気を出した。やはり、悪党は金で雇われているし、忠誠心とかも無さそうだ。
「貴方、ここで実行犯として動いても口封じされるわよ」
そして、袋の中から金貨を数枚出して床にちゃりちゃりーんと落として見せる。
柄の悪い男たち全員の目は、床の金貨に釘付けになった。
ただ、ドルーゼ商会の男はイライラと命じる。
「いいから早くやれ! 金ならこっちも、いくらでも払う。その女の金貨も、ヤった物に全てを渡そう」
「では、この金貨はこうします」
リルルメイサは手のひらいっぱいに握った金貨を、窓の外に全て投げ捨てた。
裏路地に、いつもは響かない金貨の音が大量にする。それは当然、その辺りの住人の耳に届き大騒ぎとなる。
「おいっ! 金貨だ! 金貨が空から降ってきたぞ!」
「馬鹿! 空じゃねえ。あの建物の上だ!」
「分け前で仲間割れか? あそこにもっとあるんじゃねぇか!」
「おいっ、その金貨は俺んだ!」
「うるせぇー!」
下は蜂の巣をつついたような大騒ぎになっている。
金貨にありつけなかった人たちが、ビルの中にも入ってきた。
男たちは動揺した。その隙にアルベールが前に飛び出した。
アルベールの狙いは、ドルーゼ商会の男だ。男を思い切り殴りつけようとする、しかし相手もさるもの。避けて反撃する。アルベールはその反撃の手をガードして掴み、腹に一撃を入れた。
だが痛そうに表情を変えたのはアルベールの方だった。
「念のため、防護服を着こんでおいて正解だった。おい、お前たち。一斉にかかれ!」
身なりの良い男は後ろに下がってしまい、柄の悪い手下たちがアルベールに向かってくる。アルベールはその男たちを次々に殴って気絶させていく。
シャリオスは、リルルメイサの前で庇うように立っていた。
すぐに路地裏の住人たちが駆けこんできて、場は大乱闘になった。
リルルメイサは騒ぎを聞いて駆け付けたアシュレイ商会の者に助け出された。
ドルーゼ商会の男は、いつの間にか姿を消していた。
アルベールの活躍によりその場に居た柄の悪い男たちはほとんど警吏に拘束された。
アルベールたちの証言により、アシュレイ商会の令嬢に危害を加える容疑で罰せられた。
ヴィーラも拘束されたが、すぐに釈放された。ただし、ドルーゼ商会ときな臭い付き合いをしていたという情報は王宮にも共有されたので、二度と社交界には出入りできない悪評が立ってしまった。レニュオーヌ伯爵家はもう借金まみれで立ちいかなくなって爵位を返上するのでは、という噂だ。
ドルーゼ商会の男は姿をくらませてしまったし、商会に抗議しても
『そのような人物は当商会に在籍しておりません』
という返答しかなかった。
証拠が何もないので、しらを切られてもそれ以上は追及する術が無かった。
あまりスッキリする決着ではなかったが、一応は大丈夫ではないのか、というのがシャリオスの見解だった。




