3.
昔からずっと、優しいジョシュアが好きだった。アルベールは優しくないから好きじゃない。はっきり肯定すると、アルベールは息を呑んで黙ってしまった。顔色が悪く見える。
シャリオスが確認する。
「それは、男として?」
「えっと……、分からないわ」
「ジョシュアと結婚したい?」
それには首を横に振る。
「いいえ。ジョシュア兄さまは伯爵家の跡取りだもの。私には夫人として支えるのは、無理だわ」
「本気で好きなら、どんな障害があっても彼と結ばれたいと思うもんだろう」
「ジョシュア兄さまのこと、好きだけどお兄さまとしての好きだもの。相応しいご令嬢と結婚して、幸せになってほしいわ」
「……だって。まだ望みがあるじゃないか」
シャリオスがアルベールに言う。
アルベールもまた、素直に頷いた。
「リルル、ちゃんと答えてくれてありがとう。今度から、嫉妬して嫌味を言わないよう、気を付ける」
「え、ええ……」
「じゃあ、伯爵家での話をまとめてくれ。商会での話は、さっきソフィアから聞かせてもらった」
アルベールが会話の内容を説明するのを聞きながら、リルルメイサはぼんやり考えていた。
ひょっとして、アルベールは自分のことを本気で好きなのだろうか。
それほど、謝罪をしたことは驚きだったのだ。
でもやっぱり、信じたところで『そんなの嘘に決まってるだろ』と馬鹿にされるかもしれない。結局は、今までの態度から彼を信じることが出来ない。
それに、今はそんなことを考えている場合ではない。もう一人、今から会う人物が居る。
リルルメイサにとって、気を遣う相手であり会話だけでどっと気疲れしそうな予感しかない。
二人きりで話をしたい、との事だったので夜営業だけのリストランテを貸切らせてもらった。アルベールたちは見えない場所で待機してもらうつもりだ。
リストランテの前で、待ち合わせをしているとその人は現れた。
「お待たせしたかしら、リルルメイサさん」
「いいえ、ヴィーラさま。どうぞ、こちらへ……」
案内しようとすると、それを遮ってヴィーラは言った。
「来る途中に、とても良さそうなカフェがあったの。そちらへ行きたいわ」
「どちらのカフェでしょう」
「ケーキとお茶が評判の、目抜き通りにあったカフェよ」
「ああ、あそこですわね。行きましょうか」
いつも予約で満席で、キャンセル待ちの人たちが行列になっているような人気店だ。
しかしまあ、何とかなるだろうと連れ立って向かって行く。
行列の人たちを横目に店内に入ると、新入りらしい若いウェイターがヴィーラたちに言った。
「お客さま、ご予約はされておりますでしょうか」
「いいえ、してないのよ」
「それではキャンセル待ちの列に並んでいただけますでしょうか」
「まあ、結構時間がかかりそうね。それなら仕方ないわ。この近くに、私の知り合いの店が……」
リルルメイサが、それを遮ってウェイターに言った。
「貴方、新しく入った方かしら?」
「え、はい」
「支配人を呼んでくださる?」
他の従業員がリルルメイサの顔を見て、すっ飛んできた。
「これはお嬢さま。すぐにいつものお部屋に案内いたします」
「え……」
戸惑う新入りに、先輩従業員が小声でしか叱りつける。
「こちらはオーナーのお嬢さまだ。オーナー専用の部屋は、お嬢さまの為にあるんだぞ! すぐに支配人を呼んでこい!」
「はっ、はいっ!」
飛んで行った新入りを横目に、先輩はリルルメイサに下にも置かぬ丁寧な態度で部屋に案内した。
「申し訳ございません、まだ入ったばかりの者に教育が行き届いておりませんで」
「構わないわ。突然来てしまったのに、席の用意をありがとう」
「とんでもないことでございます。此方はオーナーとお嬢さまの為のお部屋ですので」
案内された部屋に、ヴィーラも入ってもらう。ヴィーラは少し驚いたような様子だった。
すぐに支配人もやって来た。
「お嬢さま、ご来店ありがとうございます。本日は何をお求めでしょうか」
「ヴィーラさま、どのケーキが良いかしら。全部持ってきてもらってから選びましょうか」
「……そうね、そうしましょうか」
ベテランウェイターが恭しく、銀のトレイに並べられたケーキを運んでくる。
リルルメイサはそのうちの一つを指さして言った。
「私はこれにするわ。ヴィーラさま、いくつでもお選びになって」
「……私も、同じものにするわ」
「ではこれを二つ、お茶は今日のおすすめブレンドで」
「はい、すぐ用意して参ります」
言葉通りに、すぐにケーキとお茶の用意をされた。
二人きりになると、ヴィーラが貼り付けたような笑みを浮かべて口を開く。
「リルルメイサさん、貴女すごいのね。人気で評判のお店なのに、すぐに入れるなんて」
「ここは父のお店なんです。目抜き通りはほとんど商会の土地で、人に貸したり建物を建てて商会で運営したり、色々なんですが、ここはたまたま父がオーナーで」
「ではすごいのは貴女のお父さまなのね。商会だけでなく、カフェの運営もやり手だなんて」
「人気なのは、相場より安くて上質だからと聞いてます。ここは、節税対策のお店なんですって。だから赤字でもいいって料金設定を低く、味を良くしたら人気が出たとかで。でも、父と私がいつでも来て良いようにこの部屋だけは開けてもらっているんですよ」
説明していると、ヴィーラがティーカップの取っ手を、力を込めて握りしめているのに気付いた。取っ手が割れるんじゃないかと思う程の力の入りようだった。
「そう、なの。随分な金満ぶりなのね」
「それもプレイストン伯爵家があってこそ、と父は言っています。王国内でも有数の大貴族ですから」
父の受け売りを口にすると、ヴィーラはフッと笑った。人を見下す、冷たい笑みだった。
「そうね。大貴族に追従する商人だものね。貴族と平民の身分差は弁えるべきだわ」
「はい、それはもう」
「ジョシュアさまやアルベールさまとは、お付き合いも長いんでしょう?」
質問されたので、素直に答える。
「はい。曾祖父の代から、伯爵家と付き合いがあるそうです。父と伯爵さまも幼ない頃からの付き合いだそうです」
「生まれる前からのお付き合い、ね。とはいえ、やっぱり立場の違いは分かるでしょう? 貴女の振る舞いは、馴れ馴れしすぎるように見えるのよ」
「家族同様に振る舞っておりましたから」
「身の程を知ることも必要よ。特に、王都では。ここは貴女の父の威光で皆がへりくだっているかもしれないけれど、王都では違うもの」
その言葉に、深く頷いて神妙な表情をする。
「重々承知ですわ。私、昔、それで失敗をしてしまって」
「何をしでかしたのかしら」
ヴィーラが可笑しそうに微笑む。
リルルメイサは、昔の失敗談を披露した。
その時まで、リルルメイサは貨幣というものを知らなかった。
勿論、お金や金貨というものがあるというのは知っていたが、自分が使うものでは無かった。
リルルメイサがこのプレイストンで買い物をしても、飲食をしても、それは全てアシュレイ家か商会に請求書が回される。皆、リルルメイサがアシュレイ商会の娘だと分かっている。プレイストンでは皆に顔を知られていた。
だから、王都でもその調子で、てっきり請求書は家に回して貰えると思ったのだ。
だから代金を請求され、リルルメイサは狼狽えた。
お金なんて持ち歩いたことがないからだ。
しかも、そこは高級店ではなく小さな雑貨屋だった。たまたま目に留まったペンを買い求めたのだった。
「その時は、たまたま護衛の方が金貨を持っていらしたので、建て替えて頂きましたの。勿論、後からちゃんとお返ししましたわ。その後、アルベールにも散々馬鹿にされました……」
また、ヴィーラが手をぎゅーっと握りしめている。令嬢の手袋がきつく皺になっている。
シャリオスには、ヴィーラとは幼少期の話や金銭的な話をしろと指示されていた。
しかし、リルルメイサばかり話して彼女の話は聞けていない。
「そう。世間知らずで物知らずだったのね」
「ヴィーラさまはいかがでしたか?」
「え……」
「ヴィーラさまはどのような幼少の頃をお過ごしだったのでしょう。しっかりされて世間を知っておられたのですか」
「………………」
また、手に力が入っている。
そして、リルルメイサを睨みつける目は憎悪に輝いていた。
ヴィーラが無言のままなので、返事を促す。
「……あの」
「わたくし、少し気分が悪くなりましたわ。送って頂けますか」




