2.
この質問にはジョシュアも一瞬絶句した。しかし気を取り直して口を開く。
「それは、アルベールの身辺を気にしているのかな。大丈夫だよ、身綺麗なものだから」
「いいえ、そうではなく。明確な殺意を抱かれたりはしていないか聞きたいの」
「殺意。物騒だな……、僕が見る限りでは、そんなことは無いよ」
ではジョシュアが見知らぬところで誰かがアルベールに殺意を抱いているのだ。しかしジョシュアが知らないことを、リルルメイサが分かるわけがない。とりあえず、この話を全部シャリオスに報告して考えを聞いてみよう。
「……色々、お話聞かせてくれてありがとう」
「他に聞きたいことはないかな?」
ジョシュアは優しい瞳で見つめてくれている。子供の頃から、ずっと兄のように優しくしてくれていた。
「ジョシュア兄さまは、まだ結婚しないの?」
「ああ。アルベールを見ていたら、僕も本当に好きな人と結婚したくなってね。そんなに慌てることもないと思ってるんだ。だから順番は気にせず、リルルは先に結婚しても良いんだよ」
「えっと、じゃあ、ジョシュア兄さまは好きな人は居ないの?」
以前はヴィーラと婚約していた。でも今はしていない。
自分がやり直しをしたせいで、ぶち壊してしまったとリルルメイサは感じている。
しかし、ジョシュアは屈託のない晴れやかな笑みを浮かべた。
「以前は、条件で決めようとしていたんだ。家柄と立場、年齢。そして伯爵家の夫人として相応しい振る舞いが出来る素質。でも、この間のアルベールを見て……」
「兄上! その話は!」
アルベールがすぐに遮る。
ジョシュアはふふっと笑ってまた口を開く。
「そうそう、これは内緒だったね。でも秘密なんだけど、この間、アルベールは皆で話し合った時に素直に乞うたんだよ。リルルの父と兄に」
「話し合い? 何を話し合ったの」
自分の知らないところで、話し合いがされていた。いつだろう。伯爵家でのパーティの途中で出て行った後か、戻ってきた後か。
その問いかけの答えは、得ることが出来なかった。
アルベールが立ち上がったからだ。
「話は終わりだ。行こう」
「え、ええ。お邪魔しました」
「今度はまたゆっくり、食事でもしよう。父と母もリルルと会いたがっているよ」
「そういえば、伯爵夫人はお変わりないかしら」
「ああ。リルルを質問攻めにしたくて、うずうずしてるみたいだから少し放っておいてあげてほしいと今回は遠慮してもらったんだ」
元気そうだ。以前は病に倒れ、興奮状態になっていたからまだ気を付けてあげてほしい。
「お体に気をつけてお過ごしくださいと、伝えてほしいわ」
「? ああ、リルルが気遣ってくれていたと伝えておくよ」
ジョシュアは請け負ってくれた。
伯爵家を辞した帰りの馬車の中でも、アルベールに言っておく。
「前に貴方が死んでしまった後、伯爵夫人は病気になってしまったの。それでいつも興奮しては鎮静剤を打たれていたようで。今度は早い段階で気付いて治療してあげてほしいの」
「多分、もう大丈夫だろ」
「どうして大丈夫だって分かるの」
「前はヴィーラが家に入り込んでたんだ。母上もそれで薬を盛られたんだろ」
「えっ、そうなの?」
「兄上も薬を盛られて婚約まで持って行かれたに違いない」
「ジョシュア兄さまもお薬を! 大丈夫だったのかしら……」
あの時、会いに行った時にはジョシュアは健康そうに見えたが、それも危ういものだったのかもしれない。
しかしアルベールは全く心配そうではなく、嘲る様子さえ見せた。
「兄上も隙があるからあんな毒婦に取り込まれたんだ」
「そんな言い方、しないで。ジョシュア兄さまは何も悪くないのに」
「リルルはいっつもジョシュア、ジョシュアだ。お前の兄上じゃないんだ、馴れ馴れしく呼ぶな」
これはいつものアルベールだ。こんな風にいつだって人を責め立て、嫌なことを言う。
「……私、やっぱり貴方とこれからも付き合っていくのは嫌だわ」
「嫌いでもなんでも、お前は俺と……っ、クソ!」
その後はお互い黙り込んで、馬車の中はシーンとしていた。
シャリオスとの待ち合わせ場所は、人目につかない所が良いというので、まだ開店していない会員制の紳士俱楽部を貸してもらった。アシュレイ商会の力を使えば、それくらい簡単だ。
二人がよそよそしい雰囲気で現れたことに、待っていたシャリオスとソフィアはすぐに気付いて(またか)という顔をした。
「お嬢さま、やはり私も付き添えば良かったですか」
「いいえ、大丈夫。場所の用意をありがとう」
ソフィアにはここや次の待ち合わせ場所など、色々準備をしてもらっていた。伯爵家に行くくらい大丈夫だと、アルベールと二人で向かったのだ。だがいつもの如く、彼は嫌なことを言いリルルメイサは今までなら我慢していたがもうしなくて良いと思っているので機嫌を伺わずシラーっとしている。
シャリオスがニヤニヤ笑いながら言った。
「また、つまらない嫉妬か。君は自分で全てをぶち壊しにかかってる。破滅願望でもあるのか」
どうやらアルベールに言っているらしい。話の内容はよく分からないので、さっきの伯爵家での会話を報告しようとすると、アルベールが口を開いた。
「……そんなつもりはないのに、ぶち壊しにしてしまうのは事実だ。優しくしたいのに、相手にされなくて嫌味ばかりを言ってしまう」
「そういう時は、素直に謝るしかない。ごめんなさいだ。子供でも出来る。そして、何故そんなことを言ったか理由を説明しろ」
ひょっとして、シャリオスはアルベールにごめんなさいをしろと言っているのだろうか。アルベールは、子供の頃から謝る必要なんてない身分だった。謝罪を求められることもないし、実際謝ることなんて一度もなかっただろう。彼の山より高いプライドが、そんなことを許すわけがない。
しかし、アルベールはリルルメイサに向き合って言ったのだ。
「リルル、すまなかった」
「え……」
ソフィアと共に、二人でぽかんとして驚くしかなかった。
あのアルベールが、頭を下げている。
彼は続けて言う。
「リルルは昔から、兄上が好きだった。今日も、兄上の好きな人を気にしていた。俺はどうやっても相手をされなくて、気を惹く為に意地悪ばかりしていた」
「気にしていた……、ええ、まあそうだけれど」
それは、以前は婚約をしていたヴィーラのことが今でも好きなのか聞きたかったからだ。
だが、アルベールは真剣な顔をしてリルルメイサの瞳をじっと見つめる。
「兄上を、好きなのか」
「ええ、好きよ」




