1.
最初は、アルベールの悪戯か性質の悪い冗談かと思っていた。とてもじゃないが信じられなかった。父と一緒に病院の遺体安置所に呼ばれてしまったのも、驚かせる為かとまだ疑っていた。
だって、アルベールは若くて元気で、嫌味と皮肉ばかりで。殺しても死ななそうなふてぶてしさだってあった。
それに、リルルメイサとアルベールは言ってしまえば他人だ。幼馴染で、婚約の話は出ていたが何の契約もなされていない。それなのに葬式前に呼ばれるなんて、おかしい。
もし悪ふざけでも許してあげよう。悪趣味すぎるが、本当に死なれるよりずっとマシだ。
そう思いながら病院に向かったのだが、迎え入れたのは憔悴したプレイストン伯爵と夫に支えられて泣き続けている夫人、そして辛そうな様子のジョシュアだった。
ジョシュアはアルベールと違っていつも優しくて、にこにこと微笑んでくれる貴公子だ。その彼が、苦悩の表情でいる。そして絞り出すような声で言った。
「リルル、よく来てくれた」
「ジョシュア兄さま……」
伯爵夫人もハンカチで涙を抑えながら言う。
「あの子に会ってあげて」
会う、ということはやっぱり生きているのだろうか?
考えていると、リルルメイサの父が確認してくれた。
「失礼、伯爵さま。本当なのでしょうか? その、アルベールが事故で亡くなったというのは」
「ああ、そうだ」
そんな!
スッと血の気が引くのが分かった。
父が続けて言ってくれる。
「リルルに会わせるのは、何故でしょうか。葬儀の時ではいけませんか? この子にショックを与えたくないのです」
事故直後の惨たらしい遺体を娘に見せたくはないと、父は難色を示した。幼馴染とはいえ、熱烈な恋愛関係という訳でもない。次に会った時に婚約を、という口約束の段階程度だし、リルルメイサの方に熱はない。それを知っているから、父は守ろうとしてくれたのだ。
だが意外なことに、説得してきたのは伯爵夫人だった。
「葬儀の時に皆と一緒ではなく、今あの子を弔ってあげてほしいの。お願いよ」
伯爵夫人にお願いまでされているのに、嫌ですとは言えない。それに、伯爵にも夫人にも可愛がってもらっていた。家族ぐるみの付き合いだったのだ。
アルベールには嫌な目に合わされ続けていたが、彼は家族には愛されていた。愛息子を亡くして悲しみに沈んでいるのだから、残された家族のそれくらいの願いは叶えてあげるべきだろう。
「分かりました」
「リルル……」
父は無理はするなよと続けたかったのだろうが、遺族の手前そうはっきりも言えないようだ。
遺体安置所に入るのは初めてだった。まだ、近しい人の死には触れたことがなかった。
寝台の上にアルベールが寝かせられているのが見える。
シーツが上にかけられているが、肩から上の見える部分は裸だったので服は着ていないようだ。
その考えの捕捉を、夫人がしてくれる。
「土砂崩れに巻き込まれて、全身泥だらけだったのよ。頭から、つま先まで。いつも綺麗好きなアルベールだったのに、可哀想だわ」
そう言って彼の髪を撫でている。
顔や身体は清められている。金の髪が少し湿っているのも清められた影響だろうか。
夫人に頭を撫でられているというのに、彼は嫌がりもせずただ大人しくしている。その通った鼻筋はいつもの通りなのに、嫌味に睨んでくる青い瞳は瞼が閉じられたままで見ることが出来ない。
夫人は、今度はリルルメイサの手を取ってアルベールの手の上に置いた。
「手を取って、悼んであげてちょうだい」
彼の手はひんやりと冷たくて、命が失われているのだと実感した。
じゃあ、本当なんだ。
本当に、死んでしまったのだ、アルベールは。
「どうして……」
声が震える。
伯爵が説明してくれた。
「急な大雨で、山道が崩れて馬車ごと流されてしまったんだ」
ジョシュアも言う。
「このトランクケース、見てくれ。後生大事に抱きかかえていたんだ」
「……」
リルルメイサは無言でそちらを見る。アルベールがいつも使っていた、小ぶりのトランクだ。書類や大切なものを入れていたのだろう。
「四桁の暗証番号が分からないから、ゼロから順番に総当たりで解かせたんだ。二、九、零、七だったよ」
「それは……!」
父が動揺した声を出したが、リルルメイサには何故か分からない。
そして夫人がベルベットで覆われた小箱を手渡してくれた。ベルベットの生地に少し泥がついているが、トランクに守られてほとんど無事のようだ。
「これを開けて頂戴」
「はい」
素直に開くと、中には大振りのサファイアが付いた指輪が輝いていた。かなり値が張るものと見えて、チラリと父に視線をやる。彼の目利きは本物だからだ。父は顔を近づけながら口を開く
。
「どれ、拝見。これはすごいですな。ここまでのサファイアはなかなか用意出来ないでしょう。王都の宝石店で特別に作らせたのでしょうね。A to L、リルルの為の指輪だ」
「そんな。受け取れません……」
首を横に振って、受け取らないでおこうとする。しかし伯爵も夫人も、指輪を押し付けてくる。
「アルベールが婚約指輪として贈りたかったものだ。どうか受け取ってほしい」
「あの子の形見よ。どうか、あの子のことを忘れないであげてほしいの」
リルルメイサが困った顔で父を見ると、彼は頷いた。
「それでは我が家でお預かりしておきます」
更に、ジョシュアがトランクから白いハンカチを取り出して言う。
「違ったら申し訳ないんだが、このハンカチ。ひょっとして、リルルが刺繍したんじゃないか」
「……え?」
刺繍なんて、もう何年もしていない。
というか、才能が無さ過ぎてやめてしまった。
刺繍の一つも出来ないグズだとその引導を渡したのはアルベールだった。
『なんだ、この不気味な模様は。呪いのハンカチでも作っているのか? これなら白いハンカチのまま使う方がマシだ。お前は本当に何の取り柄もない奴だな』
リルルメイサは一気にやる気を無くして、溜息を吐いて刺繍枠ごとハンカチを捨てたのだった。
まさか、とは思う。
震える手でそのハンカチを手に取って広げると、アルベールの言う不気味な模様が広がった。
呪いのハンカチだった。一体何故。確かに捨てた筈なのに!
自分が呪ったせいだ。
アルベールが到着しないように祈った。それが彼を呪い殺してしまったのだ。
リルルメイサがそれに思い当たると、更にサーッと血が引いていく。目の前が真っ暗になっていく。
「リルル!」
「リルル! 気を確かに! こうなると分かっていたから合わせたくなかったのに!」
ジョシュアと父の声が聞こえるが、気が遠くなって、世界は暗転した。