8.
アルベールの語りを聞き終わってから、ソフィアが口を開いた。
「私もまだ子供でしたけど、その時のことは覚えています。でも、奥さまが一人で探しに行ったなんてことは、無かったような。そんなこと、旦那さまが止めますでしょうし」
「しかし、マーサおばさまが迎えに来てくれなかったら、俺たちは遭難したままだった。なあ、リルル。覚えているか」
リルルメイサは記憶をたどって言った。
「どうやって助かったかは覚えていないけれど、森で迷ったことは覚えているわ。それがアルベールのせいだってことも」
「え、そうだったか」
アルベールはその辺りの記憶は無いようだ。
リルルメイサは今思い出しても、新鮮に腹を立てることが出来た。
「そうよ! 私のうさぎのぬいぐるみを取り上げて、うさぎは森に居るものだとか何とか言って走って行ったんでしょう! そのままぬいぐるみを森に置いてしまって失くしたのよ!」
「そんな記憶はないが……」
「子供の頃から、意地の悪さはずっと変わってないもの。私、絶対貴方と結婚したくないわ」
言ってやった。
ついに、本音をぶちまけ結婚を拒否してやった。
アルベールが死んでしまったり、それが自分がかけた呪いかと思ったり、色々あったが原点はこれだ。幼い頃の嫌な記憶を思い起こすことにより、ハッキリ断ることが出来た。
ソフィアはうんうんと頷いて言う。
「お嬢さま、それでようございます。旦那さまも若旦那さまも、無理に結婚なんてする必要はないとおっしゃっていました。お嬢さまが望まない限りは、誰からの求婚も断って良いそうですよ」
それは有難い。
しかし、アルベールはどう言うだろうか。
こっちからお断りだと怒りそうだ。それとも、そんなことは許さないと偉そうに命令してくるだろうか。
チラリと彼を見ると、苦々しい表情はしていたが怒っていなかった。
そして、一つ頷いて了承したのだ。
「分かった」
「え……」
「これからは、リルルから物を取り上げたり意地悪はしない。誓う」
「えっ、えっ」
「他に、結婚したくない理由があれば言ってくれ。全て治す」
あのプライドの高くて意地悪なアルベールが、そんなことを言うなんて信じられない。思わずソフィアと顔を見合わせてしまった。
シャリオスは面白そうな顔をしている。
「結構健気じゃないか。そんなに結婚したいんだ。リルル、この際嫌な所を全部あげつらうと良い」
彼に促され、リルルメイサは考えながら口を開いた。
「えっと。とにかく、意地が悪くて嫌なことばかり言ってくるのが嫌なの」
「分かった、もう言わない」
「それに、人のことを馬鹿にして嫌味や当てこすりばっかりで」
「それも言わない」
「あと、私が居ないところで陰口も言ってたわ」
「これからは言わない」
シャリオスが呆れたように口を挟む。
「そこまでしてると、気になる子をちょっと苛める程度じゃないな。そりゃ嫌われるよ」
「うるさい、こっちにだって色々あるんだ」
アルベールが憮然として言い返すが、リルルメイサは説得すべきだと口を開いた。
「お父さまは、融資はしてくださるわよ。私と結婚する意味なんてないわ」
「俺がしたいんだ」
「ご友人方に、金持ちの娘じゃないと付き合う気も起きないとか言っていたでしょう。そんな女と無理に結婚する必要もないわ。他の、もっと美人な素敵な人とするといいわ」
「あれは本心じゃない! ああでも言っておかないと、アイツらはリルルを探し出してちょっかいかけるからだ。性質が悪いんだ、アイツらにかかればリルルなんかすぐ骨までしゃぶられて喰らい尽くされる」
「喰らい尽く……?」
よく分からずオウム返しをすると、ソフィアがそっと教えてくれた。
「誑かされて、弄ばれた後捨てられるってことですよ」
「まさかそんな。大丈夫でしょう」
彼らも貴族の子息たちだ。友人の屋敷に招かれてそんな不埒なことをしないだろう。そう思って言ったのだが、ソフィアはため息を吐くし、シャリオスは「ハハッ」と笑っているし、アルベールは怒りだしてしまった。
「大丈夫じゃないっ! なんでそんなに呑気でぼんやりしてるんだ! だからお前は……、いや。こんなことが言いたいんじゃない。心配なんだ、リルル」
「え……」
アルベールが突然トーンダウンしたので、驚くしかない。彼は目を伏せて悲しそうに見えた。
「リルルが誰かに騙されたり、傷つけられるんじゃないかと思うと心配なんだ」
「傷つけてるのは貴方でしょう」
冷たい声を出すと、彼は素直に謝った。
「すまない。もうしない」
あの、傍若無人で偉そうでえ皮肉屋で意地の悪いアルベールが。貴族なのに、平民に謝っている。驚くしかない。
シャリオスがニヤニヤして言う。
「リルル、他にもっとあれば言ってしまえ」
「え……、もう、思いつかないわ。でも、とにかく嫌なの」
「分かった。リルルがその気になるまで待つ」
「えっ。私、お断りしているんだけど」
しかし、アルベールは引かなかった。
「他に男も居ないし、結婚相手も考えていないんだろう」
「それはそうだけど。アルベールは、私に拘らなくていいと思うわ」
「リルルが嫌な所は直すし、結婚したくなるまで待つ。俺がそうしたいんだ」
「…………」
これ以上、どう断れば良いのだろう。
ソフィアに助けを求める視線を送るも、スッと一歩引かれてしまった。これ以上は差し出口になるという姿勢だ。二人の時に、もう少し本音を聞いてみよう。
シャリオスが話を元に戻した。
「とりあえず、アルベールが王都に行く前に、リルルにはやってほしいことがある」
「やってほしいことって?」
「このメモに書いてある三人と、話をしてきてほしいんだ」
メモを見せてもらうと、三人の名前と何について話すかの話題が書いてあった。
「分かったわ」
「アルベールはこれでなかなか腕が立つ。遠くから守ってもらう護衛として働かそう」
「シャリオスさん、そんな言い方は」
リルルメイサが嗜めるがシャリオスは改めない。アルベールもそれを受け入れ頷いた。
「任せろ。リルルを守る」
そしてこちらを優しい瞳で見つめるのだ。
こんな目で見られたことなどない。動揺してしまう。
思わず目を逸らして、リルルメイサは考え込んだ。
大分、本音をぶちまけた。態度が悪く嫌な女として振る舞っている。それなのに、彼のこの変わりようは何なのだろう。
彼の様子の変化の理由も、この態度も解せぬ。
居心地が悪い思いで、話を聞く為の移動を始めたのだった。




