3.
アルベールに迫られ、渋々婚約については彼が王都から帰ってから考えると了承してしまった。
「よし、ではそれで」
満足そうにアルベールが言うと、ソフィアがあーあという顔をした。
「結局お嬢さまは丸め込まれてしまうんだから」
「え? 丸め込まれるって?」
ソフィアに尋ねようとした瞬間、馬車が大きくガタンを撥ねた。
咄嗟のことでどうにも出来ない。身を固くしてどこにもぶつけないよう踏ん張ろうとすると、サッとアルベールに抱き留められた。
「大丈夫か、リルル」
「え、ええ。ありがとう。アルベールは?」
「俺は、大丈夫」
彼はリルルメイサを抱きしめたまま、じっと顔を覗き込んでいる。
その瞳の色と、ブローチが同じ色だなと今更ながらに気付いた。
そう言われてみれば、アルベールの形見の指輪もサファイアだった。彼はサファイアが好きなのだろうか。
色々考えていると、何故かその瞳が近づいてきている。
どうしてこんなに近いのだろう。抱きしめられたままなのも、不思議だ。こんなにアルベールと密着したことは無かった。
突然、ソフィアが大きな声で咳ばらいをした。
「んんっ! えへん! えへん!」
何度もしている。何かが喉に詰まったのだろうか。
ようやく、アルベールが渋々といった感じで身体を離した。
「うるさいな、分かっている」
「ソフィア、喉の調子が悪いの?」
尋ねたが、ソフィアは首を横に振った。
「いいえ。伯爵さまの馬車も、大きく揺れるんですねぇ」
「そういえば、そうね。フランクなら快適に走らせてくれるけれど」
「……フランクとは?」
アルベールが質問してきたので、リルルメイサは素直に答えた。
「以前商会にいて、今はうちで下働きをしている人よ。御者がとっても上手なの。それに、お天気のことにも詳しいのよ。今度から外出する時は、全てフランクにお願いしようと思うほどよ」
「御者が上手いということは、年寄りのベテランか?」
「いいえ、まだ若いわ。何歳かは分からないけれど。大きくて、力仕事も出来るし、馬の世話が好きみたい。馬もフランクのことが好きなのよ、優しいからかしら」
「その御者、俺が王都に連れて行く」
突然の宣言に、リルルメイサは驚いた。
「えっ、急にどうして」
「俺は馬車の事故で命を落とすんだろう?」
「そうよ。でも、王都で雇った方だったから、伯爵家の使用人を使えば……」
「だったら、その男でも良いわけだ。御者が上手くて、馬の扱いも上手で、天気も読めるなら事故など起こさないだろう」
そう言われてみれば、そうだ。
フランクが御者なら、事故を防ぐことが出来るかもしれない。
「それもそうね! フランクだったら、きっと事故を起こさないわ。良い案よ、アルベール」
「では、その男は俺が借り受ける」
「お父さまに聞いてみるわ」
「伯爵家からも正式に依頼しよう」
リルルメイサはうんうんと頷いてにこりと微笑んだ。
ここまで以前と違う言動をすれば、きっと事故死は防げるだろう。
けれど一応忠告もしておく。
「チャーリー・チャーチは駄目よ。彼も一緒に亡くなるから」
「なんだ、そのいかにも偽名のような名前は」
「貴方が王都で雇った御者よ。土砂崩れに巻き込まれて、離れた所で見つかったけど、酷い有様だったと聞いたわ」
「分かった、ではお前の御者を使うことにしよう」
ソフィアはそれを聞いてニヤニヤしていた。リルルメイサは何故彼女が笑っているか分からない。
「どうしたの、ソフィア」
「フランクにまで嫉妬するなんて」
「うるさい!」
アルベールが大きな声を出したので、ソフィアはもっとニヤニヤした。
「おー、コワ。でも、今日は今までで一番仲良くできましたね」
「…………」
アルベールは今度は黙り込んでしまった。
リルルメイサには、仲良くなった実感が無いので、アルベールとソフィアが仲良くなったのかな、と不思議に思うほどだった。
家に到着してから、アルベールは本当にフランクを雇おうと彼を呼び出した。
「お前には、俺と共に王都に来てもらう。御者を務めてもらおう」
フランクは目を白黒させて、つっかえながらもようやく口を開いた。
「……でも、その……、俺、人を乗せたこと、無いんですけど……」
「はぁ? おい、リルル」
「そういえば、フランクに馬車を走らせてもらったのはアルベールが亡くなった後だったわ」
主人がおかしなことを言い出すので、フランクは目を見開いたまま固まってしまった。
ソフィアがフォローしてくれる。
「このお屋敷は、こういう不思議なことがよく起こるのよ。気にしちゃ駄目よ」
「……はい」
「でも馬の世話は好きなのよね?」
「……はい。それと……、荷馬車は、扱ってました」
リルルメイサは頷いて続けた。
「それなら人も同じよ。来年の三月十六日、アルベールは王都から戻る途中で馬車の事故で亡くなるの。でも、フランクが御者をするならきっと大丈夫。二人共、気をつけて帰ってきてね」
「はぁ……」
父の許可も得られたので、フランクは御者見習いとして伯爵家に引き取られていった。
そして本当に、王都に連れられて行ったらしい。
御者の才能は本物だったと、アルベールから手紙が来ていた。
ここまで見届けたなら、大丈夫だろう。
リルルメイサは元の時間に戻ることにした。
ある晴れた肌寒い日の朝、一人でこっそり礼拝堂に向かう。
「おはようございます」
「……」
挨拶をしても無視したシャリオスは無表情だった。
瞳にも、表情にも感情が一切ない。絶望し尽くして、感情を一切無くした男の表情だった。
「あの、神官さま……」
「…………」
シャリオスは墓地の方へと歩いていった。リルルメイサとも、誰とも、口もききたくないという様子だった。
この間会った時には、目は死んでいたもののまだ話をする気力はあった。
今の彼はまだ、何をする気も起きないのだろうか。一体、彼に何があったのだろうか。
リルルメイサもそちらの方向に用があるので、着いて行く。
「神官さま。私が扉を開けて中に入ったら、閉めて頂きたいんです。お願いします」
「………………」
シャリオスは無視して奥までずんずん歩いて行く。ついてくるなと背中が語っていたが、帰り道はこっちなのだから仕方がない。
途中でシャリオスは止まって、胡乱げにこちらを振り返った。
リルルメイサは彼を追い抜かして、あの扉の前に立った。
「これです。よろしくお願いします」
リルルメイサは扉を開け、中に入る。
シャリオスは面倒そうだったが、これ以上ごちゃごちゃ言われるのも嫌だといった態度でずんずん近付いてくる。そして、ガシャン!
乱暴に、扉を閉めた。
彼の瞳は、暗闇の虚無に塗れている。だが、その奥には怒りや苛立ち、世の中全てを恨むものがあったような気がした。
周囲が暗闇に閉ざされる。
***
お嬢さま! 大変! 大変です!
遠くから声が聞こえてくる。
フッと目を開けると、そこは自室だった。
椅子に座って、机の上にある手紙を読んでいたようだ。
それに目を通すと、アルベールからの手紙だった。
『もうすぐ王都から帰る。御者はフランクだから安心するように』
そんな文言が書かれていた。日付は、三月十日だ。
今まで、アルベールとこんなに密に手紙をやり取りしたことなど無かった。
リルルメイサは、過去を変えて現在に戻ってきたのだ。
そのことに満足していると、ソフィアが部屋に飛び込んできた。
「お嬢さま、大変です!」
「ソフィア、どうしたの」
「アルベールさまが! 山賊に襲われて亡くなられたそうです!」
「えっ……」
持っていた手紙が床にはらりと落ちた。




