2.
婚約が嫌だから呪い殺してしまったのかもしれないのに。
それを、婚約を早めてしまうなんて。それは嫌だ。
だがアルベールは凄んでくる。
「何か不満でも?」
「婚約しても呪いのハンカチが出て来たら事故は起こるもの」
「何を言ってるんだ、分かるように話せ」
そこで、リルルメイサはハッとトランクの存在に気付いた。
「私、そのトランクの鍵の番号を知っているわ」
「……!」
驚いた様子のアルベール。だがそれを無視してリルルメイサはソフィアに頼んだ。
「ソフィア、鍵を二九零七にして頂戴」
「お前、何故それを!」
焦って叫ぶアルベールに背を向ける形で、ソフィアはガードしながらトランクを開けようとした。
「了解です。お嬢さま、アルベールさまの手をぎゅーっと握ったままにしてくださいね」
「分かったわ!」
ソフィアが番号を合わせてトランクを開けると、本当に鍵は開いた。
ソフィアがニヤニヤする。
「へ~、この番号って~」
「ぐっ……」
口ごもるアルベールに、リルルメイサは淡々と説明する。
「遺体安置所で、一から順番に試していって開けたって聞いたわ。私の誕生日、七月二十九日でしょう。数字が一緒だから覚えていたの」
「………………」
アルベールは黙り込んでしまった。
ソフィアは更にニヤニヤする。
「へぇ~。じゃあお嬢様の誕生日と同じ数字が、たまたま鍵の番号になっていたんですね。偶然ですね~、どうしてなんでしょうね」
「そうね、偶然ね」
リルルメイサが同意すると、アルベールは不機嫌そうな声を出した。
「たまたまだろ」
「ソフィア、その中に呪いのハンカチは無い?」
「っ! やめろっ!」
アルベールが動揺しているが、リルルメイサは手を離さない。彼も、無理には手を解かなかった。
その隙に、ソフィアはハンカチを見つけた。
「呪いのハンカチって、ひょっとして、これですかね?」
ソフィアの手の中に、ずっと昔、子供の頃に捨てた筈の下手くそすぎる刺繍ハンカチがあった。
「そう! それよ、捨てたのに蘇ってきて、もう呪われてるかも! 神官さまの所に持って行ってお焚き上げしてもらいましょう。ソフィア、預かっていて」
「はい、分かりました」
ソフィアは取り上げられない為だろう、胸元にハンカチを突っ込んでしまった。
「勝手に人の物を盗るな。それは今は俺のハンカチだ」
「駄目よ、これは呪われているもの。ハンカチが必要なら、新しいものを差し上げるから」
「お前が新しい刺繍でもするのか」
半分笑いながら言っているのは、絶対に出来ないと分かっているからだろう。
こんな当てこすりに傷つく心は、もう消え失せてしまった。
リルルメイサは平然と告げた。
「刺繍がお望みなら、領地一番のお針子にさせるわ。私はハンカチを用意して、指示する立場よ」
「可愛くないな。少しは努力すればどうなんだ」
「時間の無駄だもの。それよりは、雇用を生む方がいいでしょう。私の取り柄はお金持ちの家に生まれたことだけなんだから」
これもいつか、アルベールに言われたことだ。
昔は一々傷ついていたが、今ではすんなり受け止めている。その通りだからだ。
「もう、お嬢さま。それこそ呪いの言葉みたいなもんですよ」
「そうかしら? 正しい意見だと思うわ」
アルベールは苦々しい表情をしていたが、立ち上がって言った。
「だったら買い物に行こう。ついでに見繕って欲しい物もある」
「ええ、分かったわ」
それで呪いのハンカチが消えて、アルベールが死なないなら安いものだろう。
ようやく、繋いだ手は離された。しかし、今度はエスコートの腕を掴むことになった。
紳士用の服や小物が売っている洋品店に行き、ハンカチを選ぶ。するとアルベールは
アスコットタイやスカーフ、手袋などを次々とリルルメイサに選ばせた。
「えっと、どちらも素晴らしいと思うわ」
別にどっちでもいい、その気持ちをオブラートに包んで答えたが彼は許さない。
「いいから選べ、どの色がいい?」
「では、こちらで」
どれも最高級の品ばかりだ。彼が王都に持って行くであろう支度品を適当に選ぶと、今度は宝飾店に連れてこられた。
「好きなものを選ぶといい。見繕ってもらった礼にプレゼントしよう」
「要らないわ、欲しいものは無いもの」
「この指輪なんてどうだ。大きな金剛石がいい。婚約指輪にもなるだろう」
「ダメよ! 婚約指輪だなんて」
「だったら、この首飾りは?」
「要らないってば」
「ブローチならいいだろう。小ぶりで、邪魔にならない」
「…………」
人の話を全く聞かないアルベールに、リルルメイサは無言になってしまった。
それを良いことに、アルベールは店員に指示をする。
「ブローチを何点か出してくれ」
「かしこまりました」
店員は恭しく用意をする。当然、アルベールとリルルメイサが誰なのかはよく分かっているのだ。この領地で一番偉い一族と、一番お金持ちの一族の二人連れなのだから。
リルルメイサは、止めてくれないかと振り返ってソフィアを見つめた。
だが、ソフィアは平然と言ってのける。
「一番高いのを買わせてやればいいんですよ」
「ソフィア、なんてことを言うの」
「お嬢さまに貢ぎたいって言ってるんだから、貢がせてやればいいじゃないですか」
「そんなことをしてもらう必要もないし、私は要らないのに」
結局、アルベールはブローチを二点買い求めた。二点とも、サファイアのブローチだ。
「リルル、これを付けてくれ」
「でも……」
「以前はこれを買わなかったんだろう?」
確かに、そうだ。前回はカフェで新聞を見せられて、婚約について説得されて、その後商会に行って二人の婚姻が良いものか確認しに行ったのだ。だから、ブローチなんて買っていない。
「ええ」
「じゃあ、これも未来を変える一端になるかもしれない」
「……そう、なのかしら」
店員は不思議そうな顔をしたが、口を挟まなかった。
ソフィアがアフタヌーンドレスの胸元にブローチを付けてくれる。
なんと、アルベールもクラバットにブローチを付けるよう店員に指示をした。
こんなの、お揃いではないか。恥ずかしくなって、俯いてしまう。
「お嬢さま、よくお似合いですよ」
「ああ、似合っている」
アルベールまで褒めているではないか。
今まで、散々人の容姿や仕草をあげつらって馬鹿にしていた人間が、どの口で言うのだろう。
「……アルベールは、嫌じゃないの。私とお揃いなんて」
「別に、嫌ではない」
「私は嫌だわ」
アルベールの機嫌が一気に氷点下まで下がったが、気にしない。
ソフィアもしれっと言った。
「今までが今まででしたからね。急に態度を変えられても、お嬢さまも嫌ですよね」
「……送っていく」
憮然とした態度のアルベールだったが、その申し出は有難くお受けする。
伯爵家の馬車に乗せられ、車内はソフィアと三人になった。
馬車はとても贅沢な造りだし、御者もベテランだったが、やはりフランクの方が上手いと感じた。
馬車の中で、アルベールは再び話を蒸し返した。
「婚約のことだが。やはり話を進めるべきだ」
「お父さまは、しなくても大丈夫だって」
「そうだが、した方が有利でコトも早い。だったら、しない手はないだろう」
「それで貴方は亡くなったのよ。しません!」
「だったら、俺が無事に帰ってきたらそこから考えるというのはどうだ」
リルルメイサには難しいことは分からないが、これなら彼の死を願うこともないかな、と感じた。
「……分かったわ」




