プロローグ
リルルメイサは普段、大体のびのび暮らしている。大金持ちの父と兄に甘やかされ、ボサッと生きていても誰にも文句は言われない、いいご身分だ。
しかし、そんな人生でも憂鬱な日はある。
西陽がさしている茜色の美しい風景を、屋敷の窓から眺めていても溜息が出た。
明日が来て欲しくなかった。
贅をつくしたアシュレイ家の屋敷からは、美しく整えられた庭園と門外にある自然豊かな木々が見える。それより遠くにあるは、たくさんの領民たちの家の屋根。山々に夕陽が沈んでいく姿も見えて絶景だ。
アシュレイ商会はこの領地一番の大商会なので、高台のお屋敷からは領地がよく見えた。
そして、少し上の方にはこのプレイストン伯爵領の広大な土地が見えている。この王国で一二を争う大貴族、プレイストン伯爵の領地は、王都の次に栄えている大都市だ。
プレイストン伯爵家の屋敷は王宮に匹敵するくらい豪奢で広大な建物で、庭園に隣接してパークまである。
大貴族プレイストン伯爵家と密接な関係を築き、お互いに利益を享受しあっているのがリルルメイサの実家であるアシュレイ商会だった。
リルルメイサは今まで生活に困ったことなどなく、人も羨む暮らしをしていた。何か困ったことがあっても、ばあやかじいや、それにねえやのソフィーに言えば何でもしてくれた。最終的には父か兄に頼れば、どんな願いも叶えてもらえる。
そんなリルルメイサでもどうにも出来ないことがある。
それは、結婚についてだ。
明日、王都からアルベールが帰ってくる。
アルベールはプレイストン伯爵の次男だ。彼が帰ってきたら、正式に婚約して婚約式をすることになっている。
美貌の貴人であるアルベールは、女性たちにモテモテらしい。王都の舞踏会に彼が出席するとなると女性たちが殺到すると聞いた。
だったらその中の女性と結婚すればいいのに。貴族は貴族同士で結ばれるべきだ。
だが、貴族と血を結ぶのはアルベールの兄であり次代の伯爵である長男ジョシュアだけで良いらしい。
アルベールは新しい事業とその出資金の為、リルルメイサと結婚してアシュレイ商会が創設する別会社のトップとなるのだ。
アシュレイ家にとっても、この結婚はまたとない機会だ。この領地で一番の商会とはいえ、王都にはたくさんの大商会がある。それらは皆、貴族と縁続きだ。アルベールとの婚姻は、貴族社会への招待状だ。アシュレイ商会の新たな発展には唯一無二の契約となるだろう。
それらを全て踏まえれば、リルルメイサは喜んで結婚するべきなのだろう。
しかし、しかしだ。実は子供の頃から思い悩むほど、アルベールが苦手だった。
いや、苦手なんてものではない。この世で唯一結婚したくない相手と言ってもいいだろう。アルベール以外となら、誰とでも結婚して良いと真剣に思っている。
彼は昔からずっと意地悪だった。
幼い頃からぽっちゃりとしていたリルルメイサに、デブだ豚だと公然と罵ってきた。
彼が友人たちとの会話で
『大金持ちの娘じゃなきゃ、あんなブスと関わり合いをもつのもごめんだ』
と言っているのを聞いたこともある。
やることなすこと、全て馬鹿にされ嘲笑われてきた。
彼の前ではいつも惨めな気持ちにさせられる。アルベールは他の人の前では礼儀正しいのに、リルルメイサの前では嫌味か皮肉ばかりだ。
それなのに前回、四カ月ほど前に会った時、新聞記事を見せられて婚約を宣言された。
新聞には、彼の兄ジョシュアとどこかの伯爵令嬢が婚約したという記事が載っていた。
家のことや事業等、色々説明されたけど難しいことは何も分からなかった。
ただ、彼はこれから王都で社交シーズンを過ごすので、戻ってくれば婚約を締結するということは理解できた。
社交シーズンも終わり、明日アルベールが帰ってくる。
婚約したら、その後結婚するのだろう。
一生、アルベールと一緒に過ごすのは嫌だ。どうすれば、彼との婚約を回避できるのだろう。
そう考えたリルルメイサは、ぼんやりと現実逃避をする。
明日、アルベールが帰ってこなければいいのに。
そうすれば、婚約しなくて済む。
リルルメイサは沈む太陽にお願いごとをした。
明日、アルベールが帰ってきませんように。そして婚約の話も無くなりますように!
その願いは叶った。
次の日、アルベールの訃報が飛び込んでくるという形で願いは叶ったのだった。