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追憶のパラレルワールド   作者: 長谷川龍司
第2章 パラレルワールド
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8.遭遇

 さらに3日が経過し5月13日となった。賢孝は、元の世界の自分を唯一認識出来る「天然温泉 絢ふぶき」に、すがるような思いで毎日通い詰めていた。色々と調べてはいるが状況は全く進捗していない。何度か会社やHIGHLANDがあった場所にも訪れてみたが、やはり状況は同じだった。サウナ以外で心が落ち着く場所は無く、そもそもは快活な日々のルーティーンのようなこの場所だが、今では現実逃避エリアという意味合いに降格されていた。しかし、持ち前の冷静さで賢孝は現状をしっかりと見つめていた。とにかく油断すると精神崩壊してしまいそうな状況だ。現実逃避でも何でもいい。自身のメンタル管理をしっかりしていかなければ、全て終わりになる。だからこそ、以前とは違った意味合いになってしまうが、毎日サウナに通うことは必要不可欠な習慣にすべきだ、そう賢孝は自分を客観視していた。

 しかしこの日、状況が大きく変化する出来事が突然起きることとなった。いつものように受付で無料レンタルの大小タオルを受取り男性浴場に向かって歩き出した賢孝は、30代くらいの男性スタッフと目が合った。そのスタッフはすれ違いざま「ごゆっくりどうぞ」と会釈して去って行く。瞬間、賢孝の心臓が一度大きくドクンと音を立てて鼓動した。

「え…… あの人、元の世界で見たことがある!」

 何度も訪れていたから、スタッフの顔は割と覚えていた。振り返り目で追ったが100%の確信がある訳ではないので話しかけられず、仕事が忙しそうでバックヤードに消えて行ってしまった。元の世界の誰かがいないものかいつも考えていたせいで、思い込みや見間違いだったのかもしれない。ちょっとここは一旦冷静になろう、といつもの口癖をひとりつぶやき、とりあえずサウナに入ることにした。いつもなら脳内を空っぽにしてサウナを楽しんでいる賢孝だったが、今日ばかりは全くリラックスできる訳が無かった。驚きと、期待感。しかしどうだろうか。同じ人だとしても、最初からこちらの世界の人だというパターンも充分にあり得る。油断して話しかけて、変人扱いされないように気を付けなければならない。話しかけたくて仕方がないが、まだ躊躇の範疇にいた。もう少し様子を見てから冷静に判断しよう。サウナを上がった賢孝は2階のレストランフロアや休憩スペース、漫画コーナーなどを回って先程の男性スタッフがいないか探し回ったが見当たらなかったので諦めて1階に戻った。会計を済ませて今日は帰ることにするかと思い3つあるレジの一番空いている列を確認しようとしたその時、レジの担当者の中に「あの人」の姿を発見した。賢孝の鼓動が高まる。当然、その列に賢孝は並んで待った。そして2分後、ついに順番が回って来る。

「お帰りですね。1160円になります。ロッカーの鍵をお持ちしますね」

 淡々とした口調で、マニュアル通りの案内だった。賢孝は現金を財布から出しながらも、その男性スタッフを注視し様子を伺っていた。ロッカーの鍵を受取り、会釈してその場を立ち去る直前に顔を上げた時、その男性スタッフと目が合っていた。本当に一瞬、1秒未満のアイコンタクトであったが、賢孝は確信した。ただのお客様への会釈ではない、熱を帯びた何かをその1秒弱で十分に感じ取った。

「間違いない。あの人は俺と同じ、元の世界の人間だ」

 賢孝にとって、とても大きな希望となった。もし仮に同じ境遇だとしたら、やっと今の自分の状況を共有出来る人を得ることになる。あの男性スタッフもきっと今、自分と同じ気持ちであることは容易に想像出来る。4日目にして、やっと一縷の光が見えた。焦らず、タイミングが来た時は勇気を出して話しかけてみよう。久しぶりに感じる心躍る気持ちを抱えて、賢孝は帰路に向かっていった。

 翌日、翌々日にもサウナを訪れた。今までとは違い、目的はサウナではなく「あの人」になっていた。しかし、サウナに入らず館内をキョロキョロしながら探し回っていたら完全に不審者としてマークされてしまうので、サウナはサウナで楽しんで、その前後に館内を目立たないように探して回るようにしていた。2日ともあの男性スタッフは、いた。「ごゆっくりどうぞ」と会釈し終えたあと、一瞬、強い目線を毎回感じる。露骨ではないが、何かを訴えかけて来ているか確認しているようにも見えた。お互いにほぼ確信を得ている雰囲気はあるが慎重な性格もあって賢孝はまだ行動を起こすまでには時間がかかりそうな心境であった。しかし、今日もとりあえず引き上げようかと受付に向かって歩き出したまさにその瞬間、事態は動いた。

「お客様、こちらお忘れですよ」

 後ろから声がかかる。座っていたベンチから立ち上がった時に持ち忘れたペットボトルだった。気付いたスタッフの人が持ってきてくれたのだった。

「ああ、すいません。ありがとうございます」

 そう感謝を伝えて、ペットボトルを受取りながら顔を上げた瞬間、賢孝はあまりにも不意を突かれて固まってしまった。あの男性スタッフであった。

「え、と…… あの……」

 普段を装うことが出来ず、モロに動揺してしまっていた。男性スタッフは数秒沈黙した後、意を決したように切り出してきた。

「お客様、あの……。つかぬことをお聞きしますが、最近、困ったことなどありませんでしたか? あ、いや、ビックリさせたらすいません。毎日お越しになるお客様なのでお顔は知っていましたが、お元気が無さそうだったのでつい……。いや、何でもないです! 忘れてください、ごめんなさい、急にこんな変な話を」

 2人の間に流れていた重い空気の岩壁を、この人は勇気を出して突破してくれたのだった。

「いや、ちょっと待ってください! あの……。僕もあなたに聞きたいことがありました。もしかして、僕と同じように最近困ったこと、ありました……?」

「はい。実は……。ですが、とても変な話になってしまいますから、気持ち悪いと思われるかもしれませんが……」

 そこまで言ってくれて、賢孝は100%の確証を得た。

「僕も実は……。ていうかアレですよね。違う世界、みたいな話…… ですよね?」

「やはりそうでしたか……」

 周囲に聞こえないように、極力声を低くして2人は話した。「仕事が終わったら会ってもらえませんか」と賢孝がお願いすると「もちろん当然です、私からお願いしようと思ってました」と快諾してくれた。絢ふぶきから200mほど離れた個室居酒屋に19時と約束し、念のため連絡先も交換した。この異世界に飛ばされてから最も嬉しい出来事となった。そもそも嬉しい事なんて全く無かったから喜びもひとしおであった。

 爽快感の中、ゆっくりと歩道を歩いていた。夕陽が差し込み、あたりがピンク色に染め上げられ、感傷的な気分を演出してくれているようであった。まるで、異世界など無かったかのような風景と心地よさの錯覚に賢孝は身を委ねて黄昏れていた。

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