表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
追憶のパラレルワールド   作者: 長谷川龍司
第1章 リアルワールド
3/23

2.SHOTBAR・HIGHLAND

 「SHOTBAR・HIGHLAND」は南5条西5丁目のランド・ジャパンビル1Fに入っていて、5条通の路面店としては老舗である。ススキノを代表するようなこの店で賢孝はバーテンダーとしてアルバイトをしていた。昼間の派遣社員が本職であるから週3~4日の勤務となるが、全身黒の制服を着てカウンターに立っているこの時間が賢孝の中では最も自分らしさを発揮出来ると感じていて、無くてはならない必要不可欠な生活の一部となっていた。横長のカウンター16席と、4人掛けテーブルが4つ、道路に面した窓際には2人掛けハイチェアーの小さめのテーブルが2つという合計36席のそれほど大きくない店ではあるが、終電が過ぎた後にも満席になる人気店だ。賢孝と同い年の店長の堀田、3歳年下の啓子と光輝。男3人女1人というバーテンダーの構成である。高級感あふれる内装と本格派のカクテルや豊富なウィスキーのラインナップ。口が肥えた大人達も充分に満足出来るレベルでありながら、気さくで会話上手なバーテンダーが揃っているというギャップが居心地の良さを感じさせてくれる店だ。賢孝は元々、この店の常連客であった。ある日、急にバーテンダー数人がタイミング悪く同時に辞めてしまうことがあり、店長に誘われてバーテンダーとしてカウンターに立つことになったのがきっかけだった。よくバーテンダーは昼と夜では全く人格が違ったりすると聞いたことがあったが、実際に働きだしてその意味が理解出来た。BARという場所では、あくまでも主役はバーテンダーだ。少なくとも、このHIGHLANDではそういう位置付けであった。店の中心に配置されているカウンターは店内のどこからでもよく見えて、カウンターを中心に店が作られたことがわかる。制服を着ると自分にスイッチが入り、カウンターに立つことはまるで舞台俳優がステージに立つのと同じようなもので「カウンターに立った時だけ現れる自分」が賢孝は好きだった。

 20時に出勤した賢孝は「RESERVE」のマークをカウンターの1番シートへ美里のために置いた。美里ちゃん? とすかさず店長から冷やかしが入る。程なくして、20時15分に美里が店に到着した。美里は、いつも決まってこのくらいの時間だ。遅い時間に来ると店は忙しくなるからゆっくり賢孝と話すことが出来ないし、バーテン目当ての女子達がカウンター席を占拠するから居心地が悪くなる。早い時間から来て、21時半にはチェックして帰るということがルーティーンのようになっていた。

「何から飲む?」

「いつもの。オロナミンCね」

「やっぱ、だよな」

 賢孝は慣れた手つきでタンブラーに氷を入れた後、サザンコンフォートのリキュールを30mlほど注ぎ、トニックウォーターで割って軽くステアし、美里の正面のコースター上に置いた。その味がオロナミンCに似ているから、通称でそう美里は呼んでいた。

「今日もお疲れ様。っていうか私は仕事終わりだけど、賢孝くんは仕事の後にまた仕事でしょ。疲れが溜まらないの? 大丈夫?」

 グラスを右手に持ちながら首を少しだけ傾け、微笑みながら美里は言った。大人の雰囲気だけど、少女のような表情。そのギャップに吸い込まれそうになる。

「カウンターにいた方が疲れが取れるっていうか、そんな感じなんだよね」

「生きがいって言ってたもんね、バーテンダー」

「まあね」

「申請書類のチェックしてる人とは、まるで別人みたいだよね。けど、どっちの賢孝くんも知ってるっていうのがいいのかも」

「なんで?」

「うーん…… なんとなく」

「なんだよそれ」

 そんな賢孝と美里の会話を、遠巻きに店長と啓子がニヤニヤしながら聞き耳を立てていた。白状したことは無いが、賢孝が美里のことを好きだということはバレバレだったとわかっていたし、みんな賢孝の恋を応援してくれていた。会話の横槍にならないような絶妙なタイミングで「どうぞ」と啓子がカクテルグラスに入れたミックスナッツのサービスを、半分ニヤけながらわざとらしいウィンクと共に差し出してきた。啓子と美里は、年齢が近くて仲がいい。女子同士の会話が始まったところで賢孝はその場を中座し、アイスピックでロックアイスを作る作業に取り掛かった。大きな板氷をアイスピック1本だけでサイコロ状に切り分け、さらにそれらをロックグラスに丁度収まるような大きさの丸い形にしていく。ちょっとした職人技だ。薄暗い照明と小気味の良いジャズの音色、その中でこの作業をするのが賢孝は好きだった。シェイカーを振っている時よりも、この作業をしている時の方がバーテンダーとしての自分を何故か実感出来る気がしていた。

 背の高い男性客が美女を連れて店内へ入ってきた。常連客の井本さんだ。週に5~6回は顔を出してくれるが、いつも違う女性を連れていた。お決まりのカウンター席9番あたりに座り、レーベンブロイの生ビールからスタートする。30代バツイチ独身、経営者でお金持ち、高身長、面白過ぎるトーク、そりゃ当たり前にモテるよな、と賢孝は思っていた。色んな美女を連れ回すまではしなくてもいいが、どうしたら井本さんのような男になれるのだろうか。今の自分の働き方は、自分らしいな、とは思っている。だけど派遣社員もバーテンダーも、長く続けられるものではない。井本さんに相談してみたいといつも思っていたが、決まって美女と盛り上がっているので、なかなかそのタイミングを見つけられずにいた。経営者になりたいとまでは思っていないが、自分に自信を持ち、スッキリした気持ちでずっと生きていくためには何が必要なのだろう。そんなことを考えていたら、連れの女性が化粧室へ行き井本さんが1人になっていて、話しかけてくれた。

「賢孝、本当に楽しそうにいつも働いていて、いいじゃん」

「生きがいだなって思ってます。けど、長くは出来ない仕事じゃないですか、バーテンって。けっこう最近将来のことを考えるんですよね。井本さんみたいに自分に自信を持って生きていくにはどんな仕事をしたらいいのか…… ていうか、何が必要なんですかね、俺」

 なかなか無い質問出来るチャンスだと思い、少し早口で賢孝は尋ねた。

「そうだな。何をするかも大切だけど、誰といるか、それも大事だよね。仕事仲間や恋人の影響って大きいから、色んな意味でパートナー選びは人生を決めるってこと。一緒にいて、どんどん自分のことを塞いできて足を引っ張る相手もいれば、逆に一緒にいるだけで自分のことをどんどん伸ばして開放してくれるような人もいる。その視点は大切だと思うよ。彼女選びも、ただ好きだから付き合いたい、じゃダメだからな」

 全く考えたことも無いような角度の話に賢孝は驚いた。誰といるべきか、か。そういう意味で言えば、美里は確かにいつも賢孝に対しては肯定的に接してくれてはいるから、そばにいる相手としては良いのかもしれない。けど、まだ知り合って2ヶ月弱で知らないことが多すぎるから、今までよりももっと今後は踏み込んだ話を美里とはしていくべきだな、と思った。井本さんに与えてもらったこの新しい視点は、人生の迷子になっていた自分の道標になるような気がしていた。

 連れの女性が戻って来たのを見計らい、さりげなくその場を離れ、美里の元へ戻った。ニコニコしながら、オロナミンCのおかわりを催促してきた。

「ね、井本さんと何を真剣に話してたの」

「男同士の人生の話だから、内緒」

「えー、賢孝くん、ケチ」

 そう言いながら、美里はほろ酔いの上機嫌だった。昼間の職場の話とか最近のお勧めの映画の話など他愛もない会話で盛り上がっているうちに、店内が込み合ってきた。これ飲んだら帰るね、と美里。うん、そうだな、この人のことをもっと知りたいな。素直に賢孝は思った。会計を済ませた美里を店の外までエスコートし、また明日仕事でね、と手を振り見送った。

 22時を過ぎ、ピークに込み合う時間帯となった。3~4人連れの客でテーブル席は全て埋まっており、カウンターもバーテン目当ての女性客でほぼ満席の状態になっていた。自分目当ての1人客が多いバーテンダーがカウンターに入り、それ以外がホールに出るのが暗黙の了解だ。今夜は光輝の客が多い。バランスよく全員と話しながら光輝は忙しくカウンター内でドリンクを作っていた。オーダーを取る際のメモ代わりに使っている使用済の紙コースターを誰も気付かないくらいの神業のような速さで、女の子のひざ元に着地するようにカウンター上を滑らせて光輝が投げているのがたまたま目に入った。多分、連絡先が書いてあるんだろう。光輝のようなイケメンバーテンダーにあんなことをされたら、女の子は一瞬で落ちることは間違いない。あんなエロい連絡先の渡し方をあの若さで涼しい顔でやってのける光輝。客に手を出すのはHIGHLANDではご法度だが、ここは見ない振りをしてやろうと賢孝は思った。

 ここは、SHOTBAR・HIGHLANDという非日常の世界 ── 仲間と楽しく飲んでいる仕事帰りのサラリーマンも、女の子を口説きに連れて来た男も、バーテン目当ての女子も、みんなこの非現実のような異世界を楽しんでいる。酔いに身を任せ、この空間の中では誰もが別の自分を演じていた。それが、ここでの正しい振る舞い方なのかもしれない。賢孝自身がそうであるように。

 店内の盛り上がりが最高潮になった23時頃。過去の寂しさを持ち寄り慰め合うように集う大人達を代弁するかのように、懐かしいエリック・クラプトンが響きわたっていた。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ