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追憶のパラレルワールド   作者: 長谷川龍司
第3章 バンコクでの日々
12/23

11.シーロム

 7時間30分のフライト中、賢孝はほとんどの時間、泥のように眠っていた。札幌からの直行便でドンムアン国際空港に到着した時、街は夕暮れに染まっていた。どうやらここバンコクでも元の世界と空港名は同じなようだったが、正直どちらでも良かった。そもそもバンコクに来るのは初めてだったから、同じでも違っても違和感は全く無い。イミグレーションを通過し外に出た賢孝を東南アジア特有の湿度を伴う暑さが出迎えた。直後、雷の音と共に見たことも無いような豪雨のスコールが突然降り出し湿気を一気に奪っていくが、30分後、噓のようにピタッと止んだ。賢孝は、バンコクの神様の手荒い歓迎のような一連の天候ショーを無気力な心情でただボーっと見つめていた。好きだった場所でもなければ目的すら何も無い。観光したい場所などある訳も無く、全く何も調べず予備知識ゼロでこの地に立ち尽くしていた。ただの、全てを失って傷心している男がそこには居た。自分と同じく岡本さんも飛ばされた直後はきっとこのような気持ちだったのだろう。しかし岡本さんは、逃げずにこのパラレルワールドでの自分の社会的立場をしっかりと確立して、強く生き続けていた。それに比べて自分は何て不甲斐ないのだろうか。全てが嫌になり逃げて来た賢孝は、自己嫌悪で身体全体が汚されたような気持になっていた。

「今から、どうしようか……」

 国際空港だからWiFiは飛んでいるはずだったが、調べる気力も無かった。ここに留まっていても仕方ないからとりあえず移動するか、と少し投げやりに賢孝は思った。バスストップのA1からA4には行先名が色々と書いてあるが、それが何処なのかも何も知らない。目の前にあるA3から適当なバスに賢孝は乗車した。料金は50バーツ。それが高いのかも安いのかもわからないまま先程両替した中から料金を支払う。乗車した直後にバスは出発した。30分ほど経過した頃バンコク中心部に差しかかったが、すごい渋滞だ。元の世界のバンコクの渋滞については亮太から聞かされたことがあったが、このパラレルワールドでも同様だった。左手にルンピニー公園という広大で自然豊かな公園が見える。そこから数分走り、バスはシーロムという地下鉄駅の大きな交差点付近に停車した。ゾロゾロと数人が下車していく列に何となく気を引かれて賢孝も降りた。周囲は割と賑やかな雰囲気だ。交差点を渡り、活気のある通りを宛ても無く進んで行く。タニヤ通を通過し、程なくしてパッポン通の入口付近の交差点に差し掛かる。パッポン、という響きを亮太から聞かされて何となく覚えていた。賢孝は亮太が前に言っていた話を思い出し「確かにあいつが好きそうな感じだな」とひとり呟いた。レストランや雑貨屋、土産の露店が所狭しとぎゅうぎゅうに出店していて歩く隙間も無く、盛り上がりが凄い。怪しげなマッサージ店やゴーゴーバーの店先では露骨にエロい服装をした大勢の女の子が強引な客引きをしている。めげて落ち込んでいた賢孝だったが、そのままの低いテンションを維持するのは不可能なほどの街全体の熱量であった。よくわからないまま適当にバスを降りたが、たまたまここに来たのは良かったかな、と少し元気を取り戻した賢孝は思った。とりあえず一旦、落ち着きたい。やっと少し冷静さを取り戻した賢孝はオープンエアのカフェでシンハーの瓶ビールをオーダーし、店員にWiFiのパスワードを聞いてインターネットにアクセスした。街の騒めきとスピーカーのBGMに乗って流れてくる生暖かい風が心地よい。南国に来たのは正解だったようだ。まずは当面の寝泊まりする宿を探さなくてはならない。とりあえず数日はこの周辺でいいだろう。なるべく貯蓄を減らしたくないから耐えられるギリギリのスペックの安宿を見つけようと考えた。何件か検索した賢孝は、パッポン通の少し外れにある「S・S HOSTEL」を今夜の宿に決めた。Simple Sleepingの略らしく、コンセプトがわかりやすい。ホステルなのでバックパッカー用の相部屋様式だが、割と新しく清潔そうなので適当にまずは3泊の予約を入れた。1泊300バーツ、日本円で1200円。かなりの安さで最初の拠点を確保することが出来てホッとした。賢孝はPCの画面から一旦目線を外し、人々の群れで騒然とするストリートを残りのシンハーを飲みながらただ眺めていた。自分は一体これから、どうなってしまうのだろうか。わからないけど、今はとにかく現実逃避して心が回復するのを待ちたかった。知らない場所で何もせず時に流されるように過ごし、傷付き過ぎた自分を癒す時間が必要だ。カフェの向かい側にあるゴーゴーバーのビキニの女の子が手を振りウィンクしてくる。軽く手を上げ、賢孝はリアクションした。興味が無い訳ではないし気分転換にそういった遊びも良いのかもしれないけれど、今はそんな気分にはなれなかった。フライト後の疲れと空腹の身体にビールを流し込んだせいなのか割と酔いが回っていたが、ホステルにはまだ行かずにもう少しこの騒然とした雰囲気の中に溶け込んでいたいと思い、シンハーと適当なつまみを追加オーダーする。海外に一人旅に来たと思ってパラレルワールドに飛ばされたことは忘れて少しの間はバンコクを堪能してみるのがいいのかもしれないが、それはまだ先のことになりそうだ。今はまだ「異世界の異国」という奇妙な場所に溶け込んで消えてしまいそうな賢孝自身をただ感じながら、運命に身を委ねてこのパラレルワールドで無意味に漂流していたかった。

 気が付けば陽はすっかり落ちていた。魂が抜かれたように佇んでいる異世界からの来訪者とは対照的に、妖艶で騒々しく華やかにバンコクの夜は更けていった。

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