64.グラプス攻略戦①
「こちらリア。状況はどうですか?」
『こちらヴィーリル。特に動きは無いが……』
「……いくら何でも鈍すぎる?」
『こちらが完全に向こうの裏をかいてる、ってのは楽観が過ぎるな。そっちも気をつけろよ』
「了解。ヴィーリル達も気をつけて」
『おう、リアちゃんも隣のむっつりに襲われんようにな。通信終わり』
定時連絡を終えた僕は、表情を若干険しくすると、部屋の隅に立つジュウロウに向き直る。
「特に向こうの動きは無いみたいだが……正直、嫌な感じがするな。ジュウロウも警戒してくれ」
「……あ、ああ」
「……?ジュウロウ?」
相棒の様子に違和感を覚えた僕は、ベッドの縁から立ち上がると、彼の隣に歩み寄る。
「どうした?ひょっとして体調が優れないのか?」
「……問題ない。だから、あまり近づくな」
言葉少なにそう告げるジュウロウに、僕はいよいよ怪訝な表情をハッキリと表に出す。
「……いや、しかし顔が赤いぞ?息も荒いようだ。状況が状況だから、あまり呑気な事は言えないが、少しの間なら僕が警戒しておくから、そこのベッドで休んでも……」
「う、ぐ……っ!」
次の瞬間、倒れ込むようにして、ジュウロウが僕にもたれ掛かる。
―――いや、この感じはハッキリと意思を持って、ジュウロウは僕を床に押し倒したようだ。
「ジュ、ジュウロウ!?どうしたんだ!?」
「はっ……はぁ……!ぐっ……!」
目と鼻の先にあるジュウロウの顔は、苦しそうに汗を浮かべ、その眼は赤く血走っていた。
どう見ても正常ではない彼の様子に、僕は困惑していると、ジュウロウの腕が僕の上着を乱暴にまくった。
「ちょっ……!?ほ、本当に何をしているんだっ!?」
唐突に素肌が外気に晒されて、僅かに身を震わせた僕の様子を気にも留めずに、ジュウロウの手が僕の胸を鷲掴みにする。
「痛っ……!」
力任せに肉体の一部を押しつぶされる痛みに、僕は小さく呻き声を漏らす。そうしている間にも、ジュウロウの手が僕の腹をなぞり、足の付け根に動こうとしていた。
『おう、リアちゃんも隣のむっつりに襲われんようにな。通信終わり』
―――一瞬、そんなヴィーリルの軽口が頭を過った。
「―――そんな訳あるかっ!」
状況も弁えずに、発情して別に好きでもない女を―――ましてや本当は男だと知っている女を襲う?
ジュウロウがそんなカッコ悪い男でない事は、誰よりも僕が一番よく知っている。
なら、この状況は―――
「さっさと目を覚ませ!この馬鹿野郎っ!!」
僕は自由が利く腕で衣服のポケットを探ると、小さな棒状の結晶を取り出してジュウロウの眼前に突きつける。
「まったく!スノウさんには感謝しかないよ本当に!」
ほんの少し指先に力を込めると、結晶は簡単にへし折れる。
次の瞬間、眩い閃光が僕とジュウロウの視界を、一瞬だけ白く染め上げた。
「ぐっ!?……あ?俺、は……?」
「はぁ……どうやら正気に戻ったみたいだね」
先日のスノウさんによる催眠術実験で、ジュウロウがこの手の搦手に対する防御力が低いという事が分かっていたのは僥倖だった。
外部からの干渉に対する精神異常をリセットするスノウさん印の魔導具が、今回の作戦に間に合ったのは奇跡としか言いようがないだろう。
……危うく僕もジュウロウも凄まじいトラウマを植え付けられるところだった。
いくら信頼している相棒とはいえ、ジュウロウにそういう事をされるのは想像するだけで身の毛がよだつし、ジュウロウだって僕みたいな偽物を抱いたなんて知ったら腹を切りかねないだろう。
「……あー、ジュウロウ。とりあえず手をどけてくれるかい?君が相手とはいえ、流石に僕だって気恥ずかしいぞ」
僕は苦笑交じりに、未だに僕の胸を鷲掴みにしていたジュウロウの手を指差す。
次の瞬間、奇声を上げたジュウロウが、猫みたいにビョンと跳ね上がって僕から離れた。
「あ、な、な……!お、俺は何を……!?」
「……まあ、一線は超えてないから安心してくれ。……それよりも、どう考えてもヴォーデンの仕掛けだ。切り替えろジュウロウ」
僕は手早く衣服の乱れを整えると、ヴィーリルとガロガロに通信を送る。
「ジュウロウが攻撃を受けた。ヴォーデンはこちらの動きに気づいているぞ。……ヴィーリル?ガロガロ?聞こえているのか?」
……交信先であるヴィーリルとガロガロからの応答が無い。
通信妨害を受けている様子も無いので、間違いなく向こうと繋がっている筈なのだが……
『あらあら、もう正気に戻ってしまったのぉ?』
「……誰だ?そこに居る筈の人たちはどうした?」
『これを持ってた人なら、ちょっと眠ってもらってるだけよぉ。尤も、起きれるかどうかは知らないけどぉ』
通信機の向こうから、甘ったるい女の声が耳に届く。
『それにしても、エルフって凄いのねぇ。私の幻術にかからないなんて。そこの彼と愉しませてあげようと思ったのにぃ』
「それは失敬。厚意を無下にしてしまった謝罪をしたいんだが、顔を見せてはくれないのかい?」
通信機に語りかけながら、僕はハンドサインでジュウロウに、部屋の外からの襲撃に備えさせる。
「あらぁ、私はずっとここに居たのだけど、気づかなかったかしらぁ?」
「「―――ッ!?」」
唐突に、通信機の向こうから聞こえていた筈の声が肉声に変わる。
声が発せられた場所―――部屋の中央に据えられた巨大なベッドの上に、その女は寝そべっていた。
「はじめましてぇ。ヴォーデンの使徒"誘惑者"グラプスよ。―――さぁ、三人で愉しみましょ?」
僕は魔力の光弾を。ジュウロウは神速の剣閃を、目の前の女へと放とうとする。
しかし、僕たちの攻撃が届く前に、唐突に天井から降り注いだ滝のような水流が、僕達とヴォーデンの使徒を引き離した。




