62.グラプス
「"保守派"と"改革派"か……」
リアとジュウロウ達を退室させた後、レイズは執務机で書類を眺めながらポツリと零す。
返事を求めていた訳では無い彼女の言葉に、レイズと同じく書類を眺めていたフゥリィが言葉を返す。
「ヴォーデン創設の"本来の目的"を遵守する保守派と、それを無視して各自の既得権益を追い求める改革派……向こうも一枚岩では無いのは喜ぶべきか迷う所ですね?」
「保守派が謳うヴォーデン"本来の目的"とやらが見えない以上、判断はしかねる所だな」
フィークズルから得た情報を整理しながら、レイズはヴォーデンを二分する対立構造に思いを馳せる。
彼女がヴォーデンに対して抱いていた"死の商人"的なイメージの大半はこの"改革派"とやらの所業が大きいだろう。
その行動理念や思考は、利益の追求である以上、ある意味分かりやすい。それよりも問題はこの"保守派"とやらの存在だ。
一体奴らは何を求め、何を考えて行動しているのか。
ヴォーデン創設の"本来の目的"とは一体何なのか。
その見えない思想と目的は"改革派"などよりも余程恐ろしい存在にレイズは思えていた。
「今回の作戦でヴォーデンの使徒を囚えることが出来れば、その辺りも探れるのだがな……」
「まあ、そこに関してはリアさん達の現地組に期待しましょうか」
フゥリィの言葉にレイズは首肯すると、作戦に向けて各地のフェンリル支部との調整に動き出すのだった。
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「―――あらぁ、これはこれは珍しいお客様ですこと」
王都歓楽街。
色と欲が交わる華やかながらも仄暗い空気が漂う街並みのさらに奥深く。
男女が刹那の情欲を満たすための館の一室に、その女は居た。
濡羽色の艷やかな黒髪を腰まで伸ばした妙齢の美女は、その眠たげな垂れ目を妖艶に細めると、目の前に座る男に微笑みを浮かべた。
「てっきりこういう事は卒業されたのかと思いましたが、フロプト宰相もまだまだお若いようで……」
「くだらん茶番はよせ、グラプス。頼んだ仕事はどうなっている」
「あらあら、つれないこと。ご依頼の件でしたら、こちらに……」
グラプスと呼ばれた女性は目の前の男―――王国の宰相にして、ヴォーデンの使徒"知恵者"フロプトに何枚かの紙束を手渡す。
そこには彼女の配下の者、あるいは彼女自身が手ずから"色"を用いて引き出した機密が記されていた。
「ふむ、ご苦労だった。金はまたいつものやり方で振り込んでおく」
「ええ、よしなに。……それにしても、この程度のことならば人をやれば良いでしょうに。仮にも宰相ともあろう方が、こんな所に出入りしているのを見られれば、謀りが大好きな方々に何を言われるやら……」
「重要なことは自分の手でやらねば気が済まんタチでな」
フロプトの分かりきっていた返答に、グラプスは薄く笑みを浮かべる。
眼の前の男は根本的に、他人を信用していないのだ。―――無論グラプスに対しても。
それ故に彼女から渡された書類に関しても、情報の出所であるグラプス自身と対面することで、それすら情報の真贋を判断する要素の一つとしているのだろう。
「ああ、そうそう。一つお願いがあるのだけれど」
「言ってみろ」
「近々、エルフをペットにしようと思っているの。その時に"保守派"や一部の"改革派"が引き渡すように言ってくると思うから、味方してくれないかしら?」
「……ほう」
何処から情報を仕入れたのか、グラプスはフィークズルを討った例のエルフが、自らの下へ来ることを確信しているようだった。
「……いいだろう。私はエルフにさして関心を持っていない。その時は便宜を図ろう」
「うふふ、約束よ?」
フロプトは目の前で妖艶な笑みを浮かべる女を高く評価していた。
ヴォーデンの中ですら勘違いしているものが多いが、武力や兵器といったものは、ヴォーデンにおいてそこまで重要な要素ではない。
アレはあくまで権力者や国家と対等なコネクションを繋ぐための手段であり、ヴォーデンの真の恐ろしさは、世界各国の機密全てを手中に収めているといっても過言ではない諜報能力にある。
その点、グラプスの"色"を十全に理解した性質は非常に有用と言えた。
"性"という根源的な欲求を完全に制御出来る人間はそう多くない。
腕っぷしだけが自慢の"使徒"なんぞよりも、目の前の女の方が余程有能であり、敵に回したくない相手であることをフロプトは理解していた。
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「―――ああ、楽しみだわ。早く、早くおいでになって」
フロプトが立ち去った後、女は部屋で一人淫らに顔を喜悦に歪める。
ヴォーデンの使徒"誘惑者"グラプス。
情と色に魅入られた女は、その原始的な欲求を満たす為だけに外法を極めた逸脱者であった。
「エルフ。この世で最も美しい生命。人外の美。そんな存在を快楽に溶かしたら、どれほど美しいのかしら。どれほど下劣なのかしら。ああ、愉しみだわ。愉しみだわ」
仄暗い室内に女の哄笑が響き渡る。
その床には、グラプスの魔術と麻薬で快楽に"壊された"人間が男女問わず転がっていた。




