60.りぃーん
「催眠術?」
「そうそう、リアちゃんで試させて欲しいなーって」
自由都市支部へ定期報告に訪れていたスノウさんの発言に、僕は怪訝な表情を浮かべた。
「勿論、お遊び的な奴じゃなくて、魔術やらを併用した実用的な奴よ。まあ、王国でも本気で研究している人間なんて数える程しかいないから、リアちゃんの反応も仕方ないけど」
「はあ。でも、何故僕なんですか?」
「この間の要塞都市での作戦だけど、上手くいけば"ヴォーデンの使徒"に近い人間を捕らえられた可能性もあったでしょ?今後、そういったヴォーデンの上位者を捕らえた時の尋問法の一つとして検証しておきたくてね」
スノウさんは話しながら、僕の身体を指差す。
「使徒が持つ異常な再生能力、"不可視の障壁"を始めとした現代技術を超越した異能の数々。仮定だけど、使徒は恐らくエルフに近い存在だと思うの」
「……なるほど。僕に効果があるなら、使徒に対しても通用する可能性が高い、と」
「そういうこと。レイズ部長には許可を取ってあるわ。尤も本人が拒否しなければ、という前提だけど」
「構いませんよ。ヴォーデンから情報を引き出すのは、僕にとっても必要なことですから」
そこまで話して、僕は一つスノウさんに条件を付け加える。
「ただし、検証の場にはジュウロウを同行させても構いませんか?」
「ん、それは構わないけど、どうして?」
「スノウさんや周囲の安全の為です。……万が一、僕が暴走した時に対処出来る人間が必要でしょう?」
**********
「―――それじゃ、検証を始めまーす」
数日後、自由都市支部の一室で、僕とジュウロウ、それにスノウさんが集まっていた。
僕の対面に座っているスノウさんに、同行したジュウロウは懐疑的な視線を向ける。
「……おい、スノウ。本当に大丈夫なんだろうな?」
「そんなに心配しないでよ。何も洗脳しようって訳じゃないんだから。私がやるのは意識レベルの低下―――簡単に言えば、寝ぼけているような状態にして、口を軽くさせる程度の術だから」
「レイズ部長からも許可は下りているんだ。そうそう危険なことは無い筈さ」
「リアがそう言うなら、構わねえが……何か有ればすぐに言えよ」
ジュウロウの言葉に、僕は笑みで返す。
すると、部屋に一人の闖入者が現れた。
「よっ、何か面白いことやってるみたいじゃねえか」
「ヴィーリル。一応真面目な実験なんだけどな」
灰色の長髪を掻き上げながら、人好きのする笑みを浮かべた美丈夫に、僕はため息を吐く。
「そう固いこと言うなよリアちゃん。安全面とやらを考慮するなら、もしもの時には男手が多いほうがいいだろ?」
「まあ、私は何人増えても構わないけど、実験の最中は静かにしててねー」
「りょーかい」
ヴィーリルがジュウロウの隣へ移動したのを確認すると、スノウさんは目の前に置かれた魔導具らしきランプに光を灯した。
「それじゃあ、リアちゃん。まずは私の言葉をよく聞いて―――」
**********
「―――どう?」
ランプから漏れる青白い光に照らされながら、僕はスノウさんの言葉に困ったように首を傾げた。
「……うーん、自覚的な症状は何も。それとも気づいてないだけで、もう催眠にかかってますか?」
「リアちゃん、スリーサイズ教えて?」
「言う訳ないでしょう」
「駄目か~~」
どうやら実験は失敗だったらしい。
対面のスノウさんは机に突っ伏して、溜息を吐いた。
「うーん、普通の人族なら軽度の変性意識状態になってる筈なんだけどなー。やっぱりエルフは無意識下で対魔力の防壁を展開して……」
ぶつぶつと独り言を呟きながら、自分の世界に入り込んでしまったスノウさんに、僕は苦笑を浮かべると、ジュウロウへと視線を向けた。
「すまないジュウロウ、どうやら無駄足をさせてしまったみたいだ」
「………………」
「ジュウロウ?」
様子のおかしい相棒に、僕は怪訝な表情を浮かべる。
しっかりと目は見開いているのだが、どこにも焦点が合っていないようなジュウロウの様子に、スノウさんは「あっ」と声を上げた。
「ありゃ、これはジュウロウに催眠術が入っちゃったみたい」
「ちょっ……!だ、大丈夫か!ジュウロウ!?」
僕は慌ててジュウロウの肩を掴んで揺さぶるが、彼はぼんやりとした表情のまま反応を返すことは無かった。
「大丈夫大丈夫。10分もすれば元に戻るから」
「本当なんでしょうね……でも、ヴィーリルは何ともないようですが」
僕の言葉に、ヴィーリルは大げさに肩を竦めて無事をアピールする。
「明確な対象にされていないのに催眠にかかる方が珍しいのよ。疲労が溜まっていたのか体質なのか……まあ、思わぬ収穫って奴ね。任務に備えて、対催眠の装備をレイズ部長に申請しといた方が良さそうね」
「はぁ……まあ、確かに危険の無い状況で判明したのは、不幸中の幸いですが……」
僕は眉間に指を当ててシワをほぐす。
すると、不意にヴィーリルがスノウさんに質問を投げかけた。
「なあ、スノウさんよ。今、ジュウロウは聞かれた質問に何でも答える状態って事なのかい?」
「何でもって訳じゃあないけど、ある程度心理的なガードは下がっているわね」
「なるほど。ジュウロウ、お前リアちゃんの事どう思ってる?」
「……はぁ?」
突然、意味の分からない質問を始めたヴィーリルに、僕は間抜けな声を上げてしまう。
ヴィーリルの問い掛けに、ジュウロウはぼんやりとした様子で回答に口を動かした。
「……リアは、大事な親友で相棒だ」
「それだけ?」
「……家族、本当の兄弟だとも思ってる」
「ほうほう」
「コラ、ヴィーリル。いくら何でも悪趣味だぞ」
ジュウロウからの直球な言葉に、僕はやや頬が熱くなるのを感じつつも、ヴィーリルに苦言を呈した。
僕が非難の視線を向けると、ヴィーリルは両手を上げて降参のポーズを取った。
「ハハッ、分かった分かった。これぐらいにしとく―――」
「……ただ、最近少し困っている」
「え?」
既に質問に対する回答を終えたと思われたジュウロウが口を開く。
僕とヴィーリルは、ジュウロウに怪訝な視線を向けた。
「一緒に暮らし始めてから特にそうなんだが、あいつは無防備すぎる」
「……ジュウロウ?」
「ぶっちゃけ、すげえエロ―――」
「うおっとぉ!!」
「痛ぁっ!?」
突然、ヴィーリルが僕の両耳を凄い勢いで塞いだ。
「いきなり何をするんだヴィーリル!?鼓膜が破れるかと思ったぞ!」
「すまん!だが、これ絶対お前は聞いちゃいけないやつ!」
ヴィーリルが僕の両耳を塞いだまま何かを叫んでいるが、万力の如く締め付けられた両耳からは何も聞こえなかった。
そうしている間にも、ジュウロウは何やら話し続けている。
「ノルンと暮らすようになってからは、ますますヤバい。ノルンがグズるから3人で寝る機会も増えたが、あいつ寝相が何か悪くなってるから、足とか絡ませてくるし、朝には服とかはだけてるし、もうワザとやってるんじゃないかと―――」
「何で聞いてもいない事をベラベラ喋ってるのこいつっ!?スノウ!スノウー!なんとかしろーっ!」
「あだだだっ!ヴィーリル!頭が割れるーっ!?」
その後、ジュウロウが正気を取り戻すまで、僕はヴィーリルにギリギリと頭を挟まれ続けていた。解せぬ。




