50.要塞都市へ
「ごめんね、ノルン。また寂しい思いをさせてしまって……」
「ううん、お仕事なら仕方ないよ。頑張ってね!ママ、パパ!」
先日、僕とジュウロウの要塞都市への偵察任務の参加が正式に決定された。
自ら志願したとは言え、ノルンを自由都市に一人残してしまう事実に、僕は胸を痛めるが、当の本人は笑顔を浮かべて僕の腰に抱き着いている。
……ノルンと一緒に暮らし始めた当初は、トイレなんかで僕と離れることすら愚図っていたのだが、その変わりように僕は少し違和感を覚えた。
「……ママ、私はお留守番してるけど、代わりに私がプレゼントしたネックレスは連れて行ってあげてね?」
「あ、ああ。もちろん」
僕はノルンの言葉に応えながら、胸元から細い鎖で繋がれた紅い宝石―――先日、ノルンがプレゼントしてくれたネックレスを取り出した。
「……あの、ノルン。やっぱり、これって何か特別な宝石なのかい?」
「……うふふ、秘密!」
出所不明なアクセサリに、僕は少しだけ不気味なものを感じながらノルンに尋ねるも、彼女は笑顔を浮かべて答えをはぐらかす。
……まさか、盗品だとは思わないが(そもそも、見た限りここまで上等な宝石を扱っている宝石商は、自由都市に存在していない)、このネックレスを受け取ってから、妙にノルンの聞き分けが良くなったのは間違いないのだ。
「―――おい、そろそろ行くぞリア」
そんな僕の思考は、ジュウロウからの呼びかけで打ち切られた。
……ネックレスについては気になるが、今は目の前の任務に集中しよう。
「……分かっている。それじゃあ行って来るよ、ノルン。レイズさんの言う事を聞いて、良い子にしているんだぞ?」
「うん!パパ、ママ、いってらっしゃい!」
「おう、すぐに終わらせて迎えに行くから、ちっとだけ待ってろ」
最後にノルンの小さな身体をギュッと抱きしめると、名残を振り払って、僕とジュウロウは自由都市を発つのだった。
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「―――フィークズル。今回の作戦、どこまで本気なんだ?」
「無論、全てだ。あのエルフが釣れたなら良し。そうでなくとも、要塞都市を落として草原の異民族どもと王国の戦争が始まれば、ヴォーデンの利になる」
人気の無い室内で、二人の男―――フィークズルと、フェンリルからヴォーデンへと寝返った戦士であるベイトが言葉を交わす。
「出来るのかい?前回は随分と手酷くやられたみたいだが」
ベイトはフィークズルの片腕―――彼等との戦闘で消し飛ばされ、今は"不可視の斬撃"で形成している義手を見ながら、軽く嘲笑を浮かべる。しかし、フィークズルは気にした様子も見せずに、軽く鼻を鳴らす。
「奴らを甘く見ていたのは否定しない。だから、今回は何があろうと確実に潰す準備をしている」
(油断さえしなければ、負ける筈が無いってか。そういうのを油断と言うんだがね……)
なまじ"ヴォーデンの使徒"に次ぐ実力を持っているが故のフィークズルの慢心に、ベイトは内心で苦笑を浮かべる。まあ、今回の自分の目的はフェルグの使いだ。彼がしくじった時の巻き添えを食わないように、精々距離感には気を付けておこう。
「要望通り、不可視の権能をそれなり以上に使いこなせる兵隊を10人。要塞都市の外には迷彩結界を効かせた巨人兵を三騎ほど待機させている。小国の首都程度なら一夜で堕とせる戦力だな」
「十分だ。あとは草原の異民族どもの準備が整い次第、こちらも動く。お前はどうする?」
「作戦の結果を見届けるように、フェルグから指示されている。新入りらしく、先輩の手伝いでもさせてもらうさ」
大袈裟に肩を竦めながら、ベイトはフィークズルの指揮下に入ることを伝えると、要塞都市で交戦するであろうフェンリルのエージェントについて思いを馳せる。
(……さて、自由都市方面で襲撃の情報を掴ませた以上、あのエルフ達が来る可能性はそれなりに高い。奴らとはもう関わり合いになりたくは無かったんだが……上司の指示の手前、そういう訳にもいかないか)
面倒な事になりそうな空気に、ベイトは爬虫類めいた無表情を僅かに歪ませるのだった。
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「―――はぁ~~~……リアちゃん、要塞都市まで後どれくらいだ?」
「さっき同じ質問をされてから、まだ30分も経ってないよヴィーリル。日が暮れる前には着くから我慢してくれ」
自由都市から列車に揺られること数時間。
そこから更に馬に揺られること数時間。
荒涼とした殺風景な景色の中を、僕とジュウロウとヴィーリルの3人は進む。代わり映えのしない景色に、ヴィーリルが愚痴をこぼす気持ちも分からなくはない僕は、苦笑を浮かべて彼を宥めた。
「ちぇっ、こんな事なら列車を降りた街で酒でも買っておけば良かったぜ」
「酔っ払いの狙撃手とか笑えねえよ。先に潜入してるエージェントに恥ずかしくて紹介出来ねえわ」
「行けども行けども見えるのは岩と枯草ばかり。愚痴の一つも言いたくなるっての。これでリアちゃんとの二人旅ってんなら、もう少しピクニック気分で楽しめたんだがな」
「ピクニックならもう少し、気の利いた場所を選びますよ。ほら、ヴィーリルは先輩なんだからシャンとする!」
「へ~~い」
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「―――ジュウロウって、好きな子とかいる?」
「お前はくだらない事を喋ってないと死ぬのか?」
陽の光に赤みが増してきた頃合いに始まった、唐突なヴィーリルの雑談にジュウロウは呆れた表情を浮かべる。
「そう言うなよ。無言でひたすら移動とか間が持たないし、なにより時間が勿体ないだろう?同僚として相互理解を深めるのは悪い事じゃないだろ?」
「ふむ、一理あるかも」
「ねえよ。流されんなリア」
「―――で、ジュウロウは好きな子いる?恥ずかしかったら、どんな娘がタイプとかでもいいからさ」
ヴィーリルの言葉を仏頂面で黙殺しているジュウロウに、僕は苦笑を浮かべながら口を挟む。
「好いている相手が居るかはともかく、ジュウロウの好みのタイプなら知ってるよ」
「ばっ……!リア、お前!」
「おっ、イイネ!聞かせてよリアちゃん」
実は退屈していたのは僕も同じだったので、ジュウロウには話題の種として犠牲になってもらおう。子供の頃からの付き合いなのだ。直接口には出さずとも、彼の性癖ぐらいは心得ている。
「まずは豊満な女性よりも、スラッとした細身な女性の方が好きで―――」
「ほぉ~、巨乳はタイプじゃないと」
「髪はショートよりもロングが好み。金髪なら尚良し」
「ああ、分かるわ。短いのも良いが、腰まで届くような長い髪の女性はソソるよなぁ。……金髪?」
「あとは、あまりお淑やかなタイプよりも、活発な女性の方が好きらしい。剣術が出来る美人、なんて小説の登場人物みたいな女性が理想みたいだけど、そんな人いる訳無いから諦めた方がいいぞ、ジュウロウ?」
「ハハハ、つまりまとめると『スレンダー』で『ロングの金髪』で『剣術の出来る美人』がジュウロウの理想かぁ。わははは。―――おい、ジュウロウ。お前マジか?」
ヴィーリルが、僕の頭からつま先まで一通り眺めた後で、何故か真顔でジュウロウに尋ねた。ジュウロウは両手で顔を覆っている。
「いや、マジで違うから……絶対、誤解されるから言いたく無かったんだっての」
「誤解も何も答え出ちゃってるじゃん。模範解答がそこに居るじゃん」
「ん?二人とも何を話して―――」
次の瞬間、遠く前方―――要塞都市の方角から、轟音が響いた。
「ジュウロウ!ヴィーリル!」
「ああ、分かってる!急ぐぞ!」
弛緩した空気を一瞬で霧散させた僕達は、手綱を強く握ると馬を駆けさせた。




