44.フィークズル
「それでは、後は頼みます」
「ああ、了解した」
マフィアのパーティー会場から抜け出した僕達は、確保したマフィア幹部を、都市の外で待機していたフェンリルの構成員へと引き渡す。ヴォーデンとの繋がり、拉致された違法奴隷達が何処へ集められているか、またその販売ルート等を、マフィア幹部に尋問するのは"フェンリル北方支部"にお任せだ。
「任務終了。それじゃあ、僕達も自由都市へ帰ろうか」
「ああ、そうだな。こっちは冷える。さっさと戻って火酒でも呷りたいぜ」
「確かに。ノルンも待ちくたびれているだろうしね」
僕は胸元で紅い宝石が輝く首飾りを弄りながら、苦笑を浮かべる。
自由都市もそう温暖な地域ではないが、北部は別格だ。強く吹き付ける渇いた北風が骨身に染みるようだった。強風に乱れる長髪を鬱陶しげに掻き上げる僕を見て、ジュウロウが苦笑する。
「大変だな、エルフってのは。その髪型、変えられないんだろう?」
「体質なのかな。バッサリ切っても数分で元の長さに戻ってしまう。まあ、もう慣れたけど―――」
風に紛れて、微かな違和感が耳朶に触れた気がした。
空気を切り裂き、何かが飛翔する音。一瞬遅れてジュウロウも"それ"を察知する。
「全員伏せろぉっ!」
ジュウロウが叫ぶ。僕は素早く魔力を手のひらに練り上げると、中空へ向けて魔力弾を掃射した。
発射された数十発の光弾が、僕達に向かって飛翔してきていた矢の群れを打ち落とす。打ち漏らした幾つかの矢を、ジュウロウは刀で、ガロガロは魔術で隆起させた岩盤を盾にして叩き落す。
「ガロガロッ!ここは俺とリアで引き受ける!お前は北方支部の連中と一緒にそいつを連れて離脱しろ!」
「……分かったわ。支部と連絡が取れ次第、戦士の援護を要請するから、それまで持ちこたえて」
「頼みます。……まあ、その前に僕とジュウロウで平らげてしまうかもしれませんが」
僕の軽口に、ガロガロは僅かに微笑むと、北方支部の人員とマフィア幹部を乗せた馬車に、馬を並走させてその場を離脱した。
「数は?」
「射撃間隔から、ざっと10人前後ってところか。突っ込んで攪乱するか?」
「……いや、向こうから来てくれたみたいだ」
黒い外套で身を包んだ男達が、荒野を滑るようにこちらへ疾走してくる。その騎馬にも劣らない異常な速度に一瞬虚をつかれるが、すぐに意識を切り替えると、黒衣の男達へ魔力弾を掃射する。
――しかし、光弾は男達へ直撃する寸前で"見えない壁"に弾かれる。
「"不可視の障壁"か!ベイトの野郎が言ってた通り、兵隊レベルにも、あのイカサマ技をばら撒いてるのかよ。リア、この程度の魔力弾じゃあ、あいつ等には届かないぞ」
「問題無い。ジュウロウ、格闘戦の準備を」
ジュウロウに臨戦態勢を促すと、僕は速度を上げて迫りくる男達へ、再び魔力弾を掃射する。男達の足元へと向かって。
土煙を上げて地面が爆ぜる。突如、不安定になった足場に、過剰な速度で疾走していた男達は反応出来ずに、盛大に転倒する。咄嗟に受け身を取れた者も居るが、半数は落馬と同等の重症を負っている。
「ハァァッ!!」
「オラァッ!」
敵が体勢を整える前に、僕とジュウロウは黒衣の男達へ突撃する。未だ戦闘可能だった黒衣の男達を瞬く間に無力化すると、僕達は敵の増援を警戒して、周囲を見回した。
「……終わりか?」
「マフィアの幹部を奪還しに来たにしては戦力が半端……いや、"不可視の障壁"を使える人員なら、これだけ居れば十分だと思ったのか?」
「――なにやら勘違いをしているようだが、俺の目的はあんなチンケなマフィアの回収じゃあないぞ。お前だよ、エルフの女」
「!?」
上空から響く声に、僕とジュウロウは視線を上へ向ける。そこには燃えるような赤髪を逆立てた青年が宙に浮いて、こちらを見下ろしていた。男は片手に握った奇妙な装飾の短剣を、天へと翳す。
「準結界展開。我が名は"貫く者"フィークズル。異界の魔よ、人へと堕ちよ」
宣誓と共に、男の翳した短剣が砕け散る。それと同時に、僕達の周囲の世界から"色"が抜け落ちた。
「……チッ、フェルグめ。結界の式が甘いぞ。量産品の護剣とはいえ、これでは1時間と持たないぞ」
フィークズルと名乗った男が忌々しげに灰色の空を見上げて呟く。僕とジュウロウは数か月ぶりに味わう"結界"の感覚に、目の前の男への脅威を認識して剣を構えた。
「エルフ封じの結界……!ヴォーデンの使徒か!?」
「一つ訂正しておこう。俺は"まだ"使徒ではない。尤も、実力が奴らに劣っているとは思わんがね」
そんな事を話しながら、宙に浮いていた男は、僕達から数十歩程度離れた地面に降り立つと、何気ない動作で腕を横に振った。
「――ッ!?」
その動作に不吉な予感を感じた僕は、咄嗟に剣を側面に構える。次の瞬間、剣に響く金属音と衝撃に体ごと横薙ぎに吹き飛ばされる。
「リアッ!?」
「ぐっ……!ジュウロウ、伏せろっ!」
僕の言葉に、ジュウロウが姿勢を低くすると同時に、空気を裂いて透明な何かがジュウロウの頭上を薙ぎ払った。背後で音を立てて切り倒された木々を見て、ジュウロウが敵の能力を分析する。
「不可視の長距離斬撃……!これも"障壁"の応用か?ユーグの野郎よりも射程は長いが……種が割れてれば、幾らでもやりようは有るっての!」
姿勢を低くしたまま、ジュウロウがフィークズルへと向けて疾走する。それを援護しようと、僕も敵へ向けて魔力弾を放とうとするが……
「くっ、やはり結界の中では、僕の魔術は使えないか。……だが、それなら剣で相手をするだけだ!」
元々、僕の得手は魔術よりも剣なのだ。僕は剣を握る手に力を籠めると、漆黒のドレスを靡かせてフィークズルへと駆け出した。




