41.禍を引きおこす者
危地というものは、それがどれほど予測可能な事態であったとしても、概ねその状況に陥るまでは気づかないものである。
「――――――う、んん……」
早朝、まだ深夜といっても差し支えない時間に、ジュウロウの意識が覚醒する。
(あぁ?いつもより随分と早く目が覚めたな……)
冒険者を始めてからも、聖騎士時代に染みついた習慣から、ほぼ一定の時間で目覚めを迎えていたジュウロウは、そんな小さな異変を奇妙に思いながら天井を見つめる。
そして、恐らくはいつもと異なる体内時計の原因が、寝起きで呆けている頭にジワジワと染み入って来る。
まずは天井。似ているが自室のそれとは異なる天井に、昨晩はノルンの頼みで、リアの部屋で眠ったことを思い出す。
そして、微妙に重さを感じる胸元と、足に何やらスベスベしたものが絡みついている感触を感じる。
「………………」
最大限に嫌な予感を感じつつ、ジュウロウはギギギと軋む音が聞こえそうな程、ぎこちない動きで首を横に倒した。
「むにゃ……パパぁ……」
そこには黒髪の可愛らしい少女――ノルンがジュウロウの胸板に縋りつくようにして眠っていた。それはまあいい。実年齢は知らないが、見た目は10にも満たないような子供なのだ。誰かに甘えたいこともあるだろう。
問題は―――
「すぅ……すぅ……」
胸元に縋りつくノルンを、更にその上からジュウロウごと抱きしめるようにして、至近距離で無防備な寝顔を見せている相棒――リアである。
「んぅ……」
「―――ッッ!?」
リアが僅かに身じろぎをすると共に、ジュウロウの足に絡みつくスベスベした何かがモゾモゾと蠢く。
――もしかしなくても、ジュウロウの足に、リアの生足が絡みついているようだった。ジュウロウがその場で叫び出さなかったのは奇跡としか言いようがなかった。
(あ、が、が……!?こ、こいつ、こんなに寝相悪かったか!?聖騎士時代に隣り合って野宿したこともあったけど、どちらかといえば寝相は良い方だったろっ!?)
寝起きからこんな訳の分からない状況に叩き込まれた精神を落ち着けるように、ジュウロウは二人を起こさない様、静かに大きく深呼吸をする。
――ふわり、とジュウロウの鼻孔を甘やかで蠱惑的な香りがくすぐった。
リアの香りである。
(嗚呼、ここが地獄か……)
気が遠くなるのを感じながら、ジュウロウは必死で精神を"無"へと近づける。
そこから彼が、細工職人もかくやという繊細な動きで、リアとノルンを起こさぬようにベッドから脱出したのは、夜明けと同時であったという。
**********
「――それでは、私はこれで」
「はい、いつも本当にありがとうございます。貴方の寄付のおかげで、私達はこの孤児院を何とかやってこれています。本当になんとお礼を言えばいいか……」
大陸北部のとある孤児院にて。
上等なスーツを着込んだ、身なりの良い青年が穏やかな笑みを浮かべて、孤児院のシスターの肩に手を置いた。
「そんなに畏まらないでください。これは私の趣味のようなものなので」
「趣味、ですか?」
「ええ。子供というのは国の――いえ、人類の宝です。彼等が大きくなった時に、世界にどんな"可能性"を見せてくれるのか。私はそれが楽しみで、こうしてあちこちに金をばら撒いているのですよ。ほらね、成金の道楽でしょう?」
「そんなことは――」
次の瞬間、青年の胸元と横顔に泥団子が直撃した。
泥に塗れた青年の顔とスーツの惨状に、シスターが顔面を蒼白にして、泥団子が飛んできた方向に顔を向ける。そこには下手人と思わしき男児が大笑いしながら、こちらを指差していた。
「へーい!バルヴェルのおっさん、隙だらけだぜー!」
「あ、貴方……なんてことを……!バ、バルヴェルさん!申し訳――」
シスターが謝罪の言葉を言い終える前に、青年――バルヴェルはその場を駆けだして、男児を捕まえると、その小さな両足を掴んでグルグルと遠心力に任せた回転を始めた。
「ハッハッハ!やってくれたな悪ガキめ!あと、"おっさん"は止めろといつも言ってるだろうが!お兄さんと呼べ!お兄さんと!」
「うひゃひゃ!止めろおっさん!目が回る~!」
「――あっ!バルヴェルのおっさんが児童虐待してるぞ!みんな、おっさんをやっつけろー!」
騒ぎを聞きつけてバルヴェルの姿を確認した孤児院の子供たちが、わらわらと彼の下へ集まってくる。子供たちが彼に泥団子を投げたり、蹴りを入れたりの乱闘騒ぎが始まるのを、シスターは慌てて止めに入ろうとするが、その肩を院長の老婆が掴んだ。
「放っておきなさい。貴女はまだここに来たばかりだから驚くのも無理は無いけど、アレがバルヴェルと子供達のコミュニケーションなのよ」
「院長!で、ですが……!」
「バルヴェルなりに、子供達が寂しくないように父親代わりをやってあげようとしているのよ。全く……大方、高いスーツを汚されて慌てる貴女の姿を見ようと、わざとあんな高級品を着てきてるのよ?汚されるって分かってるんだから、もっと相応しい格好があるでしょうに」
「は、はぁ……」
院長の言葉を聞いても、シスターはオロオロと不安そうにバルヴェルと子供達の乱闘を見守る。
「ダン!将来は衛兵になるんだろう?この程度で息を上げてちゃいかんぞ!ポッド、前にコックになりたいと言ってただろう?シスターに料理の本を寄付しといたから後で読んでおけよ!それから、リーロイ!レミちゃんの気を引きたいからってイジワルするのは良くないな!男なら好きな子には優しく――ぐはっ!」
「う、うるせーぞオッサン!みんな!オッサンがこれ以上余計な事を言う前に畳んじまうぞ!」
「おー!」
乱闘は増々ヒートアップしていくが、その場に居る子供達は皆一様に、バルヴェルに対して屈託のない笑顔を向けている。それは身寄りのない孤児達が、バルヴェルという男をどれ程信頼しているかを示しているような温かい光景であった。
**********
「じゃあなーバルヴェルのおっさん!次は泥まみれになっても良いような服着てこいよー!」
「お前達こそ、院長やシスターに迷惑かけるんじゃないぞー」
夕刻になり、バルヴェルは孤児院の中へと戻っていく子供達に別れを告げる。すると、シスターが手拭を持ってパタパタとバルヴェルの傍へと駆け寄ると、彼の顔や服に付いた汚れを拭っていく。
「バルヴェルさん、本当にすいません。ああ、もう……あの子達ったらこんなに汚して……」
「はっはっは、構いませんよ。むしろ、子供達には私の仕事の気分転換に付き合ってもらってるようなものですから」
「そ、そうなんですか?その、お優しいんですね……」
そう言うと、バルヴェルはシスターから手拭を受け取って朗らかに笑いかける。よく見ると、端正なその顔つきにシスターは僅かに頬を赤らめつつ、それを誤魔化すように話題を変えようとする。
「そ、そういえば、バルヴェルさんはどのようなお仕事をされているんですか?」
「う~ん、少し説明が難しいんですが……一言で言うなら"商売"ですかね。物を売ったり買ったり、地方に人材を派遣したり……まあ、手広く色々やらせてもらっています」
いまいち要領を得ない回答に、シスターが小首を傾げるのを見てバルヴェルは苦笑を浮かべる。
「さて、それじゃあ私はこれで。院長にはよろしく伝えておいて――」
ふと、バルヴェルの視界に、孤児院の中に入らずに庭に座り込んでいる少女の姿が映り込んだ。
「シスター、あの子は……?」
「ああ、あの子は最近ここに来た子でして。その……内戦で両親を失ったことを、受け止めきれないようで。いつも、ああして家族が自分を迎えに来ることを待っているんです。周囲の子供達とも中々馴染めないから心配しているのですが……」
「……そうですか」
バルヴェルはシスターの言葉に頷くと、虚ろな目で夕陽を見つめる少女の横に座り込んだ。
「やあ、私はバルヴェル。お嬢さん、良ければ君の名前を教えてもらえないかい?」
「……サラ」
「サラか。良い名前だね。何が良いって、書きやすいし覚えやすい。書類に記名するのが実に楽ちんだ。私なんか"バルヴェル"だぞ?長ったらしいし、おかげで大量の書類にサインをするのが死ぬほど面倒だ」
「………………」
「む、スベってしまったか。……サラ、君は孤児院の中に入らないのかい?もう日が暮れるし、このままでは風邪をひいてしまうぞ?」
「……パパとママを待ってるの。きっと私の事を探してるから、見つけやすいように外で待ってるの」
「そうか。サラは気配り上手なんだな」
バルヴェルは優しく微笑むと、少女の頭を撫でた。少女はその手に何の反応も示さなかったが、バルヴェルは構わず話を続ける。
「サラが御両親を待っている間に、少しばかり私の昔話をしてもいいだろうか?退屈しのぎになるかは保障出来ないが……」
「……好きにしたら?」
「ふふ、ありがとう。私がサラと同じぐらいの年齢だった頃かな。私の両親が戦争で死んじゃったんだ」
「……」
「頼れるような親戚も居なくてね。当時の多くの似た様な境遇の子供達がそうだった様に、貧民街で食うや食わずの浮浪児生活。まあ世界を呪ったものさ」
「でもね、私は見つけたんだ。"素晴らしいもの"を」
「……"素晴らしいもの"?」
「ああ、そうさ。自分の好きなもの、夢中になれること、将来の夢――そういう"素晴らしいもの"を、私はサラにも見つけて欲しいと思っている。その為の協力は惜しまないつもりだ」
「……私の"素晴らしいもの"って何なの?」
「それは私にも分からない。何より君自身で見つけないと意味がないものだからね」
「……よく分かんない」
「焦る必要はない。これからゆっくり探していけばいいさ。そして、"それ"を見つけることが出来れば、きっと君が今、感じている"痛み"も気にならなくなる」
「………………」
少女が黙り込んでしまったのを見て、バルヴェルは顎に手を当てて少し考え込むと、口を開く。
「一人で見つけるのが難しければ、皆に協力してもらえばいい」
「みんなに?」
「ああ。シスターや院長、友達とたくさん話し、遊び、一緒に過ごそう。そうすれば、きっと見つかるはずだ」
「……でも、私ここのみんなとお話したことない。友達になれるかな……」
「大丈夫、サラは美人だからな。みんな内心、君と仲良くなりたくてソワソワしている筈さ」
「…………」
「難しければ、私も協力しよう。明日もここに来るから、その時は、私と一緒に遊んでくれないかい?私はここの悪ガキ達の人気者だからな!私とサラが一緒に遊んでいれば、すぐに混ざろうとしてくるぞ。そうすれば、孤児院の皆と友達になるなんてあっという間さ」
「……うん」
「よし、約束だぞ?それじゃあ、明日のデートに備えて、今日はもう中へ入りなさい。ここは冷える。風邪でも引いたら大変だ」
バルヴェルは最後に少女の頭を軽く一撫ですると、その場を立ち上がり、孤児院を後にした。
**********
人気の無い路地を歩くバルヴェルの背後に、音もなく一人の男が近寄る。
「バルヴェルさん。お迎えに上がりましたよ」
「やあ、フェルグ。待たせてしまったかな?」
"ヴォーデンの使徒"、"改革派"、"開発部"、雑多な肩書を持つ男――フェルグにバルヴェルは親し気な笑みを浮かべる。
「いえいえ、面白い話が聞けたので気にしないでください。バルヴェルさんの幼少期の話なんて、聞く機会は早々無いですからね」
「おや、盗み聞きかい?周囲に気配は感じなかったが……また良からぬ魔導具でも作ったのかな?」
「まだ試作品ですがね。今度、報告書を上げておきますよ」
「頼むよ。ああ、ちなみに、あの話は全部デタラメだよ?」
「は?」
事も無げにそんな事を告げるバルヴェルに、フェルグは思わず聞き返してしまう。
「あの子には、ああ言うのが一番効果的だと思ったからね。いやあ、楽しみだなあ。サラはどんな"素晴らしいもの"を見つけ出すのだろうか」
「変わりませんねぇ。"人類狂い"と呼ばれる貴方の性癖は」
「ふふ、そうともそうとも。彼女は実に良い。内戦という理不尽によって日常を、幸せを奪われた彼女が、どのようにして艱難辛苦を乗り越えて、成長するのか……ああ、本当に楽しみだ」
バルヴェルが恍惚とした表情を浮かべるのを見て、隣でフェルグは苦笑を浮かべる。
「人の素晴らしさとは、どのような困難が訪れようとも、それを乗り越えて、より良き未来を目指す"魂の輝き"にある。これまでも、か弱い人類が滅びる機会など幾つもあった。大陸南部を砂漠に変えてしまう程の大戦、海の向こう"蛮土"からの侵略。そして、"エルフ"――だが、人はそれらの苦難を乗り越えて、今も成長を続けている。嗚呼、何て素晴らしい存在なんだ……!」
誰に聞かせるでも無く、人間の素晴らしさを熱烈と語るバルヴェル。
"困難に立ち向かう人間の輝かしさ"。
人の"愛と勇気"を心の底から愛する男。
「――嗚呼!本当にこの内戦を引き起こして良かった!」
――故に、自ら破壊と混沌を生み出し、人に試練を与えようとする狂人。
それがヴォーデン"改革派"の首魁にして、ヴォーデンの使徒"禍を引きおこす者"バルヴェルという男の性質であった。
「そろそろ良いですか、バルヴェルさん?」
「おっと、すまない。ついつい熱が入ってしまった。何の話だったかな?」
「実行部隊の長をそろそろ決めようという話です。ユーグ君がやられてから、ずっと空席だったでしょう?」
「ああ、そういえばそうだったね。エッダさんは何と?」
「使徒位階であれば誰でも好きにしろと。一応言っておきますが、俺は嫌ですよ?そんな暇じゃないんで」
フェルグの言葉に、バルヴェルは顎に手を当てて考え込むような仕草をした後に、何かを閃いた様子で口を開く。
「そうだ。"例のエルフ"を捕らえるのに動いている子が居ただろう?彼にやってもらおう。エルフを捕らえた功績ということで"使徒"に昇格させて、ついでに実行部隊長にすればいい」
「押し付けますねえ。というか、そのプランだと、彼がエルフの確保に失敗したら駄目じゃないですか」
「ん、まあ、その時はまたその時に考えるとしよう。別に急ぎの案件という訳でもあるまい」
"それに"と付け加えて、バルヴェルが続ける。
「彼の実力はヴォーデンの使徒に次ぐレベルだ。上手くやってくれるだろうさ」
「まあ、そうですね。それじゃ、新しい使徒仲間が増えるのを期待して待つとしますか」
書き溜め分が尽きてしまったので次回以降は不定期更新となります。
申し訳ありませんが、お待ちいただけると幸いです。




