40.穏やかな夜
「んぅ……むにゃ……」
「……おやすみ、ノルン」
子供部屋――元は空き部屋だった一室で、ノルンを寝かしつけた僕は、彼女を起こさない様に静かに部屋を後にする。
「ノルンは?」
「眠ったよ。僕とジュウロウの3人で寝たいとグズっていたけど、"パパ"はまだ仕事が有るからって寝かしつけた。説得するのに苦労したぞ?」
「パパは止めろ……嫁がお前だなんて、何の冗談だっての」
「同感だな。……で、そっちの方は?」
リビングで書類を眺めているジュウロウに、僕は水を向けると、彼は手元の書類を僕に見えるようにテーブルに置いた。
「なーんにも分からん。フェンリルで今回の一件と似た様な事例が無いか調べてもらったが……」
「そもそも、エルフに関する情報が少ないからな。妥当と言えば妥当か……」
記憶結晶から生まれた黒髪のエルフ"ノルン"
彼女がどういった存在なのか、ダメ元でフェンリルの情報を頼ってみたが、結果はある意味予想通りであった。そもそも記憶結晶がフェンリルでも未知の物体だったのだ。そこから生まれたエルフならば尚の事だろう。
「ノルンに聞いても、要領を得ない返事しか返ってこないしなあ。ありゃあ本当にただの子供だぞ」
「……まあ、悪い子ではないだろう」
「そこは同感。俺やお前がアレぐらいの頃は、もっとしょうもないクソガキだったぜ」
「君と一緒にされるのは心外だな。……それで、そっちの書類は?」
テーブルに置かれた書類とは別に、ジュウロウが片手で弄んでいた書類を僕へと差し出す。
「次の任務の指示書だ。研究機関での一件から大して経ってないってのに、人使いの荒いこった」
「北部の内戦の後始末、か」
「地元のマフィアとヴォーデンが手を組んで、内戦後の治安悪化に乗じて違法奴隷の調達をしているらしい」
「……下衆め」
無辜の人々を食い物にしようとする醜悪な所業に、思わず罵倒が口から零れる。
「ひゅう。美人はおっかない顔しても絵になるねぇ」
「……ジュウロウ、軽口に乗れるような内容じゃないぞ。これは」
「不必要に熱くなるなって言ってんだよ。……こいつ等には"怒り"なんて上等なモンを向ける価値すらねえよ」
ジュウロウの言葉に、僕は溜息を一つ吐いて、気を落ち着ける。
「……はぁ。どちらかと言えば、君の抑え役は僕だったんだけどな。冒険者になって少しは丸くなったのかい?」
「そういうお前は昔よりもガキっぽくなってないか?その身体に中身まで引っ張られてやしないだろうな」
「……否定しきれないのが恐ろしい所だな」
苦笑しながら書類をめくる僕に、ジュウロウは子供部屋――ノルンが眠る部屋へと視線を向けて呟く。
「……次の任務、ノルンはどうするんだ?」
「何とか説得して、任務の間はフェンリルに預かってもらうしかないだろう。大丈夫さ、ノルンは基本的には物分かりの良い子だ。ちゃんと話せば分かってくれるさ」
「……それよりも――」
「僕とノルンで留守番をしていろ、というのは無しだぞ」
「むっ……」
先回りされてしまったジュウロウが言葉を詰まらせる。
「……あのな、ジュウロウ。前にも言ったが、君だけを危険な目に遭わせるなんて、僕が許すとでも――」
「ああ、だから悪かったって。もう言わねえから、勘弁してくれ」
適当に流そうとするジュウロウに、僕は彼が座るソファの隣へ移動すると、ジト目で彼を睨み付けた。
「本当か?何だか君は機会が有れば、すぐに僕を任務から遠ざけようとしていないか?この前だって――」
「近い近い!分かったから、俺が悪かったから、ちょっと離れろっ!」
ジリジリと詰め寄る僕に、ジュウロウが気まずそうに視線を逸らしながら後ずさる。すると、背後で音もなく扉が開いた。
「ふぁ……パパ、ママ……ケンカ?」
「ああ、ごめんねノルン。起こしちゃったかな?」
眠そうな目を擦りながら、僕とジュウロウの隣にフラフラと歩いて来たノルンの頭を、僕は優しく撫でた。
「大丈夫だよ、喧嘩じゃないから。ほら、ベッドに戻ろう?」
「やぁー。パパとママと一緒に寝るぅ……」
そう言うと、ノルンは愚図りながらジュウロウの足にしがみ付いてしまう。その健気な姿に、ノルンを無理やり引き剥がすことに罪悪感を感じた僕とジュウロウは、お互いに顔を見合わせると深く溜息を吐いた。
「……どうする?」
「流石にこの状況で、ノルンを無理やり一人寝させる程、シビアにはなれねえよ。……リアの部屋でいいか?」
「仕方ないか……無駄にキングサイズのベッドがある家で助かったよ。……ノルン、それじゃあ三人で寝ようか?」
「うん」
眠たげにしながらも、ふにゃりと笑顔を浮かべるノルンの可愛さに、僕とジュウロウは思わず心臓の辺りを抑えてしまう。お互いに一つ深呼吸をして気持ちを落ち着けると、ジュウロウがノルンを抱き抱えて、僕の部屋のベッドへと運んだ。
「ほら、お前は真ん中な」
「んー……」
もぞもぞとベッドの真ん中にノルンが移動すると、彼女は何かを求める様に小さな両手を左右に伸ばした。それに応じる様に、僕とジュウロウもノルンを挟んで、ベッドの左右に潜り込むと、ノルンの小さな手を握った。
「えへへ……パパ、ママ、おやすみ……」
「……ああ、おやすみ。ノルン」
「おう、いい夢見ろよ」
満足げに微笑み、瞼を閉じたノルンに、僕とジュウロウはお互いに顔を見合わせて思わず微笑んでしまう。
「……で、どうする?このまま寝ちまうか?」
「そうだね。急ぎの仕事がある訳でもないし、そうしようか」
子供特有の温かい体温を、繋いだ手に感じながら、僕は誰に語り掛ける訳でも無く呟く。
「……ふふ、ズルして父親をやっている気分だな」
「ハッ、"母親"の間違いじゃねえのか?」
「蹴るぞジュウロウ」
「馬鹿止めろ。ノルンが起きるだろうが」
小声でそんなやり取りをしながらも、僕は不思議と懐かしい気持ちになっていた。
「――ああ、そうか」
「どうした?」
「いや……孤児院に居た頃も、こうしてジュウロウや、他の子供達と一緒に寝ていた事を思い出してね。何だか懐かしくて」
「ああ、そんな事もあったな。……もっとも、孤児院のベッドはこんな上等なもんじゃなくて、硬くて薄い粗悪品だったけどな」
「ふふ、そうだったな。……おやすみ、ジュウロウ」
「……ああ、おやすみ」
瞼を閉じると、当たり前のように何も見えない暗闇が広がる。
闇の中で、手のひらに感じるノルンの体温と、その隣に居るジュウロウの気配に、僕は不思議なぐらい穏やかな気持ちに包まれて眠りへと落ちていった。
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「………………」
薄闇の中で、ジュウロウは無言で瞼を開く。
隣に視線をやると、そこにはノルンのあどけない寝顔が。そして更にその隣には――
「すぅ……すぅ……」
親友であるリア――つまりは、とんでもない美少女が、無防備に穏やかな寝息を洩らしていた。
「………………寝れるかァッ!」
二人を起こさない様に、そんな小さな叫びが部屋に響いた。
次回更新は10/22の17:00頃予定です。




