04.転生
「―――不敬だぞ小僧。誰の許可を得て私に跨っている?」
眠るように瞳を閉じていた少女の目が開かれる。
その宝石のような深い碧眼に、僕は一瞬だけ状況も忘れて見惚れてしまったが、すぐに我を取り戻すと彼女に避難を促した。―――促すつもりだった。
「ぐ、ぶっ……」
「むっ……おい、小僧。腹に穴が開いているぞ?私は知っているぞ。人間というのは腹に穴が開いているとすぐに死ぬとな」
先程の男の攻撃で、僕の腹部には拳ほどの大穴が開いていた。彼女に逃げるように促そうにも、僕の口から出るのは血液と濁った吐息だけだった。
「ちょ、おいおいおい!なんで"ユグドラシル"が起きてやがるんだっ!?」
「―――ッ!」
戦闘を開始してから、男が初めて余裕に満ちていた薄ら笑いを焦りに崩した。
男は焦燥に突き動かされるように僕に―――いや、エルフの少女に向かって短剣を構えて飛びかかる。
せめて、この子だけでも……!
僕は瀕死の身体を気力で動かして、少女の盾になろうとした。
「邪魔」
少女の手のひらが僕の脇から、男に向けられた。
次の瞬間、眩い光弾が僕達に襲い掛かる男の四肢を貫いた。
「がっ……!?」
「ふむ、お前は醜いな。死ね」
地面で芋虫のように藻掻いている男に対して、少女が片腕を横に薙ぐと、腰を境目にして男の上半身と下半身が別たれる。聖騎士達を弄ぶように惨殺した男は少女の手によって、呆気なくその命を奪われた。
古今東西エルフの伝承には様々なものが有るが、概ね共通した特徴がいくつか存在している。
曰く、耳の先が長く尖っている。
曰く、種族全体で一様に浮世離れした美貌を持っている。
曰く、不老不死の存在である。
曰く、女性しか存在しない種族である。
―――曰く、絶大な魔力を持った恐るべき魔人達である。
―――曰く、現代に至るまでに滅亡した国家の内、半数はエルフ達が戯れに滅ぼしたものである。
―――曰く、人間が今も滅びていないのはエルフ達の気まぐれに過ぎない。
「―――さて」
少女の美しい瞳が、地に倒れ伏した僕に向けられる。
―――曰く、エルフは人間のことを虫か何かとしか思っていない。
「小僧。お前はあそこの男より、ほんの少しだけ美しい。それに要らぬ世話ではあったが私を守ろうとした」
少女の細い指先が。僕の顎を持ち上げる。
「―――故に褒美をやろう。感謝に打ち震えるがいい」
「っ!?」
次の瞬間、少女の唇が僕の唇に重ねられた。
既に言葉を発することも出来ない程に消耗していた僕は、されるがままに彼女を受け入れるしかなかった。
どれ程の時間をそうしていただろうか。
時間の感覚も既に曖昧になっていたが、それなりに長く唇を重ねると、彼女は僕を解放した。
「―――んっ、まあ、こんな所だろう。……だが、私はこの手の創る魔術は不得手でな。自分と似たような見た目のものしか作れん。貴様には過ぎた代物だろうが、今回は特別に許してやろう。これで一生分の幸運を使い切ったと思え」
少女が何か言っているが、僕の急速に霧散していく意識では、その内容を理解することは出来そうになかった。
「ではな、小僧。私は帰る。お前も好きにしろ」
僕に対する興味を失ったのか、エルフの少女はこちらを振り返ることなく立ち去っていく。僕はそんな彼女を呼び止めることも出来ず、二度と目覚めることの無い眠りへと堕ちていった。
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「―――ぅ、ん……?」
意識が覚醒する。
死の眠りから目覚めた僕の胸を満たすのは、安堵よりも疑問だった。意識を手放す直前に負ったあの傷はどう考えても致命傷だった。
地に倒れたまま見上げた空には月が顔を出していた。時間の感覚が狂っていなければ、恐らくは半日程度の間、気を失っていたのだろう。
『―――故に褒美をやろう。感謝に打ち震えるがいい』
脳裏を過るのは、エルフの少女の怖気すら感じるような美貌と、自分が手も足も出なかったあの男を一蹴した圧倒的なまでの暴力。
何処までが現実で、何処までが正気だったのか。
もしや自分は長い悪夢を見ていたのではないかと、己を疑う気持ちすら芽生えたが、周囲に漂う渇いた血の臭いと、視界に映る仲間達の亡骸が否応なしに現実を僕に突きつける。
―――まずは、仲間達を弔おう。
生き残ってしまった自分には、その義務がある。
「―――あ?」
立ち上がろうとした身体に、僕はようやく異常を感じた。
身体が異様に重い。
―――違う。"身に着けている鎧"が重いのだ。
いくら疲弊しているとはいえ、既に身体の一部と言っても過言ではない聖騎士の鎧に、ここまでの重さを感じるのは異常だ。それに明らかに自分の身体の大きさと鎧の大きさが合っていない。聖騎士に支給される鎧は全て特注品で、装着者の身体に完全にフィットするように作られた代物の筈だ。
困惑する僕の視界に、地に突き立った剣が映る。黒衣の男との戦闘で弾き飛ばされた仲間の剣だ。
「―――なんだ、これは?」
冷たい刃に映り込む自分の姿に、僕は震えた声を零す。
その声が鈴を転がすような女性の声だったことにすら気づけない程に、それは衝撃的な光景だった。
そこに映っていたのは、明らかに身の丈に合っていない白銀の鎧を着こみ、その芸術品の様な美貌を渇いた血で汚した女性―――
あのエルフの少女と瓜二つの顔をした女の子が、そこに居た。
次回更新は9/14の7:00頃予定です。