37.新生
リア達が裏切りの戦士と対峙しているのと時を同じくして、ジュウロウはもう一人の裏切り者―――ベイトと剣戟を交えていた。
「傷ついた仲間を放置して追ってくるとは。意外と薄情なんだな」
「そういうお前は意外と腕が立つじゃねえか。クソみてえな性根なのが惜しいぜ」
フィジカルも技量も明らかにジュウロウが上回っているが、それでも攻め切らせないのは流石はフェンリルの戦士に選ばれるだけはあると言った所か。細かな切り傷をいくつも作りつつも、爬虫類めいた無表情を崩さずに、ベイトが舌戦に乗る。
「随分な言い様じゃないか後輩」
「ハッ、裏切り者には十分だろうセンパイ?それとも、同情の余地がある理由でも有るのかい?」
「そこは心配するな。大金に目が眩んだだけだ」
「そうかい、なら安心してぶった切れるな!!」
腕の一本ぐらいは奪うつもりだが、殺すつもりは無い。もっとも、それは倫理的な理由ではなく、この男には聞かなければならない事が山ほど有るというだけだが。
「……むっ」
「貰った!」
ベイトの守りが緩んだ隙を狙った完璧な一閃が奔る。これで決まりだろう。
ベイトを逃がす訳にはいかなかったとは言え、彼の当初の思惑通りに、実験室前を離れてしまっているというのが現状だ。フゥリィの容体も気になる。手早く片付けてリア達と合流しなくては。
「―――ああ、一応だが金以外にも理由は有ったな」
防げるはずの無い斬撃が、ベイトの直前で弾かれる。分厚い金属を叩いたような手応えと響きに、ジュウロウは驚愕に目を見開く。
「お前達では、ヴォーデンに勝てん。沈むと分かっている船に乗っていられる程、楽観的では無くてな」
「"不可視の障壁"……!?あの野郎と同じ技かっ!」
攻撃を弾かれて体勢を崩したジュウロウに、ベイトが追撃するが、既に一度"不可視の障壁"を経験していたジュウロウは素早く体勢を立て直すとベイトの一撃を回避する。
「ヴォーデンの使徒が使っている障壁ほど完璧では無いがな。奴らはこんなイカサマ染みた技術すら、俺のような背信者にポンと渡せる程に力を持て余している。フェンリルが未だ奴らに潰されていないのは、相手にすらされていないに過ぎないという事だ」
ベイトの言葉に、ジュウロウは舌打ちをしつつ、ベイトの障壁について思考を巡らせる。
渾身の一撃を容易く弾いた事から、強度は恐らくユーグが使っていた物と変わらない。だが、こうも追い詰められるまで使用しなかったという点、軽傷とは言えベイトに幾つかダメージが通っているという点から考えて、ユーグの様に障壁を全方位には展開出来ない、或いは瞬間的にしか使用出来ないという推測が出来る。もしくはその両方か。
正直、ユーグが使っていた不可視の障壁と比べると粗悪品もいいところだが、それでも視認できない絶対防御の盾を持っているというのは非情に厄介だ。オマケにベイトの目的は恐らくジュウロウの打倒ではなく時間稼ぎ。地力では完全にジュウロウが勝っているが、守りに専念したベイトを攻め切る事が出来る程の実力差は無かった。
「既に分かっているとは思うが、裏切り者は俺だけではない。俺一人にこんなに時間を掛けていていいのか?」
「チィッ!」
ベイトの煽るような言葉に、ジュウロウは焦りを募らせる。
(どうする?こいつを無視してリアの所へ戻るか?……いや、こいつを逃がすのは不味い。何処までフェンリルの情報を外部に漏らしているか確認する方法が無くなる。クソッ、どうすれば……)
「ジュウロウッ!伏せろっ!」
「―――ッ!?」
ジュウロウの思考を断ち切るように、背後から相棒の声が耳に届く。ジュウロウが迷わず姿勢を低くすると同時に、彼の頭上を光弾の連射が横切った。
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「ジュウロウッ!伏せろっ!」
叫ぶと同時に、僕は魔力弾をジュウロウが対峙していた男―――フゥリィから聞いた、もう一人の裏切り者であるベイトに向かって連射する。
「む!ぐおっ……!」
先程、捕縛したジョブと同じく、目の前の男も成すすべなく光弾の波に呑み込まれる―――だが、彼は半身に構えて正面に手をかざすと、完璧にとはいかないが、半分以上の魔力弾を弾くことに成功していた。
「―――防いだ!?一体どうやって……今のはまさか、ユーグの使っていた障壁……!?」
「ぐ……レイズめ。ジュウロウのオマケかと思っていたら、こんな隠し玉を持っていたとは」
防ぎきれなかった魔力弾がベイトの身体をえぐり、片腕の骨を肩から砕いていた。ぶらりと脱力したように揺れる片腕を抑えるベイトに、ジュウロウが刀を向ける。
「二人がかりでちょいと卑怯だったかもしれんが、ここまでだな。まだやるか?」
「ふむ、流石に分が悪いか」
ベイトが自由の利く方の手に持った剣を手放す。
「今回は大人しく引き下がるとしよう」
手放した剣が床へと落ちるまでの刹那に、ベイトが懐から何かを取り出して床へと叩きつける。次の瞬間、凄まじい勢いで周囲が煙に包まれた。
「わぷっ!煙幕っ!?」
「じゃあな。お前達には二度と会いたくないよ」
「クッ、逃がすかっ!」
煙で視界は確保出来ないが、僕は前方に向かって魔力弾を掃射しようと構えた。
「おっと、やらせんぞ」
煙の向こうからベイトの声が響くと同時に、空気を切り裂いて何かが飛翔する音が聞こえた。次の瞬間、ジュウロウが横から僕を突き飛ばす。
「リア!どけっ!―――ぐあっ!」
「なっ……ジュウロウ!?」
僕の身体に熱い何かが浴びせられる。それはクロスボウの矢に貫かれた、ジュウロウの腕から飛び散った彼の血液だった。
「クソッ!逃がしたか……」
煙が霧散すると、そこには既にベイトの姿は無かった。歯噛みするジュウロウに僕は駆け寄ると、身体に巻いたリネンの裾を引き裂いて、彼の傷口に巻き付けて止血をする。
「すまない……僕を庇ったせいで……」
「気にすんな。そもそもお前の援護が無かったら、アイツを追い詰められなかった。……っていうか、なんつー格好してんだよ」
「仕方ないだろう。こっちも敵に襲われたし、ジュウロウに加勢する為には着替える暇も無かったんだよ」
裸身に薄布一枚巻いているだけの僕の姿を見て、ジュウロウが気まずそうに目を逸らす。……他の人間ならともかく、彼は僕の以前の姿を知っているのだから、そんな律儀に反応しないで欲しいものだ。
「というか、フゥリィから聞いてないのか?敵の狙いは恐らく記憶結晶だぞ。お前が居なくちゃ、実験室の守りは……」
「ああ、それなら大丈夫」
僕は身体に巻いたリネンの胸元を引っ張って、内側に手を入れると、そこから真紅の宝石―――記憶結晶を取り出した。
「あの場で一番、戦闘能力が高いのは僕だったからね。それなら僕が記憶結晶を持ち歩いた方が安全―――って、ジュウロウ。聞いているのか?」
「お前さあ、ほんとにそういう不意打ちするの止めて……一体、俺の性癖をどうしたいんだよ……」
何やら顔を手で覆って嘆いている様子のジュウロウに、僕が困惑していると、天井からノイズ混じりの音声が流れだした。
『あ~あ~てすてす。支部長のスノウでーす。館内放送が出来てるって事は、どうやら通信妨害は解除されたみたいねー。フゥリィ君の話だと、ひとまず研究所内の安全は確保出来たみたいなので、みんな安心してねー』
「……どうやら、終わったみたいだね」
「ああ、そうだな」
気が抜けたのか、お互いに溜息混じりの苦笑を浮かべる。……さて、研究所内の被害調査や事後対応など色々とやる事が増えたと思うが、記憶結晶の実験はどうなるのだろうか?そんな事を考えながら、ジュウロウの血液が付着してしまった真紅の宝石を手元で弄ぶ。
次の瞬間、記憶結晶が眩い光と激しい熱を発した。
「―――熱ッ!?な、何が……!?」
「リアッ!?おい、何が起きて……ぐっ!」
驚きと熱の痛みに、僕は思わず記憶結晶を床に落としてしまう。益々強くなる閃光に、僕とジュウロウは反射的に眼球を手でガードする。
時間にして数十秒程度だろうか。光が収まったのを瞼越しに感じた僕とジュウロウは、ゆっくりと瞳を開いて状況を確認しようとする。
「……おいおい、何の冗談だよこれは」
「………………」
ジュウロウの口から呆けた様な声が零れる。……無理も無いだろう。目の前の光景には、僕も唖然とするしか出来なかったのだから。
―――床に落とした筈の記憶結晶は影も形も無く、その代わりに一糸纏わぬ姿の少女が床に蹲っていたのだ。
「………………んぅ」
裸身の少女から、小さく声が漏れる。
それを切っ掛けに、むくりと起き上がった少女は、寝惚けたような顔で僕を見つめてきた。
見た目から判断出来る年齢は、恐らく10歳前後。
肩にかかる程度に延ばされた髪は、夜の海を思わせる深く艶やかな黒色。
染み一つ無い新雪の様に白く輝く肌は、保護欲を掻き立てる丸みと柔らかさを帯びている。
―――そして、少女の耳の先はツンと天を突くように尖っていた。
「エ、エルフ……!?」
「………………」
思わず零した僕の声が聞こえているのか、いないのか。少女はしばらく僕の顔を見つめた後で、小首を傾げて呟いた。
「…………ママ?」
「……………………はい?」
「ママ~~っ!」
パァッ、と輝くような笑顔と共に、僕に抱き着いてきた全裸の少女に、情けない事に僕は何の反応も返す事が出来なかった。
「―――あっ」
ぎゅっ、と少女が僕の腰辺りを抱きしめる。すると、これまでの戦闘で僅かに緩んでいたのか、身体に巻いていたリネンが、はらりと解けて床へと落ちた。
「あ゛っ」
ジュウロウが僕の裸身を見て、潰れたカエルみたいな声を漏らした。
――流石にその反応は少し失礼ではないだろうか?
次回更新は10/15の7:00頃予定です。




