36.蹂躙
「何やら外が騒がしいですね……スノウさん?」
「揺らぎは許容範囲内。数値も人間を使ったデータとは異なるけど、目立った反応は無し。エルフの魔力を使うという点は合っている筈……何が足りないのかしら……」
「聞こえてないみたいですね……」
僕が裸で記憶結晶に魔力を流し込み始めてから数十分が経過した。
防音が為されているのかハッキリとは聞き取れないが、外から何か妙な空気を感じた僕はスノウさんに問いかけるが、彼女は思考の世界にトリップしてしまっているらしく、僕の言葉が耳に届いていないようだ。
「スーノーウさんっ」
「…………ん?どうしたのリアちゃん。トイレ?」
「違います。……外の様子がおかしいです。少し確認したいので、一旦実験は中断しますよ」
「ええ~~。まだリアちゃんで試したい事が沢山あるのに~~」
「何も問題無ければ、すぐに再開しますから。少し待って―――」
不満げなスノウさんを宥めている最中に、"それ"が耳に届いた。
微かに聞こえた空気を切り裂く音。それに続くフゥリィらしき苦悶の声。
「―――ッ!?敵襲かもしれません。スノウさんはここに隠れていてください!」
「え?うん」
着替えている時間も惜しい。僕は近くに有ったリネンを適当に裸体に巻き付けると、廊下へと繋がっている扉を開けた。
「フゥリィ!?その傷は……!」
扉の向こうでは、足から血を流したフゥリィが苦笑いを浮かべて床に座っていた。
「ああ、リアさん。お恥ずかしながら不覚を取りまして。状況を説明したいのですが、その前に止血を手伝って頂いてもよろしいでしょうか?」
「ええ、じっとしていてください!スノウさん!包帯か、代わりになるような縛るものはありませんか!」
「はいはーい、これ使ってー」
スノウさんから渡された包帯で、手早くフゥリィの止血をする。とりあえず命に別状があるような重傷では無かったようだが……
「いやあ、助かりました。しかし、薄布一枚のリアさんに看病されたなんて、ジュウロウさんに知られたらどうなることやら」
「フゥリィ、すまないが冗談は後にしてください。一体何が有ったんですか?それにジュウロウは何処へ?」
「おっと失礼、確かに戯れている場合じゃありませんね。実は―――」
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「研究所の警備をしていたフェンリルの戦士が裏切った……ですか?」
「ええ、目的は恐らく記憶結晶―――まあ、他にも機密とか色々有るかもしれませんが、この部屋を狙っていた可能性は高いです。ジュウロウさんには逃走中の裏切り者を追ってもらっています」
フゥリィの話を聞いて、僕は思考を巡らせる。
「そんな事態なのに警報は鳴らず、他の警備が動いている様子も無い……そのベイトとやらは、余程上手く立ち回っているみたいですね」
「そうみたいね。さっきから他のフロアと交信しようとしてるんだけど……駄目ね。妨害が入ってるみたい」
スノウさんが連絡用の魔導具らしきものを片手に肩を竦ませる。
「ご覧の通り、かなり好き放題にやられてしまっています。ベイトさん一人で出来る仕事ではないでしょう。裏にもっと大きな組織のバックアップ―――まあ十中八九、ヴォーデンでしょう。奴らが一枚嚙んでいます」
そう告げると、フゥリィは痛み止めだと言う薬瓶の中身を口内に流し込むと、身体の調子を確かめるように、ゆっくりと立ち上がった。
「……さて。とりあえず、私は警備が詰めているフロアへ向かってみます。道中で使えそうな人を見つけたら、こちらの部屋へ送りますので、リアさん達はこちらで待機していてください」
「なっ、その怪我で行くつもりですか!?命に別状はありませんが、無理が出来る状態ではありませんよ!?行くなら僕が……」
僕の言葉に、フゥリィは幾らか血の気の引いた顔に苦笑を浮かべる。
「私としても、ゆっくりしたいのは山々ですが……敵が記憶結晶を狙っているなら、この場で最も戦力になるのはリアさんです。貴女にここで記憶結晶を守ってもらうのが、一番マシな選択なんですよ」
「それは、そうかもしれませんが……!」
「そうそう、ゆっくりしとけやフゥリィ。どうせ行っても無駄だしよ」
「―――ッ!?」
通路の奥から、こちらへ声が投げかけられる。
弾かれるようにそちらを振り向くと、血に濡れた剣を携えた男が、こちらへと歩いて来ていた。……異常を察した警備の人間が助けに来た、という訳では無さそうだ。フゥリィが呆れた様な顔をしながら、男へと話しかける。
「……やれやれ、ベイトさんと違って取り繕う気すら無いのですか?東部の人事は一体何を基準にエージェントを採用しているのやら。ジョブさん、よろしければ転職の理由をお聞きしても?」
ジョブと呼ばれたフェンリルの戦士―――否、"元"戦士らしき男が軽薄な笑みを浮かべながら、フゥリィの問いに答える。
「ベイトの野郎と同じさ。金だよ金。その部屋にある宝石を、ヴォーデンに持っていくだけで金貨何千枚になるか知りてえか?」
「いいえ、興味が無いので結構です」
「そうかい。さて、そこの嬢ちゃん。見た感じ、それなりに腕が立ちそうだが……そっちは足手まといが二人。大人しくしてれば命ぐらいは保証してやるぜ?」
僕はジョブに向かって手のひらを向けると、迷うことなく魔力弾を連射した。
「―――なっ!?」
殺到する百発以上の光弾に、ジョブが目を見開く。先頭の数発は剣で叩き落したジョブだったが、その圧倒的な物量を捌き切れる筈もなく、洪水に呑まれるように魔力弾を一身に浴びるまでに、そう時間は掛からなかった。
「こ、こんなもの―――おごっ!ぶ、がああああっ!?」
ジョブを生け捕りにする為に、威力をかなり抑えた魔力弾ではあったが、それでも高速で投げ放たれた鉄球程度の威力を保持していた光弾を総身に浴びたジョブは、血と苦悶の悲鳴を撒き散らして床に崩れ落ちる。
「いやあ、噂には聞いていましたが、凄まじい初見殺しですねえ。正面からの一対一なら、これで勝ち確では?」
戦いにもならずに蹂躙されたジョブを見て、フゥリィがそんなことを言う。
「……なんだか、ズルしたみたいで複雑です」
状況が状況だったとは言え、剣術も何もない魔力のゴリ押しで片付けてしまった事実に、僕は渋い顔をするしかなかった。
次回更新は10/13の7:00頃予定です。




