35.内通者
「―――さて、記憶結晶の検証が終わるまでどうしましょうか?」
ジュウロウと一緒に実験室を追い出されたフゥリィが、困ったように大袈裟に肩を竦ませてジュウロウに問いかける。スノウの話では少なくとも数時間は実験に時間を要するとの事だった。
「俺は一応アイツの護衛だからな。中の作業が終わるまで、ここで待つつもりだが」
「そうですか。それじゃあ、私もお付き合いしますよ」
壁にもたれ掛かったフゥリィは気を遣っているのか、退屈なのか、ペラペラと取り留めのない雑談を始めた。ジュウロウは話半分で適当に相槌を打ちつつ、時折気になった点をフゥリィに問い返す。
「そういえば、この第三支部だったか。一体何を調査する場所なんだ?」
「色々ありますが、主な研究対象はヴォーデンの技術ですかねぇ」
「ヴォーデンの?どういう事だ?」
「ジュウロウさんは既に"ヴォーデンの使徒"と交戦した事が有るから御存知かと思いますが、彼等の魔術……いや、そもそも魔術なんて既存の技術体系に当てはまるかも不明ですが、とにかく彼等の持つそういった技術は異常です。あまりにも現代の技術水準との格差が大きすぎる」
「……そうだな」
ジュウロウの脳裏にヴォーデンの使徒―――ユーグとの戦いが過る。
あの男が使っていた謎の"障壁"、エルフ封じの結界とやらに、異常なまでの再生能力。どれも現代魔術で行使可能な範疇を超越していた。
それにラーヴァで交戦した例の巨人も、恐らくはヴォーデンの兵器だ。奴らがどれほどの戦力を保持しているのか、想像しただけでジュウロウは頭痛を感じそうだった。
「彼等と交戦する中で、そういった技術の一端を入手することも有ります。フェンリルの研究機関では、それらの技術を解析・再構築することでフェンリルの戦力増強を図っているという訳です。この研究所に設置されている迷彩結界も、元はヴォーデンの隠蔽技術だったんですよ?」
「なるほどな……。そんな物騒なもんを研究しているなら、ここの警備はさぞ厳重なんだろうな?」
「ええ、それは勿論。迷彩結界だけでなく、万一に外敵が侵入した際に備えて、研究所内にもフェンリルの戦士が常に複数人は詰めています」
「そりゃあ、アイツとかの事か?」
ジュウロウが指差した先、筋骨隆々の如何にも軍人めいた男が、こちらへと歩み寄ってきていた。
「フゥリィ、それに……ジュウロウ、だったか?副支部長が呼んでいる。ついて来い」
「用件は?」
「知らんな。俺はお前達を呼んでくるように指示されただけだ。グダグダ抜かさずに黙って付いて来い新入り」
「ふ~む、ベイトさん。ジュウロウさんは、ただいまこちらの室内にいらっしゃる方の護衛でして。この場を離れる訳にはいかないのですよ。私だけじゃ駄目ですかね?」
ベイトと呼ばれた男は、露骨にフゥリィを小馬鹿にした嘲笑を浮かべると、威嚇するように声色を低くする。
「モヤシの諜報員は引っ込んでろ。ここでグダグダ話して、俺の貴重な時間を浪費する前に、さっさと副支部長の所へ行く方がどれほど建設的かも分からないのか?」
「おっと、これは失礼。どうやら気に障ってしまったようで?」
「ふん、スノウ支部長と小娘の実験など放っておけ。この研究所の防衛は完璧だ。貴様らが少しばかり離れていようと何の問題も―――」
「ジュウロウさん」
「ああ、分かってる」
次の瞬間、ジュウロウはベイトに刃を抜いていた。
「―――なっ!?気でも違ったか貴様ァッ!?」
「む、流石に速いな。正面からとは言え、不意を突いたつもりなのに躱すか。フェンリルの戦士はレベルが高いな」
ジュウロウ本来の剣筋とは逆―――峰打ちとは言え、彼の一閃を後方に跳躍して躱したベイトを、ジュウロウは称賛する。唐突に刃を向けられたベイトは、ジュウロウを激しく糾弾するが、彼はつまらなそうに刀を構えたままベイトに答える。
「用件も分からん不明瞭で強引な命令に、俺達は一言も話しちゃいねえのに、部屋の中に居るのがスノウとリアだと確信しているような言い回し。怪しむなって方が無理あんだろ。フゥリィ、この馬鹿はお前がスカウトしたのか?」
「いいえ、ベイトさんは別の支部から異動してきた方なので。彼の採用に私はノータッチですよ」
「貴様らぁ!こんな事をしてタダで済むと思っているのか!レイズの犬に小娘のケツを追いかけまわすしか能の無い新入り風情がっ!」
気炎を吐くベイトに、ジュウロウは呆れた様な冷めた目を向ける。
「さっきからやってるその安い挑発も、俺達をノせてこの場を離れさせる方便か?おい、フゥリィ。副支部長とやらは、こいつの口車に乗るようなタイプか?」
「いいえ、副支部長はスノウさんの信奉者です。スノウさんが是としない限りは絶対に我々を裏切りませんよ。つまり、彼女が楽しみにしていたリアさんとのデートの最中に不穏な行動はしないかと」
「―――だそうだ。お前をふん縛って、副支部長が本当にそんな命令を出したのか確認してこようか?まあ、ただの言いがかりだった時は……売られた喧嘩を買ったって事で勘弁してくれ」
「………………」
ジュウロウ達の言葉に、怒りに顔を歪めていた筈のベイトの顔が、一瞬で爬虫類めいた無表情に変わる。そこに先程までの『己の腕に過度な自信を持った傲慢な男』といった空気は完全に掻き消えていた。
「……やれやれ、記憶結晶とやらの実験が始まったと聞いて、慌てて動いたのは不味かったか。時間が無かったとはいえ、慣れないことをするものじゃないな」
「"そっち"が素か。その感じだと言い訳する気も無さそうだな。転職先はヴォーデンか?」
「話す必要が有るのか?」
ベイトが素早く背中に手を回すと、隠し持っていた小型のクロスボウをフゥリィに向けた。
「―――がっ!!」
「フゥリィ!?」
諜報員とはいえ、一般的な兵隊よりも遥かに鍛えられているフゥリィではあったが、咄嗟に向けられたクロスボウの矢を避けられる程の身体能力は流石に持ち合わせてはいなかった。足を撃ち抜かれた痛みに、苦悶の声を上げるフゥリィに、ジュウロウの動きが一瞬止まる。その隙にベイトは迷わず逃走を選んだ。
「ぐ……ジュウロウさん。私は大丈夫ですから、彼を追ってください」
「……分かった。出血量からして、ヤバイ血管には当たってないと思うが、中のスノウとリアに手当してもらえよ」
躊躇いは一瞬。事態の優先順位を見極めたジュウロウは、既に見失いかけているベイトの後を追って、その場を駆けだした。
次回更新は10/11の7:00頃予定です。




