33.フェンリル研究機関第三支部
「―――じゃ、そういうことで頼みますよ。ええ、報酬の残り半分はこちらに合流した時に……」
薄暗い室内で、一人の男が水晶に向かって独り言―――否、秘密結社ヴォーデンが有する驚異的な精度、通信距離を可能とした魔導具による遠距離交信を済ませる。
「しかし、どういう風の吹き回しだい?ヴィパル君が俺に情報を流すなんて」
部屋の隅で眠るように丸くなっていた黒猫に、男―――ヴォーデン保守派、"開発部"フェルグが問いかけた。
「エッダ様の指示だ。あそこには改革派が懐柔工作を仕掛けていた所だろう?僕達が動くより君達に任せた方が効率が良い」
「危ない橋は改革派に歩かせておけって事かい?悲しいねえ、同じヴォーデンの仲間じゃないか」
フェルグが黒猫を撫でようと手を伸ばすが、黒猫はその手をひらりと躱して窓際に立つ。
「こちらは情報を提供しただけだ。僕達は見返りを要求していないし、命令もしていない。決めるのは君達だ」
次の瞬間、黒猫の姿が泥の様に崩れると、その姿は鴉のそれへと再構築された。
「もう行くのかい?たまには、ヒトの姿の君とお茶でも飲みたいのだがね」
「その必要を感じないな。どうしてもと言うならば、エッダ様を通せ。ではな」
鴉は器用に窓を開けると、そのまま外へと飛び立っていく。その様子をフェルグは苦笑しながら見届けた。
「やれやれ、フられてしまったか。……さて、エッダちゃん達の狙いは分からんが、フェンリルの連中にお仕置きするには良い機会だ。彼女の思惑に乗せられてやろうじゃないの。ヴィパル君が話していた"記憶結晶"とやらはどうでもいいが、北部とラーヴァでの借りは返させてもらうよ?」
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「出張、ですか?」
「ああ、以前に君が回収してきた"記憶結晶"。それの解析に君の力が必要だと、研究所から打診が有ってな」
フェンリル自由都市支部の執務室にて、僕とジュウロウはレイズさんからフェンリルの研究機関への協力を要請されていた。
「……それは、つまりこいつの身体が記憶結晶の解析に必要ってことか?」
ジュウロウの問い掛けに、レイズさんは肯定するように頷くと、話を続ける。
「恐らくはな。一応、研究所のトップにだけは、リアの身体に関する事情を伝えている。その上で今回の要請が有ったということは、エルフの力が必要ということなのだろう。行ってくれるか?」
「勿論。アレの解析をお願いしたのは僕ですから」
「んで、一緒に呼んだってことは俺もこいつに同行するんだろ?まあ、頼まれなくても付いて行くつもりだったがな」
「……ジュウロウ。ノイマン君との食事会で、フゥリィと一緒になって勝手に僕を尾行していた事は、まだ少し怒っているからな?」
「うぐっ」
僕とジュウロウのやり取りに、レイズさんは微笑を浮かべつつも話を続けた。
「決まりだな。それでは、リア・ジュウロウの両名にはフェンリル研究機関への出向を命じる。スケジュール等については追って連絡しよう。二人とも準備をしておくように」
「「了解」」
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レイズさんから研究機関への出向を命じられてから数日後。
僕とジュウロウは馬車に揺られて、研究機関が有るという場所へと訪れていた。
「―――って、ここは前に来た訓練場じゃねえか」
停車した馬車から降りたジュウロウがそんな事を口にする。
彼の言う通り、僕達が辿り着いた場所は、以前に魔術の訓練に利用させてもらったフェンリルの私有地であるという、森に囲まれた湖だった。
「人払いと迷彩の結界が張られているのは、訓練の為だけでなく研究所を隠す意味合いも有ったということですよ。それじゃ、案内するので付いてきてください」
案内役として、僕達に同行していたフゥリィがジュウロウの疑問に答えつつ、僕達を先導して森の奥へと踏み入っていく。以前にこの場所を訪れた時は、訓練中に彼が何処に行っていたのか少し疑問に思っていたが、恐らくは研究機関の視察を行っていたのだろう。
「研究機関というのは何処に?それらしい建物は見当たらないし、自由都市の支部みたいに地下に建造を?」
「いえ、それなりに危険な物も扱っているので、地下施設ではリスクが高すぎます。普通に地上に有りますよ」
フゥリィはそんな事を言うが、鬱蒼と茂った木々の間に人工物の痕跡は見当たらない。僕が小首を傾げていると、フゥリィは一本の大木に手を添えて、何やら呪文を呟いた。
「―――なっ、これは……!」
「あ?……うおっ!?」
次の瞬間、眼前に突如として現れた白亜の建造物に、僕とジュウロウは息を飲んだ。その様子を見て、フゥリィはサプライズが成功したかのように笑みを深くする。
「この研究所周辺には、大規模な迷彩の結界が張られているんですよ。ようこそ、フェンリル研究機関第三支部へ」
突然、現れた研究所の姿に唖然としたのも束の間、僕とジュウロウは気を取り直すと、フゥリィに続いて研究所の中へと歩み入った。
「―――ッ!?」
そして踏み入った研究所の入口で、床に倒れ伏している白衣の女性を確認して、僕とジュウロウは素早く行動に移す。
「襲撃か!?リアッ、俺とフゥリィは周辺を警戒するから、お前はその女を!」
「ああ!大丈夫ですか!」
「あっ、ちょっ、リアさん!」
僕は倒れている女性を抱き抱えると、その口元に手を添える。……よし、呼吸はしている。
「―――うぅ……」
「意識が……!大丈夫ですか?僕はフェンリルの者です。一体何が……」
薄っすらと瞳を開けた女性に、僕は彼女がパニックを起こさないようにゆっくりと語り掛けた。
「……んん?……その金髪。その碧眼。そして、その美貌……もしや、貴女がリアちゃん?」
「え?ああ、はい。僕はリアですが……」
ぼんやりとした顔でこちらを見つめてくる女性の言葉に、僕は妙な違和感を感じながらも答える。
「………………や」
「や?」
「ヤッタアアアァァァ!!生エルフだあああぁぁぁ!!」
「え?はっ!?な、なにをっ!?」
「やだも~~超美人っ!芸術品っ!剥製にして飾りた~~いっ!!」
抱き抱えていた白衣の女性はガバッと起き上がると、僕に抱き着いて頬ずりをしてきた。訳の分からない状況に、僕が目を白黒させていると、フゥリィが彼にしては珍しく気まずそうな表情をしながら頬を掻いて告げる。
「……え~、ご紹介しますね。そちらの方はスノウさん。このフェンリル研究機関第三支部の支部長。ここで一番偉い人です」
次回更新は10/7の7:00頃予定です。




