03.暗雲
「―――で、聖騎士団に戻るつもりは無いのかい?」
「お前、会う度にそれ言ってるけど挨拶か何かだと思ってんの?」
ジュウロウの言外の拒絶に、僕は苦笑しながら薄いエールの入ったジョッキを煽る。
「大体、問題起こして団長と喧嘩別れした俺が今更、聖騎士団に戻れると思ってんのか?」
「その団長が戻ってきて欲しいと言ってるんだよ。聖騎士になれるような能力を持った人材は貴重だからね。僕個人としても、ジュウロウには戻ってきて欲しいと思ってる」
ジュウロウが聖騎士団を抜けた事情はそう複雑なものではない。
未だ聖騎士だった頃のジュウロウが参加したとある任務で、賊に囚われた人質を救出するといったものがあった。
任務自体は人質に死者を出すこともなく無事に終わったのだが、囚われた人質の中に質の悪い貴族が居たのが不味かった。
その貴族は、救出作戦の中でジュウロウが自分よりも子供の保護を優先したことが気に食わなかったらしく、酷い罵詈雑言をジュウロウに浴びせたらしい。挙句の果てには、自分よりも保護を優先された子供に手を上げようとした貴族を、ジュウロウは殴り倒してしまったのだ。
……その後、顔を腫らして詰所にやってきた貴族を、団長が宥めすかして何とか穏便に事を片付けたのだが、色々と溜まっていたものがあったジュウロウは団長との激しい口論の結果、売り言葉に買い言葉で聖騎士団を去ってしまったのだった。
別の任務で遠方に出向いていた僕が、その事を知ったのは騒動から一ヶ月も後のことで、ジュウロウから突然届いた「冒険者に転職した」という手紙を見て唖然としてしまったのをよく覚えている。
……まあ、その一件はジュウロウにとって、あくまで切っ掛けに過ぎなかっただろう。
聖騎士団の存在は王国では非常に大きなものだ。
その性質上、任務の中でどうしても政治的な場面に出くわすケースも少なくない。僕だって時には貴族同士の権力闘争のようなものに巻き込まれることも無くは無かった。良くも悪くも直情的な気質のジュウロウでは、遅かれ早かれ不満を爆発させていただろうと今では思っている。
「酒呑んでる最中に仕事の話とか止めろっての。そんなだから顔はいいのに女が出来ねえんだぞ」
「はいはい、まあダメ元で聞いただけだから最初から期待はしていないよ」
それ以来、王国から離れた自由都市で冒険者として活動をしているジュウロウとは、こうして偶に顔を合わせている。まあ、僕に一言も無く勝手に聖騎士団を抜けたジュウロウに対して、当初は顔を合わせるなり殴り合いをした事も有ったが、今ではそれなりに仲良くやれていると思っている。親の顔も知らない僕達にとって、お互いの存在はある意味、家族のような繋がりなのだ。例え生きる場所が変わっても、その繋がりは容易に断ち切れるものではなかった。
「お前こそ、聖騎士なんか辞めて冒険者になろうぜ?お前なら俺の相棒として申し分無いんだが」
「遠慮しておくよ。ジュウロウが冒険者を気に入っているように、僕も聖騎士としての暮らしにそれなりに愛着があるからね」
「あーはいはい、分かってたよ畜生め。おばちゃーん!酒くれ酒ー!」
お互いに顔を合わせる度に、同じような勧誘を繰り返していることに、僕は心の何処かで安心感を感じてしまう。"絆"なんて呼ぶのは少しばかり気障が過ぎてしまうが、そういった何かをジュウロウも大事にしてくれているようで、その事がどうしようもなく嬉しく思えてしまうのだ。
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「それじゃ、またな」
「ああ、また」
短い別れの挨拶を交わすと、僕は騎士寮の自室へ。ジュウロウは馬車の停留所へと向かう。あれだけ呑んだのに、すぐに自由都市へ戻ろうとする彼のタフさは大したものである。
「……あー、リアルド」
「ん、どうしたんだいジュウロウ?」
去り際にジュウロウに呼び止められて振り返る。
すると、彼にしては珍しく何かを言い淀むように、頭をガシガシと掻きながら僕に告げた。
「もし……もしも、何かヤバそうな事に巻き込まれたら、すぐに俺に連絡しろ。最優先で駆け付ける」
「はは、どうしたんだい急に?」
「……こういう事はあまり言いたかねえが、贔屓にしている情報屋から、最近王国周り……特に聖騎士団周辺でのキナ臭い噂話を聞くことが有ってな。とは言っても所詮は噂話だ。十中八九は杞憂だろうが、ヤバそうな空気を感じたなら警戒はしておけ。もしもの時は自由都市に匿ってやるから俺に連絡しろ。いいな?」
「……ああ、分かった。覚えておくよ」
いつになく真剣な様子のジュウロウに、その"噂話"がそれなりに確度の高い情報だと察した僕は頷く。敢えて詳細を話さないのは、知ることによる先入観を持つこと自体が危険な類の情報なのだろう。
「"恐れるな。だが備えろ。"冒険者のセオリーの一つだ。……まっ、要は日頃から注意深くなれって所だな。引き留めて悪かったな」
「いや、ありがとうジュウロウ。覚えておくよ。君も身体には気を付けて」
「お前は俺のお袋かっての。じゃあな」
そう告げると今度こそ、ジュウロウは夜の闇の中に消えていった。
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聖騎士団に所属する聖騎士には、役職とは別に各々に"序列"というものが割り振られている。
任務での功績、訓練での成績、身体能力など、様々な要因を加味されてはいるが、基本的には序列の高さはそのまま戦闘能力の高さに直結している。王国の武の象徴である組織としては、まあ当然のことだろう。
僕の序列は第39位。一番下の序列が98位であることを考えると、聖騎士団での戦闘能力は中の上といった所である。
「いやあ、頑張るねぇ。……えーっと、リアルド君だっけ?こっちの序列65位のオッサンより全然強いじゃん?」
「……貴様、ガルステンさんから足を退けろ」
「え~~?別にいいじゃないの。もう死んでんだし、俺が足拭きマットにしたって」
仲間達の死体と血で赤黒く染まった荒地で、満身創痍のリアルドと黒衣の男が対峙している。
黒い外套を身に纏い、薄汚く髪と無精ひげを伸ばした壮年の男が、目の前でニヤニヤと下卑た笑みを浮かべながら、仲間の死体を足蹴にする。挑発だとは分かっていても、リアルドは剣を握りしめる手に力が籠るのを抑えられなかった。
男の短刀に切り裂かれた腹部から、ボタボタと赤い液体の形をした生命が流れ落ちるのを感じる。僕はもう長くはないだろうが、目の前の敵に―――仲間を皆殺しにした男に、せめて一矢報いなければ、死んでも死にきれない。
思い返してみれば、その任務には不審な点が無い訳では無かった。ジュウロウにあれだけ警告されていたというのに、危険を察知出来なかった過去の自分に腹が立つ。
王国へ運搬される重要物資の護送。
団長不在時に発生した緊急任務につき、平時とは違うルートで言い渡された指令。
運ばれる物資の機密性の高さから、一般の兵士はつけずに聖騎士数名による少数精鋭での任務。
……しかし、重要性を強調してくる任務の内容に反して、派遣された人員は経験豊富な中堅どころのガルステンさんはともかくとして、他の聖騎士達は僕を除けば序列下位の新米が数名。……考えたくは無いが、僕達は最初から全滅することが前提の生贄だったのだろう。
「―――ッ!?」
「はい、残念。頑張ったで賞ってな」
まただ。僕が振るった剣が、目の前の男に届く寸前で見えない障壁に弾かれる。
通常の魔術ではありえない驚異的な強度の防壁。仲間達も皆、この不可視の障壁を破る事が出来ずに倒れていったのだ。
「投擲に足払い、視線の誘導とこれまで見せなかった逆手の剣筋……多重のフェイントは中々だったが、"これ"はそういう小細工で破れるものじゃないんだよ」
致命的な隙を晒した僕の腹部に、男の掌底が炸裂した。
「ご、ぶっ……!」
「―――あっ、やべっ」
地面と水平に吹き飛ばされた僕の身体は、背後にあった鉄の箱―――"重要物資"に直撃する。
「がっ……げぼっ……」
「あちゃ~、遊び過ぎたか。中身に何かあったら"お人形遊び"が好きな爺様達を怒らせちまうぜ」
人間一人を優に吹き飛ばした衝撃の余波で、頑丈な鉄の箱の施錠が緩み、そこに収められた"重要物資"が僕の目に映った。
「―――お、んなの子?」
鉄の箱の中には、可憐な少女が棺で眠るように収められていた。
腰まで届く流れるような美しく光沢のある金髪。
柔らかさと瑞々しさを感じさせる陶器のように白い肌。
触れれば壊れてしまいそうな、繊細な芸術品の様に華奢な身体。
―――そして、ツンと天を突く尖った耳の先。
その特徴は、逸話や噂話でしか聞いたことのない種族のそれだった。
「エ……エルフ……?」
神話。伝承。戯曲。
そんな世界の住人の名を僕は呟く。
「―――不敬だぞ小僧。誰の許可を得て私に跨っている?」
次の瞬間、眠るように瞳を閉じていた少女の目が開かれた。
次回更新は9/13の23:00頃予定です。