26.凍てついた時の中で
「ユグ、ドラシル……?」
「名を呼ぶ許しを与えた覚えは無いが……まあ良かろう。今の私は機嫌が良い」
時間の流れが凍り付いた世界で、僕の目の前に現れたのは、僕の命の恩人にして、僕を今の姿に変えた張本人でもあるエルフの少女―――ユグドラシルだった。
「……これは貴女の仕業ですか?」
「次元封鎖の事か?ああ、普通に出歩いて面倒な奴に見つかりたくないのでな。心配せずとも後で戻してやる」
「……そこまでして、僕に会いに来た理由を聞いても?」
「くくっ、自惚れが過ぎるぞ小僧。貴様の顔を見に来たのは物のついでだ。どうだ?私がくれてやった身体の具合は?」
……彼女が見つかりたくないという相手や、彼女がラーヴァを訪れた本来の理由についても気にはなるが、僕はそれよりも先に彼女に聞かなければならない事が有った。
「……命を助けて頂いたことには感謝しています。ですが、出来る事なら僕は以前の身体に戻りたい。貴女の力で僕を元の身体に戻すことは出来ないでしょうか?」
「ん、貴様は焼いた肉を生肉に戻すことが出来ると思うのか?」
僕の言葉にユグドラシルが不思議そうな顔をして答える。
……言外に元の身体に戻ることは"不可能"と告げられた僕は、思わずよろめいてしまう。
「無礼な男だ。人間如きが私と同じ身体を得られたのだぞ?喜びこそすれ、ヒトの身体に戻りたいなぞ……んんっ?」
「な、何ですか?」
途中で言葉を切ったユグドラシルが、僕の瞳を覗き込むように顔を寄せる。今の自分と同じ顔をしているとはいえ、芸術品めいた容姿の少女に顔を覗き込まれた僕は俄かに緊張してしまう。
「……どういうことだ?因子が変質している?いや、これはもっと別の……おい、小僧。貴様の親はもしや亜人種か?」
「亜人種って……そんな訳無いでしょう。エルフやドワーフの様な亜人なんて御伽噺の存在で……」
それらを架空の存在だと断定しようとしたが、目の前にその架空の存在が居る現状に、僕は言葉を途切れさせる。
「……僕は赤子の頃に孤児院へ預けられ……いえ、棄てられました。ですから両親の記憶はありませんので、貴女の言う通り、両親がヒト以外だった可能性が全く無いとは言えません」
「ふむ……成程、面白い。興が乗ったぞ小僧」
お世辞にも幸福とは言えない僕の出自を聞いて、愉しそうに目を細めるユグドラシルの物言いに僅かに不快感を感じたが、それを表情に出す前に彼女から何かを投げ渡される。それは手のひらに収まる大きさの真紅の宝石の様だった。
「これは……?」
「この地で見つけた"記憶結晶"だ。私達エルフは自らの記憶を結晶化して、他者に継承することが出来る。どうだ、何か見えたか?」
「……いえ、何も」
ユグドラシルの言葉に、僕は渡された宝石を覗き込んでみたが、特に何か変化が起きる様子は無かった。"記憶結晶"……これが彼女がラーヴァを訪れた理由なのだろうか。
「くくっ、そうかそうか。何も見えぬか。小僧よ、元の身体に戻りたいと言ったな?ならば、その記憶結晶を読み取る方法を探すがいい。そこにお前が望むもの―――ヒトの身体に戻る術が記されているやもしれんぞ?」
「……それは、どういう意味ですか?」
「そこまで答えてやる義理は無いな。信じるも信じないも小僧の自由よ。その記憶結晶は私にはもう不要だ。くれてやるから好きにするがいい。ではな小僧、私を愉しませてくれることを期待しているぞ?」
「な、待ってくれ!まだ話は―――っ!」
もう話す事は無いとばかりに、ユグドラシルは一方的に会話を打ち切ると片手を上げる。何をするつもりかは分からないが、彼女にはまだ聞きたい事が山ほど有る。僕は咄嗟に彼女を取り押さえようと駆け寄るが、それよりも早く彼女の指先が鳴らされる。
―――パチン。
彼女の細く白い指先から、空気が破裂するような音が小さく鳴り響く。
次の瞬間、ユグドラシルの姿が掻き消えるのと同時に、世界は再び時間の流れを取り戻していた。
「ぐっ……うわっ!」
唐突に標的を見失った事と、時間が動き出した世界に感覚を狂わされたのか、体勢を崩してしまった僕は、ユグドラシルの背後で座っていたジュウロウの胸に飛び込むように倒れ込んでしまった。
「クソッ!」
元の身体に戻る為の大きな手掛かりであるユグドラシルを取り逃がしてしまった事実に、僕はジュウロウの上に馬乗りになったまま歯噛みをする。そんな僕の姿を見て、停止した世界から戻ってきたジュウロウが、僕に押し倒された姿勢のまま慌てふためいていた。
「―――あ?え、なっ……!?お、おまっ……!な、何してんだリアッ!?」
停止した世界に取り残されていた彼からしてみれば、唐突に僕が瞬間移動でもして、彼を押し倒したように見えるのだろう。僕は一度大きく深呼吸をして精神を落ち着かせると、彼に謝罪をする。
「ああ、すまないジュウロウ。少し予想外の出来事が有ってね。何から説明したらいいものか……」
「……とりあえず俺の上から退いてくれっ!今すぐだっ!」
……む、確かに押し倒した姿勢のままでする話では無かったか。ジュウロウの剣幕に僕は彼の腰の上から降りる。
―――しかし、そこまで強く言わなくても良いのでは無いだろうか?今の身体は以前の肉体よりも相当重量は軽い筈だし、ちょっと身体を触ってしまった程度で、親友にそんな必死の形相で拒絶されるのは少しばかり傷つく。そんな微妙な心持になりつつも、僕は停止した世界でのユグドラシルとの対談について、ジュウロウに説明を始めるのだった。
次回更新は9/29の12:00頃予定です。




