23.暗夜の死闘
ヤハク邸から僅かに離れた丘陵にて。
屋敷を破壊する巨人の騎士を眺めている男の横に、夜の暗闇から溶け出したように黒猫が現出する。
「試作品の巨人兵を一騎か。随分と消極的だな。フェルグ」
「ヴィパル君か。そりゃあ、やる気が無いからね」
黒猫の方を見向きもせずに、フェルグと呼ばれた男は大あくびをすると、退屈そうに巨人の破壊を眺めて続ける。
「古株のおじさん達はどうだか知らないが、少なくとも俺はエルフにそれほど価値を見出していない。なるほど、確かに希少品だし、彼女達が持っている技術を盗み出せれば小銭ぐらいにはなるかもしれん。そう、精々がラーヴァの歳入程度の小銭だよ。ハッキリ言って割に合わん。麻薬でも捌いてた方がよっぽど安全だし金になる。こうして動いているのだって、エルフに固執してる連中を納得させる為のポーズだよ」
「彼女を捕らえる気は無いと?」
「巨人兵一騎で捕らえられるなら、それに越した事は無いがね。―――が、まあ無理だろうな。ユーグ君を討つ程の手練れが、デカイだけが取り柄の蹂躙用の人形に不覚は取らないだろう」
自分に何一つ利益を齎さない作戦が心底不服なのか、フェルグは遂には地面に寝ころびだした。
「どちらかと言えばエルフはオマケだ。本命はヤハクの処分。彼はもう大分前からフェンリルに噛みつかれてたからね。ヴォーデンに繋がるような情報は与えていないが、だからといって黙って奴らにくれてやることもないだろう」
フェルグがそう告げた次の瞬間、巨人が屋敷の一角に全力で拳を振り下ろした。此方まで伝わってきた衝撃の余波を、大地の揺れで感じながら「ご苦労さん」と呟いたフェルグの言葉に、彼の本命であったヤハクの処分が終わったことを黒猫は悟る。
「―――それで?ヴィパル君はこんな所まで何しに来たんだい?アレの確保が目的なら、別に邪魔はしないが、巨人兵を退がらせるつもりも無いよ。一応、そっちとは対立してる"改革派"の人間なんでね」
「不要だ。僕の任務はあくまで彼女の監視だけだ。助けろとも陥れろともエッダ様には言われていない」
「そうかい。それじゃあ仲良く観劇と行こうか。結末は分かりきっているが、その過程は楽しめるかもしれないからな」
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「ガロガロッ!外に出ますよっ!」
振り上げられた巨人の豪腕から逃れるように、僕とガロガロは屋敷の外へと転がり出る。
屋敷の中で巨人から身を隠しつつ逃げることも考えたが、ヤハクの私兵と挟み撃ちになるか、屋敷の崩落に巻き込まれる危険性を考えれば、巨人の視界からは逃れられないが、野外の方がまだマシだと判断したからだ。
「リアッ!無事かっ!?」
騒ぎを聞きつけたジュウロウが、僕達の傍へ駆け寄って来る。彼が無事だったことに胸を撫で下ろしつつ、巨人からの追撃を躱しながら、僕達は双方の現状を確認する。
「ジュウロウ!ああ、僕もガロガロも負傷はしていない。それよりも、アレは何処から出てきたんだ?」
「こっちが聞きてえよ。逃走用の馬を確保してたら、いきなりあのデカブツが現れやがったんだ。その様子だと、そっちもアレが何なのかは分かってないみたいだな」
僕達が言葉を交えている間も、巨人はその豪腕をこちらへと伸ばしてくる。ジュウロウが鉄塊のような腕から逃れつつ、巨人の丸太のような指先へ斬撃を放った。
「―――シィッ!」
斬鉄。
巨人の人差し指と中指が、金属同士が擦れる耳障りな音を響かせつつ、地面へと斬り落される。
―――だが。
「クソッ!怯みもしねえのかよ!」
鋼で鋼を斬り裂く絶技であったが、巨人は全く意に介さない。悲鳴の一つも零さずに、巨人の視線が僕の方へと向けられる。
(……ジュウロウは完全に無視か。どうやら巨人の狙いは僕みたいだな)
巨人の行動パターンに思考を巡らせつつ、僕は手のひらを巨人に向ける。
「すぅ―――」
深く息を吸い込み、精神を集中させる。自身の内側に光のラインが奔るような感覚。その僅かな時間で、僕は手のひらから自身の体躯を越えるような巨大な光弾を生成すると、目の前の巨人へと向かって解き放った。以前にフェンリルの訓練場に大穴を開けた牽制目的の射撃ではなく、破壊を目的とした全力の魔力弾だ。
加減無しの魔力弾は、威力の規模が想像出来なかった為、訓練で迂闊に試射を行う事も出来なかったが、アレが相手なら出し惜しみをしている場合ではない。
巨大な光弾が巨人の胸元に着弾した次の瞬間、轟音を響かせて鋼の巨躯が大きく仰け反った。
「―――くっ、これでも足りないか」
巨人が地面に膝を突きながらも、僕の方を睨み付ける。胸の装甲板が大きく歪んではいたが、致命傷には至っていない。今の一撃が、恐らく僕達がこの場で用意出来る最大火力だ。……相手も無傷という訳では無いんだ。一発で足りないなら何度でも―――
「あ……?」
「リアッ!?」
突如、全身を襲った強烈な脱力感に、僕はガクンと膝から崩れ落ちる。巨人に無防備な姿を晒した僕を、駆け寄ってきたジュウロウが慌てて抱き抱えると、危うい所で巨人の豪腕を回避する。
「はっ……あっ……」
「おい、リアッ!大丈夫か!?」
「あ、ああ……す、すまない。大丈夫だ……」
ジュウロウの言葉に僕は荒い吐息交じりで返事をする。痛みや苦痛を堪えている訳ではない。むしろ逆だ。
連続して魔力弾を生成しようと、精神を集中させた瞬間に僕を襲ったのは、全身が痺れるような、とてつもない快感だった。まるで自我を自分以外の何かに塗りつぶされるような……
脳裏にユーグとの戦いの光景が過る。自分の意志を無視して強大な魔力が行使された瞬間が。
自身の身体が、再び制御を離れようとしていた事実に、背筋に氷柱を当てられたような寒気が走る。
「……リア。一応言っておくが、わざとじゃないし、見てもいな……いや、少しは見たが決して邪な目では見ていないからな」
「……は?」
ジュウロウからの意味が分からない台詞に、僕の沈みかけていた思考が掻き消される。
目線を下に向けると、ジュウロウの手が僕のはだけた外套の下――煽情的な下着に包まれた小ぶりな胸を掴んでいた。
「……あのな、ジュウロウ。流石にそういう事を気にしている状況では無いと思うぞ?」
「いや、まあ、そうなんだが……その、すまん」
そう言いながら、見た事もないような情けない顔をするジュウロウに、僕は思わず状況を忘れて頬を僅かに緩めてしまう。気づけば胸を満たしていた冷たい何かは消え去っていた。
「リアちゃん、ジュウロウ。一旦退くわよ」
いつの間にか、3頭の馬を引き連れていたガロガロが僕達に騎乗を促すが、僕は彼女の言葉に反論する。
「それは駄目だ、ガロガロ。巨人は多分、僕を狙っている。どこに逃げるにしても、アレを引っ張って被害を広げる訳には……」
「それなら、大丈夫よ。リアちゃんとジュウロウのおかげで、あの巨人をどうにかする当ては出来たわ」
「どうにかって……リアの馬鹿みたいな魔術でもピンピンしてるんだぞ?生半可な火力じゃあ……」
ジュウロウの言葉に、ガロガロは安心させるように余裕を含めた笑みを浮かべた。
「んふ。そこはまあ諜報員の腕の見せ所ってね。伊達や酔狂でラーヴァに籠っていた訳じゃないって所を見せてあげるわ」
次回更新は9/26の12:00頃予定です。




