第2章 1 私に構わないで下さい
1
「う~ん・・・。」
私はベッドの上で何度目かの寝返りを打った。ふっかふかのベッドは寝心地が良すぎて起き上がりたくない。目が覚めたら元の生活に戻っているだろうと高を括っていた私は軽く絶望を感じた。
「今日からは規則正しい生活を送らないとならないんだよね・・・・。」
布団の中で溜息一つ。
会社に勤めていた頃は毎朝6時に起きて時間になると出勤していたのだが、在宅勤務になってからはすっかり怠惰な生活になっていた。酷い場合は昼夜逆転になっている事もしばしば。でもすごく楽な生活だった。
それなのに本日からはしっかり時間に管理された生活を送らなければならない。
25歳にもなって学校の寮生活・・・・有り得ない。
私はベッドサイドに置かれた時計を見た。時刻は6:20を指している。
朝食の時間は7時からなので、そろそろ起きなければならない。
いつまでも布団の中にいては二度寝してしまいかねないので、私は観念して起き上がる事にした。
今私が着ているナイトウェアはジェシカの私物にしては比較的落ち着いたデザインだが、それでもサテン系のツルツル滑るネグリジェは落ち着かなくてしょうがない。
大体私はパジャマで無ければ落ち着いて眠れない体質?なのだ。
仕方無い。今度の休みの日に町迄買いにいく事にしよう。ついでに手持ちの服も全て売り払ってしまおう。そしてそのお金でもっとラフな着心地の良い服を買い換えようと考えた。どうせ普段は制服で過ごす訳だから後5日間の辛抱・・・。
それにしてもこの学院の制服は着にくくてしょうがない。何せ複雑なデザインをしているのだ。肩章に取り付ける飾緒の付け方もよく分からない。コスプレマニアが見たら泣いて喜ぶデザインかもしれないけれど、実際着る身にしてみれば、御免こうむりたい。
20分近く悪戦苦闘してようやく制服を着る事が出来た。
あ、しまった。先に顔を洗えば良かった。顔を手早く洗い、ジェシカの私物から化粧水等を捜し出して顔にピシャピシャ塗り、軽い薄化粧を・・・しても良いのかな?まあいい、注意されたら、その時はその時だ。
軽い化粧を終えて改めて私は自分の顔をじっと見る。・・・・我ながら物凄い美人だ。口元のホクロがまた大人びた色気を出している。う~ん、本当にこれで18歳なのだろうか?25歳の私の方がむしろ幼く見える。
そんな時、7時のチャイムが寮に響き渡った。この学院は朝食のみは寮のホールで食事するようになっている。
部屋から出ると既に他の女生徒達がぞろぞろと1階にあるホールへと向かっていたので、私も彼女達の後に続いた。
ホールに着くと女生徒達は各自仲良しになったグループ同士で料理の並んだテーブルをまわり、楽しげに食事をしている。
ここの寮の朝食はバイキング形式になっている。これまた、私のお気に入り設定だ。
トーストやサラダ、ベーコンやフルーツ等を適当にトレーに置いた皿に乗せると誰もまだ座っていないテーブルに着席した。特にまだ親しい友達がいない私にとっては無理に慣れ合う位なら空いてるテーブルに1人で着いた方が気が楽だ。
・・・第一この世界に来てしまった私にとっては貴族令嬢たちの会話なんて分からないしね。
席に座って食事を取り始めていると、やはり私同様まだ親しい友達がいないのか1人でホールに現れた女生徒が現れた。彼女は朝食の乗ったトレーを手に持ち、遠慮がちに隣に座って良いか私に尋ねてきた。そこでどうぞと答えると、何故か非常に喜んでいる。そして気が付いてみるといつの間にか10人程の女生徒達が私の周りに集まってきていたのだ。
モクモクと食事を進めていると、心なしか彼女達の視線が私に集まっているように感じる。
・・・・気のせいだろうか?
朝食を食べ終え、食後のコーヒーを飲み終わった私は席を立とうとすると、初めに声をかけてきた女生徒が突然話しかけてきた。
「あの・・・ジェシカ・リッジウェイ様ですよね?」
「はい、そうですけど?よく私の名前をご存知ですね。」
私はお嬢様言葉で答える。
「はい、貴女は有名人ですから。あ、申し遅れました。私メアリー・ヒックスと申します。リッジウェイ様とお近づきになりたくてお声をかけさせて頂きました。」
はにかみながら自己紹介する女生徒。
「メアリー・ヒックス様ですか?こちらこそよろしくお願いします。」
私も歯の浮きそうな言葉遣いに作り笑いで形式上の挨拶をする。はて、メアリー?
メアリー・・・駄目だ、分からない。
きっと彼女もモブキャラだ。
するとメアリーの声掛けを合図に、私と同じテーブルに着いた女生徒達が次から次へと私に挨拶をしてくる。やっぱりどの名前も聞いたことが無いし、私のキャパを超えている。
「あの時のスピーチ、素晴らしかったですわ。」
「女性で新入生代表に選ばれるなんて尊敬致します。」
「リッジウェイ様はお美しいだけでなく、頭脳も明晰でいらっしゃいますのね。」
等々、もう賛辞の嵐だ。
「いえ、それ程でも・・・・。」
ここは笑ってごまかすしかない。しかし、話は徐々に違う方向へ向かっていった。
「ところで、あの美しい銀の髪の男性とはどのような関係なのでしょうか?」
「お二人はお付き合いされてるのですか?」
「アラン王太子様と随分親密にされていたようですが、お知り合いですか?」
「生徒会長様とお二人で仲良さげにされてましたね。」
・・・うん?何だか会話の流れが・・?
やがて一人の女生徒が代表?して私にとんでもない事を言って来た。
「あの・・・出来れば私達もあの方々と親しくなりたいのでお仲間に入れて頂けますか・・・?」
やっぱりそうきたかー!!
そんなに彼等と親しくなりたいのなら私を介さないでよろしくして欲しい。マリウスは仕方が無いとして、私としてはこれ以上アラン王子や生徒会長とは関りを持ちたくないのだから。しかしどのように伝えれば彼女たちの気分を害さないで断れるか?
妙な言い方をして私は内部に敵を作りたくはないのだ。私の目標は4年間目立たず、ひっそりと学院生活を送り、卒業後は誰の世話にもならず自立して生活する事だから。
答えに窮していたその時。
「貴女方、何を騒いでいるのですか?」
そこに立っていたのはナターシャ・ハミルトン。彼女の後ろには昨日紹介してもらった他の女生徒達もまるで彼女の家臣の如く控えている。おや・・・この状況は・・?
何だか嫌な予感がする。ちなみに私の小説にはこんな展開は無い。
ナターシャの一言で騒いでいた彼女たちは一瞬で静かになった。よく見ると彼女たちは小さく震えている。もしかするとこのナターシャと言う女性は有名人なのかもしれない・・・。
「貴女方は、ジェシカ・リッジウェイ様がどのような人物の方なのか、お分かりになっているのですか?」
うわ・・・何だか怖い雰囲気だ。ナターシャってこんな人物だったのかな?迫力ありすぎ。
「メアリーさん?どうなのですか?」
ビクッとメアリーの肩が跳ねる。これは相当怯えているね。
「い、いえ・・・。存じ上げません・・・。」
消え入るような声で言うメアリーの表情は何だか今にも泣きそうに見えた。
そんな彼女を呆れるように見るナターシャ。ねえねえ、ちょっと見てるこっちが怖いんですけど・・・・。
「このお方は公爵家の爵位を持つお方、男爵家である貴女方が気安く声をかけて良いお方ではありませんよ?」
「!」
メアリーを含め、その場にいた女性と全員が驚いたように息を飲むのが分かった。
まるで黄門様のお付きの人が言うような台詞を言う人だなあ・・・。私は他人事のようにその様子を眺めていた。だって仕方が無いよ。私は昨日突然この世界にやってきたばかりだし、自分で小説の中で爵位については記述したけど日本人の私にとっては爵位の事等さっぱり分からないのだから。
「も、申し訳ございませんでした・・・・。」
彼女たちは今にも泣きそうな顔で私に謝罪してくる。私がこんな表情させたわけじゃ無いけど、何だか罪悪感を感じる。一方、その様子を涼しい顔で見つめるナターシャは何を考えているのか分からない。
―本当に私は無事にこの学院を卒業する事が出来るのか・・・前途多難だ。
2
疲れた、朝からこんなに疲れる朝食を食べる事になるとは思わなかった。
部屋に戻ると私は備え付けのソファに座り込んだ。
あの後私は男爵令嬢たちに、別に私は爵位等関係無いので気にしないように伝え、
ナターシャ達にはお騒がせして申し訳ございませんと謝罪した。
流石に彼女たちは一様に私の取った行動に驚いていたようだが、日本人はすぐにこちら側から謝罪して、丸く収めようとする国民性を持っているのだから仕方が無い。
本当に皆私に構わないで欲しい・・・。このままでは何もしないうちに知らぬ間にまた日本にいた頃のような騒動に巻き込まれかねない。私はただ地味で目立たない生活を望んでいるだけなのに何故か皆放っておいてくれない。
時計は8:50を指している。そろそろ授業が始まる時間だ・・・。私は学院指定のカバンにノートと筆記用具を入れると重い腰を上げて部屋を出た。
寮の正面出入口近くでまたしても女子学生の人だかりを発見。何だか嫌な予感がする・・・。案の定、人混みの中に頭2つ分位飛びぬけて銀色の髪の人物を発見。
マリウスだ。
私は溜息をついた。昨日女生徒達に囲まれてもみくちゃにされていたのに、またしても同じことを繰り返している。懲りない男だ。マリウスは明らかに困り切った表情を浮かべて必死でキョロキョロしている。そして私とバチッと目が合うと人目も気にせず、手をブンブン振って私の名前を呼んだ。
「お嬢様ーっ。ジェシカお嬢様―っ!」
一斉にこちらを振り向く女生徒たちの何故か私を指すような視線が痛い。うう・・・本当に勘弁してよ。
よし、ここは知らない振りをして通り過ぎて行こう。私は下を向くとさっさと人混みを避けて足早に歩きだしたのだが・・。
「す、すみません。道を開けてください!」
マリウスは女生徒達の人混みを掻き分けて、私の後を追って来る。
ああもう!どうして私に構うのよ。
マリウスは私の隣に並ぶと笑顔で言った。
「おはようございます。お嬢様。昨夜はよく眠る事が出来ましたか?」
朝からもみくちゃにされたせいか、若干やつれ気味な顔でマリウスが尋ねて来る。
「・・・ええ。お陰様でぐっすり。」
私は当たり障りのない返事をした。
「ところで今朝も大勢の女生徒達に囲まれていたね。」
本当にこの学院の女生徒達は皆積極的だ。まあ、この学院に通っている大体の学生がここで結婚相手を見つける・・・と言う設定にしてあるから無理も無い。
「ええ、そうなんですよ。どうしてなんでしょう?皆さん私の趣味やら愛読書、それに好きな女性のタイプまで尋ねて来るのですよ。」
不思議そうな顔をするマリウス。う~ん・・・この男はどうやら相当鈍いらしい。
よし、ここは私が一つ教えてあげなければ。
「あのね、女性が男性にそういう事を質問してくるのは相手に好意を寄せてるからなんだよ?」
「ええ?この私にですか?」
マリウスは意外そうな顔をする。・・・自分の外見がどれだけ魅力的で人目を引くのか理解していないのかもしれない。まあ、確かにこの私だって外見だけなら好きになってしまうかもしれない。でも中身を知ってるだけに絶対に恋に落ちる事など無い。
「それで、質問には全て答えてあげたの?」
教室に向かいながら会話を続ける。
「はい、趣味は身体を鍛える事と料理をする事。愛読書は特にジャンルを問わず色々な本を読みますが純文学や心理学、そして好きな女性のタイプは・・・。」
そこまで言いかけてマリウスは私の事をじっと見つめる。
「・・・?」
私は思わず首を傾げると途端に口元を押さえて顔を真っ赤に染めるマリウス。
「どうしたの?」
何故マリウスはさっきまで雄弁に語っていたのに急に黙ってしまったのだろう。
「・・好きな女性のタイプですか・・・?私の事を冷たい微笑みを浮かべながら30匹の犬を一度に散歩させると言う無茶ぶりをさせるその鬼畜さ。温室に受粉させる為の蝶が必要だからと100匹の蝶を取りに行くように命じるような暴君ぶり・・。それらを平気で私にさせようとする、他の人には考え付かないような発想力を持つ女性が私のタイプです。」
私の顔をウルウルした瞳で熱弁するマリウス―。
「・・・ねえ・・。それをあの人達に言ったの・・?」
私は震えながら質問した。
「えっとですね、それは・・・。」
「待ってっ!やっぱり聞きたくない!」
私はマリウスの言葉を途中で止めた。ああ、いやだ。聞きたくない聞きたくない。
やはりこの男はどうしようもないM男だ・・・。これではいくら外見が良くても女性たちに引かれてしまうに決まっている。
折角マリウスにお似合いな女性を見つけて、押し付けようかと思っていたのにこれでは絶望的かもしれない・・・。
もう少し自分は人とは違うと言う事をなぜ理解出来ないのか・・・。
私は思わずマリウスをジロリと睨み付けてしまった。
はっ・・・!や、やばい・・・。
途端に妙なスイッチが入るマリウス。
「お・・・お嬢様・・。何て怒りに満ちた素晴らしい瞳なのでしょう・・・!どうかその瞳で私の事をこの虫けら!と罵って頂けますか?」
もうこうなったらマリウスを空気のような扱いをするしか無い。私は彼の存在をいなかったモノとして足早に教室へ向かうのだった。
マリウスと二人、教室に入ると一番前の席にアラン王子と腰巾着?2名の男子学生が既に着席していた。
ふ~ん。やっぱり勉強が出来るだけあって真面目なのね。アラン王子は教室をキョロキョロ見渡して誰かを探している様だ。
あ・何だか嫌な予感がする。と思った瞬間アラン王子と目が合ってしまう。
案の定、アラン王子は席から立ち上がるとこちらへ向かって歩いてきた。
冗談じゃない。教室でアラン王子に声をかけられた日には、今後の自分の学院生活に多大なる影響が出てしまう。
「マ・マリウス!」
焦るあまりに声が裏返ってしまう。
「どうされたのですか?お嬢様。」
怪訝そうに私を見るマリウス。
「あ、あの私ちょっと寮に忘れ物をしたから取りに行って来るね!」
そしてマリウスの返事を待たずに私は逃げるように教室を飛び出した。後ろを振り返ると何故か私の後を追って来る王子。な・何で追っかけて来るのよ!
廊下を歩く生徒達の間を縫うように逃げる私。一方の王子は2人の腰巾着に取り押さえられているのが見えた。
やった!腰巾着A・B!そのまま王子を捕まえておいてよ!
私は急いで校舎の外へと逃げ出したのだった―。
授業開始のチャイムが鳴っている。
あ~あ・・・。初日から授業さぼってしまった。只でさえ目立ちかけているのに授業をさぼってしまったので尚更だ。
校舎の裏庭まで来ると、私はベンチに座った。昨日からトラブルに巻き込まれてばかりだ。一体何故こんな目に遭ってしまったのだろう。
「このままでは本当にまずい・・・。」
私は自分の両肩を抱きしめた。何故、私がここまで目立つのを避けているのかと言うとそれは私の書いた小説「聖剣士と剣の乙女」の裏設定にある。
まだ世間には公表していないが、実はこの小説には隠された真実、裏設定がある。
作中に出て来るジェシカは嫉妬に狂い封印を解いた悪女として描かれてはいるが、本来のジェシカは少々気位は高いが、困っている人間を放っておけない優しい一面もある人物だった。
しかし、そこを付け込まれてしまったのだ。本来、アラン王子とジェシカは家柄が釣り合うと言う事で最も結婚相手に相応しい相手とされていた。そして2人は互いに口に出しはしなかったが好意を寄せあっていたのだ。
けれどもそれをよしとしない悪意を持った女生徒達が、男爵家の中でも一番身分の低いソフィーにまるでジェシカが嫌がらせをしているかのように見せかけて次々と意地悪な、時には命の危険にさらされそうな嫌がらせを続けたのである。さらにその事をアラン王子に耳に入れた。
当然正義感溢れるアラン王子はこれに激怒した。そしてジェシカからソフィーを守るために身近に置くようになり、いつしか2人は恋仲に―。
自分達の行動がアラン王子とソフィーを結びつける事になった彼女たちは嫉妬に狂い、怒りの矛先は何故かジェシカに向いてしまった。そして門の封印を解いてしまったのである。―あたかもジェシカがやったかのように見せかけて・・。
「ここまで裏設定してあるけど、私自身を落とし入れた人物達の事はあやふやにしてしまったんだよね・・・。」
私は独り言を言った。もしも自分自身が小説の中に入り込んでしまう事が分かっていたなら、名前も顔も明らかにしておいたのに・・・・。今更後悔しても始まらない。
その時。
「ねえ、こんな所で何してるの?」
不意に声をかけられて私は顔を上げた。私はその人物を見て愕然とする。
ああ、何て事だ―と。
3
「ねえ、こんな所で何してるの?」
顔を上げた私の目の前に立っていた人物はこの学院の生徒会副会長ノア・シンプソン
その人だ。あの絵姿と同じ姿。まるで美少女と見まごうばかりの愛くるしい顔立ちは万人から好かれている。
本人もその事を自覚しているのかこの小説の中では小悪魔的存在だった。そしてそんな彼が初めて好きになる女性がヒロインのソフィーであった・・・。
と、何故か私の頭の中にナレーションのような台詞が浮かぶ。
「ああ・・そうか。」
ノアは怪しく笑った。
彼は私が呆然としている姿を見て、何を勘違いしたのか小説の中でも出て来るお得意のキラー・スマイルで思わせぶりに私を見つめてきた。
やっぱりおかしい。私の小説の中の世界が崩れてきている。そもそもジェシカとノアはこのような形で出会わない。生徒会に強引に入ったジェシカが定例会で初めて彼と会う事になっているのだ。
押し黙った私を見てノアは小悪魔のような笑みを浮かべて口を開いた。
「もしかして・・・僕に見惚れちゃった?」
いいえ、そんなではありません。ただ私はこれ以上物語の中心人物になる方達と極力御近づきになりたくないだけです。
私は強く否定する為に首をブンブン左右に大きく降った。
「ふ~ん。別に照れる事ないじゃん。君、僕がいつもこの辺りにいるのを聞きつけて僕に会いに来たんだろう?授業をさぼってこんな所へ来るなんて。積極的な女の子は嫌いじゃないよ。」
どこか気だるげに話すノアはマリウスとはまた違った美しさを放っている。
ああ、やっぱり私の小説通りの人物だ。その自惚れ心がいずれ仇となるというのに。
言いたい事・・・と言うか、ノアに関しては忠告しておきたい事が山ほどある。だけどそれを私の口から言う訳にはいかない。
「いいえ、違います。授業に出る為に教室へ向かっていたのですが迷ってしまったので、たまたま目に入ったこちらのベンチで休んでいただけです。」
私は自分でも驚くほど口からスラスラと出まかせを述べた。一応、この方は3年生。年上なのだから敬語を使ってしゃべる。それに何より高圧的な喋り方の生徒会長よりはまだマシというものだ。
「お邪魔してしまったようで申し訳ございませんでした。それでは私は失礼致します。」
私は立ち上がるとノア先輩にお辞儀をして、逃げるように立ち去る―はずが。
「え?」
突然強く右腕を引かれ、気づけば私は壁際に追い詰められていた。ノア先輩は私を逃がさないと言わんばかりに自分の両手を壁に付けている。
まさか、これは・・・壁ドンと言うものでは無いか?
「へえ・・・。この僕を相手にこんな態度をとる女の子、初めてだよ。そんなに僕は魅力ない?」
美青年に壁ドンスタイル・・。傍から見れば胸キュンものかもしれないが、私は背筋が寒くなった。口元は確かに笑っているのに、彼の私を見る目はまるで生気を感じさせない瞳だったのだから。
「・・・っ!」
私は思い切りノア先輩を突き飛ばした。勢いでグラリとよろける先輩は呆然と私を見ている。
「す・すみません・・!失礼します!」
私はその場を走って逃げだした。大丈夫、名前は知られていない。もう二度とこの場所にくるのは止めよう―。
結局、私は1時間目の授業をさぼってしまった。予鈴が鳴ってから教室へ戻って来た私にマリウスが駆け寄ってきた。
「ああ、お嬢様!一体どちらへ行かれていたのですか?」
マリウスは心配そうに私の顔を覗き込む。
「マリウス・・・。」
やはり先程のノア先輩に比べれば、マリウスの方がずっとマシだなと改めて感じる。
「お嬢様?どうされたのですか?」
私の様子に戸惑うマリウス。
「ううん、何でもない。それより・・・初日だと言うのに授業、さぼっちゃった。」
「それなら大丈夫ですよ、お嬢様。」
マリウスはにっこり笑う。
「出欠を取る時に私がお嬢様の分まで返事をしておきましたから。」
・・・こんなんで、教師の目をごまかせるとでも思っているのか?この男は・・。
恐らく何も言われなかったのは私の爵位が高かったからだろう。マリウスの頭の中は脳内花畑になっているようだ。
その時、私はある事に気が付いた。アラン王子が教室に居ないのである。おまけに腰巾着A・Bもいない。
「あれ?アラン王子は?」
「ええ。実はお嬢様が教室を出た直後に居なくなってしまったんですよ。未だに教室に戻って来なくて・・・。一体どちらへ行かれたのでしょうね?」
ふ~ん・・・。そうか、アラン王子はいないのか。ハハ・・・まさか私を探しに行ってるんじゃないでしょうね・・。なんてそんな訳無いか。でもアラン王子が教室に居ないとなれば心置きなく授業に参加出来る。
こうして私は残りの午前中の授業は全て出席したのであった。
「お嬢様、お昼ご飯はどうしますか?」
昼食の時間、私とマリウスは食堂に来ていた。食堂は相変わらず人混みでごった返している。
「う~ん・・・。すごく混んでるよねえ。席を見つけるのも難しそうだし・・。」
「あ、それなら今日はカフェテリアに行ってみませんか?」
マリウスが提案して来た。
そうだ、この学院には学生食堂の他に3つのカフェテリアの店があったんだっけ。カフェテリアに行けば私が接触したくない人達と出会う確率はぐっと下がるはず。
「そうだね。今日はそっちへ行ってみよう。やるじゃない、マリウス。」
私がマリウスに笑顔で言うと、何故かいつもとは違う反応をする。
「お、お嬢様・・・・。そ、そんな顔をされると・・・。」
マリウスは口元を隠して耳まで真っ赤な顔をしている。おや?様子がおかしい。
でも私からするとMっ気丸出しで迫って来られるよりマリウスよりもずっといい。
「じゃあ、行こうか。」
私はマリウスの先頭に立ってカフェテリアへ向かった・・・。
今日の午後は男子学生は屋外で剣術、そして何故か女子学生はそれを見学する事になっていた。ここに入学して来た男性は全員剣術を習ってきているので、いきなり練習試合をするらしい。
チェインメイルを身に付け、模造の剣を持つマリウスはとてもさまになっている。流石外見だけは素晴らしい。小説の中のマリウスは剣術が得意と言う設定にしてあるのだが、実際にマリウスの剣を構える姿は初めて見る。
私がマリウスをじっと見つめていると、先程からチラチラ視線を感じる。その視線の先にあるのはアラン王子だ。彼の出番はまだのようでチェインメイルは着用していない。
アラン王子のファンは多く、女生徒達はなんとかお近付きになろうと熱い視線を送っているが、彼の腰巾着に遮られて近寄る事が出来ずに遠巻きに見ている。
そう言えばアラン王子とソフィーが急接近するには、まだ先の話だっけ・・・等と考えているとアラン王子が何故か文句がありげな顔でこちらを凝視している。
うん、気づかない振りをしておこう。
剣術の授業は全学年合同で行われる事になっているので違うクラスのソフィーもいるはず。
もしや近くにソフィーはいないか?気になった私はキョロキョロと辺りを探してみた。
すると女子学生に混じってストロベリーブロンドの髪色の女生徒の後姿が目に入った。
いた!この小説のヒロインが。
おや?隣にいるあの女生徒は誰だろう?メガネをかけた薄いグレーの髪で地味な顔立ちをしている女生徒が彼女の側にいる。隣にいるのがソフィーなだけにまるで彼女の引き立て役のようだ。
でも何故か気になる。何か重要な事を忘れているような気がする・・・。
私は必死で記憶を手繰り寄せようとした、その時、歓声が沸き起こったー。
騒ぎの起きた方向を見ると、丁度マリウスの剣術の練習試合が終わった所だった。
カラン・・・木で作られた模造の剣が転がった。マリウスが相手の剣を叩き音したようだ。あああっ!気を取られていたせいでマリウスの試合を見過ごしてしまった。剣を握っているマリウスの表情は今迄見たことも無い真剣な表情をしている。格好いい・・・。不覚にも見惚れてしまった。
甲高い歓声が沸き起こる。女生徒達はすっかりマリウスの虜になってしまったようだ。あ~あ・・・・・。マリウス、せいぜい他の男子学生のやっかみを買わないようにね。私は心の中で健闘を祈った。
次々と練習試合は行われていった。女生徒達はまるでアイドルのコンサートでも見ているかのように目をキラキラさせて真剣な表情で見守っている。女同士でお喋りをする女生徒もいない。
けれど私は練習試合観戦どころではない。ソフィーの隣に立っている彼女が気になって気になって仕方が無いからだ。
何だか忘れてはいけないような重要人物だった気がする。自分で書いた小説なのにその事を思い出せないのがもどかしくてしょうがない。
ソフィーと女生徒はどう見てもあまり親しい間柄には見えない。なのに何故あの2人は一緒に行動しているのだろう・・・?今夜、お風呂で一緒になるからその時に確認してみようか・・?
その時である。
一際高い歓声が沸き起こった。何事かと思い、顔をあげるとアラン王子がチェインメイルを装備して現れたのである。どうやら今からアラン王子の練習試合が始まるようだ。相手の男性は・・・う~ん・・ただのモブキャラだな。
アラン王子とモブキャラは互いに模造の剣を構えて距離を置いて向き合っている。
そして審判の掛け声!
試合が始まった。モブキャラの打ち出す剣を器用にかわすアラン王子。動きの素早さが全く違う。さすが小説の中のヒーローは違う、ヒーローは負けない。相手の隙が出来た所でアラン王子は見事な剣さばきで相手の剣を叩き落した。
・・・まるで大人と子供の試合の様だった。モブキャラは残念そうに肩を落としてすごすごと退散していく。原作者としてモブキャラにごめんねと心の中で謝罪をしておく。
そんな事を考えていると、いつの間にかアラン王子が私の目の前に立っていた。
しまった!ぼんやりしていて接近してくるのに気が付かなかった。
女生徒達が一斉にこちらに注目している。それを気にする風でも無くアラン王子は言った。
「どうだ?見ていたか?俺の試合を。」
アラン王子は爽やか笑顔で私に言う。
「ええ、見ておりました。流石はアラン王子様。お強いですね。」
女生徒達の目があるのであまりぞんざいな態度は取れない。それより何故私に話しかけるのよ。空気を読んでよ、この俺様王子が!
私は笑顔で心の中で悪態をつく。
「そうか、ようやく俺の凄さが理解出来たか?」
嬉しそうに言うアラン王子。それにしてもアラン王子ってこんな性格だったっけ?もう少しクールな印象のキャラだと思っていたけど。
「はい、それはもう十分理解出来ました。」
もういいでしょう?早く何処かへ行ってよ。第一貴方の相手は私では無いのよー。
「次の試合も応援してくれるか?」
「勿論ですよ。頑張ってください。」
あ~不毛な会話だ。周りの視線が痛いからそろそろ私を解放してよ。
「分かった、ジェシカ。お前の為に頑張って来る。」
そう言い残すとアラン王子は去って行った。つ・疲れた・・・・。
周りを見ると女生徒達があるものは嫉妬の目、あるものは羨望の眼差しで私を見ている。・・・お願いだからそんな目でみないでよ。私は別に何もしていません、王子が勝手に私に付きまとってるんですよ・・・。でも本当の事を言えばもっともっと酷い事になるので、ここはぐっと我慢をしよう。
もうこうなったら一刻も早くアラン王子とソフィーをくっ付けなければならない。
あれ?でも・・そもそもあの2人、出会っているっけ?
ソフィーに質問しなければならない事がまた一つ増えてしまった・・・・。
練習試合は順調に進み、次はいよいよ最終試合。対戦するのはM男のマリウス対俺様王子アラン。ここは当然応援する相手はマリウスでしょう。
最終試合の前に一旦休憩が入る事になった。
マリウスは何処に居るのだろう・・・。探していると背後から声をかけられた。
「ジェシカ。」
この呼び方をするのは・・・当然アラン王子だ。
「アラン王子様?最終試合の前なのですから私の所になど来ていないで、休まれてはいかがですか?」
遠回しに王子に側にこないでくれと懇願してみる。
「話はすぐ終わるから聞いてくれ。」
何?随分真剣な顔してるんでけど・・・。何だか胃が痛くなってきた。
「試合に勝ったら今度の週末、俺にお前の時間を分けてくれ。」
王子のその台詞を側で聞いていた女生徒達は一斉にキャーッ!!と悲鳴を上げる。
おおっ!流石は王子。歯の浮くような台詞をさらりと言ってくれる。
しかし・・・公衆の面前で何てこと言ってくれるのよ!一国の王子が特定の女性にこんな声のかけ方をしたらどうなるか分かっていないの?!
けれども王子の誘いを断る事も出来ず・・・。
「はい・・。承知いたしました・・。」
仕方なく頭を下げる私。
そんな様子をみたアラン王子は機嫌よく私に言った。
「約束したからな。」
そして爽やかな笑顔で去って行った。一人残された私は・・・マリウスを探す。
「マリウス!!」
私は水飲み場で水を飲んでいたマリウスを発見した。
「お・お嬢様?!ゴ・ゴホッゴホッ!!」
慌てたのか、むせるマリウス。
「マリウス!こんな所で何してるのよ!」
私は躍起になってマリウスに詰め寄る。
「な・何って水を飲みに・・・。」
「マリウス!聞いて!」
私はマリウスの瞳を覗き込む。
「は・はい・・・!」
「いい?次の最後のアラン王子との試合・・・絶対に勝ってね!」
「え?お嬢様、一体何を・・・。」
首を傾げるマリウスに、なお畳みかけるように私は言う。
「貴方がアラン王子に勝ってくれなくちゃ、今度の週末アラン王子と1日付き合わなくちゃいけないのよ!」
「え?ええ?!本当ですか?」
「こんな話冗談で言える訳ないでしょう?とにかく私はアラン王子はお断りなの。
だって今度の週末はマリウスと一緒に町へ出掛けるつもりなんだから。(服を売りに行くためにね)」
「お・お嬢様は今度のお休みの時は私と一緒に過ごしたい・・・そういう事ですか?」
若干お互い考えているニュアンスが違うが、まあいいだろう。
「勿論。でもマリウスが負けたら二人でお出かけは無しになっちゃうんだから。」
「はい!承知致しました!それでは・・・お嬢様・・いつもの調子で私を・・・やる気にさせて頂けますか?」
やる気・・・やる気を出させると言ったら、もうあれしかないよね?
私は腕組みをすると仁王立ちになり、冷ややかな目つきをした。
「いい?マリウス。もし負けたりしたら・・・夜が明けるまで星の数を数えさせるわよ。」
私は半ばやけになって言った。恐らく本物のジェシカならこの程度の台詞は言うだろうと思いながら・・・。
私の言葉を聞くと、途端にマリウスは顔を真っ赤にして全身を震わせる。
「は・・はい!私は必ずお嬢様の為にアラン王子と戦って勝って見せます!」
ああ・・とうとうこんな台詞を言う日がきてしまうとは・・・。どうすればマリウスをノーマルな人間に戻す事が出来るのだろう。毎回こんな調子では自分の精神が参ってしまう・・・。
でもマリウス、私にここまで言わせたのだから必ず勝って頂戴よ。