第6章 1 死の淵に立たたされたマリウス
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アリオスさんに連れられて、私は城へやってきた。
大きな門構えを見て、ただただ、私は口を開けてポカンと見ているだけだった。
真っ白な白亜の城に高くそびえ立つ青い屋根はとても美しく見事なもので、リッジウェイ家の財力がどれ程のものかが、この城を見ただけで十分理解出来た。
「ジェシカお嬢様、どうされたのですか?」
そんな私を不思議そうにアリオスさんが声をかけてきた。
「い、いえ。何でもありません。き、記憶を無くしているせいで何もかもが新鮮に見えるので・・・。」
咄嗟に言い訳をした。こんな事ならマリウスから事前に貰ったリッジウェイ家に関する資料を読んでおけば良かった・・・・。
「左様でございますか。ジェシカお嬢様、外は寒かったでしょう。さあ、どうぞお入りください。」
アーチ形のドアを開けると、目の前に広がるのは広々とした空間に、吹き抜けの天井、目の前には巨大な階段がある。
何から何まで私にとっては目も眩むような光景だった。
そして階段から降りて来た2人の人物。
年の頃は40代半ばと言った所であろうか。立派な仕立てのスーツを着た茶髪の男性に、同じく上品なドレスを着た栗毛色の美しい女性・・・もしやこの人たちはジェシカの両親・・・?
「ジェシカッ!よく無事で戻って来たな!お前が死にかかっているとマリウスから連絡を貰った時には、本当に生きた心地がしなかったぞっ!」
そして私を抱きしめて来た。
「ジェシカ・・・お帰りなさい。」
やや釣り目だが、とても美しい容貌をした女性は背後からそっと抱きしめて来た。
「た・・・ただいま・・帰りました。」
私は震える声で、そう答えるのが精一杯だった。
「どうしたのだ?ジェシカ。そのしおらしい態度・・・実にお前らしくない。それに何だか顔つきが変わったような気がするぞ?これも記憶喪失のせいなのだろうか・・?」
ジェシカの父は私の事をじっと見つめると言った。
「まあまあ、貴方。そんな事は良いではありませんか。ジェシカは疲れているのですよ。すぐにお茶の準備をさせましょう?さ、ジェシカ。こちらへいらっしゃい。」
「は、はい・・・。」
私はジェシカの母に案内されて、居間に案内された。
この部屋の作りも物凄い。広い部屋の天井から吊るされたシャンデリアはその重みで壁から落ちて来るのでは無いだろうかと思う位の大きさだし、その天井は見事な彫刻が施されている。壁紙は落ち着いたパステルグリーンで統一され、いくつもの立派な絵画がかざられている。床に敷かれた高級そうなカーペットに家具・・・全てが立派過ぎて、もう私は言葉にならなかった。
こ、これは何としてもボロを出す訳にはいかない。
大きな白いテーブルに向かい合わせに両親と向かい合わせに座ると、アリオスさんが紅茶とケーキを運んできた。え?い、いつの間に?!さっきまで私と一緒にいたよねえ?
呆気に取られてアリオスさんを見ていると、目が合い微笑まれた。
うっ!ロマンスグレーの美しいおじさまの魅力に思わずやられてしまいそうになる。
「お嬢様のお好きなストロベリーティーにピーチタルトでございます。」
恭しくアリオスさんは私の前に紅茶とケーキを置くと、お辞儀をして去って行った。
「さ、ジェシカ。旅から帰って疲れたでしょう?召し上がりなさい。」
母に促され、私は言った。
「は、はい。ありがとうございます。では頂きます。」
私の話し方に驚いたのか、ジェシカの両親は私の顔を見つめ、その後2人で見つめ合った。
や、やっぱり私の行動はジェシカらしくなかったと言う事なのか。
ああ・・・まるで他人の家の様で(実際に他人の家なのだけど)居心地悪い。早く部屋に戻りたいなあ・・・。
私はケーキを口に運び、もそもそと食べながらそんな事ばかり考えていたので、両親がジェシカに関する重要な話をしていたのに、私はちっとも聞いていなかった。
「それで、いつにする?ジェシカよ。」
突然父親に名前を呼ばれるまで気づきもしなかった。
「え?あ、日程ですか?そうですね・・・。お二人にお任せします・・。」
何の事か分からないので、取り合えず両親に任せておこう。それよりも今気になるのは・・・。
「あの、マリウスはどうなっているのでしょう?こちらへ戻ってくる為にかなり無理をしたようなので、マリウスの具合が気になるのですが・・・。」
私が言うと、今度こそ両親は驚いた顔を見せた。
「な、何?ジェシカ・・マリウスの心配をしているのか?」
「は、はい。マリウスは私の下僕ですから・・・。」
「まあ・・・貴女がマリウスを気に掛けるだなんて・・・一体何があったのかしら?やはり、マリウスの言った通りね。入学式の当日に記憶喪失になったまま記憶が戻っていないと聞いていたけれども、これ程までにジェシカが変わっていたなんて・・。」
母は心配そうに私を見ている。
「いや、しかしこれは非常に良い傾向だぞ?以前のジェシカは・・・少々性格に難があったからな・・。でも今のジェシカの方が周囲の受けが良いのは確かだ!これならいけるかもしれんぞ?」
父は母に向かって興奮気味に話している。?一体、何の話をしているのやら・・。
「あ、あの。と、取り合えず少々疲れたので、一度部屋にもどらせて頂いても良いですか?」
私は立ち上がると言った。
「あ、ああ。確かに言われてみればそうだな。では夕食まで部屋で休んでいると良い。」
「はい。・・・・あの・・・私の部屋の場所なのですが・・実は記憶が無いもので自分の部屋の場所まで忘れてしまって・・・どうか私に場所を教えて頂けませんか?」
どうかボロが出ませんように出ませんように出ませんように・・・。私はそれだけを考えながら言葉を慎重に選ぶように言った。
「ああ、そうだったな。それではお前の付き添いだったメイドを呼ぶことにしよう。」
父は手元に合ったベルを鳴らすと、すぐにアリオスさんがやって来た。
「お呼びでしょうか、旦那様。」
「ああ、悪いがジェシカの付き添いをしていたメイドを呼んでくれ。部屋へ案内してもらいたいのだ。」
「はい、かしこまりました。」
アリオスさんは頭を下げると、すぐに部屋を出て行き、程なくしてノックの音が聞こえた。
「ミアです。お呼びでしょうか、旦那様。」
若い女性の声が聞こえた。
「ああ、ミア。入って来なさい。」
「はい、失礼致しま・・・すっ!」
ミアと呼ばれたメイド服を着た若い女性は私の姿を見ると、途端に顔色を変えた。
「ジェ、ジェシカお嬢様・・・。お、お戻りになられたのですね?」
ミアは顔色が真っ青になって震えている。・・・どんだけ怖がられているのだろう。私って。
「ああ、ミア。ジェシカを部屋まで案内してくれるか?旅の疲れで暫くの間自室で休みたいらしいから。」
父はミアのそんな怯えた様子を知ってか知らずか、平然と命じた。
「は・はい・・・かしこまりました・・・。で、ではジェシカお嬢様・・こ、こちらへ・・。」
ミアに案内されて部屋を出ようとした時、母に呼び止められた。
「ジェシカ、もう貴女は何も心配する事ありませんよ?ちゃんと私達の方で手を打っておきましたから。」
何やら意味深な事を言われた。
「はい・・・?」
もういいや、返事だけしておこう。今の私には状況がさっぱり分からないのだから。取り合えず自室に戻ったらマリウスの部屋の場所だけ聞いて、後で行ってみる事にしよう。
ミアに案内されて私は長い廊下を歩く。
本当に何て立派な造りをしているのだろう・・・。私があまりにもキョロキョロしているのを不思議に思ったのか、ミアは声をかけてきた。
「あ、あの・・・ジェシカお嬢様・・先ほどから何をされているのでしょう?」
「そうか、まだミアさんには事情を話していなかったもんね。実は私記憶喪失になってしまって、何もかも忘れちゃって・・・。それで物珍しくてつい・・ね。」
「え?!」
途端にミアの身体が強張り、ぴたりと足が止まった。そして・・・ゆっくりを振り向くと言った。
「お、お嬢様・・・・い・今私の事を何とお呼びしましたか・・・?」
「え?ミアさん?って呼んだけど?」
「!」
ミアの身体が瞬時に強張る。
「え?どうしたの?!」
するとミアが言った。
「し、信じられません・・・あのジェシカお嬢様が私の名前をさん付で呼び、先程のような話し方をするなんて・・っ!ま、まるで別人のようですっ!」
その言葉を聞いて、私の心臓の鼓動が早まった気がした。ま、まさか・・もう私が別人だと言う事を見抜かれたのだろうか・・・?
そこで私は言った。
「記憶喪失になる前の私は相当酷い女だったみたいだから、これを機に生まれ変わるから、これからよろしくね。」
「は、はい。承知致しました・・・・。」
ミアはおっかなびっくり私に改めて、挨拶を返した。
こうて私の波乱に満ちた里帰りの生活がスタートする事となったのである―。
2
「ジェシカお嬢様のお部屋はこちらになります。」
ミアに案内されて、部屋を開けた私はびっくりした。な・・・何なの・・・この部屋は・・?
紫色の柄で統一されたカーペット、ソファ、布張りの椅子、カーテン・・壁に備え付けられた巨大な鏡には紫色の薔薇の絵が縁どられている。
極めつけは部屋の窓際に置かれているキングサイズのベッドだ。
天蓋付きの巨大なベッドはやはり紫色の柄で、裾には紫色のレースがふんだんにあしらわれている。
余りの色のきつさに目がチカチカしてくる。こ・・・こんな落ち着かない部屋でなんかゆっくり休めるはずが無い・・・。
「ジェシカお嬢様、どうされたのですか?お部屋にお入りにならないのですか?」
ミアが部屋に入らない私を見て声をかけてきた。
「う、うん・・あ、あの・・・。私って・・紫が好き・・・だったの・・?」
恐る恐るミアに尋ねてみると、再び驚いた顔をされた。
「え、ええ・・・。ジェシカお嬢様はご自身の瞳が紫色なので、それは大層紫の色がお好きでしたよ?・・もしかすると・・今はそうではない・・・と・・?」
「じ、実は記憶を無くしてからは・・趣味も・・変わっちゃったみたい。あの、悪いけど他に開いてる部屋はある?どんなに狭くても構わないから・・もっと、こうシンプルなお部屋・・・とか・・。」
遠慮がちに言うと、ミアは益々目を見開いた。
「ジェシカお嬢様・・・!な、何と言う事を・・・お嬢様を狭いお部屋などに案内する訳には参りません!使われておりません客室など幾らでもありますので・・一番大きな客室をご用意い致しますので、少々お待ちいただけますか?!」
その慌てようを見て、何だか罪悪感が湧いて来た。
「ご、ごめんなさい。全然急がなくて構わないから。その間・・・マリウスをお見舞いして来ようと思うの。マリウスの部屋を教えて貰える?」
「え・・ええっ?!ジェシカお嬢様が・・・使用人のお部屋をですか?!で、でも今マリウス様は・・・。」
何故か言い淀むミア。
「え?マリウスがどうしたの?」
「い、いえ・・何でもありません。ではマリウス様が今いるお部屋に案内させて頂きますね。」
「こちらになります。」
ミアに案内された部屋の入口を見て私は驚いた。どう見てもここは屋根裏では無いか。一体何故・・・?マリウスはジェシカの下僕。だとすればこんな粗末な場所に部屋があるはずが無い。
「ねえ、マリウスは以前からこの場所に部屋があったの?」
するとミアは一瞬ビクリとなったが、言った。
「い、いえ・・・。きちんとしたお部屋にお住まいでした・・・。ただ、今回お嬢様の件で失態をおかした罰として・・アリオス様によってこの部屋に運ばれたのです・・。」
「運ばれた・・・?それじゃマリウスは今は・・?」
「はい。まだ目が覚めておられません。アリオス様のお話では完全な魔力切れによるものだと・・・。」
ミアは申し訳なさそうに言う。
「ありがとう、後はもう大丈夫だから・・・。私、マリウスの目が覚めるまで付き添う事にするわ。だから部屋の準備は急がなくても大丈夫だからね。」
私が言うと、ミアは何故か目を潤ませた。
「ジェシカお嬢様から・・・そ、そのような優しい言葉をかけられるとは・・夢にも思いませんでした・・・っ!」
私は思わず苦笑した。全く・・・この世界のジェシカは本当にどうしようもないほど使用人達に恐れられていた事が良く分かった。全く・・・なんてことをしてくれていたのだろう。私が書いたジェシカはここまで酷くはなかったのに。
やがてミアは部屋の準備をする為、下がった。私はマリウスが寝かされている部屋のドアをそっと開けて、中へと入った。
その部屋は粗末な造りをしていた。天井の高さは2m程だろうか?屋根の部分がある為か、不自然に斜めになっている。窓は2か所あるから、日の光は良く差しているものの、部屋の中に置かれている家具はマリウスが寝かされているベッドに、小さな椅子とテーブルが1つずつ、そして壁に備え付けのクローゼットがあるだけとなっている。壁も床もむき出しの石造りとなっているので、寒々しい印象を与える。
テーブルの上にはランプが置かれているので、恐らく灯りは、一つだけなのだろう。
「酷い・・・病人なのに、こんな部屋に押し込めるなんて・・・。」
私はアリオスさんの顔を思い浮かべた。優しそうなロマンスグレーの素敵なおじ様だと思っていたのに・・実の息子にこんな仕打ちをするなんて本当は冷たい人間なのだろうか?
「マリウス・・・。」
私は返事をしないのは分かっていたが、名前を呼ぶとベッドに近付いた。
マリウスは青白い顔をしてずっと眠りに就いている。思わず息をしているのかと思い、マリウスの胸に耳を寄せてみると、規則的に心臓が動いているのが分かった。
「良かった・・・生きている・・。」
私は眠り続けているマリウスの顔をじっと見つめた。
精巧に作られたのではないかと思われるほどの整い過ぎている顔。パーフェクトに全ての事をなんでもこなしてしまう、その才能。
そして私を言葉で、態度で翻弄してくる時には悪魔のようにも見える存在・・・。
そのマリウスが今は無防備な状態で意識を無くしてベッドに横たわっている姿が信じられなかった。
それにしてもマリウスは何て無茶な真似をして、セント・レイズシティから、この場所まで一気に転移魔法を使ったのだろう。確か小説の中ではジェシカの出身地は学院から4000km程離れた位置を想定して書いていた。この世界が小説の中と地形まで同じと考えると、マリウスは魔法で一気にその距離を移動したことになる。
どうして魔力が完全に無くなる程の無茶をマリウスは・・・。
私はそっとマリウスの右手を触った。ひんやりして、とても冷たい手をしていた。
まるで死人の様だ。確かにこの部屋は寒すぎる。病人を入れておくのには劣悪な環境だ。・・・酷すぎる。
「マリウス・・・待っていてね。こんな酷い部屋、移動させて貰うようにお願いしてくるからね。」
私はマリウスの右手を布団の中へしまうと、部屋を一旦後にした。
迷いながらも、ようやく自分の部屋へ戻る事が出来た。・・・誰かいないかな・・?落ち着かない部屋の中、窓の外を見ると何という偶然、アリオスさんが外で車の整備をしていた。
「アリオスさんっ!」
私は大きな声で下にいるアリオスさんを呼んだ。
「これは、ジェシカお嬢様。一体どうされたのですか?」
顔を上げたアリオスさんは私を見た。
「あの、大事なお話があるので今からそちらへ伺うのでお待ちいただけますか?!」
するとアリオスさんが言った。
「いえ、とんでもございません。私の方からジェシカお嬢様の元へ伺いますのでそのままお待ちください。」
言うと、アリオスさんは城の中へ入って行った。それじゃアリオスさんの言葉通りに待つことにしよう・・・。
約5分後、アリオスさんが部屋へとやってきた。
「ジェシカお嬢様、お待たせいたしました。・・・おや?お嬢様のお荷物はどこへいったのでしょう?」
アリオスさんは私が学院から持ってきたトランクが一つも部屋に無い事に気が付き、質問して来た。
「ええ。実はこの部屋があまりにも落ち着かないので、今別の部屋の準備をお願いしている最中なんです。」
「左様でございましたか・・・確かにこの部屋は少々、色合いがきつすぎるかと・・いえ、今のお話はどうかお忘れ下さい。それで、私にお話とは一体どのような事でしょうか?」
「話と言うのは他でもありません。マリウスの事です。どうしてあんな粗末な部屋へマリウスを入れたのですか?彼は今魔力切れで病人同然なんですよね?しかも誰一人彼の面倒を見る人もいない・・・。あんまりな仕打ちだと思います。」
「ほう・・・ジェシカお嬢様からそのようなお言葉が出て来るとは思いもしませんでした。」
何故か嬉しそうに言うアリオスさん。
「それは・・・どういう意味なのでしょうか・・・?」
怖い―この人はマリウス以上に何か恐ろしい物を感じる・・・。私は緊張して両手を握りしめた。
「以前の貴女は使用人達を人間扱いするようなお方ではありませんでした。今回マリウスをあの部屋に移したのも、恐らくジェシカお嬢様ならそう命令を下しただろうと想定して、事前に私がマリウスをあの部屋へ移動させたのですが・・・お気に召しませんでしたか?」
こ・この人は・・・っ!
「わ、私はそんな事望んでいませんっ!マリウスは私の大切な下僕です。あんな部屋に放置されていれば・・・死んでしまうかも知れないじゃ無いですかっ!」
「確かに、放置はしている状態に近いですが・・・何、あれはその位の事では死にはしません。グラント家はその様な軟な人間ではありませんから・・・ああやって眠っていれば少しずつ魔力は回復していくでしょう。後数日もすれば目が覚めるはずですよ。」
顔色一つ変えずに言うアリオスさんに私は言った。
「それまで・・数日間もあの部屋で、誰のお世話も無しにマリウスを放置しておくつもりですか?」
「放置?いえ。別に放置している訳ではありませんよ。私はただあれを休ませているだけですから。」
「そ、そんなの私が認めませんっ!お願いです、マリウスをもっと居心地の良い部屋へ移してください!看病だって私がしますっ!」
私の真剣な訴えに流石にアリオスさんは戸惑った。
「ジェシカお嬢様自らが、マリウスの看病を・・・ですって?信じられない話ですね・・・。貴女は学院に入学する前はマリウスに対し・・・と言うか全ての使用人に対し、冷血な態度を取っておられましたのに・・随分人並みになられたようですね?」
アリオスさんは笑みを浮かべながらも妙に棘のある言い方をした。
こ、この人は・・本当に恐ろしい人物だと私は改めて感じた。一見物腰は柔らかいの
に話している内容は相手が誰であろうと容赦しないような物言いだ。
「以前の私の話はどうだっていいです!それよりマリウスですっ!部屋が無いなら私と同じ部屋にマリウスを入れるまでですっ!」
「・・・・!!」
アリオスさんの息を飲む気配が感じられた。彼は神妙な顔つきで黙っていたが、やがて言った。
「かしこまりました、すぐにマリウスを今いる屋根裏から、別の部屋へ移動させましょう。取りあえずは以前マリウスが使っていた自室へ移動させます。」
そしてアリオスさんはパチンと指を鳴らした。
「?あ、あの・・・?」
今何をしたのですか・・・?と、問いかける前にアリオスさんは言った。
「今移動魔法で、マリウスを自室へ転移させました。マリウスの部屋へご案内しましょうか?」
「は、はいっ!お願いしますっ!」
アリオスさんに連れられて、一度廊下へ出ると彼は隣の部屋のドアを開けた。
「え?!」
そこの部屋に寝かされていたのはマリウスだったのだ。嘘?どういう事?
すると私の考えている事が分かったのか、アリオスさんが背後で言った。
「ジェシカお嬢様、マリウスと貴女のお部屋は隣同士だったのですよ?」
と―。
3
「え?私とマリウスって、隣同士の部屋だったんですか?」
ふ~ん、やっぱり主と下僕の関係だったから、何か用事があった時はすぐに対応して貰えるように隣の部屋になっていたのかな?
「ええ。更にジェシカお嬢様とマリウスの部屋は中のドアで繋がっておりますよ。」
「そうなんですか。中で・・・えええっ?!そ、その話本当ですか?!」
「ええ、冗談でこのようなお話はしませんよ?」
アリオスさんは何処か楽しそうに話をする。
「ほら、ご覧ください。」
アリオスさんが差した先には確かにドアが付いている。そしてドアノブを回すと・・・空いた先には私の部屋へと繋がっていた。
「私と・・マリウスの部屋って・・ず、随分距離感が近かったんですね・・・。」
私は内心の焦りを感じながら言うと、アリオスさんは答えた。
「ええ、これはジェシカお嬢様のご希望だったので。」
「ええっ?!」
これまたとんでもない発言だ。な、何故ジェシカはマリウスと自分の部屋をドア一つ隔てて行き来出来るようにしたのか・・・。
「お嬢様は・・・マリウスに冷遇していましたが、ある意味ではお気に入りだったようですからね。」
何故か含みを持たせたような言い方をするアリオスさんに私はマリウスが以前話したことを思い出した。
<お嬢様の命令は絶対ですからね・・・歯向かうなんて無理な話です。お嬢様と私は何度も男女の関係を持ちました。>
ま、まさかマリウスがジェシカの部屋の隣にあるのはそういう意味だったの・・・?
ひょっとすると・・・・ここにいるアリオスさんを始め、屋敷中の人間がジェシカとマリウスの関係を知っているのかも・・・。
私はチラリとアリオスさんを見たが、彼からは何を考えているのかさっぱり読み取る事が出来ない。
うう・・・で、でも絶対に知っているに決まっている。でも今の私は本当のジェシカでは無い。
「い、今はマリウスを看病する為に便宜上私もこの部屋を使いますが、マリウスが回復したら私は別の部屋に移動します。なので、簡易ベットがあれば、この部屋に運んで貰えますか?」
私はアリオスさんに頼むと、彼は目を細めた。
「ジェシカお嬢様がマリウスを看病すると言うのですか?しかし、今のマリウスにはジェシカお嬢様が何もしてやれる事は、ありませんよ?」
「だ、だけどいつまでもこの状態なら衰弱してしまいます。そうなると回復も時間がかかりますよね?だから、せめて傍で見守って・・・。」
私が言うと、アリオスさんは真剣な表情を見せた。
「実は・・・お嬢様。本当の事を申し上げますが・・今のマリウスは危険な状態にあるのです。」
「え?どういう事ですか?!」
「魔力を完全に使い切ってしまった為、生命エネルギーにも影響を及ぼしているのです。その為に眠りについても魔力を溜める事が出来ないでいます。このままでは、もって後3日・・・。」
「もって3日って・・・ま、まさか・・死ぬって事ですか?マリウスがっ?!」
私はその話を聞いて、全身が凍りつきそうになった。
黙って頷くアリオスさん。
「助ける方法は無いのですか?!」
「今のところは・・・魔力を回復させる魔石が、ある事はあるのですか、この国には無いのです。しかし、トレント王国にはその魔石を採掘出来る鉱山があるそうで、代々その国の王家が管理しています。ただ・・・とても貴重な魔石なので、持ち出しは絶対に許されず、トレント王国に行かなければ使用させて貰えないそうです。」
私は絶望的な気持でアリオスさんの話を聞いていた。
「今、マリウスにしてやれる事は定期的に魔力のある者がマリウスに魔力を分け与えて命を永らえさせるしかありません。それを私が今行っています。」
確かにアリオスさんの表情には疲れが滲んでいる。だけど・・・っ!
「だ、だったら尚の事!何故、あんな屋根裏部屋に1人マリウスを寝かせておいたのですか?」
「旦那様の御命令だったからです。」
アリオスさんは表情を変えずに言った。
「え?」
「ジェシカお嬢様を守る事が出来ず、命の危機に晒したマリウスに旦那様が激怒し、あの屋根裏部屋に入れるように命じたのです。」
「そ、そんな・・・酷いっ!」
ジェシカの父はマリウスを見殺しにするつもりなのだろうか?
「ほ、他に・・・。」
「ジェシカお嬢様?」
「他にアリオスさん以外にマリウスに魔力を与えられる人はいないのですか?!」
私は必死で尋ねた。
「魔法を使える人物でなければ無理ですね。この城にいる方で魔法を扱えるのは、旦那様と奥様、ジェシカお嬢様のお兄様のアダム様だけですが・・・恐らく不可能です。貴族が自分より下位の者に、魔力を分け与える事はあってはならない事なのです。」
私は下を向いて唇を噛んだ。そんな・・・人の命がかかっているのに、階級が関係するなんてあり得ないっ!
「大丈夫ですよ。ジェシカお嬢様。マリウスは私の息子です。何としても私がマリウスを助ける方法を探しますのです、ジェシカお嬢様は何も心配される必要はありません。」
アリオスさんは、そこで初めて優しい笑みを浮かべた。それが何とも悲しくて・・・私は気付いたら、涙を流していた。
「ジェシカお嬢様?泣かれているのですか?」
アリオスさんが困った表情をして、私を見つめている。
「ごめんなさい・・・。私に魔力が、あれば・・・魔法が使えていれば、魔力を分けてあげられたのに・・・。」
「ジェシカお嬢様?そう言えばお嬢様が学院に入学する事が出来たのは、魔力に目覚めたからですよね?」
アリオスさんが、私に訊ねた。
「はい、そうなんですが・・・。魔力はあっても、何一つ魔法が使えなくて。」
「そうですか・・・。でもジェシカお嬢様は何も気にする必要はございません。何とか他に方法を探し、私が息子を助けます。それよりお嬢様、そろそろアダム様もお帰りになるお時間です。夕食の時間になりますので、ダイニングルームに参りましょう。」
こうして私はアリオスさんに案内されてダイニングルームへと連れて行かれた。
中へ入ると、ジェシカの両親は既にテーブルに着いている。そして私を見ると父が言った。
「おお、ジェシカ。遅かったな。うん?何だ、まだ着替えてはいなかったのか?お前はいつも夕食時にはイブニングドレスに着替えていたでは無いか?」
見ると母も素敵なドレスを着ている。
「いえ、私はこのままで結構です。動きやすい服が一番なので」
「まあ、そうなの?ジェシカ、貴女本当に記憶を無くしてから人が変ってしまったようね?」
ドキンッ!
私の心臓が大きく鳴った気がした、その時。
「ただいま戻りました。」
ダイニングルームに1人の青年が入ってきた。
栗色の巻き毛に紫の瞳・・・人目を引く美しい外見をしている。
もしやこの男性は・・・?
「ああ、ジェシカ。やっと帰って来たのだな?記憶喪失になったうえ、矢に当たり、死にかけたと言うから心配したのだぞ。でも無事で本当に良かった。」
言いながら、その男性は私の頭をなでた。
この人はひょっとしてジェシカの兄のアダムなのだろうか
「ジェシカに記憶は無いだろうが、お前の兄のアダムだ。お帰り、ジェシカ。」
そっけ無い言い方ではあったが、この人は悪い人ではなさそうだ。
「た、ただいま・・お兄様。」
兄はそれを聞くと、フッと笑った。
その夜の家族水入らずのディナーは、それは見事な食事だった。
ただ・・・今夜の私はあまりにも緊張し過ぎて、何を食べ、どんな会話をしたのかは殆ど記憶に残らなかった―。