ノア・シンプソン 前編
1
もうすぐ、学院の冬休みが始まる・・・。僕は寮の自室の窓から外を歩いている学生達を見下ろし、ため息をついた。
どいつもこいつも楽しそうに皆浮かれて歩いているなんて気に入らない。
この学院に入学してから僕は一度も家には帰っていなかった。
ベッドサイドに置かれた手紙をチラリと見る。あの手紙は母からだ。勿論中身等読んではいない。
学院に入学した当初は母から最初の手紙を受け取った時に浮かれた気持ちで開封したのだが、中身を読んで幻滅した。
要は僕目当てのマダム達が待っているので休暇に入ったらすぐに家に帰って来るようにと、たったそれだけの内容。
学院生活を尋ねる訳でも無し、身体を労わってくれる文章でも無い。
結局、休暇に入ったらすぐに帰省してマダム達に身体を売ってくれと遠回しに言って来る手紙だったのだから。
どうして実の息子にこのような内容の手紙を送り付けて来れるのだろう?本当にあの両親は自分の親なのかと疑いたくなってしまう。
だから、僕は入学してから一度も帰省していない。
誰もがいなくなった寮で1人気ままに生活していく、それが日常となっていた。
僕がもう少し友好的に付き合えるようなタイプの人間だったら、親しくなった友人の家で休暇を過ごす事も出来たかもしれない。
けれど僕はこんな性格だし、やたら女生徒達にモテる。だから僕には親友と呼べるような男子学生はいない。
よく女生徒達からは休暇は自分の所に来て欲しいと誘いもあるけれど、もし下手に女生徒の家に行こうものなら先方の家から僕が娘の結婚相手では無いかと勘違いされてしまうので、それだけは絶対に避けたい。だから僕は休暇の間はずっと1人きりで寮で暮らす事を余儀なくされてきた。でも1人で学院の寮で生活するのも悪くない。
僕を女にだらしない男だと軽蔑の目で見る学生達もいないし、すぐに身体の関係を迫ってくるような女達も居ないのだから、かえって気楽に過ごす事が出来る。
しかし、人生って何が起こるか分からないものだ。
僕は生れて初めて誰かに恋をし、そして友と呼べる?友人が出来た。
恋をした相手はジェシカ・リッジウェイ。友人の名前はダニエル・ブライアント。
僕に友人が出来たのは本当に偶然だった。それは同じ女生徒を好きになったからだ。
初めは互いにライバル同士だったけれども、何故かお互い似たような性格で、女性に対し嫌悪感を持っていた。なのにジェシカだけは2人とも強く惹かれてしまった。
その事がきっかけで自然と一緒にいる機会が増えていった・・。
季節が肌寒い秋に変わる頃・・・僕とダニエルはあれ程恋い慕っていたジェシカにいつの間にかすっかり興味を失い、アメリアという謎の女性に恋をしていた。
さらに気が付けばソフィーと言う女性に興味が移っていた。
今思えば僕たちはあの女によって何か忌まわしい魔術をかけられていたのかもしれない。
だけど、明日が終業式と言うあの日、僕たちはソフィーの醜い一面を見てしまい、恐らくアラン王子を除いたその場に居た全員が彼女への興味を一切失った翌日・・・。
すっかり無気力になってしまった僕とダニエルは終業式をさぼり、ガゼボの中でくだらない話をしながら時間を潰していた。
その時、誰かが中庭を走り抜ける足音が聞こえて来た。
ふ~ん。僕とダニエル以外にも終業式をさぼっている学生がいるんだ・・・そう思い、足音の方向を振り返り、僕は驚いた。
何故なら何かに追われるように走っていたのは他でもない、ジェシカだったのだから。
ジェシカに恋していた懐かしい気持ちが蘇って来る。それはダニエルも同じだったのだろう。ジェシカに目が釘付けになっていたのだから。
そこで僕は声をかけた。
「おや?ジェシカじゃないか?」
すると、ジェシカの肩は大袈裟なくらい跳ね上がり、恐る恐る僕とダニエルの方を振り向いた。
少なくとも僕の目には何故か分からないけれどもジェシカの顔には絶望の表情が浮かんでいるように見えた。
「どうしたんだ?ジェシカ。終業式はとっくに始まっているのに何故そんな大急ぎで君は走っているんだい?会場は反対方向だよ。」
僕はジェシカに話しかけながら、ゆっくりと距離を詰めた。
「そ、そういう先輩方はこんな所で何をしているんですか?」
明らかにジェシカの声は動揺している。
「ふ~ん・・・。質問に質問で返すのは良くないなあ?」
ダニエルはジェシカの不自然な行動に気が付いているのかいないのか、然程ジェシカを気に掛ける様子もなく言った。
ん・・・?ダニエル。君はあれ程ジェシカに熱を上げていたのに、ソフィーの事で幻滅し、ジェシカの事もどうでも良くなったのか?
僕はくだらない終業式に等出るつもりはないとジェシカに告げると、彼女は会話もそこそこに、さっさと僕とダニエルの傍から離れようとする。
その瞬間、僕はジェシカの身体から奇妙な香りを感じた。
「ちょっと待って。ジェシカ。」
僕はジェシカの返事も聞かずに彼女の腕を引き寄せ、匂いを嗅いでみる。間違いない、この匂いは・・・。最近セント・レイズシティで男性に人気のオーデコロンの匂いだ。・・・何故ジェシカにこんな匂いがついている?
「・・・男性用の・・オーデコロンの匂いがする。」
僕が言うと、ジェシカは慌てたように腕を振り払おうとするが、彼女はか弱い女性だ。僕の力からは逃れられない。
「へえ~。終業式に出ていないのはそういう訳なのか。」
何故かダニエルは面白そうに言うと、ゆらりとガゼボから出てきた。
そしてダニエルは何を思ったのか、ジェシカの首筋の髪の毛をすくいあげた。そこには、はっきりとキスマークが付いているでは無いか。
「・・・キスマーク・・。」
ダニエルがポツリと呟くと、ジェシカは一瞬で顔が真っ赤に染まり、僕の腕をむりやり払うと、首筋に付けられたキスマークを手で隠した。
「も、もういいですよね?十分でしょう?」
ジェシカは顔を羞恥心の為か、真っ赤に染めて潤んだ瞳で僕たちを見た。
その恥じらう姿があまりにも魅力的過ぎて、僕とダニエルは一瞬言葉を無くしてその場に立ち尽くしていた・・・・・。
「ねえ、ノア。」
ジェシカが去った後、突然ダニエルが声をかけてきた。
「・・・何だよ。僕は今機嫌があまり良くないからね、くだらない話なら聞かないよ。」
そう、僕が機嫌が悪い理由・・・それは1つしかない。
一体誰なんだろう?昨夜ジェシカと情を交わした相手は・・・?
「君は誰だと思う?昨晩のジェシカのお相手は?」
神妙な面持ちでダニエルは僕に質問してくるけれど、そんな事僕に分かるはず無いだろう?
「さあ、でも少なくとも僕や君では無いって事は確かだね。」
僕はわざと、さして気にならないと言わんばかりの口調で言った。
「ねえ、君は気にならないの?」
「・・・。」
僕は少しの間、黙っていたが・・・言った。
「気になる。」
「そうか、それならどうする?」
ダニエルは嬉しそうに言う。
「それは・・・ジェシカから直接聞き出すしかないんじゃないかな?」
こうして僕とダニエルはジェシカを交代で見張る事にした。
「ノア、ジェシカがあのカフェにいるのを確認したよ。どうやらマリウスと一緒の様だ。」
僕はダニエルの知らせを受けてジェシカが居るというカフェにやってきた。僕とダニエルは窓の外から2人の様子を伺う。
・・・何やら神妙な顔つきでジェシカとマリウスは話し合っている様だ。でも様子がおかしい。
ジェシカはビクビクしながらマリウスと会話をしているように見える。
「あの2人・・・何だか様子がおかしいね。」
ダニエルがボソッと呟くが、僕は返事をしないで黙って二人の様子を伺っていた。
話が済んだのか、やがて席を立つ2人。そして―何を思ったのか突然マリウスがジェシカの腕を掴んで自分の元へ引き寄せると、ジェシカの匂いを嗅ぎ始めている様子が見えた。
「うわっ!一体マリウスは何をしてるんだ?!」
ダニエルは驚いた様に声を上げているが、僕にはマリウスが何をしているのかが分かった。そうか・・・マリウスは・・・。
ジェシカの匂いを嗅いでいたマリウスは突然離れると、今までにない表情を見せた。
「ねえ・・・もしかして、マリウス・・・。泣いてるのかな?」
ダニエルは信じられないと言った風に観察を続けている。多分マリウスの事だ。絶対にジェシカに関する何かを掴んだに違いない。だから、あれ程に今にも泣きそうな表情をしているのか。そして観察を続けていると、マリウスはジェシカを残して店から走り去ってしまった。
「ノア、僕たちもジェシカの所へ行こう。」
ダニエルに促されて、僕は店の中へ足を踏み入れた―。
2
マリウスが去った後、ジェシカはお腹が空いていたのか、その後クラブハウスサンドイッチセットを購入し、美味しそうに食事を始めた。
窓の外を眺めながらジェシカは幸せそうに食事を勧めていたけれども、突然驚いたような顔つきになり、慌ててテーブルクロスの下に隠れたから、僕とダニエルは思わず笑いそうになってしまった。
一体窓の外に何があるのだろう?
笑いをかみ殺しながら僕は吸い寄せられるようにジェシカが見ていた窓の外に目をやると・・・・。
そこに、アラン王子が従者のグレイ、ルークを連れて荷物を持って歩いている姿が目に入った。
その瞬間僕はピンときた。ダニエルも気が付いたようで、僕に声をかけてきた。
「ねえ・・・今の見ただろう?きっと昨夜のジェシカの相手は・・・。」
ダニエルはその人物の名前を口にした・・・。
取りあえず、ジェシカともう一度話をしようと言う事に決め、僕たちは未だにテーブルクロスの下に隠れているジェシカの真向かいに座る。
やがて、テーブルクロスの下からそろそろと這い出て来たジェシカは僕たちの姿を見て・・。
「キ・・・キャアアアアアッ!!」
耳を切り裂くような叫び声を上げたのだった。
僕たちはようやく気持ちが落ち着いた頃合いを見てジェシカに質問する事にした。
「ジェシカ・・・君を抱いた男は・・あの3人のどちらかだろう?ひょっとして、その相手はアラン王子じゃないの?」
僕の質問に、途端に耳まで顔を真っ赤に染めてジェシカは俯く。
「そう・・・やっぱり相手はアラン王子だったんだ・・・。」
ダニエルは溜息をつきながら言う。何故?ダニエル、どうしてそこまで君は冷静でいられる?
くそっ!アラン王子め・・・。僕の大切な女神に何て事をしてくれたんだ?
アラン王子がジェシカを抱いている場面を想像するだけで、激しい嫉妬とアラン王子に対する憎悪が込み上げてくる。何故?何故なんだい、ジェシカ。アラン王子は僕たちと同様、君から何度も離れて行った男なんだよ?
それなのに僕の気持ちを知ってか知らずか、こんな事を言いだした。
「な・・・何ですか?だ、大体先輩方には関係ない話ですよね?ソフィーさんという方があなた方にはいるのですから。わ、私はもう先輩方とは無関係なので、ほ、放って置いて下さいっ!」
俺達に言い当てられ、店を飛び出していくジェシカ。
「待ってっ!ジェシカッ!」
僕はジェシカの名前を叫んだが、彼女は振り返りもせずに逃げて行ってしまった。
僕たち2人は慌てて後を追うけれどもジェシカの姿が見えない。
と、その時ダニエルが言った。
「ノアッ!ジェシカがいたぞっ!」
ダニエルの指さした先にはジェシカがいた。・・・誰だ?僕は顔をしかめた。
目の前に現れた光景は今にも泣きそうなジェシカと彼女を慰めている2人の男・・・確か1人はライアンだったな・・・。でも、もう1人の名前が分からない。もしかして新顔か?
「待ってくれ、ジェシカッ!」
ダニエルがジェシカに向かって声をかけた。その声に振り向いたジェシカの顔に脅えが走る。そして両耳を塞ぐと男2人の陰に隠れてしまった。
「ジェシカ・・・。」
ダニエルはその姿を見て相当ショックを受けたのか、悲しみの表情を見せた。
勿論僕だって同じだ。ジェシカに拒絶されて、驚くほどショックを受けている。
「おいおい、お前達。男2人でジェシカちゃんを虐めていたのか?酷い奴らだな?」
軽薄そうな男が僕たちに言った。ん・・・待てよ?この顔、何処かで一度見たことがある。
けれど、そんな事は今はどうだっていい。
「な・・・!何だと?僕たちは別に・・っ!」
男の口ぶりにカッとなった僕は声を荒げて言った。
「おい、お前達はもうジェシカに用は無いはずだろう?お前達が彼女から離れて行ったのに何故また追いかけてるんだ?ほら見ろ。可哀そうに・・・こんなに怯えているじゃ無いか。いいか?心変わりして去って行ったのはお前達の方なんだから二度とジェシカには近づくな。」
ライアンの奴がジェシカのナイト気取りで僕たち2人に睨みを利かせる。
「ち、違うっ!」
ダニエルはかなり焦っているようだ。
「僕たちはただ・・・ジェシカと話がしたいだけなんだっ!ねえ、お願いだよ。もう一度君と話をさせてくれないか・・・?」
僕は得意の甘い声で訴えてみるが、ジェシカは耳を塞いで首を激しく振るばかりだ。
それを見た軽薄そうな男は俺達を手で追い払う姿を見せて、つい僕の頭に血が上った。
「お、お前・・・よくも僕に向かってそんな真似を・・・。いいのかい、そんな事をしても・・困るのはジェシカの方になるよ?ねえ、ジェシカ?」
自分でも卑怯な真似をしてるとは思っていても、言う事を聞かせるには脅迫するしかない。
「おい、やめろっ!」
ダニエルが僕を振り返って、止めようとする。でも・・・悪いな、僕は君程甘い人間では無いんだ。
「いいかい?ジェシカはね・・・。」
「やめてっ!!」
ついにジェシカが反応した。
「お願い、や、やめて下さい・・・。は、話しなら・・・聞きますから・・・。」
フフ。そうだ、そうこなくちゃ。尚もライアンともう1人の男はジェシカを引き留めようとするが、無駄な事だよ。その証拠にほら、ジェシカだって僕のいいなりになってるんだから。
ジェシカは僕に呼ばれると、フラフラと前に進み出て来た。
一方のダニエルは何か文句を言いたげに僕を睨んでいるが、そんなの僕には関係無い。
ライアン達は名残惜しそうにジェシカに別れを告げて、それぞれの場所へと帰って行ったのを見届けると、僕は彼女に語りかけながら肩に腕を回した。
「さて、ジェシカ。僕に付き合って貰おうかな?」
一瞬、ジェシカの肩はビクリとなったけど拒絶される事は無かった。
ダニエルはまだ僕を非難する言葉を言って来るが、そんなのは無視だ。だったらついてくれば?と言うと、あっさりダニエルは承諾して来た。なんだ、君だって本当は気になって気になって仕方なかったくせに。
それじゃ、生徒会室へ行こうかと言うとジェシカの目に脅えが走り、絶対に行きたくないと激しく拒んだ。
ああ、そうか。ジェシカ、君は生徒会長がいるのではないかと怯えていたんだね?
大丈夫、彼はもうすでに帰省しているよと伝えると、ようやくジェシカも納得したのか、僅かに頷いた。
「さあ、入って。」
僕はジェシカの背中を押して生徒会室の中へ入れる。
その後ろをダニエルは黙ってついてきた。部屋の中へ入ってもジェシカは下を向いたまま座ろうとしない。
「どうしたの?座らないの?」
僕が尋ねると、ついにジェシカは観念したのか大人しく席につく。
「ねえ、ジェシカ。どうして君はアラン王子だけを特別扱いするの?アラン王子だって僕たち同様、最初はアメリア、次はソフィーに惹かれて君の傍を去って行ったよね
何故僕たちの事は受け入れてくれないのにアラン王子だけはいいの?彼と僕たちの何処が違うって言うのさ?」
僕はジェシカが座るとすぐに自分の思いの丈をジェシカに話した。
なのに、ジェシカの返事は・・・。
「ア、アラン王子は自分から私に声をかけてきたんです。ソフィーが私にした事を謝りたいと、それにソフィーの呪縛から逃れられないと言って苦しんでいました。でもノア先輩とダニエル先輩はアラン王子の話によると、彼女に嫌気がさして離れて行ったと聞いてますよ?」
そうか、ジェシカ。君はもうアラン王子から僕とダニエルがソフィーへの興味を無くしたことを聞かされていたんだね?だったら何故さっき僕たちにはソフィーがいるじゃないかと言って来たんだい?
ジェシカはよほど僕とダニエルを自分から遠ざけたいのか?
ダニエルはその答えで納得した様だったけど、僕は・・・っ!。
「だけど、どうしてその事がアラン王子に抱かれた事と関係があるのさ。」
つい、強い口調になってしまう。
「ど・・・どうしてそれをあなた方に話さなくてはならないのですか?」
ジェシカの声が震えているのが分かった。確かに女性からしてみればこんな話したくない事位、十分承知しているさ。
ダニエルはジェシカとアラン王子が実は愛し合っているから行為に及んだのではないかと疑っている。
愛だって?そんなものが無くたって、男はいつでも女を抱くこと位出来るさ!
ところがジェシカの答えは意外なものだった。
同情だけでは駄目ですか?と・・・。
3
同情だって?君はアラン王子に同情したから抱かれたの?
しかし、ジェシカの話はそれだけでは終わらなかった。
それにアラン王子に抱かれた時の記憶が全く無いと言うのだから!
「記憶が無い・・・だって?それじゃ・・無理やり・・?」
ダニエルの声が震えている。そんなの当たり前だ、僕だって同じ気持ちなんだから。
何て卑劣な男なんだ。アラン王子は・・・っ!それと同時に今目の前にいるジェシカを自分たちはそんな事とは知らず、酷く傷つけていたのだから。
「「ごめんっ!ジェシカッ!」」
僕とダニエルは2人で同時にジェシカに謝罪した。それと同時にアラン王子に対し、激しい怒りが込み上げて来る。
許せない、同じ男としてアルコールに酔った女性を無理やり抱くなんて・・・っ!
なのにジェシカの話は驚くべき事だった。アラン王子には絶対に今話したことは話さないでくれと言うのだから。しかもその理由が自分が何も覚えていないと伝わればどれ程傷つくか分からないとアラン王子の心配をするなんて・・・。
それでもダニエルは食い下がっている。
「だけど・・・ジェシカはそれでいいの?アラン王子に無理やり・・・。」
しかし、ジェシカはそれを激しく否定した。無理やりかどうかなんて分からない、しかもお酒に酔っていたし、何よりアラン王子が強引な事をする卑怯な人間には見えないと、必死で庇っている。
その姿を見て僕は思った。ジェシカ、ひょっとして君は・・・少なからずアラン王子の事を憎からず思っているのでは無いだろうかって。
ズキン。
僕は自分の胸が激しく痛むのを感じた。
更に僕とダニエルはジェシカに念押しされた。
この話は絶対誰にも言わないで欲しい、もし言ったのなら学院を辞めると。
そしてジェシカは気になる事を言った。
今日はもう疲れたので寮で休みたいと。
え?ジェシカはまだ里帰りをしないの?過去の例で冬期休暇に入っても女子学生が寮に残っていたなんて話は例が無い。まさか、たった一人であの広い寮で夜を過ごすつもりなのかな?
「え?ジェシカ。国には帰らないの?」
念の為に僕はジェシカに質問してみた。
「いえ、帰りますけど明後日になったんです。」
やっぱりジェシカはあの寮に1人で残るんだ・・・っ!マリウスの奴・・・ジェシカを1人女子寮に残すなんて・・一体何を考えているんだ?
隣にいたダニエルもやはり僕と同じ事を考えていたのか、呆然とした顔をしている。
「ねえ・・・聞いた。今の話。」
ジェシカが去った後、ダニエルが僕に話しかけて来た。
「うん、今夜は女子寮に1人って言っていたね。」
僕は生徒会室の窓からジェシカが女子寮へ帰って行く姿を目で追いながら返事をした。
「大丈夫かな・・・。」
ダニエルがポツリと言った一言を僕は聞き逃さなかった。そして、こう思った。
今夜、もしかするとダニエルが動くかもしれないな・・・と。
だから僕は彼に内緒でそっとマーカーを付けてやった。
これでダニエルが何処へ行くか全て把握する事が出来る・・・。
「ふん、そうか・・・やっぱりね・・。」
僕はベッドの上で寝転がりながらダニエルの気配を追っていた。やっぱりダニエルはジェシカの所へ行ったらしい。
僕は意識を集中する為、目を閉じ、耳をそばだてた。そして、2人の会話が頭の中に流れ込んでくる・・・。
やがてジェシカが眠りに就いたところまでダニエルのマーカーを捕らえていた僕はそこで魔力を切った。
良かった・・・もしダニエルがジェシカに不埒な真似を働こうとした場合は、女子寮に乗り込もうと意気込んでいたけど、そんな事は一切無かったから。
「これで僕も安心して眠れる。」
僕は独り言を言うと、目を閉じて眠りに就いた―。
翌朝―
少しだけ、驚く事があった。だってジェシカが突然男子寮を尋ねてきたのだから。
まさかジェシカは僕に会いに?そうだとしたらどんなに嬉しいか。
しかし、彼女が訪ねた相手はマリウスだった。
そうか・・・ジェシカ。やっぱり君は僕になんかちっとも興味が無いんだね。
ならいいさ。僕が君の後を追うだけだから。
今、僕は女子寮が見えるカフェでいつジェシカが出て来てもいいように見張っている。多分彼女の事だ。このまま寮でじっとしているはずはない。
そして待つ事約30分。
思った通りジェシカが外へ現れた。何処かへ出掛けるのだろうか?ジェシカの右手には小型のボストンバッグが握られている。
随分嬉しそうだな・・・・。顔には笑みが浮かび、スキップしながら門へと向かう姿が見えた。
フフ・・ジェシカ、君は本当に何て可愛らしいんだい?その笑顔を僕にだけ向けてくれればどれ程僕は幸せだろう・・。僕の心の中に暗い影が宿る。
僕はそのままジェシカの後を付ける事にした―。
セント・レイズシティに来ると、ジェシカは迷うことなく何処かへ向かう。
一体何処へ行くつもりなんだろう・・・?
着いた先は屋台が立ち並ぶ通りだった。ジェシカはそこで妙に年の若い男性と仲良さげに話をしている。
え?あの男は一体誰だ?まさか、セント・レイズシティにもジェシカが親しくしている男性がいたというのだろうか?
ユラリ
また僕の中で一つ、嫉妬の炎が灯されていく・・・。
ジェシカが辿り着いた先はこの町でも有名なホテルだった。
成程・・・今夜ジェシカはここのホテルに泊まるんだな?これは丁度いかもしれない。
僕もホテルの中へ入ろうと足を踏み入れた時、フロントにジェシカの姿が現れ、慌てて近くの柱の陰に身を隠した。
ジェシカはフロントで何か一言二言話をすると、ホテルから外へと出て行くので僕も慌てて彼女の姿を追った。
ジェシカはホテルの傍に立っている時計台へと向かって行く。
ああ、そうか。この時計台はこの町の観光名所の一つになっているものね。
でも・・・ジェシカ。君は恐らくこの場所がどんな所か知らないんだね?
僕はその事を思うとクスクス笑い・・・ジェシカの後を追った。
「うわあ・・・いい眺め・・・。」
風に乗ってジェシカの声が聞こえてくる。そして案の定、彼女は辺りをキョロキョロ見渡した。至る所に若い男女のペアばかりで、1人でこの塔の上に居るのは何も事情を知らないジェシカと、彼女の後をつけてきたこの僕だけ。
「何でかなあ・・?」
ジェシカの独り言が聞こえた所で僕は背後から声をかけた。
「当たり前だろう?ここはカップルで昇る場所なんだからさ。」
するとジェシカはビクリと身体を震わせ、恐る恐る僕の方を振り向いて、目を見開いた。
「ど、どうして・・先輩がこんな所に・・・?」
ジェシカは僕に警戒しながら質問して来たので、男子寮に尋ねてきたのを見たからだよと伝えると、何故かジェシカは焦っている。
「さ、ジェシカ。僕と一緒に鐘を鳴らそうか?」
僕は有無を言わさずにジェシカの細い腕を掴むと、強引に紐を持たせて2人で盛大に鐘を鳴らした。
「アハハハ・・・君とこうして鐘を鳴らす事が出来たなんて夢みたいだいよ。」
僕はジェシカを後ろから抱きしめるような形で鐘をならした。
どうかこの鐘の言い伝え通りにジェシカと・・・。その事を念じながら。
鐘を鳴らし終わると、ジェシカはさっと僕から素早く離れて距離を置くと
僕の言った言葉の意味を尋ねて来た。
だから僕は言い伝えで、この鐘を2人で一緒にならすと一生幸せになれるという言い伝えがあるんだよと答えたら、何故かジェシカは表情を曇らせ、それは言い伝えですよね?そんな事を僕に言って来た。
僕がその事を肯定すると、何故かジェシカはクルリと背を向け、すぐに下へ降り始めてしまった。
え?ジェシカ。何故すぐに降りてしまうんだい?僕はもう少し君とこの素敵な景色を2人で眺めて居たかったのに・・・・・。
よし、君がそんな態度を取るなら僕にだって考えはあるさ。
「あの・・・・。ノア先輩。いつまで後を付いて来るおつもりですか?」
ジェシカは僕がホテルの入口まで付いて来るのが我慢できなかったのか、とうとう振り返ると僕を見た。
だから僕はジェシカに言った。
「アラン王子も、ダニエルも君と一晩一緒に過ごしたんだろう?だったら僕にだってその権利を与えてくれてもいいんじゃないかなあ?」
その時・・・ジェシカの目に微かに怯えが走ったのを僕は見た―。