第1章 4 恐怖の壁ドン
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ジョセフ先生と2人で作った料理(ほとんど作ったのはジョセフ先生だが)は今回もやはり絶品だった。
「ジョセフ先生はずっと前からお料理が上手だったんですか?」
鶏肉のグリル焼きをカットしながら先生に尋ねた。
「いや、そんな事は無いよ。元々は亡くなった妻に色々教えて貰ったんだよ。彼女は料理が得意だったからね。」
笑顔で答える先生。この質問はまずかったかもしれない。
「すみません・・・変な事を尋ねてしまって・・。」
「いやだなあ、そんな風に謝らないでよ。でもそのお陰でリッジウェイさんに料理を振舞えるようになったんだから僕としては嬉しいよ。」
慌てて手を振りながら言うジョセフ先生。そしてじっと私を見つめながら言った。
「この先も・・・リッジウェイさんに喜んでもらえる料理をずっと作ってあげたいって思っている位だしね。」
ジョセフ先生の言葉の奥に秘められた意味を察して、思わず私は顔が赤くなってしまった。先生は本気で私の事を・・・?
その後も2人で会話と料理を楽しみ、大方料理が無くなった頃に私はお酒を持っていた事に気が付いた。
「あ、あの。私果実酒をマーケットで買ったんですよ。良かったら2人で一緒にお酒を飲みませんか?」
手元に置いてある紙袋から果実酒の入った瓶を取り出しながら私は言った。
「へえー。このお酒はこの町の名物なんだよ。リッジウェイさん、中々お酒を見る目があるね?」
瓶のボトルに貼られたラベルを見て先生は感心するように言った。
「ジョセフ先生はお酒、お好きですか?私はお酒飲むの大好きなんですよ。」
「うん、普段僕はあまり飲まないよ。1人で飲むお酒は味気ないからね。でもリッジウェイさんとお酒を飲めるなんて本望だね。いいよ、2人で一緒にお酒を飲もう?」
そして先生は立ち上がり、奥の食器棚からワイングラスを2つ持ってくると瓶の蓋を開けて私に注いでくれた。
「それでは先生の分は私が注ぎますね。」
「え?いいのかい?」
「ええ。お酌しますよ。」
つい日本での飲み会を思い出して言ってしまった。
「お酌・・・?初めて聞く言葉だね?でもお酌か・・・それじゃよろしく頼むよ。」
グラスを差し出した先生に果実酒を注ぐと私と先生は乾杯した。
「リッジウェイさん、窓から星空が良く見えるからこっちの席で飲まないかい?」
ジョセフ先生はグラスを置いて立ち上がると、ソファを窓の方に向けて言った。
「星空を眺めながらお酒を飲めるなんて素敵ですね。」
私はお酒の瓶とグラスを持って先生が動かしてくれたソファに座ると言った。
「うん。部屋の明かりを消すともっとよく見えるよ。」
ジョセフ先生はランタンに火を灯すと、残りの明かりを全て消し、私の隣に座ると言った。
「ほら、どうだい?リッジウェイさん。」
先生の言った通り、部屋の明かりを消す事により満天の星空が夜空に輝いているのが良く見えた。
私と先生は少しの間、黙って星空を眺めていた。
とても静かな夜だった・・・いや、多分先生にとってはいつもと変わらぬ夜なのだろう。ジョセフ先生は最愛の奥さんを亡くしてからは、ずっと1人でこの静かな家で暮らしてきたのだ・・・。
そんな事を考えていると、突然先生が口を開いた。
「2日後は夜の11時から5年ぶりに流星群を見る事が出来るんだよ。それは素晴らしい眺めなんだ。」
ジョセフ先生は夜空を見上げながら少年のような笑みを浮かべている。
「それは素敵ですね・・・。私も見て見ようかな。」
小さくポツリと呟いたのだが隣に座っていたジョセフ先生にはばっちり聞こえていたようだ。
「ねえ、リッジウェイさん。良かったら・・・ここで2人で一緒に流星群を見ないかい?」
「え?ジョセフ先生と・・・ですか?」
「うん、でも・・・先約があるなら仕方が無いけどね。」
少し寂しげに笑うジョセフ先生。この人はとても孤独なのだ・・・。その孤独を少しでも埋めてあげる事が出来るなら・・。そう思うと、私の口からは自然に言葉が出ていた。
「はい、是非先生と一緒に流星群を見たいです。」
「本当かい?ありがとう、リッジウェイさん。すごく・・・嬉しいよ。」
「そ、そんなに大袈裟に喜ぶことは無いですよ。」
私は照れ隠しに果実酒を飲んで、先生にも勧めた。
「ジョセフ先生、もっとお酒飲みましょ?こんなに綺麗な星空を見ているのにお酒を飲まないなんて勿体ないですよ。」
「う、うん・・。そうだね。」
そして星空を見ながら1杯、2杯とお酒を重ねていく内に・・・先生がポツリと言った。
「リッジウェイさん・・・。僕の勘違いじゃ無ければいいのだけど、話を聞いてくれるかい?」
じっと真剣な表情で私を見つめる先生。一体急にどうしたと言うのだろう・・・。
「リッジウェイさんは、色んな男子学生達から好意を寄せられているのは知ってるよ。・・・僕もその内の1人ではあるけどね。でも、不思議なんだ。どうして君は誰からの気持ちにも応えないのかって・・・。本当は気持ちに応えたくても応えられない深い事情があるんじゃないかな?」
「ジョセフ先生・・・。」
先生の言葉に思わず私はグッときてしまった。そうだ、私はアラン王子を始め(今はアメリアに夢中だが)、生徒会長やノア先輩にダニエル先輩・・グレイ、ルーク、ライアン・・マリウスは別に置いておくとして、今目の前にいるジョセフ先生からも好意を寄せられている。
でも、誰からの気持ちに応えられない、いや応えてはいけないのだと自分の気持ちにセーブをかけていたのだ。
何故なら私はこの世界の住人では無い。元々は日本人の川島遥が、ジェシカという器に宿ってしまった存在なのだから・・。
「先生、私は・・・。」
どうしよう、私がずっと胸の内に抱えていた秘密を打ち明けたい、悩みを知ってもらいたいという気持ちが沸き起こっている。でもこんな話をしても頭がおかしいと思われるだけかもしれない。
そんなのは嫌だ。秘密を打ち明けるにはジョセフ先生が一番適しているのかもしれないが、話したところで信じて貰えるのだろうか?
ジョセフ先生にだけは・・・妙な人間だとは思われたくない。
返事をする代わりに私は果実酒を煽るように飲んだ。
飲んで・・・全てを忘れてしまいたかった。
「リッジウェイさん、そんなに飲んで大丈夫なのかい?」
私のお酒を飲むピッチが上がったのを見てオロオロし出すジョセフ先生。
フフ・・・。やっぱり先生は真面目な良い人なんだなあ・・・。
大分お酒が回り、ボ~ッとした頭になりながら私はぼんやりと考えていた。
いつか・・・ジョセフ先生に本当の事を打ち明けられる日が来るのであろうか?
やがて訪れるかもしれない、濡れ衣を着せられて裁判にかけられる時、夢の中では先生はいなかった。でも・・私の味方でいてくれるのだろうか?
それとも魔界の門が開かれる前に学院をこっそり出る時にジョセフ先生は協力してくれる?
あれ・・・?何だか色々考えていたら、自分が随分不幸に思えて不覚にも鼻の奥がツーンとなってきてしまった・・。
「ねえ。リッジウェイさん、本当に君大丈夫なのかい?あんなに強いお酒を一気に飲むと酔いが回って・・・。っ!」
ジョセフ先生は私を支えながら、そこまで言いかけて息を飲む気配を感じた。
「え・・?」
私は顔を上げた。
「リッジウェイさん・・・君、今にも泣きそうな顔をしているじゃないか・・・・。何か辛い事でもあったのかい・・?」
心配そうに私の頭を撫でるジョセフ先生。
ああ、もう駄目だ。そんな風に心配されると私は・・・!
「ジョセフ先生・・・っ!」
私は先生に縋りついた。先生の胸は広く、温かで余計にそれを感じると泣けて来てしまう。
「リ、リッジウェイさん・・・?」
ジョセフ先生は最初戸惑ったようだが、やがて私の背中に腕を回し優しく抱きしめた。
「先生・・・ジョセフ先生だけは・・・何があっても私の・・味方でいてくれますか・・?」
私は声を震わせて先生の胸に顔を埋めて尋ねた。
「勿論だよ。世界中の誰もが君の敵になったとしても、僕だけは絶対に最後まで君の味方でいるよ。」
優しく背中を撫でながら言うジョセフ先生。
「あ・・・ありがとうございます・・・。」
私はいつまでも先生の胸に顔を埋めたまま、やがて意識を手放した―。
2
明るい日差しが部屋の中を照らしている。ゆっくり目を開けると知らない天井が飛び込んできた。え・・・ここは・・・?
近くで誰かの寝息が聞こえる。するとすぐ側のソファで毛布を掛けて眠っているのはジョセフ先生だった。
「えええ?!」
一気に頭が覚醒して飛び起きる私。すると私の大きな声で目が覚めたのか、ジョセフ先生がゆっくりと目を開けて眼鏡をかけると笑みを浮かべながら言った。
「お早う、リッジウェイさん。」
「お・お・お早うございます。ジョセフ先生・・・。」
「待っていてね。これから朝食の準備をするから。2人で一緒に朝食を食べたら学院に戻ろう?」
ジョセフ先生はソファから立ち上がると言った。
「せ、先生っ!この度はとんだご迷惑を・・・っ!」
私は深々と頭を下げた。
「いやだなあ、そんな風に謝らないでいいよ。元はと言えば僕がリッジウェイさんに変な質問をして困らせてしまったのが原因何だからさ・・本当にごめんね。」
ジョセフ先生は申し訳なさそうに私に謝る。
「いいえっ!そんな事ありません。私が勝手に先生に泣きついてしまっただけなんです・・。本当に何とお詫びしたらよいか・・・あっ!ジョセフ先生!私に朝食の準備させて下さい。」
「ええ?いいのかい」
「はい、是非!」
その後、先生から食材を分けて貰い手早く料理を作り始めた。
野菜たっぷりのコンソメスープ。パンケーキを焼いてメープルシロップを添える。
チーズは薄くスライスして皿に盛り付けて完成。
「ジョセフ先生、お待たせしました。」
私は出来上がった2人分の料理をテーブルに並べ、植木に水やりをしていたジョセフ先生に声をかけた。
「やあ、これは美味しそうだね。」
ニコニコと椅子を引いて腰かけるジョセフ先生。
「先生ほど上手に出来ているかは自身ありませんけど・・どうぞ。」
「うん、それじゃ頂こうかな?」
先生はスープを一口飲むと言った。
「すごく美味しいよ、何と言うか・・ホッとする優しい味だね。」
パンケーキも口に運び、すごく美味しいと喜んでくれた。誰かに料理を作り、喜んでもらえるとやはり嬉しい物だ。日本にいた時のシェアハウスの暮らしを少しだけ思い出してしまった。
思えばあそこに住んでいた時も自分の分を作るついでに、誰かの分を一緒に作っていたっけな・・・。
「こうして2人で向かい合って食事をしていると家族になったみたいだね。」
先生が何の気なしに言った言葉に私は酷く動揺してしまった。
「か・・・家族ですか?か、家族って・・・。」
「リッジウェイさんと結婚する男性はきっと幸せになれると思うよ。その相手が僕だったら、すごく嬉しいんだけど・・・ね。」
頬杖を付きながら熱い視線を送って来るジョセフ先生に私は真っ赤になり、思わず視線を逸らしてしまう。
「そうやって、赤くなるって事は・・・少しは期待してもいいのかな?」
意味深に笑みを浮かべるとジョセフ先生は再び私の手料理に手を伸ばし始める。
先生・・・そんな風に言われると私・・先生の優しさに縋ってしまいたくなりますよ。口には出さなかったけれども私は心の中で呟いた。
朝食を食べた後、準備を終えた私達は学院へ戻る門へと向かって歩いていた。
あ~あ・・・初めて学院には無断で外泊をしてしまった。処罰されないだろうか・・?そんな私の気持ちを見透かしたのかジョセフ先生が言った。
「どうしたんだい?リッジウェイさん。何だか元気が無いようだけど。」
「いえ、初めて無断外泊をしてしまって学院側から処罰を受けないか心配で。」
すると意外な言葉がジョセフ先生から飛び出した。
「あれ?リッジウェイさんは知らなかったのかな?冬の休暇前の今の時期はもう授業も無いから自由に外泊をしても大丈夫なんだよ?終業式の時にさえ学院にいればいい事になってるんだよ。」
「えええ?!そうだったんですか?」
「うん、だから気にする事は無いよ。でも・・・流石に学生が教諭の家に泊ったとなるとまずいかもしれないから‥僕は門の所までは送るけど、学院には君が1人で戻った方がいいかもね。」
考え込みながら言うジョセフ先生。
「そうですね。分かりました。」
やがて門の前に来ると、私は改めて先生にお礼を言った。
「本当に昨夜は色々お世話になりました。」
「そんな事無いよ。リッジウェイさんと一緒に過ごす事が出来て・・・すごく嬉しかったよ。明日の流星群・・楽しみにしているね。」
「はい、私も楽しみです。」
そして私は先生に手を振ると門へと入って行った。
眩しい光に包まれると、そこは学院だった。
「さてと・・・まずは寮に戻ってお風呂へ入って着替えをしようかな・・・。」
等と独り言を言って歩いていると、何やら背後から物凄い気配を感じて私は思わず足を止めた。
「・・?」
恐る恐る後ろを振り返ると・・・そこには・・。
やはり予想通り、マリウスが恨めしそうな眼つきで私を見つめていた。
「マ・・・マリウス・・・ッ!」
私は思わず声が裏返ってしまった。ま・・まずい!顔も引きつってしまう!
「お嬢様・・・とうとうやってくれましたね・・・。この私に黙って無断外泊をされるなど・・・っ!」
顔は笑みを浮かべているが、その声が尋常じゃない位に怖いんですけどっ!
こちらににじり寄って来るマリウスにジリジリと交代する私。
ついに壁際に追い詰められてしまった。
ダンッ!
思い切り私の顔を挟むように壁に両手を激しくつくマリウス。
ヒエエエッ!い、今、壁が揺れたよ!心なしか少し壁にヒビが入ったんじゃないの?!な・・何と恐ろしい・・・!
「お嬢様・・・アラン王子と、とうとう朝まで一緒に過ごされてしまった訳ですか・・・?一度はお嬢様を完全に裏切った、あのアラン王子と・・・・っ!その上、アラン王子にその身を捧げてしまった訳ではないでしょうね・・・?!」
睫毛が触れ合う程私に顔を寄せて話しかけて来るマリウス。
ねえ、本当に怖いから少し、もう少しだけでいいから離れてよっ!
「マ・・・マリウス・・。あ、あのね・・。落ち着いて、そんなにくっつかれたら話も出来ないから・・・っ!」
「嫌です。」
即答するマリウス。
「な・・何でよっ?!」
ここで負けてはいけない。マリウスは所詮私の下僕、主人はこの私なのだから。
「と、とに角私とアラン王子はマリウスが考えているような関係には一切なっていないから憶測で変な事は言わないでっ!」
マリウスから顔を背けて抗議する。
「本当でしょうか・・・?なら何故視線を逸らして話をするのですか?」
尚もしつこく食い下がるマリウス。あ~!鬱陶しい!
「こうなったら直接私がアラン王子と不埒な関係になっていないかお嬢様の身体で確認するしかありませんね・・・。」
私の耳元でゾッとするような台詞を囁くマリウス。じょ、冗談じゃないっ!絶対にそれだけはお断りだっ!
大体私が何処で誰と過ごそうが、マリウスにはちっとも関係は無いはずだ。もう我慢の限界。
ドスッ!ドスッ!
痛みのピンポイントを狙って両足の甲を踏みつける私。
「ううっ!」
痛みにうずくまるマリウスは、その後一瞬何故か嬉しそうな笑みを浮かべた。
ゾワゾワッ!途端に背中に悪寒が走る。やっぱりこの男は究極のMだ。
足を踏まれて痛みで喜んでるよ。
ああ、もう本ッ当に嫌気がさしてくる。だが、アラン王子との中を誤解されたままでいるのも癪に障る。
「言っておきますけどね、アラン王子とは完全に終わったんですっ!昨日アラン王子と一緒にセント・レイズシティの雪祭りを見ていた時に、ソフィーとアメリアが突然現れたと思ったとたん、アラン王子は再びアメリアを愛してしまったのよっ!だからその場でアラン王子とは別れてきたの!その後はセント・レイズシティの宿に泊まって帰って来たんだから。」
一番最後は嘘をついてしまったが・・・マリウスだって私に平気で嘘をつくのだから私が付いたって構わないだろう。
しかし、私の話を聞いて何が気に食わないのか、マリウスが両手を握りしめ、震えている。
「全く、アラン王子ときたら1度だけでは無く2度もジェシカお嬢様を裏切るなど・・・これは本当に制裁を与えなくてはならないようですね・・・っ!」
何やら激しく怒りを抑えている様だ。
でも何故?アラン王子との仲を反対しているくせに・・・。マリウスがそこまで怒るのか理解が出来ない。でも揉め事は御免だ。
だから私は言った。
「ねえ、マリウス。アラン王子の事はもう忘れて。二度と関わらない相手の事は放って置くのが一番なのよ。くれぐれも報復なんて考えないでよネ?!」
「まあ、お嬢様がそこまで仰るのであれば、私はそれに従うまでですが・・。」
尚も不満そうにブツブツ言っているが、取り合えずアラン王子とマリウスの衝突は防がなくては・・・。
ああ、また頭の痛くなるような事件が起こりそうな予感がする―。