第10章 2 逃げた先には
1
私がマリウスの上着を肩から羽織り、抱き寄せられる様な形で教室に入って来ると、当然の如く教室中にざわめきが起こった。それを目にしたアラン王子は、怒りの表情を浮かべ、グレイとルークは困惑した表情でこちらを見ている。
「おはようございます。ジェシカさん、そしてマリウス様。」
先に教室に入っていたエマが露骨に軽蔑したような視線をマリウスに送る。
「おはようございます、エマさん。」
「おはようございます、エマ様。」
マリウスが頭を下げるとエマが言った。
「マリウス様、朝から女性に対してあまりに人前で馴れ馴れしい態度を取られていると御自分で感じられません?少しは女性の気持ちを尊重する事は出来ないのでしょうか?一般的に女性は人目を引くのを嫌うものですよ?」
「そうでしたか・・・それは失礼致しました。もう少し女性に対する配慮をするべきでしたね。申し訳ございませんでした。ジェシカお嬢様。」
マリウスはスルリと私から身体を離すと、問いかけてきた。
「お嬢様、もう寒くはありませんか?」
「え、ええ!お陰様でもう大丈夫よ!」
こ、怖い・・早く自分の席に戻ってよ!どうしよう。お昼休みが非常に怖い・・・。
「それで、お嬢様。お昼休みですが・・・。」
マリウスが何かを言いかける。ああっ!やっぱりそうなるのね?!嫌だ、今日のマリウスは別の意味で怖い。こんな事ならいつもみたいにドMなマリウスの方が、数倍マシだ。絶対今日2人きりで食事などしようものなら急性胃腸炎を引き起こしそうだ。
しかし、流石我が友エマが私が半分涙目になっているのに気づいたのか、助け舟を出してきた。
「生憎ですが、マリウス様。貴方はわたし達と仮装ダンスパーティーに向けて特訓させて頂きます。歩き方から仕草迄・・・お昼休みにしっかり訓練致しますね。ジェシカさんは図書館で調べ物があるのですよね?」
おおっ!ナイス、エマ!
「え、ええ。そうなの。だから・・・お昼休みはエマさん達と過ごしてくれる?ごめんなさい、マリウス。」
マリウスは怨めしそうに私を見つめ・・・ヒイッ!そして授業開始のチャイムが鳴り、仕方無く席へと戻って行った。
「あ、ありがとうございます!エマさん・・・っ!」
私はエマに手を合わせた。
「いいえ、当然の事をしたまでですわ。とにかく私達に任せて下さい。」
その日の午前中の授業はとてもでは無いが集中出来るものでは無かった。なにせ、1番前に座っているマリウスの後ろ姿が嫌でも私の視界に入ってくるからだ。本当にたまったものでは無い。
そして昼休み・・・私はカバンを抱えて、逃げるように教室を飛び出したのは言うまでも無かった・・・。
ああ、もう嫌だ・・・。教室を飛び出した私は気が付けば、今はほとんど使われていない旧校舎まで逃げ出して来ていた。あまり手入れの行き届いていない中庭にあるベンチに座ると、ため息を付いた。
全く今日は厄日だ。お腹は空いたし、上着を着て来なかったので寒さが見にしみる。
私はブルリと寒さに身を縮ませ、クシャミを1つした。
ガサガサッ!
その時、茂みの中から音が聞こえた。え?誰かいるの?
私は恐る恐る音の聞えてきた場所に近づいていくと、そこには寒空の下で、昼寝?をしている男子学生がいるではないか。
「!」
肩章を見ると同じ新入生のようだ。それにしても寒くは無いのだろうか?その学生は持参?のシートを広げ、気持ち良さげに眠っている。その寝顔は幸せそうだった。彼は額に金の額飾りを付けている。その寝顔を見て私は思った。全く羨ましいものである。こちらは主でありながら得体の知れない従者から逃げ回っていると言うのに、この学生はのん気に眠っていられるのだから・・・。
それにしても、どうしよう・・・。お腹は空いてるし、かと言ってカフェや学食に行って、マリウスに鉢合わせをするのも非常にマズイ。それに他の男性陣達に偶然会って一緒にいる所をマリウスにでも見られたりしたら・・・。
そんな事を考えている内に、何故か私迄眠くなってきた。
そうだった・・・。確か昨夜は色々あってろくに寝ていなかったんだっけ・・・。
クシュンッ!
私は自分のくしゃみで目が覚めた。え?辺りを見渡して思い出した。手入れの行き届かない庭、そして硬いベンチに横たわっていた私・・・。
「や、やだっ!私、いつの間にこんな場所で・・・え?」
起き上がったわたしの身体から誰かの制服の上着が滑り落ちた。これは一体誰のだろう?
あっ?!そ、それに今の時間は?私はマリウスの様に腕時計をはめていない。おまけにこの辺りには時計も無さそうだ。今すぐにでも教室に戻りたい所だが、誰かさんの上着を借りたまま戻る事も出来ない。
「どうしよう・・・。」
仕方がない、このままここで上着を貸してくれた人が戻るのを待つ事にしよう。
しかし、待てど暮せど中々その人物は戻って来ない。上着を私にかけてくれたのは、ここで昼寝をしていた人物だとは思うが、名前どころか、顔もよく覚えていない。
「どうしようかな・・・。」
口に出して呟いた時に突然声をかけれた。
「あれ?君、まだここにいたのか?」
顔を上げると、そこに立っていたのは、やはり先程この場所で眠っていた学生であった。
「あ、あの、上着をお借りしてしまったので・・・。」
「こっちも驚いたよ。まさか、あのミス・ジェシカがこんなへんぴな場所で居眠りしているんだからな。そんな俺の上着なんかベンチの上に置いておけば良かったのに。」
いや、まさかそんな失礼な真似は出来ないだろう。
「いえ、いえ。借りておいてそんな無責任な事は出来ませんよ。」
「そうか、君は律儀なんだな。でも勝手に貸したのは俺なんだから、気にする必要は無かったんだけどな。」
肩をすくめて言う男子学生。
「でも私が寒そうにしていたからですよね?」
「まあ、確かにそうだけど・・・でも大分待ったんじゃないかな?実は君が寝ている合間に昼ご飯食べてきたんだよ。」
「お昼・・・。」
その言葉を聞いた途端、グウ~ッと私のお腹が派手になるのだった・・・。
「「・・・。」」
思わず、2人で無言になる。ああっ!なんて恥ずかしい!
「あ、あの・・・そ、それでは失礼します・・。」
顔を真っ赤にしながら私は慌ててその場を後にしようとして・・・呼び止められた。
「き、君!もしかしてお昼ご飯食べていなかったの?どうして?」
案の定、質問されてしまった。なんだか説明するのも忍ばれるので、私は言った。
「ごめんなさい・・・理由は聞かないで下さい。」
「え?」
「そ、それでは失礼します!」
「ミス・ジェシカ!」
突然その男性は私を呼び止めた。あれ?そういえば、何故彼は私の名前を知っているのだろう?
「これ、良かったら食べて。」
彼が差し出してきたのは紙袋だった。
「これは何ですか?」
「実はさっき、カフェでテイクアウトしてきたスコーンだよ。これでもお腹の足しにはなるだろう?」
おお~っ!2個も入ってる!なんて美味しそうな・・・。
「あ、あの私にも今度お礼させて下さい!こちらに来ればまた会えますよね?」
「いいよ、別にそんなお礼なんて。」
「それは駄目ですよ。受けた恩は返さないと。」
すると相手は困惑したように言った。
「でも食事しそこなったのは、俺を待っていたからだろう?」
「でもそれは私に上着をかけてくれたから、帰りを待っていただけです。」
「分かったよ、本当に礼なんかいいのに・・・。俺は大抵昼休みはここにいるから、ミス・ジェシカの都合の良い時で構わないよ。」
人懐こい笑みを浮かべて彼は言った。その優し気な笑みに一瞬心臓がドキリとする。
あれ?そういえば何故彼は私の名前を知ってるのだろう・・・。でも恐らく私はもう有名人になっているのだろう。敢えて理由を聞くのはやめよう。
その時予令が鳴った。
「それじゃ、俺はもう行くから。」
彼は立ち上がると言った。
「はい、ではまたいずれ。」
そして私達は手を振って別れた。
「あれ?そう言えば、私、今の人の名前聞いて無かった・・・。」
でも、まあいいか。いずれまた会う事になるだろうし・・・。
だが、この時の私はまだ知らなかった。これが私と彼にとっての人生を左右する運命的な出会いであったと言う事に・・
でも、それはもう少し先の話・・・。
2
昼休みが終わると私は嫌々教室へと戻り、マリウスの様子を伺った。何やらマリウスは疲れ切った様子で机の上に突っ伏している。アラン王子が話しかけているが、その反応は鈍いようだった。ははあん、あの様子だとかなりエマ達にしごかれたようだ。
「あ、ジェシカさん。見えますか?マリウス様の様子。」
教室に戻って来るとすぐさまエマが私に話しかけてきた。
「ええ。見えます。何だか随分疲れ切ってる様に見えますね。」
私が言うと、エマはほくそ笑んだ。
「ええ、それはもう。ばっちりマリウス様をしごきましたので。話し方から歩き方・・何から何までね。」
あ・・・そ、そうなんですか・・・。その様子だとマリウス、かなり厳しく指導された様ね。よしよし、あれだけ疲れていれば今夜の約束は無しになるかな?
午後の授業は久しぶりにジョセフ先生の天文学だった。先生はあの日以来、少し自分の中で何かが変化したのか、以前に比べて覇気があり、一部の学生達に不思議がられていた。授業が終わって、教室を出る時にジョセフ先生は私を意味深に見て、笑みを浮かべると教室を出て行った。
先生が出て行った後は教室内で、あの天文学の臨時講師が笑ったとひとしきり話題になったのである。
そして本日の授業も全て終了したので、私はカバンを持つとマリウスに見つからないように全速力で教室を抜けだし・・・そして、校舎を出たところで・・・捕まってしまった。
「お嬢様?今朝の私との約束はお忘れですか?」
何故か私の方が先に校舎を飛び出したのに、先回りをしていたのか、女子寮入り口付近でマリウスが待ち伏せしていたのである。
「あ、え~と・・・その・・・。ち、ちょっと女子寮に用事があって・・・。」
私はしどろもどろになりながら、必死で言い訳をする。お願いよ、マリウス。どうか見逃して頂戴。今日の貴方は何だか怖いんだってば!
「そうですか。ではこちらで待っておりますので用事を終わらせましたら速やかに出て来て下さいね?お嬢様。」
マリウスはにっこり微笑むが・・・やはり、その眼は笑っていない。だから・・・口元だけで笑うのはやめてってば!ものすごーく得体の知れない怖さを感じるのだから。そんな笑い方をされるぐらいなら、いっそ無表情を通してくれた方がまだマシだ。
「は、はい・・・分かりました・・・。」
思わずマリウス相手に敬語を使ってしまう私。い、いけない。これでは主と下僕の関係が完全に崩壊してしまう・・・!
私はクルリとマリウスに背を向け、女子寮へと戻ろうとして・・・背後からマリウスの腕が伸びてきて、私を捕らえた。
ヒッ!!マ、マリウスはいったい何をするつもりなのだ?!
マリウスは私の両肩に長い腕を回し、私の耳に自分の口を近づけると囁くように言った。
「お嬢様。本日は一体どうされたと言うのですか?やけにしおらしいではありませんか?いつものように私に冷たい瞳を向けたり、蔑み、罵る言葉を私にぶつけてはくれないのですか?」
そしてますます強くマリウスは私を背後から抱きしめて来る。心臓はドキドキと早鐘を打って苦しい位だ。しかし、この動悸は恥じらいや、照れから来るものではない。いつマリウスに殺られてしまうのだろうか?との恐怖心から来る動悸である!
「おや?どうしたのですか?ジェシカお嬢様・・・。何だか心臓の音が激しいようですが・・・?」
マリウスが背中越しから声をかけてくる。そんなの当たり前じゃ無いの!貴方にいつ背後からブスリと殺られてしまわないかと思うと、怖くてたまらないから自然と動悸だって早くなってしまうわよ!
「ひょっとして照れていらっしゃるのですか?フフ・・・ジェシカお嬢様は本当に可愛らしいお方ですね。」
マリウスがクスクスと笑っている。はあ?そんな訳無いでしょう?!どうしてドM男で、つかみどころのない、さらに狂気を宿しているような男に照れたりしなくてはならないのだ!・・・等とはとても言えず、私はだんまりを決め込む。
「ジェシカお嬢様・・・どうして口を聞いて下さらないのですか?もしかすると・・・私の事が怖い・・ですか?」
マリウスの質問に私の両肩がビクリと震える。し、しまった・・!今ので私の気持ちがバレてしまったか?!慌ててブンブンと首を左右に振る私。
「そうですか・・・。ではジェシカお嬢様は私の事を怖くないと思って下さっているのですね。」
どこかホッとしたようなマリウスの声。しかし、私はそれどころではない。どうすればマリウスから逃げられるか、頭の中はその事ばかり考えている。
「お嬢様・・・それでも何故か心なしか、私に対して緊張しているように見えますが・・・どうすれば緊張を解いていつものお嬢様に戻ってくれるのでしょう・・・。」
マリウスはまだ私を離さずに、独り言のように呟いている。お願いだから、もう私を解放してよっ!!今の貴方は怖くてたまらないんだってばっ!
「そうだ、いい事を思いつきました。」
とても良い考えが浮かんだかのようにマリウスが嬉しそうに言う。え・・・?ちょっと待って。一体私に何をするつもり・・・?何だか嫌な予感・・しかしない。
突然マリウスはグルリと私を自分の方向に向かせ、私の両頬に手を当てる。
い、一体何するつもりなのよ・・・!固まったまま動けない私。
そして眼前にマリウスの顔が近付いてくる。
「・・・ん。」
え?な、何?マリウスは今私に何してるのよーっ!!
何とマリウスは私に口付けているでは無いか!頭の中が真っ白になる。
やがてゆっくりと唇を離すマリウス。
「・・・・。」
私は今度こそ完全に固まっている。それを良い事に、さらにマリウスの顔が近づいてゆき・・・・。
「な・に・するのよ~っ!!」
瞬時に我に返った私は咄嗟に両手でマリウスの顔をガードして、阻止した。マリウスはキョトンとした顔をしているが、さらに強引に顔を近づけて私に第2弾をかまそうとしてきた。
ブチッ!
私の中で何かが切れる音がした。
「い・・・いい加減にしなさいよっ!!このド変態の発情男がっ!!」
そして足を踏みつけ、激しくマリウスの顔を睨み付ける。
「お・・お嬢様・・・。そう・・その表情です・・・っ!」
マリウスは嬉しそうに顔を赤らめている。
「はあ?!な、に、がその表情よ!よくも私の唇を勝手に・・・何の許可も得るどころか無言で突然あんな事をする訳?!人が固まっているのを良い事に・・・。大体、今の流れで2人の間にそんな雰囲気あった?ねえ?全然無かったわよね?!本ッ当にあり得ない!この史上最低男!おまけに酔いつぶれてしまったあの時はよくも勝手に人の制服を脱がして着替えさせたわね?!目隠しをしていたから大丈夫だあ?!そんな訳無いでしょう!今度私に対しておかしな真似をしたらねえっ!この学院にある温室の全ての花びらの数を数えさせるわよっ!!」
私はハアハア息を吐きながら、マリウスを睨み付け、一気に言いたい事全てをぶちまけてしまった。
一方のマリウスはというと、両手を組み、潤んだ瞳で私を見つめると言った。
「そう、お嬢様、それです!私が望んでいた事はっ!」
「煩いっ!それ以上喋らないで!私の耳が腐るわっ!」
そしてマリウスの足を思い切り踏んづけてやった。たまらずウッとうなるマリウス。
こうして無事に?私とマリウスの仲は修復され、この日の夜は明後日開催される仮装ダンスパーティーについての計画と段取りの話し合いがなされたのだった。
よし、マリウスと2人で力を合わせ、男性陣達の目をくらましてパーティー終了まで何とかバレずに逃げ切る。そしてアラン王子をソフィーの前に連れ出して2人を恋仲にさせる計画も同時進行させなくては・・・・。