第1章 2 イケメンは鑑賞に限る
1
食堂にはわずかな学生しかいなかった。そしてメニューも殆ど残っていない。
私はマリウスと二人向かい合って、スープリゾットを食べている。
「マリウス・・・ごめんなさい。うっかり眠っていたから貴方を1時間も待たせてしまって。」
申し訳なさそうに謝る。
「ハハハハ・・・・。いいんですよ。粗食は身体に良い事なので。ん?と言うかお嬢様、今私に謝りましたか?」
「え?うん・・・。謝ったけど・・・?」
カチャーンッ
学生が殆どいない食堂のホールにマリウスが床に落としたスプーンの音が響き渡った。
「・・・・。」
マリウスは石化の魔法にでもかかったかのように固まっている。
「マリウス?ねえ、どうしちゃったの?マリウスってば!」
私が呼びかけてもマリウスは微動だにしない。何?またおかしくなっちゃった?
「は!」
暫くするとマリウスは魔法が溶けたかのように我に返った。
「お嬢様・・・先程の事を確認させて頂きたいのですが・・・?よろしいですか?」
マリウスは真顔で私の顔をじっと見る。
「うん。いいけど?」
「先程、お嬢様は確かに私に謝りましたか?」
「うん、謝りました。」
私は素直に返事をする。
その言葉を聞くと、途端にマリウスはテーブルに崩れ落ちる。
「な・・・何て事だ・・・・!私があの時目を離したばかりに、お嬢様がおかしくなられてしまった!やはり一時でもお嬢様の側を離れるべきでは無かった・・!」
テーブルに突っ伏して肩を震わせているマリウス。
まさかこれ程の衝撃を受けているとは・・・・ジェシカ、貴女どれだけマリウスを虐めていたのよ。
私は溜息をついた。ここは私の書いた小説の世界で貴方の主人であるジェシカではありません、この小説の作者ですよ。等と本当の事を当然言えるはずもなく・・。ここはマリウスには悪いが嘘をついてごまかすしかない。
「ねえ、マリウス。貴方に大事な話があるから冷静になって聞いてくれる?」
私はマリウスに話しかけた。
「大事な話、ですか?」
「そう、大事な話。」
「それは今のお嬢様に関するお話ですか?」
マリウスの言葉に私は黙って頷く。
「分かりました、お話聞かせて下さい。」
マリウスは居住まいを正した。話が早くて助かる。
「実は、今私記憶喪失なの。」
神妙な面持ちで話す。
「記憶・・・喪失ですか?」
「うん、それも今日突然。気が付いてみれば草むらの上で眠っていたみたい。そして偶然通りかかったアラン様が私に気付いて起こしてくれて。目が覚めた私は・・・自分の事が何もかも分からなくなっていたってわけ。」
「・・・・。」
マリウスは黙って話を聞いていた。
「信じてくれる?」
黙ったままのマリウスの気持ちを知りたくなった。
「ええ。私はお嬢様の言う事ならどんな事でも信じます!」
おおっ、さすがはマリウス。それとも余程今迄ジェシカに洗脳されてきたのかもしれない。
「本当に?」
私は念押ししてみた。
「ええ、本当です。やはりおかしいと思ったのですよ。普段と態度が全く違うし。何よりその話し方です。以前までのジェシカお嬢様とは全く違います。」
「なるほど・・・ね。」
やはり庶民の私には所詮お嬢様言葉?を使えるはずが無い。しょっぱなから色々な人の前で普段通りの話し方をしてしまっていたのだから、かなり奇妙に映って見えていただろう。
「だからね、以前のジェシカがどうだったかは分からないけどこれからの私は貴方の嫌がるような事はもうしないから。言葉遣いも悪いけど、このままの話し方でいかせてもらうね。」
「そうですか・・・・。それでは以前のようにお嬢様から罵詈雑言やごみ箱に捨てられた青カビだらけのパンを見るような嫌そうな視線で見られる事も無くなるのですね・・。」
いかにも残念そうに言うマリウス。ねえ、そこは本来は喜ぶべき所なんじゃないの?
それにしてもあまりの物の言いようだ。ジェシカという人間性を疑ってしまう。
でも悪いけど私は貴方の希望通りの態度は取れないよ。だって本物のジェシカじゃないし。だから私は言った。
「そういう事でもう私と一緒に行動してもらわなくて大丈夫だよ。今までの私だったらマリウスを自分の思うように従えてきたかもしれないけど、もうマリウスの期待通りには振舞えないから得にもならないでしょう。それに今の私はこの学院で過ごす間はマリウスに学院生活を満喫してもらいたいと思ってるのよ。貴方には貴方の人生があるわけだから私の事は気にしないで自由にして。」
話し終わると私はにっこり微笑んだ。マリウスは下を向いたまま黙っている。
よし、これでマリウスを私という面倒な存在から解放してあげる事が出来た。彼には是非とも学院生活をエンジョイして貰えればと思う。
しかしマリウスから返ってきたのは意外な言葉だった。
「嫌です・・・・。」
「え?」
マリウスの声が小さくて聞き取れなかった。
「嫌です!いくらジェシカお嬢様でもその話だけはお受けする事は出来ません!」
マリウスは意思を込めた強い瞳で私を見た。
「私が損得で今迄ジェシカお嬢様にお仕えしていたと思うのですか?10年前、初めて貴女にお仕えする為にお会いしたあの時から貴女のその強い瞳に私のハートは打ち抜かれてしまいました。この方の下僕として自分の一生を捧げようと自分自身に誓いを立てたのです。例え貴女が記憶喪失になって人格が変わってしまおうとその決意は変わりません。」
熱のこもった熱い眼差しで見つめてくるマリウス。
「マリウス・・・。」
何?この目の前にいる男は。マリウスにMっ気があるのは分かったけど、てっきりそれは毎日毎日ジェシカにいびり倒されてきたからだと思っていたのだがどうやらそれは違ったようだ。元々マリウスはその気があったのでジェシカの下僕としてはまさにぴったりの相手だったと言う事か。考えてみれば小説の最後でジェシカ達が流刑地へ流された時、マリウスまでついてくる設定がこのような形で歪められたのだろう
私に一生を捧げる?それは一生私の側から離れないって言う事なのか?
無理だ。いくらイケメンでもこんな変な男を側に置いておくなんて私には絶対無理。下手をすれば一緒にいるこっちまで周囲の目から冷たい視線を浴びる事になってしまう。あの小説の中ではお気に入りのキャラクターの1人だったのに・・・・。私の思い描いていたマリウス像がこの時ガラガラと音を立てて崩れ落ちる瞬間だった。
私は余程嫌そうな視線でマリウスを見つめていたのだろう。先程まで元気が無かったマリウスの表情が喜びへと変わっていく。・・・何だか嫌な予感しかしない。
「ッ!お嬢様!ああ、やはり記憶喪失になられても根本的にお嬢様は変わっておりません。薄気味悪い虫けらを見るようなその嫌そうな視線、どうかもっとその眼で見つめて私の心臓を射抜いて下さい!」
マリウスは頬を赤く染めて嬉しそうに震えている。人が殆どいない食堂で本当に良かったと私はこの時ほど感じた事は無い。
「分かったってば!側にいてもいいからそれは止めて!」
私は必死で止めたが、マリウスは留まる事を知らない。
「本当ですか?お側にいてもよろしいのですね?夢みたいです・・・。そうだ!夢かどうか確かめるために私の両頬をおもいきりひっぱたいていただけますか?」
もう嫌だ。逃げだしたい・・・。そんなやり取りをしている最中、突然私達は声をかけられた。
「そこの2人。先程から何をそんなに騒いでいるんだ?」
「え?」
見上げるとそこには、あの時草むらで出会ったアラン・ゴールドリック王太子その人だった。
「何だ、あの時の奇妙な女か。入学式が始まると言うのに外で眠っていた挙句、コスプレだとか訳の分からない事を口走る。かと思えば成績優秀でまさか新入生代表の挨拶に選ばれるとはな。それにしてもあのスピーチ、中々面白かったぞ。女ながら勇ましくて笑えた。」
口元に笑みを浮かべたアラン王太子はどこか嬉しそうに言った。
2
「こ・・・こんにちは。アラン・ゴールドリック王太子様・・・。」
私は慌てて立ち上がると引きつった笑みを浮かべながら90度に頭を下げて目の前の王子に頭を下げる。そんな私を見てマリウスも同様に頭を下げた。
よく映画やテレビドラマの世界では頭を下げた相手から「面を上げよ」なんて台詞を言われない限り、顔を上に上げられない。私はその言葉を待ってひたすらに頭を下げ続けた。
するとアラン王子は怪訝そうな声で言った。
「一体、何の真似だ。それは?」
「え・・・?ですから王太子様に御挨拶を・・。」
「何故頭を下げ続けているのかを尋ねているのだが?」
「それは・・面を上げよと言われるまでです。」
お願いだから早く言ってよー。私は心の中で叫びながら言った。
「全く・・・お前は面白い女だな・・。」
アラン王子はクックッと笑いながら言った。
いいから早く言ってよ。面を上げよって―。こっちは頭に血が上りそうなんだから!
私は心の中で必死に叫ぶ。
「分かった、お前の言った言葉を言えばいいのだな?」
アラン王子はコホンと咳払いをすると言った。
「そこの2人、面を上げよ。」
アラン王子に言われ、ようやく私とマリウスは頭を上げた。よく見るとアラン王子の背後には2人の男性が立っている。この二人も中々のイケメンだ。ここの世界はイケメンばかりだなー。等とぼんやり考えているといつの間にかアラン王子と付き人2人は私達と同じテーブルに着いている。そして私の方をみて言った。
「どうした?座らないのか?」
「い・いえ・・・。王太子様と同じ席に着くなんてそんな恐れ多い事・・。」
若干引き気味になりながら私は言う。
「何だ?そんな事を気にしているのか?くだらない。ここは学院で俺達は同じ学生だ。身分等関係無いだろう?それに・・・。」
アラン王子は突然立ち上がると、私の右手を取った。
「え?」
「聞くところによると、お前の身分は公爵だ・・・。けっして悪い身分では無いと思うぞ・・・?」
妙に色気を含んだ言い方をすると握った私の右手を自分の口元へと近づけた。
ちょっと!何てことしてくれるのよ、この王子は!私は心の中で叫んだ。こんな所を他の人達に見られでもしたら・・・と言うか、すでにここにいる男性達に見られてるじゃないの。おまけに辺りを見渡せば、まだ学食にちらほら残っていた学生たちの視線が集中していた。
一方のマリウスは口を開けたままポカンと立ち尽くしている。
「あの、手を離して頂けますか?」
こんな事で慌ててはいけない。逆に周囲から好機の視線にさらされてしまいそうだ。
「何故だ?」
アラン王子は心底不思議そうに尋ねる。成程、きっと今まで女性からそのような対応をされた事が無いのかもしれない。
「私、まだ部屋の片づけが終わっていないんです。だからこれから自室に戻って片付けて来ないとならないからです。」
アラン王子の手が緩んだ隙に自分の右手を引っ込めると私ははっきりと言った。
「お前、まだ片付けが済んでいなかったのか?一体何をしていたんだ?」
アラン王子の素朴な疑問についうっかり口が滑って答えてしまった。
「・・・眠っていたからです。・・はっ!」
私は慌てて口を両手で押さえたが、もう後の祭り。
「なんだ、お前は。また眠っていたというのか?」
アラン王子は心底楽しくて仕方が無いのか肩を震わせて笑っている。
もうこうなれば開き直るしかない。どうせ初対面で失礼な態度を振りまいてしまったのだから。
「ええ、そうです。気が付いたら眠っていました。そこを寮母さんに起こされたのです。こちらにいるマリウスと学食で食事を取る約束をしておりましたが、私が1時間も遅れてしまった為に残っていたメニューしか頂く事が出来ませんでした。」
「なるほど・・・。ああ、それから俺の事は王太子では無くアランと呼んでくれ。」
そんな呼び捨てなんか出来るわけないでしょう。
「あ・あのそれではアラン王子様と呼ばせて頂きます。」
「ああ、それで良い。所で先程から誰か気になっていたが、そこの男はマリウスと言うのか。」
アラン王子はマリウスを値踏みするかのように見た。
「はい!マリウス・グラントと申します。」
あ~確か、そういう名前設定していたかも・・・。マリウスは王太子という立場の人間に見られているのが余程緊張するのか僅かに身体が震えているようだ・・・ん?でもよく見ると若干興奮を抑えているように見えなくも無い。
「二人の関係は?」
何故、そこまで聞かれなければならないのだろう?第一この王子はどういうつもりでそこまで踏み込んでくるのか理解できない。いくら王子でもプライバシーの侵害に当たるのでは無いかと思う。かと言って王子に失礼な態度を取る事は出来ない。
「マリウスはここの学生であり、私の付き人です。」
下僕と言う言い方があまり好きでは無い私はあえて付き人と答えた。
「付き人・・・?」
その場に居た全員が首を捻る。あ・もしかしてこの世界では『付き人』っていう言葉は無いのかも。ここでの記憶が無いと言うのは本当に困る。
「おい、お前たち。付き人と言う言葉は知ってるか?」
アラン王子は二人の学生に尋ねた。きっと彼等も俗に言う『付き人』なのだろう。
二人の学生は顔を合わせたが、やはり困惑している。マリウスも然りだ。
「申し訳ございません。」
「初めて聞く言葉です。」
「そうか・・・お前たちでも知らないか・・。それではお前に直接聞こう。『付き人』とはどういう意味なのだ?」
「付き人とは、身の回りの世話をしてくれる方々の事を言います。従者とか、下僕のような人達と同じ意味ですね。」
もう気が済んだでしょー。早く解放してよ。私は心の中で訴える。でもこうしていても埒が明かない。
「それではアラン王子様、ご機嫌用。」
私は頭を下げるとマリウスの手を掴み、ズンズンと食堂を出て行った。
食堂を出て、中庭のベンチに座るとようやく大きなため息をついた。
「はあ~大変な目にあったわ。」
「よろしかったのですか?お嬢様。」
マリウスは私を見ると言った。
「何が?」
「折角アラン王太子様にお声をかけて頂いたと言うのに・・・。あれ程おっしゃってたではありませんか。絶対にアラン王子様を堕とすと。」
「え・・・?」
ジェシカという女はそんな事を言っていたのか。この様子では他にも色々な男性達を入学前から物色していた可能性がある。
その時の私は余程嫌そうな表情をしていたのだろう。何故ならマリウスの様子がまたおかしくなってしまったからだ。
「お・・・お嬢様。」
マリウスは口元を隠し、真っ赤な顔で震えている。
「実に素晴らしい表情です!買って来た卵が全て割れてしまったのを眺めているかのようなその実に嫌そうなお顔。私の一言でそのような表情を導き出せるなんて感無量です!」
未だ隣で何か興奮しているマリウスは置いておき、私は考えに集中した。
ひょっとしたら今迄の行動で私はあの王子に目を付けられてしまったかもしれない。
けれどあの王子はヒロインのソフィーと結託して私達一族を流刑地へと送った人物。
出来ればこれ以上関わりたくはない。まずは王子の行動パターンを把握して、なるべく鉢合わせにならないように気を付ける必要があるかもしれない。
後は・・・あまり気乗りはしないけれどもソフィーと多少?親しくなり、さりげなく
アラン王子との仲を取り持つ・・・。そこまで考えて私はある事に気が付く。
ん?ちょっと待って。確かアラン王子のクラスって・・・?
「あああああ!」
私は思わず頭を抱えて立ち上がっていた。
「お・お嬢様?一体どうされたのですか?何か拾い食いでもされたのですか?!」
「マリウス・・・貴方ねえ・・・人の事を一体どういう目で見てるのよ。」
私は恨めしそうにマリウスを見た。
「・・!」
また興奮して何か変な事を口走りそうになったマリウスの口を押さえつけた。
「ストップ!何も言わないで。考えがまとまらないから!いい?」
強引にマリウスを頷かせ、静かにさせると思案した。
そうだ、アラン王子は私と同じクラスだった―。
3
「あの・・・お嬢様。本当によろしいのですか・・・?」
小声でマリウスの戸惑う声がする。
「いいから、学校案内が終わるまではこのままでいさせて貰うからね。」
時刻は14時。新入生一同が講堂に集合している。今から学校案内が始まるのだ。そして私は周囲の目も気にせずにマリウスの身体に寄り添い、腕を組んでいる。何故このような真似をしているかと言うと、先程のアラン王子の態度が気掛かりだったからだ。いやいやまさか王子が私に興味を持ったとはあまり考えにくい事だが、念の為男性と一緒にいる所を見せておけば間違いは無いだろうと考えた上での行動である。
「それにほら、こんな格好しているの私達だけじゃないみたいだよ。」
「言われてみればそうですね。」
周りにいる学生たちの中には既に恋人同士なのか、仲睦まじげに寄り添っているカップルが何組かいた。
「やはりこの学院てそういう場所なんでしょうね~。学生結婚が出来て、しかも彼らの為の特別校舎が設置されているなんて早々無いですよ。やはり貴族達だけが入学を許される学院と言う事だけありますよね。」
マリウスは興味深げに周囲の様子を見ている。私はそんな彼の様子を横目で観察した。やはりマリウスはイケメンだ。今だって周囲にいる女子学生達が頬を染めて彼をみつめているのだから。黙っていればこんなに恰好いいのに、残念極まりない。
そこへ女子学生達からざわめきが起こった。私も何事かと思い振り向くと、丁度アラン王子が講堂に現れた所だったのだ。側にはやはり先程と同じ2人の男子学生が立っている。
「見て見て。アラン王太子様よ。」
「やっぱり素敵ですわよね~。」
「私、この学院に入れて幸せですわ。」
「アラン王太子様は卒業までにお相手の女性を見つけるおつもりかしら?」
「あら、もしかするともう意中の女性がいらっしゃるかもしれなくてよ?」
等々・・・
一方のアラン王子は講堂の中をキョロキョロと見渡している。何だろう?誰か探しているのかな・・・?その時、偶然私はアラン王子と目が合ってしまった。まずい!目が合っちゃった。すると何故か王子は笑みを浮かべて私から視線を外さない。が、すぐに険しい視線へと変わる。・・・嫌な予感が。すると人混みを掻き分けてこちらへ向かってきているではないか。ああ!やっぱり!慌てて私は視線を外して前を向くとマリウスの袖を引いた。
「ねえ、マリウス!」
私はマリウスを自分の口元まで近づかせると小声で囁いた。
「どうしたのですか?お嬢様。」
「何だかアラン王子様が怖い顔してこっちへ向かってきてるのよ。だから場所を変えるよ。ほら、しゃがんで!」
私は無理矢理背の高いマリウスをしゃがませると人混みの中で身体を隠すように二人で素早く移動する。途中、マリウスの足を踏みつけてしまったが、仕方が無い。
ようやく人混みを掻き分けて、頭を出すと完全にアラン王子の姿は見えなくなっていた。良かった。ひょっとするとアラン王子は私ではない誰かを探していたのかもしれない。けれど、念には念を入れておいた方が良いだろう。
「新入生の皆様、お待たせ致しました。これより学校案内を始めたいと思います。指示に従って移動お願い致します。」
この学院の教員だろうか。拡声器のようなものを使って話している。そうか、この小説の世界でもあのようなアイテムがあるようだ。自分の小説の世界なのに妙な所で感心していた。
その後、私たちは引率の教員に連れられ、色々な場所を案内された。最も私はこの世界観を良く知っていたので殆ど話も聞かずについて歩いただけだなのだが。
しかしどこかぼんやりしていたのか気付いてみれば私はマリウスとはぐれてしまっていた。まあどうせ、次は自分たちの教室の中へ入るだけなのだからいずれにしろ教室で会う事になるだろう。
歩きながらふと周りを見渡せば、もう仲の良いグループが出来上がっているのか、女子学生達が楽し気に会話している姿が目に入った。
そっか。もう友達が出来た人達がいるんだ。けれど私は誰か友達を作ろうと言う気にはなれなかった。そもそも私にとっては所詮この世界は自分の小説の中だし、第一彼等とは年齢が違う。小説の世界では彼らは18歳の若者。けれども実際の私は25歳。
無理に友達を作って慣れあおうとは思っていない。私の目標は卒業する4年間をいかに上手に渡り歩いて、もしこのまま今の世界で生きていかなければならないとしたら、日本にいた時のように自立した生活をしたいと考えている。まあ、そこに余計な人物がついてくるかもしれないけれど、マリウスだって良縁に恵まれれば私の事なんてどうでも良くなりそうだし。そうだ!この際だから学院に居る間にマリウスの恋人を探してあげるのも良いかもしれない。確かにイケメンに違いは無いが、はっきり言ってあれは無い。でも中にはMっ気がある男性が好みと言う女性もいるのでは無いだろうか?うん、きっといるに違いない。
気が付いてみれば私は腕組みをしながら1人、頷いていたらしい。
「またお前は面白い真似をしている様だな。」
ふと耳元で声をかけられた。
「?!」
驚いて振り向くと、悲しい事にアラン王子が意地悪そうな笑みを浮かべて立っていたのだ。ああ、最悪だ・・・。
「これはこれはアラン王子様・・・。」
何とか冷静さを保ちながら挨拶する。
「先程お前と一緒に居た男はどうした?」
妙に距離を詰めて王子は尋ねてくる。
「それが途中で逸れてしまって。」
「ほう、それで今お前は1人なんだな?丁度良い。俺も今1人なのだ。」
何が丁度良いのだろう?王子は妙な事を言う。でも言われて見れば腰巾着のようなあの2人が見当たらない。
「彼等はどうされたのですか?」
「お前と2人きりで話がしたいと思い、彼等には席を外させた。」
何故か機嫌が悪そうに王子は答えた。何か気に触る事を言ってしまったのだろうか?
「それより俺は今お前と話をしているのに、何故この場にいない彼等の事を気にするのだ?」
何これ?もしかして嫉妬している・・・?まさかね~。第一私と王子は今日初めて会ったばかりだ。そんな事よりマリウスだ。一体何処にいるのだろう?
私がキョロキョロしていると王子は言った。
「もしかしてあの男を探しているのか?」
「はい、そうですが。」
にべもなく答えると王子はどや顔で言った。
「それは気の毒にな。あのマリウスとやらは多数の女生徒に囲まれて校内を案内されてたぞ。」
確かにマリウスはイケメンだから他の女生徒達にして見ればほっとけない存在だろう。中身はがっかりだけどね。でも王子の言い方が何か気に入らない。なので私は言った。
「そういうアラン王子様はどうなのです?さぞかし女生徒に囲まれたのでは?」
「ああ。確かに囲まれた。だが彼等が追い払ってくれた。それに俺には別に気になる女性がいるからな。」
「それなら私の事など気にせずに、どうぞその女性の所へ行ってさしあげて下さい。」
「だからここへ来た。」
「はい?」
「2度も言わせるな。だからお前の所へ来たのだ。」
その時である。
「はい、では各自それぞれ自分の教室へ入って下さい。」
教員の声で、初めて教室に着いた事を知った。
「ああ。教室に着いた様だな。」
アラン王子は言うと、私の肩にポンと手を置くと言った。
「またな、ジェシカ。」
これが王子に初めて名前を呼ばれた瞬間だった・・・。
4
教室へ入るとマリウスが私の元へ駆け寄ってきた。
「お嬢様!良かった、やっと会えました!」
「ちょっと!酷いじゃないの!途中でいなくなるなんて!」
いや、本当ならマリウスはちっとも悪くない。あれだけ人がいればはぐれたって仕方ないのだ。ただ、マリウスを見ているとどうも嗜虐心をくすぐられてしまうと言うか・・・
いやいや、そんな事考えてはいけない。私はノーマル人間だ。
けれどもやはりマリウスは嬉しそう。
「お嬢様・・・私を燃えるような目で睨み付けるその瞳!さあ煉獄の炎でどうかこの身を焼き尽くしてくださいっ!ついでに踏みつけて頂ければ・・モゴッ!!」
当然の如く私はマリウスの口を両手で塞いだ。これ以上大きな声で騒ぎ立てられられたら私の名誉に関わる。
けれど幸いな事にこの学院は日本の大学のように階段式の広い円錐状の形をした教室だった為、私達の会話を誰かに聞かれる事は無かったのだった・・・。
その後、席に着くと教科書の配布が始まった。ちなみに私とマリウスは後ろの方の隣同士。
一方のアラン王子は2名の付き人?もどきと中央の最前列の席であった。あらら。あの席では居眠りも出来ないね。
各自に教科書が配られ始めた。しかし机の上に置かれた教科書を見て私は仰天してしまった。何せ教科書の厚さといい、本の作りといい、半端ないのだ。表紙は立派だし、厚さは辞書並みなのだから。そして冊数もこれまた凄い。数えてみれば全部で27冊もある。こんな大量の、しかも重たい教科書を一体どのように持ち帰れるのだろう?そもそも小説の中で教科書の記述してあったっけ?何故だか私の書いた小説が一人歩きしているような気もする。
けれど意外な事に教科書は教室に設置してある個人の本棚にしまっておけば良いとの事だった。成程、確かに日本で言ういわゆるA4サイズ程度が入るカラーボックスのような本棚が設置してある。うん、確かにこのような分厚い教科書は持ち帰るなんて事は不可能だ。でも日本だったら・・・・教科書ではなくタブレットやPCで済ませられそうなのになあ。思わず日本の暮らしに思いを馳せてしまった。
教科書を配り終えた後はカリキュラムの説明。この辺りは小説の中で適当に設定してしまったのだが、実際の世界では「物理学」「科学」「数学」等々が事細かに用意されていた。そして中でも極めつけが男性は剣術、女性は今はもう失われてしまった「古代語」を学ばなければならない。最後は男女を問わず魔法の勉強。この学院に入学できる学生は全員が「魔力持ち」である事が必須条件のひとつでもある、魔力がある人間には身体に特徴的な模様が浮き上がっている。男性の場合は右腕に剣のグリップ、女性の場合は左腕にブレードの部位が浮き上がっている。勿論、ここにいる学生全員がこの模様を持っているはずだ。確認はしていないが恐らく私にもあるだろう。
問題は教科書の中身だ。日本人の私がこの中身を理解できるとは到底思えない。
入学試験では1位を取ったはずなのに・・・と皆から思われてしまうのだけは絶対に避けたい。
私は恐る恐る教科書をめくってみた。すると意外な事に内容が驚くほど頭に入って来る。しかも日本語のように普通に読めてしまうのだから不思議だ。これは上手く表現できるものではない。あえて言うなら面白い小説を読んでいるかのような感覚だ。試しにもう1冊手に取ってみる。これは物理学の本だ。しかしこれもまた自然と頭の中に内容が入って理解する事が出来る。これも私がこの小説を書いた作者だからなのかもしれない。
私はほくそ笑んだ。この調子なら試験勉強する必要など無さそうだと。
「お嬢様、配られた教科書に早速目を通されるとは流石ですね。」
マリウスは笑みを浮かべて私を見る。うん、こうしてみる限りではマリウスは本当に普通のイケメン男性に見えるのだけど・・・・・。何故かすぐにおかしなスイッチが入ってしまうのが魅力を半減している。もしかすると彼は二重人格なのだろうか?
私があまりにもマリウスを見つめるので彼は戸惑っている。
「あ・あの・・・お嬢様・・・。そんなに火傷しそうな熱い視線を送られても、今後は夜のお努めは無理・・・ですよ・・・。」
マリウスは真っ赤な顔で言う。
「はいいいい?!」
マリウスのまさかの爆弾発言。
今、何と言った?!夜のお努め?ま、まさかこの2人は主と下僕と言う関係ながら男女の関係を・・・?だから平気でお姫様抱っこしたり、手をつないだりする事が出来たのか・・・?でも夜のお努めと言っても、私が考えているような事では無いのかもしれない。もっと別な、例えば・・・・ああ!何も考えが浮かばない!どうしよう?いっそマリウスに確認してみるか?夜のお努めとはどういう事なのか・・・・駄目だ!聞けない!私が記憶喪失だと言う事はマリウスに伝えてあるのに、何故私を悩ますような台詞を言うのか。心底彼を恨みたくなった。
頭を抱えて悶絶するそんな私をマリウスは不思議そうに眺めている。
「お嬢様、何処か具合が悪いのですか?何なら養護室へ・・・・。」
マリウスは顔を覗き込んできた。
ヒッ!私は心の中で悲鳴を上げた。落ち着け、私。別に男女の事を何も知らないわけでは無いだろう。日本にいた時は男性とそれなりに大人の付き合いをしていたわけだし、ここは何事も無い態度で・・・。
「別に、なんでもないよ。」
冷静を保ちつつ、答える。どこがだ、どこが冷静だ?私。
一方のマリウスは興味深気に教室を見渡して余裕の表情だ。何か気に入らない。私の心をこんなにも掻き乱しておいて。本当ならマリウスは全く悪くは無いのは分かっている。だが、どうにも気持ちが収まらない。ついつい恨めしそうな目で見ると、案の定マリウスは真っ赤な顔で全身をぷるぷる震わせて歓喜している。あああ・・・また発作が始まった。でも口に出さないだけマシか・・・。私はため息をついたのだった。
その後カリキュラムの説明が終わり、ここで解散。後は男女別れて寮のオリエンテーションが始まる。
「また後でな。」
教室を出る際、アラン王子が意味深な言葉を残して去って行ったがそこはスルー。
「お嬢様、18:30に女子寮の出入り口付近でお待ちしておりますからね。」
マリウスが私に言った。
「ねぇマリウス。私に構ってばかりいたら男の友達が出来ないんじゃないの?」
折角マリウスには学生生活を満喫して貰いたいのにこれでは意味が無い。すると以外な言葉が変えってきた。
「出来ましたよ。」
「え?!」
何と!いつの間に・・。おかしな思考の持ち主だからコミニケーション能力に問題があるのかと思っていたが、その心配は稀有だったようだ。
「そう。ならいいけど、くれぐれも友達の前で変な態度取らないようにね。」
「変な態度とは?」
マリウスは首を傾げている。
この男は・・・自分が時々Mになるのが分かっていないのか。
「だから、私にもっと自分を痛めつけて欲しい的な?お願いをしてくるでしょう?その事。」
「ああ、それなら大丈夫ですよ。だって私をそんな気持ちにさせるのはこの世でジェシカお嬢様ただ一人ですから。」
笑顔で答えるマリウス。
「え・・・・・?」
ここで私が頬を染める・・・・そんなわけあるか!何それ。気持ち悪い気持ち悪い。冗談じゃない。こうなったら一刻も早くマリウスに恋人を見つけ、押し付けなければ私の精神は限界だ。改めて思う。イケメンは観賞だけで十分だと・・・・。