第5章 2 恋人になろうよ
1
「マリア先生、今日はありがとうございました。」
私は頭を下げた。
「あら、別にいいのよ。まあ、貴女にとっては災難な話かもしれないけれど、私は今すごくワクワクしてるのだから。アカシックレコードの話なんて今迄他の人達に話しても皆笑い飛ばして信じてくれなかったのよ?おかしいと思わない。魔法が存在しているのに、予知夢やアカシックレコードの話は信じようともしないのだから。」
私は苦笑した。このマリア先生はやはり他の人達から見たら、かなりの変わり者になるのかもしれない・・・。でもふと、ある事に気が付いた。
「そう言えば先生、以前ソフィーさんが足を怪我してダニエル先輩が医務室に連れて来たことがあるそうなんですけど・・・?」
「あら?貴女知らなかった?この医務室は2人体制で行われているのよ。でも待って。ソフィーさんがこの医務室に来たことがあるんですって?嫌だ、そういう話は早くしてくれないと。少し待って、今診療履歴を調べてみるから。」
マリア先生は診察室の机の引き出しからノートを取り出し、ページを開いた。
「え~とソフィー・ローラン・・・。あ、あったわ!え・・あら、何かしら。この記録は?」
マリア先生はノートの記録を見ながら首を傾げている。何だろう?非常に気になる。
「マリア先生、どうかされたのですか?」
我慢が出来ず私は先生に尋ねてみた。
『ソフィー・ローラン。 18歳 9月15日 左足首負傷:傷病名及び原因不明』
「傷病名も怪我の原因も不明なんて・・・不思議な話だわ。」
マリア先生は首を捻っている。それはそうだろう。だってソフィーの怪我は魔法によってつけられたダミーのようなものなのだから。
「全く、あの人ったら・・・!きちんと患者の診察すら出来ないのかしら。」
あの人?妙な言い方をするマリア先生。余程親しい仲なのだろうか・・。ひょっとすると先生の後輩に当たるのかな?よし、試しに聞いてみよう。
「マリア先生、あの人と言うのは・・?」
「ああ、もう一人の医者と言うのは私の夫よ。アダム・ペイン。私と夫は交代でこの学院の医務室に勤務しているの。」
「えええっ!!マリア先生、結婚されていたんですか?!」
い、意外過ぎる話だ・・・!絶対、独身だと思っていたのに。人は見かけによらないものだ・・。
「あら?そんなに驚くような話かしら?でも貴女。本当に運が良かったわ。だって私の方が医師としては有能だからね。」
・・・凄い自信だ。でもある意味そこが頼もしい。
ボ~ンボ~ン・・・その時、12時を知らせる鐘が鳴った。
「あ、もうこんな時間!マリア先生、すっかり長居してしまって申し訳ありません。」
私は慌てて席を立った。
「あら、いいのよ。今日は患者さん1人も来なかったからいい暇つぶしが出来たわ。それじゃジェシカんさん。進展があったら、また知らせに来てね。」
マリア先生は手をヒラヒラ振った。
「はい、先生。ハーブティーご馳走様でした。お陰で気分もすっかり良くなりました。」
私はマリア先生にお礼を言うと、医務室を後にした。さてと、お昼かあ。どうしようかな。エマは多分私は寮で休んでいると思っているだろし・・・。どこかでランチを食べて、その後は図書館で『アカシックレコード』について自分でも調べてみようかな・・・?
学生食堂へ向かって歩きだした時である。
何やら聞き覚えのある男女の話し声が聞こえてきた。
あれ?もしかしてあの声は・・・?私は声のした方向に足を向けた。
学食のある建物の裏手は箱庭のようになっている。そして木が沢山生い茂っているので、秘密の恋をしている恋人たちによく使われているのだが・・・何とその木の陰に隠れるように立っていたのは、あろうことかソフィーとダニエル先輩だったのだ。
私は何やら不吉な予感がした。いつもの自分なら人の恋路を邪魔するような野暮な真似は一切しないのだが、今回ばかりは別だ。だって夢の中ではダニエル先輩は私の味方だったはずなのに、ソフィーと一緒にいるのだから。急に立場が変わってしまったのだろうか?その真意を何としても確かめなくては。(いいわけになるかもしれないが、決して私は盗み聞きをするつもりは無い。)
足音を立てないように、2人にバレないように静かに静かに近付く。そして茂みの中に身を隠す。よし、ここなら話声も良く聞こえる。うん?どうやら一方的にソフィーがダニエル先輩に詰め寄っている様だ・・・。
「酷い、ダニエル様。私、あれ程言ったではありませんか。私が足を怪我してしまったのはジェシカ様が落とし穴に突き落としたからだと。証拠映像だってご覧になりましたよね?」
松葉杖をついたソフィーは声を震わせて話している。・・・もしかして泣いているのだろうか?
「でも学院側では誰も犯人は彼女だとは認めていないよね?映像だって後ろ姿だっただったんでしょう?もうそれ位にして、いい加減にしてくれないかな?」
もう、うんざりだとでも言わんばかりのダニエル先輩。
「この学院は酷すぎます!私が準男爵だからと言って、優遇されるのはいつも爵位が高い人達ばかり・・・!私の方が、絶対にジェシカさんより魅力があるはずなのに!だってあの人は全然女らしくないし、がさつだし・・・。」
ヒステリックに叫ぶヒロイン。え?何故そこで私の名前が出てくる?それにしても酷い言われようだわ。大体、私の事それ程知らないはずだよね?随分被害妄想が強過ぎる。本当に私の書いた小説のヒロインなのだろうか?
「ねぇ、君はいったい何がしたいの?僕にどうしろと言うの?」
ため息混じりに言うダニエル先輩。途端に声色が変わるソフィー。
「そんなの・・・言わなくても分かりますよね?私にはもう貴方しか残されていないんです・・・。だから・・・。」
そしてダニエル先輩に腕を絡めるソフィー。
「・・・ねぇ、離してくれないかな。穢らわしい。」
ダニエル先輩はまるで汚らしい物でも見るような目付きでソフィーを見た。あ~あの目はマリウスが好みそうな目だ。しかし、ソフィーにはそうとうショックだったらしい。
「ッ!」
声にならない声を出すソフィー。身体がビクリと大きく反応し、思わずダニエル先輩から手を離す。
「ダ、ダニエル様・・・や、やっぱり・・・?」
ん?どうした?ソフィー。
「逢瀬の塔でジェシカさんと一晩を共に過ごしたのですね?!」
ち、ちょっと待てーっ!!何?その語弊のある言い方は!他の人が聞いたら勘違いするでしょう?!さあ、ダニエル先輩、すぐに今の話を否定して下さい!
ところが・・・・。
「だったら、何?」
髪をかきあげながら言うダニエル先輩。え?
ち、ちょっと何ですか?その思わせぶりな言い方は?
「そ、そんな!嘘ですよね?!」
食い下がるソフィー。ほら、先輩。早く誤解を解いて下さいよっ。
「うるさいなあ。僕たちが、何処でどんな関係を持とうが、君には全く関係無い話だよねえ?」
その言葉を聞いて、みるみるソフィーの目に涙が溜まる。あ、終わった・・・。
「ひ、酷い・・・。」
ソフィーは涙を拭うと、松葉杖を持って、歩いて去って行った・・・。何だ、やっぱり普通に歩けるのね。
「ねぇ、ジェシカ。いつまでそこにいるつもりなの?」
ギクウッ!!
私は観念して茂みから出てきた。
「いつから気付いていたのですか?」
「?そんなの初めからに決まってるでしょう?」
そ、そんな初めからバレてたなんて。
「全くしつこい女だ。僕が一番軽蔑するタイプだよ。」
吐き捨てる様に言う先輩。はあ、そうですか・・・。いやいや、それどころでは無い。
「先輩、何故あんな勘違いさせる様な言い方したのですか~っ!!」
私の声が辺りに響き渡るのだった・・・。
2
私は今ダニエル先輩とカフェテリアに来ている。
「君は何を食べるの?」
メニュー表を2人で見上げる。
「そうですね。では私はホットサンドセットで。」
「ふ~ん、美味しそうだね。僕もそれにしよう。」
「はあ・・・。」
「飲み物はどうするの?」
「え?では私はカフェ・ラテで。」
「それじゃ僕もカフェ・ラテにしようかな。」
「そうですか・・・。」
「何処で食べるの?」
「え?そうですね。今日は温かいので芝生公園で食べようかと・・・。」
「すみません。テイクアウトでお願いします。」
店員さんから紙袋にホットサンドセット2つを入れて貰うとダニエル先輩は私の意見を聞かずに腕を取ると言った。
「それじゃ行こうか?」
芝生公園のテーブル席で私達は向かい合って座っている。
これは一体どういう状況なのだろう?私の向かい側ではダニエル先輩がホットサンドを食べている。
「へ~。初めて食べるけど、美味しいね。」
「そうなんですよ。特に中の具材のスクランブルエッグが美味しいんですよ・・・って、そんな事言ってる場合じゃ無いですよ先輩!」
私はテーブルをバンと叩いた。
「何を興奮してるのさ。今は食事を楽しまなくちゃ。」
確かに先輩の言う事も最もだ。
「そうですね、食事は楽しく頂かないといけませんよね?」
私はホットサンドを一口食べる。う~ん、卵の味、最高!
「くくっ・・・君って人は、本当に美味しそうに食べるよね。」
笑いを噛み殺しながらダニエル先輩は言う。
「そうですね。色んな人達に言われます。」
すると、突然不機嫌になる先輩。
「それってアラン王子とか、生徒会長とか・・他の男たちに?」
「え、ええ。まあそんな所ですけど?」
「そう。でも今は僕と2人で食事してるんだから、他の男の事話すのは失礼だからね。」
「は、はい。すみません・・・。」
ええ~でも先に話を振ってきたのは先輩からですよね・・・等とは当然言えず。私達は黙々とランチを食べる。と、そこへ昨夜サロンで会った3人組の男性が側を通りかかった。
「お?何だ?ブライアント。昨夜の彼女とまた一緒にいるのか?」
「そっか~随分親し気だったもんな?」
「何言ってるんだ?お前ら知らないのか?昨夜この二人は御楽しみの夜を過ごしたんだぜ?」
あの、最後の人何だか随分過激な事をおっしゃっているようですけど?ダニエル先輩、早く否定して下さいよ!
ところが、先輩から出てきた言葉は・・・。
「そうだよ、昨夜は彼女と存分に楽しんだけど?」
涼しい顔で言うダニエル先輩。ギャ~ッ!!何て事言うのよ、この人は!また誤解されるような事を・・・。それに何やら得意げに私をみているようですけど?!
それを聞いた男子学生3人は一様に驚いた顔をしている。それはそうだ。何より一番驚いているのはこの私自身なのだから。
「ほら、分かったら二人きりにさせてくれないかな?僕たちは今ランチを楽しんでいるんだから。」
ダニエル先輩は3人にあっちへ行けよと言わんばかりの口調で言った。
「お、おう・・・。」
「悪かったな。」
「おい、今度二人の馴れ初めを教えてくれよ。」
彼等は口々に言うとその場を去って行った。
「先輩・・・・。」
私は恨めしそうにダニエル先輩を見た。
「何?」
一向に気にする風でも無くホットサンドを口にするダニエル先輩。
「どうして!ソフィーさんや、さっきの人達に勘違いされるような言い方をするんですか?絶対に皆私と先輩の仲を疑っていますよ?!」
「別に僕たちが交際していると思わせておけばいいんじゃない?僕はちっとも困らないけど。」
「はあ?」
なんて無責任な事を言う先輩なのだろう。・・・はっきり言って困る。これ以上私はソフィーに目の敵にされたくないと言うのに。何だか自分の残酷な未来が近づいてきている気がする。
「だって誤解させておけばお互い助かるし。うん、この飲み物も美味しい。」
カフェ・ラテを飲みながら話す先輩。
「何処がお互い助かるんですか?ソフィーさんは完全に私の事を目の敵にしていますよ?これ以上彼女に誤解されるのは、はっきり言って困ります!」
ピシャリと言った。
「ねえ・・・・知ってる?」
突然ダニエル先輩の口調が変わる。
「知ってるって一体何をですか?」
「明日からノア先輩の停学処分が解けるって話。」
「え?私が聞いた話では後半月は停学だと聞いていましたけど?」
「それが、早まったんだよ。実家の方でも彼の事を持て余していたみたいでね。寄付金を増額させるから息子を学院に戻して欲しいって頼みこまれたらしいよ。」
え・・・それは・・流石にノア先輩が可愛そうなのでは・・・?実の親にまで邪魔者扱いされているなんて。
「ねえ、ジェシカ。今ノア先輩に同情したんじゃないの?」
ダニエル先輩は指先で私の頭をコツンとこずくと言った。
「え?そ、それは・・・。」
私は言葉を濁す。するとダニエル先輩は続けた。
「・・・町での話は聞いてるよ。ジェシカ・・・ノア先輩に襲われそうになったんでしょう?あの先輩はね、自分が目を付けた女性にはどんな手を使ってでも手に入れないと気が済まない、恐ろしい人なんだよ。」
ダニエル先輩の目が真剣味を帯びて来る。
「恐らく停学処分が明けても、きっとまたジェシカを狙って来ると思うよ。今君の側にはアラン王子も、生徒会長も、そしていつも側についている銀の髪の男性もいないよね?」
銀の髪・・・?ああ、きっとマリウスの事を言ってるのかな?まあ俺様王子やM男、それに熱血生徒会長が側にいないのは確かに心もとない。ついでに言うとルークにグレイもだ。でもそれとダニエル先輩と交際しているフリをするのに一体どのような関係があると言うのだろうか?
「彼氏でも無い男が始終君の側に付いているのは流石に違和感があると思わない?」
「あの・・・つまりそれは・・・?」
「まだ分からないのかな?僕は面倒なあの女から逃げたい。そして君はノア先輩から狙われている。でも僕が君の彼氏のフリをして側にいれば、ノア先輩の魔の手から君を守ってあげる事が出来る。フィフティーフィフティーの関係でしょう?」
ダニエル先輩は小悪魔のような笑みを浮かべて私に言った。
「それに、どうせ僕と君が逢瀬の塔へ一緒に入ったって事は知れ渡ってしまったんだし、今更恋人同士になってもどうって事無いよ。ま、勿論期間限定で構わないから。お試し期間が終わっても関係を続けたいなら僕はそうしても構わないしね?」
一番最後の内容は気になるが、取り合えず私は言わせてもらう。
「う~。で、でも先輩は女嫌いで有名なんですよね?嫌じゃないんですか?例えフリでも私と恋人同士になるなんて。」
そうだ、私はこれ以上ソフィーに余計な恨みを買いたくない。それに既に私はアラン王子に気に入られて?いるから色々な女生徒に恨まれている。これ以上他の男性との噂が広まっては、大変な事になりそうな予感がする。
「僕は君の事は嫌じゃないよ。いや、君となら恋人同士のフリをする事が出来るかな?」
頬杖を付きながら私を見るダニエル先輩。
「私がガサツで女らしくないからですよね?」
先ほどソフィーが私の事を言った内容をそのまま話す。
「僕はジェシカがガサツで女らしくないなんて思った事は1度も無いけど?」
意外そうな顔で言うダニエル先輩。
「え・・・?だったら何故ですか?」
「う~ん・・・。何故なんだろう・・・?」
言った本人が考え込んでるよ。
「そうだな・・・。楽しいからかな?君と一緒にいると。うん、そうだ。僕がどんなに君の思っている事を言い当てて口に出してしまっても、君がちっともそれに対して嫌がる素振りを見せないから・・気楽に話せる相手だから一緒にいて楽しいんだ。」
急に納得したかのように言うダニエル先輩。
「それじゃ、今夜早速デートしなくちゃね。」
あの、私まだ恋人ごっこするの承諾していませんけど?勝手にどんどん話を進めていくダニエル先輩。
「あの、私まだ恋人のフリするなんて一言も・・・。」
それを遮るように先輩は言った。
「今夜、一緒に映画を観に行こう。」
え・・・?映画?この世界に映画が存在するの?途端に私の好奇心はムクムクと湧いてくるのだった―。
3
ダニエル先輩の提案で恋人同士(仮)になった私達。でも本当にこれで良いのだろうか?いくらお互いにメリットがあるからと言って、周囲の人達を騙すような真似をして。
「何?また考え事してるの?もしかして僕と恋人のフリをするのが嫌になったの?でも今更もう無理だよ。だって僕はさっきソフィーにも、クラスメイトにも君が僕にとって特別な相手だという事を見せつけてしまったんだからね。君だってノア先輩に狙われるのは怖いだろう?」
「ええ。それはまあそうですけど。」
私は率直な気持ちを伝えた。でも、ソフィーだって私にとっては十分脅威的な存在なんですけど・・・・。女の嫉妬程怖いものはないからなあ。何と言ってもソフィーの元のキャラは、私にとって天敵とも言えるあの一ノ瀬琴美なのだから。
私の返事を聞いて納得したのか、ダニエル先輩は言った。
「まあ、いいか。僕はこれから授業に出なくてはならないから、そろそろ行かないと。君も授業があるんだろう?」
ダニエル先輩が立ち上がったので私も腰を上げた。
「いえ、私今日は授業をお休みする事にしたんです。顔色が悪いから今日は休んだ方がいいとクラスメイトに言われて。」
「ふ~ん・・・。その割には今顔色が良さそうだけど?」
ダニエル先輩は私の顔を覗き込み、じ~っと見つめると言った。やはりマリア先生の特製ハーブティーが効いたのかな?
「ええ、医務室でハーブティーを頂いたので。」
「へえ。そうなんだ、でも良かった。それなら今夜映画に行けそうだね?」
「ええ、まあ・・・。」
私の覇気の無い返事にダニエル先輩が少しムッとした表情になる。
「何?それ。僕と一緒に映画を観るのは嫌なの?」
「い、いえ。決してそのような意味では無く・・・何故2人で映画なのかなと思いまして。」
私は手をブンブン振って否定した。
「何故って・・・?だって恋人たちの定番デートと言ったら映画じゃないの?」
不思議そうに言うダニエル先輩。確かに言われてみれば日本にいた時もデートと言えば映画だったかもしれない。
「まあ、確かにそうかもしれませんね。分かりました。では何時に何処で待ち合わせしましょうか?映画を観るのは初めてなので今から楽しみです。」
私の話に少し気を良くしたのか、ダニエル先輩は笑みを浮かべると言った。
「そうだな・・・。あ、僕たちが初めて会った場所に夕方6時に待ち合わせがいいかな。何処かで食事をした後に映画を観に行く事にしようよ。」
初めて会った場所・・・私はあの時の出会いを思い出した。そうだ、確か南塔から美味しそうな焼き芋の匂いがしてきて・・そこでお芋を焼いているダニエル先輩に会ったんだっけ。うん、ついでに焼き芋の話も聞いてみようかな?
「分かりました、先輩。では6時に南塔前の庭で。」
しかし、何故かダニエル先輩は不機嫌だ。腕を腰に当て私をじっと見つめている。
「あの・・・?先輩・・?」
「あのねえ・・・ジェシカ。」
あ、また名前で呼んだ。この先輩は時々私の事を名前で呼んだりするんだよね。
「はい、何でしょう?」
「仮にも今の僕たちの関係は恋人同士なんだから『先輩』って呼び方はどうかと思わないの?」
溜息をつきながら言う先輩。
「は、はあ。言われてみれば確かに・・。では何とお呼びすれば良いですか?」
「それは決まってるじゃない。『ダニエル』だよ。」
おお、即答した。もしかしてずっと頭の中で名前の呼び方を考えていたのかな?
「分かりました。ダニエル先輩。」
それでもまだ機嫌が悪いダニエル先輩。一体どうしろと言うのだろう?
「先輩もいらない。名前だけで呼んで。」
やれやれ。不機嫌だなあ・・・。今はツンツンモードなのかもしれない。でも、そんな状態なのに先輩の美貌は損なわれない。イケメンは本当にどんな顔をしてもイケメンだ。
「はい。ダニエル様。」
これでどうでしょうか?私は顔を上げた。
え?その時見てしまった。ダニエル先輩が口元を押さえて顔を赤らめて横を向いているのを。もしかして・・・照れている?
「あ、あの・・・もしかして・・照れています?」
「う・・・うるさいな!いちいちそういう事は普通は言わないものだと思わない?」
未だに顔を赤らめて言うダニエル先輩。自分で話を振っておいて何だろう。流石はツンデレキャラのダニエル先輩。でもそのギャップも中々良いかもしれない。何を隠そう、実は私はツンデレキャラが大好きなのだ。
「そ、それじゃそろそろ僕は行くけど、いい?周囲の、特にソフィーとノア先輩の目を騙す為に恋人同士のフリをするんだから、きちんとそれなりに演じて貰うからね?分かった?」
何故か念押しするダニエル先輩。はいはい、分かっていますってば。ソフィーの嫉妬も怖いけど、今はノア先輩の方が私にとっては脅威なのだから。本当にこの学院に入ってからは気の休まる時があまりない。
「はい、分かりました。精一杯演技させて頂きます。」
「そう、ならいいけど。」
そして私を何故かじ~っと見つめるダニエル先輩。一体何だろう?
「?」
私が首を傾げた瞬間。
突然ダニエル先輩は私の左腕を掴んで自分の方へ引き寄せると、ギュッと強く私を抱きしめてきたのだ。え?え?ち、ちょっと待って。まさか今から恋人ごっこをするつもり?いきなりの出来事で焦る私。
「あ、あの・・・せ、先輩・・・?」
「・・・違うでしょ・・・・?」
言うとますますダニエル先輩は私の顔を自分の胸に強く押し付けるように抱きしめてきた。先輩の心臓が驚くほど早鐘を打っている。うわ・・・こっちまでつられて心臓がドキドキしてくる。落ち着け私、これはフリなんだから。必死で冷静さを取り戻すように私はダニエル先輩に尋ねた。
「あ、あの違うって・・何が・・?」
「だから、こ・これは恋人同士の演技の練習、そして僕の事は名前で呼ぶように言ったでしょう?!」
ええ?この先輩の心臓のドキドキも演技なの?な、なら・・・私も負けずに演技しなければ。よし・・。先輩の背中に腕を回した。その時先輩の身体が大きく跳ねるのを感じる。そして私は言った。
「分かりました。ダニエル様。」
するとダニエル先輩は私からスッと身体を離すと言った。
「そ、そうだよ。や、やれば出来るじゃない。いい?今の感じで演技するんだからね?分かった?」
まだ若干ダニエル先輩の頬が赤いような・・・?まあいいか。
「はい、大丈夫です。ちゃんと演技しますので。」
「うん、頼むよ。」
嬉しそうに言う先輩。そんなに私って信頼出来ないのだろうか。
その後先輩は私に手を振ると授業を受ける為にクラスへ戻って行った。
1人残された私は図書館へ足を運ぶ。
今日も変わらず静まり返った図書館。中にはほんの一握りの学生がいるだけで、皆静かに机に向かって本を読んだり、勉強をしている。聞こえてくるのは規則正しい時計の音と、時折聞こえてくるページをめくる音。
私はここの図書館が好きだ。日本にいた頃から休みの日は図書館に行ったり、時には古本を探しに古書店巡りをした事もある。本特有の紙の匂いは気分を落ち着かせてくれる。今一番お気に入りの空間だ。
私はお目当ての本を探して歩く。「古代語」「魔法」「魔術」・・・日本ではまずお目にかかる事等無い本はとても魅力的だ。ページをパラパラとめくり・・。本来の目的を思い出す。そうだった、今私は『アカシックレコード』について記述されている本が無いか探しに来ているのだった。でも一体どこにそんな本があるのだろう。
こんな、恐らくは何万冊もある本の中から1人で探すのは到底無理だと思った私は図書館司書に尋ねてみる事にした。
「すみません。」
カウンター越しに私は声をかける。
「はい、何でしょう。」
顔を上げた女性を見た私は息が止まるのではないかと思う程の衝撃を受けた。
そこに座っていたのは、いつもソフィーの隣にいたあのメガネの女生徒であったのだから―。
4
顔を上げた女性を見た私は息が止まるのではないかと思う程の衝撃を受けた。
そ、そんな。嘘でしょう?ソフィーの隣にいつもいたあのメガネの女生徒がこんな所にいるなんて・・・。しかも彼女は学院の制服を着用していない。この図書館の制服なのだろうか。モスグリーンの金ボタンのジャケットの上に同柄のボレロを着用している。
「どうされましたか?学生さん。何だかお顔の色が優れない様ですけど・・・ご気分でも悪くなりましたか?」
心配そうに私に尋ねて来る彼女。まるで私の事を知らないような態度だ。ひょっとすると忘れてしまったのだろうか・・・?
「い、いえ・・・。大丈夫です・・・。」
何とか冷静さを取り戻す。
「そうですか?それなら良いのですが・・・。」
駄目だ、彼女の顔色を窺っても私を見て動揺するような素振りも何も見受けられない。もうこうなったら単刀直入に聞くしかない。
「はい。ありがとうございます・・・。と、所で私とここ以外の何処かで会った事はありませんか?」
「え?貴女と・・・ですか?」
「は、はい。」
眼鏡女性はじ~っと私を見るが・・・・。
「申し訳ございません。やはり見覚えがありませんね。すみません。」
申し訳なさそうに言う。その話し方にはとても演技とは思えない真実味を帯びていた。やはり本当に私の事を知らないのだ・・・・でも一体何故?それなら別の質問をしてみよう。
「では、ソフィー・ローランという女生徒はご存知ですか?珍しいストロベリーブロンドの髪色の女性なのですが。」
「ソフィー・ローラン・・・。ソフィー・・・?すみません、やはり存じ上げませんね。すみません。職業柄、こちらに来られる学生さんの顔や名前は一致するのですが、私の記憶に無いですね。」
「そうですか・・・。それでは貴女のお名前を教えて頂けないでしょうか?私の名前はジェシカ・リッジウェイと申します。図書館にはよく足を運びますので、よろしければ今後本の事で色々ご相談に乗って頂く事になるかもしれませんので・・。」
それらしい理由を付けて私は彼女に自己紹介した。
そうだ、あの夢では彼女は自分の本当の名前を呼んでと言っていたではないか。だったら今ここで彼女から名前を聞けばいいだけの事。なんだ、こんな簡単に彼女と再会して名前も聞けるなんて・・・!思わず小躍りしたくなるのを押さえて、私は彼女の言葉を待つ。
「あの・・実は私、記憶喪失なんです・・・。気が付いたら記憶を無くしていて、この学院の前に倒れていたそうで、学院長に助けて頂きました。そしてつい最近、図書館司書としてこちらで働き始めたのです。その・・学院長に付けて頂いたお名前でよければ、お教えいたしますが。」
それを聞いて私は足元がグラリと揺れるような感覚を覚えた。え?嘘でしょう?だって貴女がここの学院の制服を着ている姿を私は何度も目撃していますよ?
もしかすると双子なのだろうか・・・?でも同じ学院で双子なら、すぐに互いの事が分かって身元も完全に分かるはずではないだろか。だが彼女が嘘をついているとは到底思えない・・・。何だか頭が痛くなってきて私は手で頭を押さえた。
「だ、大丈夫ですか?私何かとんでもない事をお話してしまったでしょうか?」
慌てる眼鏡女性。でもこの際違う名前でもいい。教えて貰わないと。
「大丈夫です、それでは学院長が付けて下さったと言うお名前を教えて頂けますか?」
「はい、私はアメリア・ピアソンと申します。よろしくお願いします。」
少し頬を赤らめて挨拶するアメリアに全く悪意と言うものを感じられない。アメリアと親しくなれば、彼女の謎や、ソフィーとの関係の謎が解け、私の未来も違う方向へ変える事が可能なのではないだろうか・・・。
決めた、私は今目の前にいるアメリア・ピアソンと親友になり自分の悲惨な末路を絶対に変えてみせるのだと。
よし、そうと決まればまずは・・・・。
「あの、アメリアさん。私、本を探しているのですが教えて頂けますか?」
「こ、これが全部・・・そうなの?」
私はアメリアが教えてくれた書棚の前に立っていた。高さ2m程の本棚にはぎっしりと『アカシックレコード』についての記述がされた本が約100冊はあるだろうか?その他にもアメリアの話によると関連する書棚が別の場所にあるらしい。私は頭がクラクラしてきた。
こんなに沢山の本、アカシックレコードについて調べている内にゲームオーバー?になり、私は監獄に送られてしまうかもしれない。監獄に送られたら最後、当然図書館で本など借りる事は出来ないし、あのような凍える場所に放置されてしまえばいずれ私は死んでしまうかもしれない。
「死ぬなんて・・・それだけは絶対嫌よ・・・。」
ギリリと私は爪を噛む。そうだ、私はこんな所で死ぬわけにはいかない。いつか必ず元の世界へ帰って見せるんだから。
でも帰る・・・?本当に私は元の世界に帰れるのだろうか?ひょっとすると私の身体はあの時死んでしまって、魂だけがこの私の作った世界に飛んできて・・そして悪女ジェシカの身体に宿ってしまったのでは・・・?
私は恐ろしい考えを頭をブンブン振って、隅へ追いやる。
「まずは、一番左端のこの本から読んでみようかな・・・・。」
私は一番左上の本に手を伸ばした・・・。
つ・疲れた~・・・。ようやく1冊読み終えた。何せ1冊の本のページがこれまた半端ないページ数なのだ。この本が後推定100冊、さらに関連本が別の書棚にあるなんて・・・早くも心が折れそうになった。
しかも今私が読んだこの本、やたらと哲学的な話ばかり書かれているので難しすぎてちっとも頭に入って来なかった。どうやら今回私が手に取った本は外れだったようだ。
「あ~あ・・・。私に自分の読みたい本を一瞬で、こうピカッと光らせて教えてくれるそんな魔法が仕えたらな・・・。」
気が付いてみると私はブツブツ小さな声で独り言を言っていた。
いや、そもそも私には本当に魔力があるのだろうか?数日前、目覚めた時の私のデスクの上に登場したPCとプリンター・・・あれは一体何なんだろう?
「今夜、もう一度調べてみようかな・・?」
そして私は次の本を手に取ろうとして・・・ハッと気が付いた。
もう外の景色はすっかり暗くなっている。慌てて腕時計を見ると時刻は17:30。
大変だ!ダニエル先輩との待ち合わせ時刻は18:00。初デートで遅れてしまっては幾ら何でも相手に失礼過ぎる。私は慌てて図書館を出ると、自室の寮まで大急ぎで戻って来た。
「ハーッ、ハーッ、つ・疲れた・・・。」
最初は制服で行ってやれと思ったが、初デートで制服なんか着て行けばダニエル先輩の機嫌を損ねてしまいそうだ。
取りあえず、私はクローゼットから無難なパステルブルーのロングタイプのワンピースを着ると、簡単にメイクとヘアセットをし、急いで待ち合わせ場所の南塔へと急いだ。
辺りはすっかり夜の風景で、制服姿や私服姿の学生達を多数見かけた。うん、やはりこうしてみると圧倒的にカップル数の方が多い。本当にこの学院は恋愛に関しては開放的で、日本にいた時では考えられない・・・・。いや、違う違う。それは全て作者である私がこのような設定にしたからだ。どうも最近イレギュラーな事案ばかり発生するので自分がこの世界の原作者である事実を忘れそうになってしまう。
小走りで南塔の庭へ向かうと、そこには既にダニエル先輩が待っていた。