第1章 1 目覚めた先は
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気が付いてみると私は草むらに横たわっていた。目の前には澄み切った青い空。
気持ちいい・・・・。再び目を閉じると、突然声をかけられた。
「珍しい女だな。こんな所で眠っているとは。」
ん・・・・?我に返った私は慌てて目を開けると、そこには私を見下ろすように立っている若者の姿が見えた。
アイスブルーの瞳に輝くような金色の髪、そしてハリウッドスターのような超絶イケメン男性はどうみても日本人では無い。おまけに白い軍服のような衣装を身に纏っている。
「天使がいる・・・。」
ああ、きっと私はあの時に死んでしまったのだろう。天使が迎えに来てくれたんだ。
それじゃあ私は天国にいけるのかな・・等と考えつつ再び目を閉じると、上から大きなため息が聞こえた。
「誰が天使だ。仮にも女性が外で昼寝とはあり得ない。全くなんて下品な女なんだ。」
美しい眉を潜め、どこか人を馬鹿にするような口調は初対面の相手に対して少し失礼では無いだろうか。それに年齢的にどう見ても私よりは年下だ。
私は無言で立ち上がると、腰に手をやり男性に向かって言った。
「あなたねえ、幾ら何でも初対面の相手に対して失礼だと思わないの?それに年上の相手にはもう少し丁寧な言葉遣いをしないと駄目でしょう?」
「は?」
言われた若者は目をパチクリさせている。
私は続けた。
「それにしても変わった衣装を着ているね・・。あ、もしかしてコスプレイヤーさんなのかな?それで日本に遊びに来たって訳だ。それにしても日本語上手だね。」
しかし喋れば喋る程何故か相手は眉間に皺を寄せて不機嫌になっていく。そして我慢が出来なくなったのか、ついに口を開いた。
「おい、黙っていれば先程から一体何を話しているんだ?ニホンだとか、コスプレイヤーだとか、訳の分からない事ばかり・・・第一、誰がお前より年下だと言うのだ?どうみてもお前と俺とでは然程年齢は違わないと思うが。」
その時突然強い風が吹き、私の髪の毛が舞い上がった。直後、栗毛色の長い髪の毛が目に飛び込んできた。
「・・・え?」
私は自分の髪の毛をすくいあげた。波打つウェーブの栗毛色の髪・・・何だろう?
ウィッグでも付いているのだろうか?思い切り強く髪の毛を引っ張ってみた。
「あ、痛たたた・・・!」
どうしよう。地毛だ―。こんなに髪の毛が長くなった覚えも無いし、パーマをかけたり髪を染めた記憶もない。もしかして頭を強く打った拍子で一時的に記憶喪失になってしまったのだろうか?考えてみれば今ここにいる場所も、何故自分がこの場所に居るのかも全く思い出せない。青ざめて思わず頭を抱えて慌てふためく。
「おい、いったいお前はなにをやっているんだ?突然髪の毛を引っ張ってみたり、頭を抱えて青ざめたり・・・。」
腕組みをして男性はこちらを見ている。
どうしよう・・・。これでは完全に不審者扱いされている。
「な・何でもないから。それじゃ私、もう行くから。」
私はくるりと男性に背を向けた。
こんな場所早くに立ち去ろう。ん?でも一体どこへ行けばいいんだろう・・・?
「おい、待て。」
男性が後ろから声をかけてきたので私は振り返った。
「行くって、どこへだ?」
「え・・・と、さ・さあ・・・どこでしょう?」
私は愛想笑いをしながら答える。
「お前・・・・頭がおかしいのか?その制服は俺と同じ学校『セント・レイズ』学院の制服だろう?その肩章に付いているラインは1年生を現している。後1時間もすれば入学式が始まる。いつまでも寝ぼけているんじゃないぞ。」
「え?」
私は驚いて、改めて今自分が着ている服を眺めた。エンブレムが付いた白いジャケットに白いフレアスカート。中に着こんであるブラウスの胸元は赤いリボンを付けている。そして男性が言った通り、私の肩章には赤いラインが入っている。
「な・何?このコスプレみたいな衣装は?!」
私は改めて今自分が着ている制服を見て軽いパニックを起こした。
いや、別にコスプレする人達をどうこう言っている訳では無いが、そのような世界とは無縁に生きてきただけに、いざ自分がこのような格好をしているのかと思うと恥ずかしくて顔から火が出そうになった。
「また、お前はコスプレだとか訳の分からない事を・・・。」
流石に男性の目に同情の色が現れてきた。
「いいか、今日は学院の入学式。肩章の色を見る限り、俺とお前は新入生だ。兎に角もうすぐ入学式が始まるから、せいぜい遅れないようにな。」
そう言い残すと男性は去って行った。
一方、立ち去った男性の言葉で益々私は混乱していた。何?入学式って?私はもう25歳だ。今更学校に入りなおす気は無い。それに何故自分がこんな場所で眠っていたのかも記憶に無い。
「それに・・・学校って何処にあるんだろう?」
私は腕組みをして暫く頭を捻っていたが、何も思い浮かばない。どうしてこんな事になってしまったか。あの後、一ノ瀬琴美と健一はどうなったのだろう?
暫くその場に佇んでいると、遠くの方から誰かが声を上げてこちらへ駆け寄ってくる姿が見えた。
「・・・嬢様・・!ジェシカお嬢様!!」
息を切らしながら私の目の前に先程の男性と同年代位の若者が走り寄ってきた。
「ハア、ハア・・・・探しましたよ。ジェシカお嬢様。どうしてこのような場所にいるのですか?もうすぐ入学式が始まりますよ。」
うわ、この人もすごいイケメン。銀色の髪にグリーンの瞳、驚くほど長身な彼は見上げると首が痛くなるほどだ。先程の男性同様に彼も同じ制服を着ている。
「あの・・・?どちら様?人違いでは無いですか?」
私は愛想笑いを浮かべながら男性を見上げた。すると見る見るうちに男性の顔に驚愕の表情が浮かぶ。
「お嬢様・・・それは何かの冗談ですか?」
あ、まずい。怒らせちゃったかな?
「い、いえ。冗談なんかじゃなくて・・・・。」
「ああ!それでは新たなプレイだったんですか?!冷たい瞳で睨み付ける、私への罵詈雑言。そろそろマンネリ化して飽きてきたのでしょう?そこで新たに考え付いたのが・・・つまり放置プレイ!!」
何故か頬を赤らめて嬉しそうに早口でまくし立てている男性。
「流石に今回の件、この私マリウスは慌てました。学院の講堂で待つように言われていたのに、待てど暮らせどお嬢様はいらっしゃらない。不安に駆られている時に丁度アラン様が他の方々とジェシカお嬢様によく似た人物が草むらで眠っていたと言う話を小耳に挟んで・・・!慌てて駆けつけてみれば、やはりジェシカお嬢様だったのですから。でも待ってる間のせっぱつまっていたあの状況・・・思い出す度ゾクゾクします!」
・・・・何?この人。もしかして少し・・・と言うか、かなりヤバイ人なのでは?
私は1歩後退してから気になる事を質問した。
「あの・・・ジェシカお嬢様って・・・?」
「ああ、呼び方がお気に召されませんでしたか?では何とお呼びいたしましょう?」
男性は私ににじり寄って来る。
「い・いいです!その呼び方で!と、所で・・貴方の名前はマリウスと言うのですか?」
途端に男性の表情が曇る。
「ジェシカお嬢様?先程から気になっていたのですが・・・何と言うか雰囲気がいつもとかなり違いますね・・・。物腰が柔らかいと言うか・・・。」
物腰は柔らかい方がいいでしょう!私は思わず心の中で突っ込みを入れた。
「何か変な物でも拾って食べられましたか?いつもなら私で試してからだったのに・・・。それでこのように雰囲気が変わってしまったのでしょうか・・。普段通り全身がカチンカチンに凍り付くぐらいの冷たい瞳で私を見て頂けませんか?」
ダメだ、このマリウスという男性。顔はイケメンなのに中身はどうしようもない人間なのかもしれない・・・。外見がこれだけいいのだから残念度は半端ではない。
「お嬢様・・・。そう、その冷めきった目です!ああ、やはりお嬢様はそうでなくてはなりません!」
マリウスは両手を組んで嬉しそうにしている。・・・何か怖い。
「さあ、お嬢様。もっと冷たい瞳で私をなじって下さい。」
更に間を詰めて来る。もう限界。
「いやああ!それ以上近寄らないで!」
私は手直にあった棒を拾い上げるとマリウスに向けた。
「そう、それです!」
どうやら私の取った行動は余計に彼を喜ばす事になってしまったようだった・・・。
2
「お嬢様、早く急いでください!」
残念なイケメン・・・もとい私の下僕だと言い張るマリウスは前を走って誘導する。
「急げって言ったって・・・何処へ行くのよ!」
息を切らしながら必死でマリウスの後を追う私。やっぱり息切れする位だからここは死後の世界では無さそうだ。それにしても先程から何か違和感を感じる。最初に現れたアランと言う男性、そして前方を走るマリウス、『セント・レイズ学院』、そして何より極めつけは私の名前だ。ジェシカ・・・ジェシカ・・・?
胸の中にモヤモヤを抱えながら私はマリウスの後を追って、大きな城のような建物の中へと走り込んだ。
「も・もう限界・・・。」
石造りの壁に手を置き、荒い息を吐いていたがマリウスは切羽詰まったように言う。
「駄目ですよ、お嬢様。入学式は講堂で行われるのです。まだ先ですよ。入学式に遅れるような事でもあったら、私が旦那様にどのようなお叱りを受けるか・・・。」
マリウスはオロオロしている。
あ、そう。私になじられる分には構わないのに、旦那様とやらには勝手が違う訳ね。
等と考えていると、突然マリウスがヒョイと私を抱え上げ、御姫様抱っこした。
「ちょ、ちょっと何するの?!」
私は慌てた。幾ら何でもこれは少しやりすぎだろう。仮にもあいては私にとっては初対面だ。
「お嬢様、お叱りなら後で幾らでも受けますから今は我慢して下さい!」
言うと、マリウスは私を抱えて物凄いスピードで走り出した。ふ~ん、見かけによらず力持ちなんだなあ。考えてみれば今迄一度も交際していた相手からお姫様抱っこなんてして貰った事無かったっけ。そんな事を考えているうちに、講堂の入り口に辿り着いたのか、マリウスが私をストンと降ろした。
「良かった、何とか間に合ったようですよ。お嬢様。」
マリウスは笑顔で私の耳元で囁いた。その顔には汗一つ無い。随分スタミナがあるようだ。陸上でもやってるのかな?
「でも、何処の席に座ればいいの?こんなに大勢の人がいれば座席なんか分からないけど。」
広い行動の中には同じ制服を着た男女がズラリと壇上の方を向いて椅子に座っている。その数はおよそ300人位ではないだろうか?
「お嬢様、私たちのクラスはAクラスです。一番左の列がそうですよ。ほら、見えますか?先頭の列が2席空席なのが。」
マリウスが指さした方向を見ても、空席だと言われて人の波に飲まれて見える訳が無い。
「私には見えないけど・・・でも最前列が私と・・マリウスの席なのね?」
ここまで来ては仕方が無い。この茶番劇に暫く付き合うしかない。恐らくジェシカと言う女性は私に顔が似ているのだろう。本物が現れるまでは大人しくしていた方が良さそうだ。
マリウスに誘導されて私は最前列に移動する。何故か私を見る生徒たちの視線が痛い・・。
私が席に着くと、マリウスも当然のように着席する。そのまま少し待っていると、おもむろに壇上に一人の男子学生が現れた。おおっ、この男性もイケメンね。イケメン男性が現れるとそれまでざわついていた講堂は水を打ったように静まり返った。
学生は少し咳払いをすると、良く響き渡る声で言った。
「新入生の諸君、我らが『セント・レイズ学院』へようこそ!我々在校生は君達の入学を歓迎する!私はこの学院の生徒会長『ユリウス・フォンテーヌ』、君達がこの学院生活を快適に過ごせるよう尽力する事をここに誓おう!そして願わくば是非とも良き伴侶を見つけて欲しい!」
会場は途端に拍手の渦に包まれる。・・・何だか一昔前の熱血学園ドラマみたいなセリフだなあと妙に冷めた面持ちで見守る。まるで軍隊の様だわ・・・ん?軍隊・・?
それに学院なのに良き伴侶を見つけて欲しいなんて妙な話だ。その時デジャブのような感覚に襲われた。も、もしかしてこの世界は・・・?ハハ・・・まさかね・・・。
私は膝の上に置いた自分の両手をギュッと握りしめた。
拍手が収まると、再び生徒会長は語り始めた。
「今回の入学試験において、過去に例を見ない程の素晴らしい点数で入学した人物がいる。まず初めに男子学生代表に新入生の挨拶をして貰おう。アラン・ゴールドリック!」
そして壇上に姿を現したのは、あの時草むらで出会った青年の姿であった。
彼がスピーチする姿を私は信じられない面持ちで聞いていた。
嘘だ、こんなの。あまりにもシチュエーションが似すぎている。今まで出会った人物に学院名。殆ど内容が頭に入って来ないアラン王子のスピーチを聞きながら絵師さんから送られてきたイラストを思い出す。
似ている、あまりにも登場人物達の姿が。そしてこの小説に出て来る悪女ジェシカ。
これは間違いなく、私が作ったオリジナル小説『聖剣士と剣の乙女』の世界そのものではないか。
「う・嘘でしょう・・・。」
でも、小説通りとなると次は・・最早嫌な予感しか無い。今すぐこの場を逃げ出したくてたまらない。
気が付けば、辺りは盛大な拍手に包まれている。大変!スピーチが終わってしまった!となると・・・・。
「素晴らしい!見事なスピーチだった!アラン・ゴールドリック!それでは次は女子学生代表・・・・。」
生徒会長ユリウス・フォンテーヌは意気揚々と話している。
ああ!大ピンチ!
「ジェシカ・リッジウェイ!さあ、壇上へ!」
生徒会長の一応?自分の名前を呼ぶ声に全身が飛び跳ねる。
まずい・どうしよう、どうしよう。今すぐ逃げたい・逃げたい・逃げたい・・・。
「どうした?ジェシカ・リッジウェイ。いるのだろう?早く壇上に上がって来るのだ。」
生徒会長は辺りを見渡している。
「お嬢様、名前を呼ばれていますよ。昨晩あんなにスピーチの練習をしたではありませんか?早く出て行かないとまずいですよ。」
しまった、うかつだった。この小説の中では悪女として書かれたジェシカは努力を怠らない人間という設定にしてある。意中の男を落とす為、入学式のスピーチに抜擢されるようにジェシカは必死で勉強し、この学院にトップの成績を取って入学を果たした。一躍有名人となった彼女は多数の男子学生を手玉に取っていく・・・それ故に悪女と呼ばれるようになったのだ。
でも所詮ジェシカは脇役でしか無かったので、入学式のスピーチ内容等小説の中では書かなかった。故に、今の私にはどんなスピーチをすれば良いか全く分からない。
「お嬢様?先程から顔色が悪いですよ?大丈夫ですか?」
マリウスは心配そうに私の顔を覗き込んでいる。
「う、うん・・・。何だか急に具合が悪くなって・・だからスピーチは遠慮して家に帰りたいかな・・・?なんて・・。」
そこまで言いかけた時、いきなり腕をグイと引っ張られて無理矢理立たされた。
「ジェシカ・リッジウェイ。先程から呼んでいるのに聞こえないのか?早く壇上に上がるのだ。」
生徒会長が睨み付けるように私を見ている。・・・なまじ顔が整っているだけにその表情が非常に怖いんですけど・・・。
「わかりました・・・。挨拶すればいいんでしょう?」
私は恨めしそうに生徒会長を見ると、震える足で壇上に上がっていく。
どうしよう、何を話せばいい?私はめまぐるしく思考回路を必死で働かせ、閃いた。
つい最近ある企業のHPを作成した際、新入社員の言葉を載せたのである。その内容を必死で思い出すと、私は息を吸ってスピーチを始めた。
「おはようございます。新入生を代表して、ご挨拶をさせて頂きます。
私、ジェシカ・リッジウェイと申します。この度は、私ども新入生の為に、この様に盛大な入学式を催して頂きまして、誠にありごとうございます。ここに参列しております同期の学生とともに、学院の一員として迎えて頂けた事を、大変ありがたく、また嬉しく思っております。
私達は、まだまだ未熟な新1年生です。しかしながら、若さとチャレンジ精神だけは持ち合わせております。今日の感動を忘れず、何事にも謙虚な気持ちでファイトとガッツで全力投球でぶつかって参ります。何かとご面倒をおかけすると思いますが、一日も早く学院の戦力となれますように厳しくご指導お願い申し上げます。以上、簡単ではございますが新入生を代表して、感謝と決意の言葉とさせていただきます。皆様、どうもご清聴ありがとうございました。」
そして深々と90度に頭を下げる。やった!凄く緊張したけれど完璧な挨拶が出来た。私は内心ほくそ笑んだが、辺りは静まり返っている。恐る恐る頭を上げて辺りを見渡すと何故か全員唖然とした表情でこちらを見ていた。
日本式の入社式の代表スピーチ・・
周囲の反応を見る限り、私は何かやらかしてしまったらしい・・・。
3
その後の事はあまり記憶に無い―と言うか、思い出したくも無い。私が挨拶を終えた時の生徒会長の戸惑ったような顔、まるで奇妙な物を見ているかのようにその場に居た全員からの微妙な視線・・・・。
席に戻った時、マリウスが私に何事か囁いていたが全く何を話していたか等頭に入って来なかった。
ああ・・・・家に帰りたい。日本のあのシェアハウスに・・・。
気が付けば私は溜息ばかりついていた。
入学式が無事終わり、新入生たちはぞろぞろと講堂を出て行く。未だにぼんやりと席に着いたままの私を見てマリウスが声をかけてきた。
「お嬢様、どうされましたか?早く行きましょう。」
「え?帰れるの?!」
私は顔をパッと上げた。嬉しくて顔の口角が上がっているのが自分でも分かった。
そんな私を見てマリウスはこちらでも分かるくらい、一瞬ピシッと音が鳴るくらい固まった。あ・まずい。また変なスイッチ入っちゃったのかも。
「っ・・・・!お・お嬢様・・それも新手のプレイですか・・?いつも全身からブリザードが吹き荒れる様な冷たい笑みからの真逆ふんわりモード・・・そうやって私の心を翻弄させるおつもりですか・・・?本日のお嬢様はいつもより斜め上のプレイがお好みなのですね。でもそんなお嬢様もとても素敵です・・。」
ポッと顔を赤らめて言うマリウス。いやいや、こちらはそんなつもり毛頭無いから。
それよりも今一番気になるのは、これから何処へ行くかだ。
「ねえ、そんな事どうでもいいから。もう式は終わったんだし、家に帰れるんだよね?」
私はマリウスの襟元を掴んでガクガク揺さぶった。
「お・お嬢様・・・く・苦し・・・。」
気が付けばどうやらマリウスの首元をギュウギュウに締め上げていたらしい。
「あ!ご、ごめんなさい!」
私は慌ててパッと両手を離した。
「い・いえ・・・。お嬢様に殺されるなら本望です。」
青ざめた顔でマリウスは喘ぎながら何やら物騒な事を口走っている。
その時、突然背後から厳しい声が投げつけられた。
「おい!そこの二人!そこで何をしているのだ。もう新入生は全員寮へ向かったぞ!
早く行きたまえ!」
振り向くと、その人物はあの生徒会長だった。
「はい!もうしわけございません!」
マリウスは丁寧に頭を下げた。
「どうもすみませんでした・・・。」
私も頭を下げる。それにしても随分と横柄な生徒会長のようだ。私が通っていた学校とはまるで違う。
「ん?お前はジェシカ・リッジウェイではないか。」
「はい、そうですが・・・。」
嫌だなあ。この人、何だか苦手なタイプなんだよね。会社の先輩を思い出させる。
「フ・・・。先程のスピーチ・・中々面白かった。」
「え?」
意外な事を言われて私は思わず生徒会長の顔を見つめた。
「新入生、しかも女であのような男らしいスピーチを聞いたのは生まれて初めてだ。まるで軍人の入隊式のようなスピーチだったぞ。」
その表情は少し微笑んでいるようにも見えた。
「はあ・・ありがとうございます・・・。」
これは一応褒められているのだろうか?
マリウスをチラリと見ると、緊張した面持ちで生徒会長を見ている。
「引き留めて悪かったな。二人とも、早く寮へ迎え。」
それだけ言うと生徒会長は背を向けて去って行った。
「お嬢様、すぐ向かいましょう。」
マリウスは私の手を握ると早足で歩き始めた。それにしても確かマリウスはジェシカの下僕だったよね?こんなに気安く手など握っていいものなのか?
講堂を出て中庭を抜けた左手に立派な白いレンガ造りの3階建ての建物が見えた。
「お嬢様、こちらが女子寮になります。屋根の色が赤色なのですぐにお分かりいただけると思いますよ。」
マリウスは背後から私に説明する。
「そして右手にあるのが男子寮、青い屋根の色になっております。互いの寮に出入りは禁止になっておりますので御注意下さいね。」
「そうね。分かったわ。」
そうだった、確か私の小説の設定も学院は全寮制としていた。実写化するとこんな感じなのか・・・。何だか映画の世界に入り込んだかのようだ。けれど、悲しい事にこれは私にとっての現実世界。
「お嬢様、先程から元気が無いように見えますが・・・?でもご安心下さい!クラスは男女一緒なので毎日会えますよ。」
マリウスはにっこり笑う。
「マリウス・・・。」
やはりこの世界では私が頼れるのはここにいるマリウスだけかもしれない。
心強い言葉に思わず感動していると・・・。
「だから、毎日私に未知の食べ物の人体実験や壁の天井のシミを数えさせる等の無駄な作業をドンドン言いつけて下さいね。」
「・・・・。」
私は白い目でマリウスを見る。
「ああ!いいですね~その道端に捨てられてボロボロになった雨傘を見るようなその目つき・・・。やはりお嬢様はそうでなくては・・・。」
嬉しそうに身もだえるマリウス。やはり一時でもマリウスを頼りに思うのは間違いだったかもしれないので前言撤回。
その後、私とマリウスは一旦お別れ。ついでに別れ際にマリウスから本日の予定表を受け取った。
お嬢様、この後の予定は覚えていらっしゃいますよねとマリウスに聞かれたのだが、勿論私に分かる訳が無い。その事を伝えるとマリウスは怪訝そうな顔をしながらもスケジュール表を作っておいてくれたらしく、手渡してくれたのだ。
この学院は成績もそうだが、家柄が何より重視される。一般庶民はいくら成績優秀でも試験を受ける事すらできない。
学院に入れる者は王族を筆頭に公爵・侯爵・伯爵・子爵・男爵、そして準男爵までが入学する資格を持てる。ちなみに小説の中でのジェシカは公爵に当たり、リッジウェイ家に仕えるマリウスは男爵の地位に付いている。自分でも何故そのような設定にしたのかはよく覚えていないのだが、とに角そういう事である。
小説の中では公爵・侯爵・伯爵家までは一人部屋が与えられる設定なので、当然私は一人部屋で男爵家のマリウスは2人部屋のはず。今後の自分の身の振り方をを考えるのに個室は都合が良かった。
私はスケジュール表を確認した。この後は各自寮の部屋の整理整頓、12時から13時までは学生食堂で昼食。14時までは休憩時間。そしてその後は16時までが学校案内と教科書の配布、カリキュラムの説明。16時から18時までの時間は寮生活のオリエンテーション、その後夕食・・・。残りの消灯時間22時までが自由時間となっている。部屋にシャワールームはついてはいるが、日本で言う大浴場なるものがあり、大きなお湯に浸かりたい生徒はここで入浴を済ませるようだ。日本人の私としてはここは絶対に大浴場に決まっている。
授業こそ無いにしても今日の予定はびっしり詰まっている。この内容を見ただけで眩暈が起こりそうだ。いくら自分が書いた小説の世界と言えども、私にはこの世界の記憶が無い。作者であるのだから登場人物の事は知っている。勿論これから起こる群像劇やこの世界の背景に至るまで。けれどもそれはあくまで知識として知っているだけの事。
私はぼんやりと人だかりを眺めた。女子寮の入り口付近には大勢の女生徒たちが集まって騒いでいる。皆自分の部屋番号と場所の確認をする為だ。誰もがこれからの新生活に期待して目が輝いて楽しそうに見える。
けれど私にとっては、この世界には自分が知っている人間は誰一人としていない。
マリウスは私に良くしてくれるけれどもその彼の事だって本性があんな人間だったとは思いもよらなかったのだ。この世界の記憶が全く無いのは不安でたまらない。
まるで地球にやってきた宇宙人のような存在だ・・・。
「寂しい・・・・。」
気付けば思わず口に出していた。
「貴女もやっぱり寂しいの?私もそうよ。」
突然隣から声をかけられた。
「え・・・?」
怪訝そうに声の主を見つめた先に立っていたのはこの小説の主人公『ソフィー・ローラン』だった―。
4
笑顔で私に話しかけてきた女子学生は間違いなくこの小説のヒロイン。
肩先で切りそろえられたストロベリーブロンドの髪、深い海の色のような瞳、そして誰もが振り向くような美しい姿・・・まさしく王道のヒロイン。
うわあ・・・・まさにあのイラストそのままの姿だ。等と感心していると・・。
「ねえ、貴女もホームシックなんでしょう?私もそうなのよ。」
ヒロインである・ソフィーは尚も話しかけて来る。
おかしいでしょう?この展開。ヒロインとジェシカの出会いってこんな感じだったっけ?いや、違う。確か寮の入り口付近で爵位がどうとかで他の女子学生たちから揶揄われていた所を偶然通りかかったジェシカが
『皆さん、何なさってるの?そんな貧乏くさい田舎娘に構わないで私の部屋にいらっしゃいな。我が領地で栽培した特別なハーブティーを出して差し上げますわ。』
そう言って、入学早々自分の取り巻きを作ってしまったんだっけ・・・。
まあ、悪女だけどもどこか憎めないツンデレ気味のジェシカが私のお気に入りキャラだったんだけどね。
「う・うん・・・・まあそんな所・・かな?」
およそ令嬢らしからぬ言葉遣いで返事をしたのがまずかったのか。途端にソフィーの目が輝きだす。
「貴女・・・この学院にはあまり似つかわしくない言葉遣いね。でも嬉しいわ。私その話し方、好きよ!」
眩しい笑顔で頬を染めるその姿は男なら一撃で仕留められたかもしれない。同性から見ても魅力的なのだから。だがしかし、私はそんな心境では無い。
何故なら私が家族のみならず親族全員がここにいるソフィーとアランによって大罪人として裁かれ、流刑地として有名な辺境の島へと追いやられる原因を作った張本人なのだから。まあ、悪いのはジェシカの方なのだけど。
駄目だ、絶対に関わってはいけない・・・私の中で激しく警鐘が鳴っている。でも幸いな事に私(多分ジェシカ)とソフィーは別々のクラス。合同で授業をする事も殆ど無い。小説の世界ではアランに言い寄っていたジェシカが彼と仲の良いソフィーを邪魔者と判断して様々な嫌がらせを続けた結果が追放である。だからこちらから接触さえしなければ・・・。
「そ・そう・・なんだ。じゃあ私急ぐから・・・。」
じりじりと後ずさりながら言うと、踵を返して猛スピードでダッシュして自分の部屋へと走った。この際『お淑やか』の単語は脇に置いておくことにする。
自分の部屋番号は確認するまでも無い。何故なら私はこの小説の作者。もし仮に私がこの小説の中のジェシカ本人であるならば、部屋の番号も場所も掌握済みだ。
自室は3階の301号室、この部屋は普通の個室よりも広くて調度品も揃っている。
入学試験トップの生徒の特権だ。そっとドアノブを回し、部屋の中へと入った。
「うわあ・・・すごい!」
まるで中世の映画のセットみたいな部屋である。アーチ形の広い出窓、重厚な造りのアンティーク風な家具、敷き詰められたフカフカなカーペット等々・・・どれも一流のデザインだ。
「私の小説で書いた部屋がこんな風に再現されていたんだ・・・。」
ホウと小さなため息をつくと、私は緊張な面持ちで壁に飾ってある大きな楕円形の鏡に目をやった。
私がこの世界に来てまだ確認していない事、それは自分の顔を鏡で確かめる。
遅る遅る鏡の近くまで寄ると手探りで鏡の前に歩み寄る。そして恐る恐る目を開けると・・・。
やや釣り目がちな紫の瞳、鼻梁が高い鼻、魅力的な唇の側にあるほくろは妖艶な雰囲気を醸し出している。そして波立つようなウェーブのかかった栗毛色の背中まで届く長い髪―。本来の自分の姿とは全く似ても似つかない。
本当に鏡なのだろうか?未だに信じたくない私は試しににっこり微笑んで見せる。
鏡の中の私も微笑む。右手をヒラヒラ振ってみる。当然鏡の中の私も同じ動きをする。間違いない、私はこの小説の悪女「ジェシカ」であった―。
「いやあああああ!」
大声で悲鳴を上げ、咄嗟に口を押える。今の悲鳴を聞きつけて誰かが部屋にやってきても面倒なだけだ。でも誰も部屋に来る気配は無かった。恐らく部屋の防音がかなりしっかりしているのだろう。
「どうしよう・どうしよう・どうしよう・・・・。」
気が付けば私は部屋の中をぐるぐる歩き回っていた。やはりあの時の事故が原因で?何らかの方法で私は小説の中へと紛れ込んでしまったらしい。それにしても、どうせ紛れ込むならこの世界で生きてきた「ジェシカ」の記憶が私の中にあればいいのに、全くと言っていいほど何も無い。思い出せることと言ったら、日本での暮らしばかりだ。
それに一番気がかりなのはヒロインとの出会い。小説の中では二人はあのような出会いをしていない。私というイレギュラーな存在がジェシカに宿った為に何らかの歪みが生じたのかも?
でも私の悲惨な末路が変わったかどうかはこの先話が進まなければ何とも言えない。
「ソフィーに必要以上に接触しなければ、私の未来は変わるかな・・・?何も行動しなければ・・・。」
でもそこではたと気が付いた。日本での記憶が呼び起こされる・・・。一ノ瀬琴美が派遣社員として勤務し始めてから、徐々に私に対する周囲の風当たりが強くなった。
私には全く心当たりが無かったが恐らく彼女が会社に私の悪口をある事無い事言い触らし、私を会社から追い出したのだ。そしてこの小説のヒロインは一ノ瀬琴美をモデルにしている。
「何もしないでいる方法も駄目かもしれない。傍観者としてではなく、適度な距離を保ちつつ、余り深入りもしない方法で彼女と上手くやっていくしかないかも。更に最後に結ばれるアラン王子との橋渡しをすれば・・・きっと上手くいくよね?」
部屋の時計を見れば11時を少し過ぎたころ。その時、ふと私の目に大量に積まれたトランクが目に入った。
「ああ・・そう言えば部屋の整理整頓をしないとならなかったんだっけ。」
私はトランクの内、1つを開けてみた。中を開けてみるとそこから出てきたのは大量の衣装の山。しかもどれもゴテゴテと飾りが付いたド派手な衣装ばかりだ。
「こんな洋服・・・とても着てみたいと思えないよ・・・。」
日本での私はラフな洋服ばかりだったので拒絶反応が出てしまう。
私は溜息をつく。とてもじゃないが着れたものではない。
更にもう1つのトランクに手を伸ばす。中から出てきた衣装は・・・
「う!こ・これは・・・・?」
それは夜会服で着るようなドレスだった。しかも色は全て黒かワインレッド。
試しに1着取り出してみた。
ベアトップのドレスは背中が大きく開いている。身体のラインがくっきり出るような裾は片側に大きなスリットが入っている。
「ちょっと・・・こんなドレス、一体どこで着るつもりだったのよ・・・。」
自分で設定しておいて何だが、このジェシカという女はこのようなドレスばかりを着て、目を付けた男子学生たちを次々と手玉に取っていったのだろうか?
「もしかしてこの大量のトランクの山は全てドレスばかりなの・・・?」
もう残りのトランクを開けてみる気も起きなかった。私はボフンとベッドに飛び込むと枕に顔を埋めた。
今後の事をもっともっと考えなくてはならないのに、もう頭の中がパンクしそうだ。
私は一旦考える事を全て頭の隅へ追いやり、そのまま眠りについてしまった・・・。
「ジェシカ・リッジウェイ!」
女性の厳しい声で私は一気に目が覚めた。
「は、はい!」
半分寝ぼけ眼で起き上がると、目の前には仁王立ちになって私を見ている女性がいた。
細い眼鏡に綺麗にまとめあげた黒髪に紺色のジャケットにロングフレアスカート。
はて・・・この女性は一体・・?
「いつまで眠っているのですか?ジェシカさん。もう昼食の時間ですよ。片付けもせず一体何をしていたのですか?」
「え・・・と・・貴女は・・・?」
ボンヤリと尋ねると。女性はイライラした様子で答えた。
「私はこの学院の女子寮の寮長、イサベラです。他の生徒たちは皆食堂へ行きましたよ。貴女も早く行きなさい。」
時計を見ると時間はもう13時になろうとしている。あ!いけない!マリウスと寮の外で待ち合わせをしているのだった!
「す、すみません!すぐに行きます!」
慌てた私は挨拶もそこそこに寮の外へと行くと、そこには直立不動のまま私を待ち続けているマリウスの姿があった・・・・。