『迷いの森』のエルヴィラ ①
1
何て事だろう。まさか・・・いきなりハルカ様が目の前で消えてしまうなんて。
これはきっと間違いなく魔王の仕業だろう。
ハルカ様は『魅了の魔力』を持っておられる。そして魔王になる以前のドミニク公爵と何度も交わっている・・・。
恐らく、ドミニク公爵はハルカ様の事を愛していたのだろう。そして魔王となった今でも・・・記憶の何処かでハルカ様を想う心が残っているはずだ。その為、わざわざハルカ様だけを城へと転移させたに違いない。
多分魔王に囚われたと言っても、ハルカ様の命は保証されているはずだ。
もしかすると丁重に取り扱っているかもしれない。
ただ・・私が恐れているのはハルカ様の貞操の危機だ。
魔族の男達は・・特に人間の女性を好む傾向がある。その為、彼等は人間の女性が好む香りを常に身に纏っているのだ。
そんな場所に1人連れていかれて・・・果たしてハルカ様は無事でいられるのだろうか?それとも・・もう魔王に奪われてしまっただろうか?
魔族と言う人種は執着がとても強いと聞いたことがある。もし、魔王に気にいられでもしたら・・・恐らくハルカ様を手放す気等ないだろう。
兎に角取り返しのつかない事になる前に一刻も早くハルカ様を助けに行かなければ・・・!
その時・・・。
「いい度胸だな。たった2人きりでこの魔王城の傍までやってくるなんて・・・。」
そこに立っていたのは1人の魔族の男。見た所、相当の魔力の持ち主である事は分かったが・・・私もなめられたものだ。
フッと顔に笑みを浮かべる。
「何だ?・・・お前・・・何がおかしい?」
魔族の男が一歩前に出てきた。
「お前・・・私が誰なのか知ってるのかい?」
フードの下で笑みを浮かべながら私は魔族の男を睨んだ。
「フン。そうやって強がるつもりか・・下手な演技だな。油断させるつもりなのだろうが。・・そうはいかんぞ?」
魔族の男は右手から炎の魔法を出現させた。
「ほう、そうかい。なら・・・・『迷いの森のエルヴィラ』って聞いたことがあるかい?」
「エルヴィラ・・・?ま、まさか・・・あのエルヴィラか?!300年前の大戦の時の・・・!」
「私の名を知ってるとは・・褒めてやるよ。だが・・・それもここまでだ。どうやら相手が悪かったようだね?」
言いながら、右の掌を上に向ける。途端にそこから黒い球体が現れる。
そう。私は人間ではない。よって・・魔界だろうと魔力は自由に操る事が出来る。
「コラプサーッ!!」
男に向かって黒い球体を投げつける。すると男の頭上で黒い球体が崩壊し、そこから渦が巻き起こる。そしてその渦はやがて巨大なカーテンのように魔族の男を包み込む・・・。
途端に男が絶叫する。あまりの痛みに耐えきれず叫んでいるのだ。
時折黒いカーテンの隙間から男の手足が暴れて抜け出そうとしているのが見て取れたが・・・暫く経過するとぐったりとして、動かなくなり・・黒い渦に飲み込まれていった。
「・・・・。」
無言でパチンと指を鳴らすと、黒い渦は一瞬で消える。
「お前たちのような魔族の死に逝く姿なんか・・見たくないからね。」
一瞥するように言い、これからの事を考えた。この城に行くには、まずシールドを解かなければならない。浮遊魔法と転移魔法だけが使えないようにされている。
「やはり・・・フレアに尋ねるしかないね。」
呟くと、空中に浮かんでいる城を見上げた。
「待っていてください、ハルカ様・・・。必ずお助けに参りますので。」
そして私は『狭間の世界』へ飛んだ―。
城へ着くと、すぐにアンジュとフレアを探す。
「アンジュッ!何所にいるんだいっ?!」
城の中を声を上げて探していると、衛兵たちに呼び止められた。
「何事ですか?魔女様っ!」
「ああ、大変な事件が起きてしまったんだよ。お前たちの王の力がいる。アンジュは何所に行ったんだい?」
「そ、それが・・・魔女様に会いに森へ向かわれました。フレアという魔族の女も一緒です。」
「ったく・・・おとなしく城で待っていればいいものを。」
そして自分の家へ転移すると、もう扉の前にアンジュとフレアが立っているのが見えた。
「お入り。」
ドアを開けるとアンジュとフレアが中へと入ってきて、いきなりフレアが声を荒げた。
「ちょっと、魔女っ!一体どういうつもりよ。『ワールズ・エンド』へ行くと言って突然姿を消してから・・7日間も行方をくらまして・・・!私とアンジュは毎日貴女の家へ通っていたのよ?!全く・・・私はお腹の中に赤ちゃんがいるんだから無理させないでくれるっ?!」
「フレア。落ち着いて・・・。彼女は僕よりもずっと偉いお方なんだよ?」
アンジュはオロオロしながらフレアを宥めているようだが・・・今はそれどころでは無い事を2人に伝えなくては・・・。
「それよりも大変な事が起こってしまったんだよ。ジェシカ様は無事にアカシックレコードを手に入れることが出来たけども、体内に本が吸収されてしまって、彼女の中でアカシックレコードが暴走してしまったんだよ、それで私がジェシカ様の中に入って暴走を止めようとしたら・・・テオと言う若者が代わりに自分が行くと言い出したので、彼が私の代わりにジェシカ様の中に入って・・・。二度と目覚める事は・・・。」
その時のジェシカ様の嘆く姿を思い出し、言葉が途切れてしまった。
「え・・?それって死んじゃったって事・・・?彼が・・?」
フレアが目を見開いた。
「ジェシカ・・・。」
アンジュは辛そうに一瞬うつむくと、私を見た。
「そ、それで・・・ジェシカは今どうしてるの?」
「本物の聖女を助け出して・・・私と一緒に魔界へ行ったのさ。」
「ええ?!信じられないっ!いきなり魔界へ行くなんてっ!そ、それで魔王城には行けたの?あそこは許可を得られた者たちしか行く事が出来ないのよ?!」
ああ・・・やはりそうだったのか。私とした事がうかつだった。300年前はそんな事が無かったので、準備を怠ってしまったのだ。
「『大木の森の魔女』様、ジェシカは今どこにいるんですか?」
アンジュは何所か責めたような目で私を見ながら尋ねてきた。
「ジェシカは・・・、城に連れ去られてしまったよ。すまなかった・・・。全て私の責任だよ。」
頭を下げた。
「えええっ?!そ、そんな・・・っ!大変だっ!すぐに助けに行かなくちゃっ!」
全く・・・・仮にもこの『狭間の世界』の王でありながら・・・こんなに取り乱して・・・。
「落ち着きな。アンジュ。大丈夫。ジェシカ様は今すぐどうなるかっていう状況では無いはずだ。それよりも私とアンジュだけで魔王城へ向かうのは、あまりにも無謀過ぎる。」
「言っておきますけど、私は絶対に無理だからね。頼むなら他の人にして頂戴よ。」
「ああ、分かってるよ。フレア。お前はもう魔力もないし、何より・・・お腹に子供がいる。だから・・・せめて祈っていておくれ。私たちが無事にジェシカ様を連れて戻れることを・・・。」
そしてアンジュを見ると言った。
「アンジュ、お前は・・・どうする?お前はこの世界・・・狭間の世界の王だ。ここに残るか・・・それとも魔界へジェシカ様を助けに行くか・・・。」
「そんな事、決まっています。僕はジェシカを助けに行きます。彼女には・・・本当に恩義がありますから。」
アンジュの言葉に私は満足だ。そう、その言葉をお前から聞けるのをずっと私は待っていたのだから・・・!
「よし、それでは・・・まずは人間界へ行こうかね?ようやく聖女様が現れたのだから・・・まずは彼女の力を借りないとね?」
私とアンジュは互いに頷き合い、2人で一緒に人間界へ飛んだ―。
2
セント・レイズ学院の神殿へ私はアンジュを伴って転移した。
するとそこには丁度良い具合にハルカ様が助けた聖女・・ソフィーが大勢の聖剣士達に囲まれて祭壇に立っていた。
そして彼女の隣には・・・本来のヒーローであるアラン王子が側に仕えている。
さらには『ワールズ・エンド』で出会った2人の聖剣士の姿もそこにあった。
そうか・・・彼等も聖女ソフィーの特別な聖剣士なのか。
それにしてもアラン王子とソフィー・・・あの2人の間に何があったかは知らないが・・・ふん、中々よい雰囲気なんじゃ無いかと思った。ひょっとするとこの物語が我らの勝利に収まれば、あの2人も結ばれるかもしれないね。
私には分かる。もうすぐ、この物語の世界は一つの区切りを迎えるのだ。
ハルカ様の描いた小説の世界のようにハッピーエンドを迎えるには・・何としても我々が勝利しなければならない・・・・。その為には彼等の力が必要なのだ。
その時、聖女ソフィーが私の姿に気が付いた。
すると何を思ったか、ソフィーが全員の聖剣士をどうやら解散させたようで、彼等は思い思いの場所へと去っていく。
恐らく人払いをしてくれたのだろう。この神殿に残っているのは私とアンジュ。
そして聖女ソフィーにアラン王子。2人の聖剣士に・・・ダニエルとノアの姿があった。そうだった、確か彼等も・・・この物語の重要な人物だったからね。他に生徒会長がいたようだが、彼は恐らく不要な登場人物として・・・自然淘汰されてしまったのかもしれない。
そんな事を考えていると、聖女ソフィーが私達に近付き、声を掛けてきた。
「貴女はジェシカさんと一緒にいらした魔法使いの方ですよね?今私達は交代でかつて門があった『ワールズ・エンド』で魔物達が襲ってくるのを守っている所です。ですが、いつまでもこのような事をしていては埒があきませんので、先程聖剣士の方達と今後の対策について話し合いをしていた所なんです。・・・あのジェシカさんはどちらなんですか?彼女は博識ですので、何か良い考えがあれば尋ねたいと思っていたのですが・・・・。」
聖女ソフィーは私がハルカ様の側にいないのを不思議に感じている様だった。
「そうだ、魔女。ジェシカは・・・今一体彼女は何処にいるんだ?うん・・ところで・・・お前は誰だ?」
アラン王子達もこちらに向かって歩いてきた。そしてアラン王子はアンジュをじろりと見ながら尋ねて来た。
「僕はアンジュ。ジェシカの特別な友人さ。」
アンジュはアラン王子に対峙しながら言う。
「ふ~ん・・・。面白い事言ってくれるよね?」
そこへダニエルが口を挟んでくる。
「あれ・・・君・・・何処かで会った事がある気がするんだけどなあ・・?」
ノアはアンジュの顔を不思議そうに見つめた。
「そんな事はどうでもいい。ジェシカは一体何処へ行ったんだ?ソフィーに聖女宣言を出させた後・・・お前達は姿を消したよな?マシューの話だと魔界へ行ったと話を聞いているが・・・?」
白髪の男が威嚇するように尋ねて来たが・・・随分偉そうな態度を取る男なのだろうと思った。
「ジェシカは・・・魔界へ行ったんですよね?彼女は何故ここにいないのですか?」
「あ・・・確かお前はマシューとか言う名前だったっけ・・?」
私の言葉にアンジュが反応した。
「え?君がマシューなの?」
「え、ええ。そうですけど・・・。」
「ふ~ん・・・。君がジェシカの愛した人か・・・。」
するとアンジュの言葉にダニエルとノアが反応した。
「「な・・・何だって?!」」
しかし、マシューは悲し気に目を伏せると言った。
「だけど・・・もうジェシカに言われたんだ。俺よりも大切な人が出来たって・・・。俺が・・・・悪かったんだ。偽ソフィーに操られて・・・ジェシカの事を忘れて冷たくしてしまったから・・。」
「そうだ。今ジェシカが一番大切に思っている人物は・・・テオという男だからな。最も・・・あいつはもうこの世にはいないけど・・。」
デヴィットは顔を歪ませながら言い、そして聖女ソフィーは悲し気に俯いた。
「それにしても・・・お前達随分ジェシカに執着しているようだね?それほど親しい友人だったんだね。」
するとダニエルが言った。
「僕は少なくともジェシカの事を友人として見た事は無いよ。だって彼女と将来結婚するつもりだったんだから。」
「はあ?ダニエルッ!おまえ・・・ふざけるなっ!そんな事はこの俺が許さんっ!」
白髪のおとこがダニエルに食って掛かる。
「僕だって1人の女性としてジェシカが大切さ。」
ノアも口を挟んできた。
「駄目だ、ジェシカは・・・俺の国へ来るんだっ!」
ついにはアラン王子までがハルカ様に対しての思いを口に出したのを皮切りに彼等は言い争いを始めてしまったのである。
そして彼等を必死に止めようとしている聖女ソフィー。
一体、何なのだ?この状況は・・・。普通に考えれば、ハルカ様は『魅了』の魔力を全て偽ソフィーに奪われたので、ハルカ様を好いていた男性は彼女への思いは全て消えたはずでは・・・?それに今は本物のソフィーが目の前にいる。それなのに誰1人として・・・ソフィーに恋している男性が居ないなんて・・・。ましてやアラン王子は聖女ソフィーと結ばれる運命にあるというのに・・・。
何かが・・・変わろうとしているのかもしれない。
その時、言い争いに加わっていなかったマシューが声をかけてきた。
「魔女・・・。ジェシカは・・ひょっとして魔族に捕らえられたのですか?」
その声・・・表情はとても重たいものだった・・・・。
「お前の事は良く知ってるよ。何せ・・・私達の住む世界へ初めてやって来た時のジェシカ様は・・・お前が一度死んだとき・・『狭間の世界』で記憶を消されてしまう程に嘆き、悲しんでいたからね。・・・当時のジェシカ様は・・本当にお前の事を愛していたんだよ。」
「・・・・。」
マシューは俯いて言葉を無くしてしまったようだった。
「お前たち、私の話を聞きなさい。」
私は言い争いをしている彼らに声をかけると、一斉に彼らはこちらを振り向いた。
「いいかい、落ち着いてよく聞きな。ジェシカ様は・・・今、魔界にいる。魔王によって囚われてしまったんだ。・・・・私がついていながら・・・すまなかった。」
頭を下げる。
「な・・何だって?!何故ジェシカを連れて魔界へ行ったんだ?!」
アラン王子が大声を上げた。
「それはね・・・。『ワールズ・エンド』にあった門を封印するには・・・人間界の聖女と、ここにいる『狭間の世界の王』、そして魔王の力が必要だったからさ。私とジェシカ様は門を修復して、再び封印する為に魔界へ行ったのさ。」
「たった2人きりで魔界へ行くなんて・・・無謀過ぎるっ!おい、魔女っ!一体何を考えているんだっ?!」
白髪の男が大声を上げた。・・・どうも血の気が多い人物の様だね・・・。
「確かに、その点については・・悪かった。少し・・自分の力を過信していたと反省しているよ。すまなかった。」
「それよりも・・ジェシカが大変だっ!早く・・・早く助けに行ってあげないとっ!」
ダニエルが悲痛な声を上げながら私に言った。
「ねえ、その魔王って・・・どんな奴なの?」
「今の魔界の王は・・・この学院の学生で、ドミニクという男だ。」
私が答えると、ソフィー以外の全員が驚愕の表情を浮かべた。
「な・・何だって・・?ド、ドミニクが・・・魔王だって?」
アラン王子が真っ青な顔になる。
「お、おい・・・まずいぞ・・・。あいつは・・あの男はジェシカに異常な執着を持っている。ジェシカはあいつに捕まったって言うのか?大体・・・魔王だったなんて・・俺達を・・ジェシカをだましていたのか?」
白髪の男が頭を押さえながら私を見た。
「いや・・・騙していたわけじゃないな。最初から魔王の魂を持って生まれてきたんだ。そして・・偽ソフィーの悪意に触れて・・眠っていた魔王の魂が起こされてしまったんだよ。」
そして全員を見渡すと言った。
「魔王に囚われたジェシカ様を助ける為に、皆の力が必要だ。どうか私たちと一緒に来てくれないかい?」
私の言葉にその場にいた全員が頷いたのは言うまでも無かった―。