第4章 1 悪女スタートの幕開け?
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不可解なメモを貰って半月が経過した。信頼できる仲間を増やしてと言われたが一体どういう意味なのだろう?まるでRPGのゲームのような話だ。仲間を増やして敵と戦えとでも言うのだろうか?でも敵って一体誰の事なのだろう?まさか魔王だったりして・・・。いや、ここはやはり私を悪女として流刑島に送りたい人物の仕業なのだろう。冗談じゃない。元の世界にいた時だって身に覚えの無い事で一ノ瀬琴美の手によって私は恋人からも捨てられ、会社からも抹殺されてしまったというのに、また同じ目に遭うなんて絶対にごめんだ。何としても小説の通りになってやるものか。
取り合えず、私はメモを渡してきたあの女生徒の事を何としても詳しく知りたい。
・・・そう思っていたのに、何故か不思議とあれ以来ソフィーとあの女生徒とも顔を合わせる機会が訪れなかった・・・。
今朝もホールでエマと二人で仲良く朝食を食べていた。私たちの正面テーブルに座っているのはかつてのナターシャの取り巻き達。彼女たちは楽し気にお喋りをしながら食事をしている。するとそこへナターシャが1人で朝食を食べにやってきた。彼女はあの初めての休暇で町へノア先輩と出て以降、完全に孤立状態になっていた。
彼女たちはナターシャの姿を見ると、クスクスと笑いながら、わざと聞こえるような声でしゃべり始めた。
「あ~あ、誰かさんが来た為にすっかり食欲が無くなってしまいましたわ。」
「ねえ、明日の夜私の部屋で皆さんでお喋りパーティ―をしませんか?勿論私はどなたかと違い、手土産を持って来るようには言いません。」
「来週、試験が始まりますよね?ご一緒に図書館で勉強会を開きましょう。その後は御茶会で気分転換は如何でしょうかしら?」
「やはり、このメンバーが一番落ち着きますわね。」
あの・・・・全て丸聞こえなんですけど。ナターシャは今にも泣きだしそうな位に身体をぶるぶると震わせている。あ、まずい。これ以上言ったらきっと彼女は泣いてしまうだろう。
一方のエマも居心地の悪そうな表情をして、中々朝食がすすまない。2人で嫌な気分を抱えながら黙って朝食を口に運ぶ。
噂によるとあの日ナターシャがノア先輩に身体の関係を迫り、こっ酷く拒絶されたのを複数の女子学生が目撃していたらしい。さらに匿名でナターシャの取り巻きの1人に手紙が届けられた。そこにはノア先輩とのやり取りの詳細が書かれていたそうだ。全く何故そのような事をしたのだろう。これでは完全にナターシャへの嫌がらせだ。
前々からナターシャの事が気に食わなかった取り巻き達は学院中に吹聴してまわった。ノア先輩に図々しくも言い寄り、女の面目を丸潰しにされていい気味だ・・と言う事で、あっという間に学年全員に知れ渡ってしまったのだ。
女子学生たちは身の程を知れと言わんばかりの態度を取り、一方の男子学生は、ナターシャに目を付けられたら襲われる・・・と言うデマが流れるようになってしまった。
何だかそんな様子のナターシャを見ていると、かつて自分が会社から受けた酷い仕打ちの数々が思い起こされてしまう。
確かにナターシャは気位が高い女性だったが、幾ら何でもこれでは流石に気の毒で同情に値する。
ナターシャは気丈にも涙を堪えながら朝食をトレーに乗せると、一番隅っこの目立たないテーブルにつき、食事を始めた。俯きながら食事をしているが、時折顔を拭う姿が目に入る。
あ~あ・・・とうとう泣いちゃったよ。それでもこんな酷い目に遭いながら気丈にも学院にいるナターシャはある意味凄いと思う。それとも実家に戻れない理由でもあるのだろうか・・・?ナターシャはこの小説のモブキャラなので全く家庭の事情が分からない。
一方、ノア先輩の方は停学処分を受けたらしく今は自分の邸宅に戻っているらしい。来月には停学処分が解けるらしいが、私的にはいっそ退学になってしまえば良かったのにと思っていた。何故ならノア先輩はこの先、とんでもない大事件を引き起こしてしまうからである。(私の小説の中では)
「ナターシャさん・・・可哀そうだわ。」
朝食を食べてホールを出た後、ポツリとエマが呟いた。エマはこういう優しい所がある。
「そうね。今のはちょっと酷かったと思うわ。」
私もエマの意見に賛同だ。本当なら彼女の今の状況を何とか救ってあげたい気持ちはやまやまなのだが、どうすれば良いのか方法が分からない。
「私、学院長に相談してみようかしら・・。」
確かに良い考えかもしれないが、恐らくそれは無理だろう。
「エマさん、多分ナターシャさんはとっくに学院長に相談はしていると思うわ。誰だって自分があんな状況に置かれたら相談すると思うの。それでも今の状況が改善されていないって事は、多分相談しても無駄だと思うわ。」
「それもそうね・・・。」
エマは溜息をついている。ごめんね、エマ。ナターシャを何とかしてあげたい気持ちは嘘では無いけれども、今は自分の事だけで精一杯なのよ。あのメモを受け取った時から、いよいよ私、ジェシカを流刑地送りにする物語が幕を切って落とされたような気がしたからだ。
何より私が不安に思っているのは今ソフィーの姿が学院の中で見かけないという事。私は小説の世界のストーリーを思い出してみる。
入学して少し時間が経過し、ようやく学院生活に慣れてきたソフィー。
男爵令嬢の中でも特に貧しい令嬢達は普通の学生達が寮生活をしている塔とは別のかなり老朽化した旧校舎を改築した場所で寮生活をしていた。
その為、そこで生活する学生たちは自分たちを恥じ、肩身の狭い学院生活を送っていたのだがソフィーだけは違っていた。
いつも明るく前向きで誰とでも親しくなれる魅力を備えたソフィー。しかもその可愛らしさから男子学生達から人気があったのだが、それをよしとしなかったのが上級貴族の女子学生達だった。
旧校舎の寮生活をする学生たちは裏庭を通らなくては校舎に入る事が出来ない。
そこで女子学生たちはソフィーを落とし穴に落として嫌がらせをしようと大きな穴を掘ったのだ。勿論この中庭を通るのはソフィーだけでは無い。そこで女子学生たちは見張りを立て、他の男爵令嬢達が通り抜け出来ない様にしたのだ。その代わり男爵令嬢達には上級貴族しか通れない近道を使わせた。
何も知らずにやってきたソフィー。そして彼女は見事に落とし穴に落ちてしまい、左足を捻挫する全治2週間の怪我を負ってしまう事になる・・・・。そしてその実行犯として名前を上げられてしまったのがジェシカだったのだ。
ここまで回想して新たに思った。我ながら自分で作ったお話の世界とは言え、酷い話である。彼女たちが掘った落とし穴は深さ約2m近くもあるものだった。
下手したらただの捻挫だけでは済まなかった話である。ソフィーはこの怪我の為に約2週間程学校を休む事となる。
でも、この話は入学してから2か月後の話。そして今はまだ入学して半月しか経過していない。だとしたらソフィーが姿を見せないのはたまたまなのだろう・・・。
その時の私は軽い気持ちで考えていたのだが、その翌日話は大きく動いたのである。
え?どうして嘘でしょう?!
左足に包帯を巻き松葉杖をついて朝食の席に姿を現したのは、ソフィーだったからである。
痛そうに左足を引きづるようにやってきたソフィーは唖然としている私の顔を見ると、何とも言えない微妙な顔を見せたのであった・・。
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え?どうしてソフィーは足を怪我しているの?しかもあの小説通り、同じ左足で。
驚いて見つめる私に気が付いたソフィーは町であった時は目を逸らせたくせに、今回は私とばっちり目を合わせたのである。そして何とも言えない微妙な表情を私にみせた。
何?その表情は?一体何が言いたいのだろう。自分の小説のヒロインなのに、心の内が全く読めない。それにもう一つ気になる事がある。いつもソフィーの側にいる女子学生は何処に行ったのだろう?そこまで考えて私はある事に気が付いた。
そう言えばホールで今迄一度もソフィーと会った事が無かった事に・・・。
たまたま時間が合わなかったのだろうか?
「ジェシカさん、一体どうしたの?さっきからずっと難しい顔しているけど?」
一緒に朝食を食べに来ていたエマが、心配そうに声をかけてきた。
ハッ!いけない。ソフィーの包帯を巻いて現れた姿に私は動揺してしまい、エマが隣に座っている事をすっかり忘れていたのだ。
「あ、ご・ごめんなさい。松葉杖をついたソフィーさんがここに来たものだから・・。」
周囲の女子学生達もソフィーの姿を見て、騒めいている。きっと皆足を怪我しているソフィーを心配しているのだろうとはじめ私は思った
「ソフィーさん?っていうお名前なのですか?知りませんでした・・・。ジェシカさんは旧校舎での寮生活をされている準男爵家の方とお知り合いだったのですね。」
「え、ええ・・・。」
曖昧に返事をした。
「そうだったんですね。でも準男爵家の方々は私達とは入学金や授業料の制度が違うらしく、こちらでの食事も出来ない事になっていたはずなんですけど。」
エマが私の耳元で小声で教えてくれた。何それ何それ。ちっともそんな話私は知りませんし、ある意味差別?的な設定等していませんけど?!
でも納得がいった。どうりで他の女子学生がソフィーを意味深な目で見ていたという訳だ。彼女達の向ける視線は同情よりも、拒絶するような視線だったから・・・。
今迄この朝食の席でソフィーの事も、あのメガネの彼女の事も見かけたことが無かったのにはそういう理由があったのか。いや、待て。あのメガネ女子にだけは1度だけここで会った事がある。でも違和感を感じた。誰一人彼女を気にする素振りが無かった。まるでその場に存在していない、幻のような・・・。
そして、この時感じた私の違和感は後に起こるある出来事に大きく関係していくのだった―。
突然、大げさな声がホールの隅の席で上がった。
「ああ、ソフィーさん!足はまだ痛まれますか?」
ん・・・?あの声は・・・?何と!ソフィーに声をかけたのはあのナターシャだった
え?一体どういうことなの?二人は知り合いだったのか・・・?
ナターシャは周囲の視線も気にしない様子でソフィーに駆け寄ると声をかけた。
「本当に私、とても心配したのですよ。あんな事があって、このように足を怪我してしまわれたなんて・・・。」
「ええ、ありがとうございます。ナターシャさん。あの時は私、本当に驚きましたが、幸いにも大分怪我の具合は回復致しました。」
いささか、大げさすぎるような二人の演技がかかったような会話。しかし・・その場にいた全員はすぐに二人から視線を逸らせ、またいつもと変わらない光景が繰り広げられていた。
「「・・・・。」」
私もエマも互いの顔を見合わせたが、誰もが皆彼女達の存在を気にする素振りを見せなかったので、私達もそれに習う事にした。
「「え?」」
おや?今ソフィーとナターシャの戸惑うような声が同時に聞こえたような気がするんですけど・・・?まあいい。聞こえなかった事にしよう。
「エマさん、今朝のパン、いつものパンよりもふっくらでとても美味しいですよ。」
「こちらの野菜スープもトマトの酸味がすごく美味しいですね。」
私はエマと何気ない会話をしながら2人の様子を横目でちらりと伺った。
ナターシャはまた泣き出しそうな顔をしてるし、ソフィーは何だかイライラしている・・?
いやいや、そもそもソフィーはこの物語のヒロインでしょう?ヒロインはそんな態度を人前でさらしていいはずがない。
その時、再びナターシャのわざとらしい声が響いた。
「でも、本当に災難でしたわね・・・・。まさかあのような場所に深い穴が掘られていたなんて・・。絶対にあの穴は旧校舎に住む人達への嫌がらせですよ。」
え?深い穴?それはもしかして落とし穴の事なのだろうか?私の全身に緊張が走った。
「あら、いけませんわ。そのような話をこんな場所でしては・・。でもそのお陰で学院側からこちらで朝食を食べる許可を頂けたのですから。」
そう言いながら、何故かソフィーは私の方をチラリと見る。もしかしてソフィーは私が穴を掘ったとでも言うつもりなのか。それとも・・・あの小説通り私を良く思わない人間が私を陥れるために何か小細工をしてソフィーを穴に落として怪我を負わせたのだろうか・・・?
その時である。
ガタンッ!!
大きな音を立てて。かつてのナターシャの取り巻きだった女生徒の1人が立ち上り、ナターシャとソフィーの顔をじろりと見た。おお~中々迫力のある睨みだ。
マリウスがこの場にいたら喜んでいたかもしれない。
「ひ!」
睨まれたナターシャは軽い悲鳴を上げた。
「・・・・。」
ソフィーはじっと黙って女生徒を見つめている。
「貴女方・・・先程から黙っていれば煩いですわよ。いい加減にして下さらない?」
元取り巻きA嬢は怒気を含んだ声で言う。な・・・何という迫力。もう私の出番など無さそうだ。彼女こそ悪役令嬢?に相応しい。私は心の中で拍手した。
「そういうくだらない話は誰も居ない場所でやって下さらないかしら?はっきり言って迷惑ですから。さ、皆さん。空気が悪くなったのでもう行きましょう。」
元取り巻きA嬢・・・ええい、面倒くさい。A嬢でいいや。A嬢は他の3人。B,C,D嬢に声をかけるとさっさとホールから出て行った。それを見ていた他の女生徒達も徐々に席を立って行ったので、私とエマもどさくさに紛れてホールから出て行った。
去り際にチラリとホールを見ると、取り残された2人が皆の出ていく様子を見ていた。その姿は正に対照的で、ナターシャは目に涙を浮かべながらブルブル震え、
一方のソフィーはこちらを睨み付けるように松葉杖をついて立っていたのである。
・・・と言うか、普通に立っているように見えたので、本当に足を怪我しているのかどうか疑わしいものであった。
「朝から物凄いものを見てしまいましたね。」
私はエマに話しかけた。
「ええ、本当に。あのソフィーさんて方、可愛らしい外見の割に何だか怖そうですね。」
あ、やっぱりエマもそう感じたんだ。
「ところで・・・どうしてソフィーさんは足の怪我のお陰でこちらのホールで食事を取る事が出来ると言ったのでしょうね。」
私は先ほどのソフィーの言っていた台詞に違和感を感じ、口に出してみた。
「ああ、その事ですか?実は旧校舎の学生は朝食は出ないんですよ。いつもの学生食堂まで行ってお金を払わないと食事する事が出来ないんです。」
流石、物知り博士のエマ先生だ。
「恐らく学院側が足の怪我の事を考慮して、こちらのホールで食事を取る事が出来る許可を出したのではないでしょうか?学食は旧校舎からかなり離れてるし、一応学院内の怪我であれば、放置しておく事も出来ないでしょうから・・。」
うん、エマの話はちゃんと筋が通っている。でもこの世界のソフィーって案外周囲の学生達からよく思われていないのかな?小説の中では明るくて誰にでも好かれるとは書いてあったが、上流貴族の女子学生から嫌われていたっけ・・・。
人気があったのは男子学生達からだった。特に小説の後半ではアラン王子や、生徒会長、ノア先輩・・そしてこの後、更にもう1人の男性が現れてソフィーに好意を寄せるのであった。
まだ表れていない男子学生を除けば、今のところ私の方がソフィーよりも彼等と親しいような気もするけれど―。
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ふう・・。朝からあんな光景を見てしまったせいで憂鬱だ。これから後どの位の間ソフィーはあの場所に朝食を食べに来るのだろうか?私だったら周りからの視線がいたたまれなくて二度と行かない。それにいつからナターシャとソフィーは知り合いだったのだろう?以前の気位の高いナターシャだったら異性は別として、準男爵家の人間とは付き合うはずが無い。何かが2人の間にあったに決まっている。もしかするとナターシャはソフィーに脅迫でもされているのだろうか?
「授業・・・出なくちゃ。」
考えていても仕方が無い。今日の授業は古代語と魔法学に薬理学。新入生にとってはどれも頭の痛くなる授業ばかりだが、フフフ・・・だが、しかし。私はこの小説の作者なのだよ。だから全ての授業が完璧に理解出来る。実際はかなり難しい科目ばかりなのだが、私にとっては小学生の授業を受けるようなもの。いや、はっきり言って授業に出る必要性を感じていない。でも授業に出なければ単位が貰えない、貰えないので仕方が無く出る・・・という感じである。
勉強は良く出来るし、公爵家でアラン王子の次に身分が高いのにそれを笠に着る事も無い、と言う事で少しずつではあるが女生徒の中に溶け込めるようになっていた。
私が教室に入って行くと先に席に付いていたエマが近づいてきて声をかけてきた。
「おはようございます、ジェシカさん。」
「おはようございます、エマさん。」
その後もワラワラと教室に次から次へと女生徒が入って来た。
「ジェシカ様、おはようございます。実は今日の薬理学で出された課題の中でどうしても分からな所がありまして・・・。」
「あ、私も宜しいですか?古代語の一文が訳せない箇所があるので今少し教えて頂けますか?」
等々・・・今朝だけで5人の女生徒が私の周りに集まってきて、授業が始まる前の短い勉強会が行われた。
予鈴が鳴り終わる頃・・・短い勉強会が終了した。私の教え方はとても分かりやすいと最近話題になっているらしい。更に学院の教授達よりも教えるのが上手だと言う噂が密かに知れ渡り、最近は他のクラスメイトで一度も会った事が無いような女生徒達にまで勉強を見て貰えないかという依頼まで来るようになっていた。
なので今、週に1度だけ放課後図書館で勉強会を開いている。
私的には自分の時間が取られてしまうので勉強会等と面倒臭い事はやりたくないのが本音だ。けれどもソフィーの側にいた眼鏡をかけた女生徒(以後、名前が分かるまでは眼鏡女性にしておこう)からは信頼できる仲間を増やしてと言われていたのだ。仲間を増やすのは無理かもしれないが、せめて周囲に敵を作らないようにしなければ・・・と日夜奔走している有様だ。いわば勉強を教えてあげるのは、私は悪女ではありませんからね、と言う事を周囲にさり気なくアピールしておくのが理由なのである。
やがて本鈴が鳴り、教授がやってくると授業は始まった・・・。そして私にとって退屈な時間もね。古代語の教授は初老の男性で私の姿を目にすると、さっと視線を逸らした。はいはい、私がいると授業がやりにくいと言う事ですね。ならばいっそ空気のような存在に徹していよう
それにしても・・・私はガランとした教室を見渡した。そこには男子学生は誰一人としていない。何故かと言うと今から半月ほど前に彼らはこの学院から約30k程離れた山奥の合宿所に行ったからだ。期間は1カ月。つまり10月のパーティーには間に合う形で合宿から戻って来る。彼らはそこの合宿所で何をするかと言うと、剣術と魔法の実践訓練を行うのだ。彼らが滞在している合宿所は野生の危険動物や下級モンスターが生息する場所で『キャンディノス・マウンテン』と呼ばれている。彼らはここで剣術・魔法以外に精神力も鍛え上げるのだ。
合宿が始まったお陰であの面倒臭いM男のマリウスや俺様王子、さらに引率で一緒に合宿所に付いて行った熱血甘党生徒会長がいない為に自由で快適な学院生活を送る事が出来ている。今が一番快適な学院生活だ。あ~あ・・・せめて半年位は戻って来なければいいのに。
グレイはあの後は特にお咎めなしで、すぐに謹慎処分が解けて現在は皆と一緒に合宿に参加している。
合宿所でも俺様王子の従者をルークと二人で努めなければならないのでご苦労な事である。
それにしても早く授業終わらないかな。眠くなるし、退屈だ。
教授も私が眠そうにしているのに気付いているけれども、何も言わない。それは私の方が自分達よりもよほど全ての学問に置いて理解出来ているのを知っているからだ。
だから教授にとっては、本当は私のいるクラスで授業を教えるのは非常にやりづらい事は十分承知している。
全ての科目に置いて完璧に出来る私。ただ、それで一つだけ・・・どうしても私が苦手な分野がある。それが魔法学の実践だ。この学院の生徒は皆魔力持ちなので、魔術を使う事が出来る。ある者は火を操り、またある者は水をコントロールする事が出来る・・・片や私と言えば・・・。
「ジェシカ・リッジウェイさん。今日も無理でしたか?」
魔法学を教えている女性講師から何度目かのため息をつかれてしまった。
「は、はい・・・。申し訳ございません・・・。」
私は顔を真っ赤にして俯いて下を向いてしまった。う~恥ずかしい。今日の課題は
空のコップに水を満たすという魔力を扱える人間なら初歩中の初歩の魔法。
他の女子学生たちはあっという間に出来た魔法なのに、私のコップには水1滴すら入っていない。
「本当に、貴方は筆記試験は満点を取るのに魔法学の実技となると全然出来ませんね・・・。それなのに魔力測定値は振り切れるほど強いと言うのに・・不思議だわ。」
女性講師は首を傾げながら言う。私だって何故なのか理由を知りたい。でも、ひょっとするとジェシカが魔法を使えないのは私が小説の中でジェシカが魔法を行使する姿を書かなかったからなのではないだろうか?嫌な予感が頭をよぎる。仮にそうだとすると私は絶対にこの世界では魔力があるのに魔法を使えない、とんでもないお荷物人間となってしまう―!
私が俯いて黙っていると慌てたように女性講師は言った。
「あー、でもほら、あまり気にする事では無いわ。魔力があるのは確かなのだし、それにあなたは魔法学の筆記試験は常に満点を取っているので魔力を発動させるためのプロセスや、原理等は頭に入っている訳ですから、いずれ魔法を使えるようになるかもしれないので・・・。」
女性講師は何とか力づけようと私に声をかけてくれた。
「はい・・・ありがとうございます・・。」
魔法学の授業が終わり、私とエマは次の薬理学の授業を受ける為に白衣を着て実験教室へと向かっていた。
「ふう・・。」
私は疲れたように溜息をついた。
「大丈夫ですか?ジェシカさん。」
エマが心配そうに私の顔を覗き込んできた。
「え、ええ。大丈夫。さっきの魔法学の授業で少し疲れてしまって・・・。エマさんはすぐにコップの水を満たす事が出来たの?」
「そうね・・。割とすぐに。」
「ははは・・そ、そうなんですね・・。」
そっか、エマはすぐに出来たんだ・・・。
「ジェシカさん、そんなに落ち込む事は無いわ。魔法にも相性があるっていうから。私はもともと水の魔法と相性が良いからすぐに出来たと思うの。逆に火の魔法と相性が良い人は授業が終わるギリギリにようやくコップに水を入れる事が出来たそうだから。ひょっとすると・・ジェシカさんは今迄誰も持ったことが無いような魔力を持っている可能性があるって事だと思わない?」
おお~っ!成程、そういう考えもありか。でも、とりあえずは・・・・。
「エマさん、私に魔法の使い方おしえてもらえる・・・?」
こうして私の魔法を使う訓練が始まった―。
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「ううう・・つ、疲れた・・・。」
あの後、私はエマに魔法の特訓を受けた。夕食の後も特訓を受けた。けれども・・
結局私のコップに水が溜まる事は一度も無かった。
「空気中の水分が集まって水となり、その水をコップに注ぎこむようなイメージでと言われても想像力が無い私には無理な話だわ・・・。」
ついつい寮の自室に向かって歩きながら愚痴をこぼしてしまった。
寮母室の前を通った時である。
「ジェシカ・リッジウェイさん。」
突然名前を呼ばれた。
「は、はい!」
立ち止まり、大きな声で返事をすると私は寮母さんに向き直った。駄目だ、この人を見ると何だか緊張してしまう。
「今日も貴女宛に手紙が届いていましたよ。」
そして私に5通の手紙を渡してきた。うげ・・・また彼等からだ。
「は、はい。どうもありがとうございます。」
私は手紙を受け取るといそいそと部屋へ戻って行く。その背中越しに寮母さんのため息とともに皮肉めいた言葉が聞こえてきた。
「まったく、まだ18歳の小娘だと言うのに、何人もの男を誑かして・・・。」
あああっ!寮母さんの中では私は完全に男を誑かす悪女に見られている!でもこの寮母さん、外見は40過ぎの女性に見える年齢不詳の女性で、他の女生徒達からも陰ではオールド・ミスと呼ばれている位なので、多分彼女の中では私へのやっかみもあるのだろう。
私は逃げるように自分の部屋へ入ると、机の上に手紙を乗せた。
「はあ~全く・・・。」
私は5通の手紙を机の上に置きペーパーナイフで全ての封筒の口を切ると手紙を取り出した。
ジェシカお嬢様
お元気にしておりますか?
また実験と称して妙な物を拾い食いしてお身体を壊したりしていらっしゃいませんか?早いものでこちらへ参りましてから早半月が経過致しました。いいえ、早いものではありません!今までこれ程貴女と離れて過ごしたことは無く、もうジェシカお嬢様にお会いしたくてたまらず、頭がおかしくなってしまいそうです。後半月・・・それまで私の精神が持つかどうかの瀬戸際です。なのでお嬢様、どうかお願いです。私にお手紙の返事を下さいませんか?今までこの手紙と合わせてお嬢様に差し出した手紙は全部で8通。なのに一度も御返事を下さりませんよね?
放置プレイはもう正直、お腹一杯です。どうか、私にお嬢様からのお手紙を下さいませんか?内容は・・そうですね、やはり私への罵詈雑言を浴びせる内容でお願い致します。どうか私に活力を与えて下さい。
貴女のマリウスより
ゾワゾワゾワッ!身体中に鳥肌が立つ。な、に、が、貴女のマリウスよりだ。
私はマリウスを自分の所有物に等した覚えは無いしノーマル人間だ。誰が好き好んでM男にわざわざ喜ぶような内容の手紙を書いてやらなければならないのだ。そんな暇があるのなら魔法を使う特訓をした方がずっといい。
ふうー。私は溜息を一つつくとマリウスからの手紙を封筒に戻し・・・思わず破り捨てたくなるのを必死に抑え、次の手紙を手に取った。
親愛なる我がジェシカへ
元気にしているか?ここの合宿は、なかなか毎日がハードだ。でも訓練のお陰でメキメキと力がついてきたのが自分でも良く分かる。恐らく今ならマリウスと戦っても余裕で勝てる気がするな。
所で話は代わるが、何故お前は今迄一度も俺に手紙を寄越さないのだ?もしかして照れているのか?だとしたら、可愛い奴だ。戻ってきたら2人だけの時間を作ろう。思い切りお前を甘やかしてやるぞ。いいか、必ず今回は俺に手紙を書くのだぞ?大体一国の王子が8通も手紙を出しているのに返信してこないのはお前くらいだ。もしかして俺がお前から貰った手紙を読まなかったらどうしようとでも思っているのか?それなら案ずるな。ジェシカからの手紙は必ず読む。それでは返信待っている。
アランより
・・・・。あの別に私は照れているから手紙を出さなかったわけではありませんけど?!帰ってきたら2人きりで時間を取る?思い切り甘やかしてやる?いいえ、結構です!ようやく周りと上手くやっていけるようになってきたのに、アラン王子が絡んでくると、また厄介な事になりそうだ。それにしてもどうしてここまで自分に自信たっぷりなのだろうか?ため息をつくとアラン王子からの手紙をしまい、次の手紙を手に取った。 うん?これは・・・生徒会長からか。一瞬読むのを止めようかと思ったが後で何を言われるか分かったものでは無いので一応目を通さなければ。
ジェシカ、元気にしているか?今年の新入生は中々見所のある人材がそろっているようだ。お前が紹介してくれたアラン王子やマリウス、この二人は剣も魔法もほぼ互角だ。もし彼等が生徒会に入ってくれれば、敵から急襲された時は真っ先に戦力になり生徒会を守ってくれるだろう。それにお前が親しくしているルークにグレイ、彼等もかなり役立ちそうだ。まあ普段からアラン王子の番犬として飼われているようだから生徒会に入れても尽くしてくれるかもしれない。
どうだ?ジェシカ、そろそろお前も決心がついて生徒会に入る気になったのではないか?ああ、大丈夫。ノアの事なら心配するな。お前にはこの俺が指一本触れさせないように始終警護についてやるぞ?
それにしてもこの殺風景な合宿所ではスイーツが食べられないのが残念だ。学院に戻ってきたらまたエマを誘って3人で町へ美味しいスイーツを食べに行こう。だから俺の代わりに店のリサーチをしておけよ?
ではまたな。一つ書き忘れた事があった。おい、ジェシカ!俺に返信しろ!
ユリウス・フォンテーヌ
・・・・。駄目だ、この生徒会長は頭が少々イカレテいるようだ。敵からの急襲?一体どこから襲われるというのだろう?もしかすると日頃の生徒会長の奇行が原因で他校から目を付けられて、いつ何時襲われるか分からない状況に置かれているとでも言うのだろうか?それにマリウスとアラン王子に学院では無く生徒会を守らせる?学院の平和を守るべきでは無いだろうか?
おまけにグレイやルークを番犬呼ばわりするなんて・・・人としてどうなのだろう?
こんな男の側で守られるなんて冗談じゃない。一緒にスイーツ?リサーチしておけだあ?何て横暴な生徒会長なのだ。そんなだからイケメンのくせに4年間も学院に通っておきながら恋人が出来ないのだろう。
え・・と、次はグレイからの手紙かあ・・・。どれどれ・・・。
ジェシカ、何度もしつこく手紙を出してごめん。俺の事嫌になってしまったか?
ふと1人になった時、真っ先に思い出してしまうのはジェシカの事だから、どうしてもここでの合宿の様子や訓練、日常生活の事をジェシカにも教えたくなってしまったんだ。後半月で学院に戻れる。その時はまた俺との会話に付き合ってくれるよな?
お前の笑顔を見ていると元気が貰えるんだ。ジェシカ、今度は出来れば手紙の返事貰えると嬉しいな。たった1行だけでも構わないからさ。
手紙、待ってるよ。
グレイ
PS:
ジェシカ、10月に行われる仮装ダンスパーティーの事だけど、もうパートナーは 見つかったのか?まだなら俺と一緒に参加しないか?無理にとは言わないから。
グレイ・・・。まずかったかな、一度も手紙の返事出さなかったのは・・・。何だか手紙の内容も元気が無いように感じるし・・・。
それにしても仮装ダンスパーティーの話が出たのは初めてだ。参加するには男女ペアで出席なのか。それなら益々出る訳にはいかない。
最後に私はルークからの手紙を取り出した。
ジェシカ・リッジウェイ様
ジェシカ、最近肌寒い季節になってきた。お前は身体が小さくて細いから心配だ。
毎日栄養のある物を食べて体調管理に気を付けろよ。
じつはな、この合宿所では週に1度だけ学生達に酒が振舞われるんだ。この山で採れた果実で作られた酒だ。きっとジェシカが気に入ると思う。だから土産にこの果実酒を学院に戻る時持って帰って来るよ。楽しみにしておいてくれ。
またジェシカさえよければ一緒にサロンへ酒を飲みに行かないか?お前と一緒ならどんな酒でも美味しく感じられるから。戻る前に一度出来ればお前からの手紙が欲しいな。
ルークより
5人分全ての手紙を読み終えた。やはりまともな内容を書いて送って来てくれたのはグレイとルークこの2人だ。しかし、何故全員がよりにもよって手紙の返事をお願いしてくるのだ?これでは誰か1人にだけ返信と言う訳にはいかない様だ。
仕方が無い。
全員同じ内容で書いてやれ。何だか違う内容で手紙を書けばまた争いごと起こるような気がするからだ。
気乗りがしないまま私は便箋と封筒を引き出しから出すと、黙々と手紙の返事を書き始めた。その後、深夜までかかって私はようやく手紙の返事を書き終えたのだった。