第7章 4 ガラスのように砕け散る私の心
1
森に私の絶叫が響き渡り・・・奇跡が起こった。
私の身体から光が溢れ出し・・・マシューの身体の中に流れ込む。すると見る見るうちに彼の背中の傷が塞がっていく。
「き・・・傷が・・・。」
私は涙を拭うのも忘れ、マシューの傷が魔法のように治っていく様を見ていた。
しかも傷だけではない。鎧の傷跡までみるみるうちに修復されていく。
そして・・・光が止んだ時、そこにはあれ程切り裂かれていた痕跡すら残されていない、綺麗なマシューの背中があった。
そして・・・。
「ジェシカッ!!」
突然マシューが飛び起きると・・・強く強く私を抱きしめて来た。
「こ・・・声が・・・?」
するとマシューは私を抱きしめたまま言った。
「ああ、そうだよ。ジェシカ・・・。俺・・声が出せるようになった・・・。それだけじゃない・・。全部・・・全部・・思い出したんだ・・・。自分の事も・・・そして・・ジェシカ。君の事も全て・・・!」
その声は・・・その優しい声は・・・紛れもない・・・懐かしいマシューの声だった。
「マ・・・マシューッ!」
溢れる涙を抑えきれず・・私は子供のように泣きじゃくりながらマシューの胸に顔を埋めた。
懐かしいマシューの香り・・・私はこの香りが大好きだ・・・!
もうすぐ・・・もうすぐマシューとの悲しい別れがやってくる。
だから・・・私は彼の名前を呼ぶことを今迄躊躇していたのだ。だけど・・こんな事で呪いがマシューの記憶が・・・言葉が戻るなら、もっと早くに名前を呼んであげれば良かった・・・!
「ごめんなさい・・・ごめんなさい・・・。」
私はマシューの胸の中で泣きながら謝り続けた。
「ジェシカ・・何を謝っているんだい?」
マシューは私の頭を優しくなでながら尋ねて来た。
「い、今までの事・・・色々・・。私のせいで・・・貴方を酷い目に沢山遭わせてしまって・・・。」
「俺は一度だって・・・君に酷い目に遭わされたとは思った事は無いよ?」
マシューは何処までも優しい声で語り掛けてくれる。
だけど・・・。
私の存在は・・・マシューを不幸にするだけなんだ。だから・・・・私はマシューの為にも彼から離れて・・本物の聖女、ソフィーに全てを託す。
「マシュー。その仮面・・・外れそう?」
涙をぬぐいながらマシューの顔を見上げて尋ねた。
「うん・・・もう仮面から怖ろしい声は聞こえてこないけど・・・ちょっと外れそうにないな。けど・・・剣を使えば・・・壊せるかもしれない。」
マシューは仮面に手をやりながら言う。
私にはわかる。この仮面を外す事が出来る人物は・・この城にいるって事が。
「大丈夫、マシュー。私・・・この仮面を外す事が出来る人を知ってるの。その人は・・・このお城の一番高い塔に・・・閉じ込められている。・・一緒に・・助けに行こう?マシュー。」
「うん、分かった。ジェシカ。一緒に行こう。」
マシューは私に手を差し伸べ・・・私は彼の手をしっかり握りしめた。
城の中へ入ると、目も眩むほどの長い螺旋階段が続いている。こ・・これを今から登らないといけないなんて・・・。
するとマシューが私を抱き寄せると言った。
「ジェシカ。俺にしっかり掴まっていて。」
「え?う、うん・・・」
言われた通り私はマシューの首に腕を回す。するとマシューが突然私を抱き上げると、ふわりと空中に浮かび上がった。
「え?キャアッ!」
慌ててマシューの首にしがみ付くと彼が笑った。
「アハハハ・・・。だいじょうぶ、浮遊魔法だよ。この階段を上るのは・・・流石に無理だから、このまま最上階まで行こう。」
そして、私達は上を目指しながら言葉を交わした。
「ねえ。マシュー。仮面を被らされていた時の記憶はあるの?」
「う~ん・・・。それが・・実はあまりその辺りの記憶があやふやなんだよね・・。何だか頭に靄がかかっていたかのようで・・・。はっきり分かるのは『ワールズ・エンド』での出来事と・・・魔族が今溢れかえっていてたって事位で・・・・。後は・・・誰かを助けにここに来たんだよね?」
そうか・・・それじゃ、きっとマシューは・・魔物達との激しい戦いも、優しく抱いてくれた記憶も・・・私が愛してると叫んだ言葉も・・・記憶に残って無いのだろう。でも、もうすぐマシューは確実に私の元を去っていく。最後に・・・最後に自分の気持ちを彼に・・伝えておきたい・・・。
「ジェシカ、着いたよ。どうやらここが・・最上階みたいだね。」
やがて・・すとんと足が地に着き、マシューの声に我に返る。私は扉を見た。・・・そうだ、確かに・・ここだ。ここに本物のソフィー・・・・アメリアが幽閉されているんだ。
最期に扉を開ける前に・・・どうしても伝えなければ・・・自分の気持ちを。例え、すぐにマシューの心が変わってしまったとしても・・。
「どうしたの?ジェシカ・・・。扉・・開けないの?」
不思議そうな顔でマシューが尋ねて来る。
「今・・・今開ける。その前に・・。」
私はマシューを振り返ると言った。
「マシュー。聞いて・・・・。どうしても今貴方に伝えておかないといけない事があるの・・。」
「え?う・うん・・・。何?ジェシカ。」
マシューは首を傾げながら私を見下ろす。
ドクドク高鳴る心臓を・・・・緊張を押さえながら・・マシューを見上げて私は言った。
「私・・・私はマシュー。貴方の事が・・・好きです。・・・愛しています。」
「!」
マシューの肩がピクリとする。
ついに言ってしまった・・・。もうすぐ・・辛い別れが来るのに・・・。目頭が熱くなってきて、つい下を向いて胡麻化す。
次の瞬間―。
私はマシューの腕の中にいた。彼は私を胸に埋め込まんばかりの強さで私を抱きしめて来る。
「本当に・・・?ジェシカ・・・・。これは・・・夢じゃないんだよね・・・?」
切なげで・・・何処か甘みのある声でマシューが私に囁いてくる。
大好きなマシューの匂いごと、抱きしめるように強くマシューの背中に腕を回し、彼の胸に顔を埋めると言った。
「うん、夢じゃ・・・ないよ。」
「信じられないよ・・・。本当に俺の事を・・・?ノア先輩でも無く、アラン王子でも・・・他の誰でも無く・・俺を・・・選んでくれたの・・?」
マシューは声を震わせながら、私に問いかけて来る。
「うん・・・。他の誰でもない・・・貴方が好き。・・・愛してる。」
でもね、マシュー・・・。貴方はもうすぐ他の女性に心を奪われてしまうのよ・・・。
「!」
マシューの身体がビクリと動き・・・さらに抱擁が強まった。
「ジェシカ・・・ジェシカ・・・。俺も君が大好きだ・・・・愛してる・・・っ!」
<愛してる>
その言葉を・・・貰えただけで、十分だ。生きているマシューにこうしてまた会えた。
そして・・私が一番欲しかった言葉・・・<愛してる>と言って貰えた。その言葉だけで・・・私はきっとこの先も生きていけるだろう。
「マシュー。それじゃ・・・扉を開けるから・・少しだけ、貴方はここで待っていてくれる?」
心の中で別れを告げながら私はマシューを見上げると言った。
「うん、分かったよ。・・・待ってる。」
待ってる―。
多分今の言葉はもう二度と彼の口からは聞けることは・・・無いだろう。
私は彼から離れ、深呼吸すると鍵穴に鍵を回しいれて・・扉を開けた―。
「誰っ?!」
中で人の気配がする。
その部屋は・・・夢で見た通り、花で溢れ変えっていた。
「アメリア・・・?」
そっと声を掛けると、息を飲む女性の気配を感じた。
「ま・・・まさか・・・ジェシカ・・・さん・・?」
ゆっくりと私の前に姿を現した女性は・・やはり彼女だった。
「・・・久しぶり。アメリアさん。ごめんなさい。助けに来るのが・・遅くなって。」
「!」
アメリアがピクリと身体を震わせた。
「ジェシカさん・・・。やっぱり・・・全て・・知ってるの・?」
ああ・・。もう、今の言葉を聞いただけで、答えは明白だ。
「うん。夢で・・全て見てきたから。貴女が・・本物のソフィー・ローラン・・でしょう?」
するとアメリア・・・もとい、ソフィーは頷いた。
「貴女の偽物を名乗るソフィー・・。貴女と彼女の間で・・何があったかは分からないけど・・・全てが終わったら・・私に教えてくれる?だから・・今すぐ私の力を・・・全部持っていって。」
私はソフィーに両手を差し出した。
「ジェシカさん・・・。貴女・・そこまで知ってたの?私が力を奪われた事も・・。貴女の持つ力なら・・・私が元の姿に戻れる事も・・?だけど・・・本当にいいの?私が貴女の魔力を全て受け取れば・・・・。」
ソフィーは泣きそうな顔で私を見た。何故・・彼女がそんな顔をするのだろう?
「うううん、いいの。だって・・・この力は本来は・・・全て貴女の持つべき力だったんだから。さあ、時間がないから・・お願い、ソフィーさん。」
「わ・・わかったわ・・・。ジェシカさん・・・。」
そしてソフィーは私の両手をしっかり握りしめ・・・目を閉じた。
すると途端に私とソフィーの身体は温かい光に包まれ・・・どんどん私の中から光がソフィーの中に吸収されていく・・・。
私は急速に自分の魔力が消えていくのが分かり・・・それと同時に大切な何かが失われていくのを感じた。
ガクッ!
突然立っていられなくなり膝をつくと、ソフィーに助け起こされた。
見上げたその姿は・・・正に本物の聖女の・・・ソフィー・ローランだった。
ああ・・ついに・・・本物の聖女が・・・この世界に戻って来たんだ―。
2
・・・ついに、本物の聖女が現れた。これで・・・私の役目も終わり。
「ソフィーさん。この部屋の外で・・・偽物のソフィーに・・・呪いの仮面を付けられた聖剣士がいるの。貴女なら・・・助けられるよね?」
「え、ええ・・・。多分・・・。」
ソフィーは躊躇いがちに頷いた。
「それじゃ・・・今連れて来るね。」
私は部屋のドアを開けると・・そこにはマシューが立っていた。
「あ・・・。」
マシューは私を見ると、言葉を詰まらせた。・・・この瞬間私には分かった。
もう・・・マシューの気持ちは私に向いていないという事が・・・。
「え・・えっと・・・ジェシカ・・?もう中へ入ってもいいのかな?」
マシューは戸惑っているようだった。それは当然だろう。だって、さっきまで私を想ってくれていた気持ちが・・突然その気が失せてしまったのだから。
そしてマシューは中へ入り・・・ソフィーの姿を見て息を飲んだ。
ああ・・・今、この瞬間、彼は・・マシューはソフィーに恋をしたんだ・・・。
今はまだマシューの顔は仮面に隠れて見えないけれども・・・仮面が外れて、今まで私に向けてくれていた視線が・・・ソフィーにだけ向けられるんだ。その瞬間を・・・私はじきに目の当たりにする。
「き・・・君は・・・もしかしてソフィー・・?で、でも何故・・・君は・・・今までとはまるきり違って見える・・・。」
マシューはソフィーに語り掛けた。
「ええ。今まで皆がソフィーだと思っていたのは・・・私の偽物なの。ジェシカさんのお陰で、本来の自分を取り戻す事が出来たの。さあ、そこのベッドに横になって。仮面を外すから。」
「う。うん・・・。」
マシューはソフィーに言われた通りにベッドに横たわった。・・ソフィーは美しい声で歌を歌い始めた。すると・・夢で見た通り、ソフィーの部屋に飾られた無数のしおれた花々が見る見るうちに蘇り、ソフィーの身体が光り輝くと、マシューの身体も光を放ち始める・・。そうだった。小説に書いたっけ・・・ソフィーの不思議な力はその歌声に宿るって・・・。
そして・・ついにマシューの仮面が外れて、恐ろしい鉄仮面が塵のように消えていく。
ゆっくりと彼は起き上がった。
ああ・・マシューだ。私が大好きなマシューにやっと会えた・・。
だけど、彼が私を見る事はもう無い。その瞳はソフィーを捕らえて離さない。
愛し気な目で・・・薄っすら頬を染めてじっと本物の聖女ソフィーを見つめている。
ソフィーもマシューを見つめているが・・・彼女は多分・・・マシューに対して特別な思いを抱いていないのはその目で分かった。
そう、きっと・・ソフィーが選ぶ相手はアラン王子なのだから。
見つめ合う2人を見て、思わず目じりに涙が浮かぶ。私はその涙を見られないように背中を向けて目を擦り・・涙がこぼれないように上を向いた。
駄目だ、自分の心を殺すんだ・・・。何も考えては駄目、こうなる事は覚悟していたでしょう?
私はこの世界の住人では無いのだから、マシューの事は諦めるのよ・・・。
そして一つ深呼吸すると2人の方を振り向いて言った。
「そろそろ・・この城を出ましょう。そして、神殿に行って、本物の聖女が現れた事を宣言しましょう。きっと・・・聖剣士達は戻ってくれるはずだから。」
「そうね。ジェシカさん。学院が・・・町の人達が心配です。3人で戻りましょう。」
するとマシューが言った。
「あの・・・ソフィーと呼んでも・・いいかな?」
「ええ。いいわ。」
「それじゃ・・・俺の転移魔法で神殿に戻ろう、ソフィー。え・・っと・・君も・・・来るだろう?」
マシューはチラリと私を見ると言った。その瞳には何の感情も籠っていない。
ズキリと私の胸は痛んだが・・・無理に笑顔を作って返事をした。
「うん。戻るわ。・・・お願いします。一緒に連れ帰って下さい。」
そして頭を下げる。
「よし、それじゃ・・ソフィー。俺にしっかり掴まって。あ、君もだよ。」
手招きをしてマシューは私を呼ぶ。・・・馬鹿だ、私は。これっぽっちの事でも・・涙が出そうになる程に嬉しいなんて。
思わず目頭が熱くなりかけ・・・。
「・・・どうしたの、ジェシカさん・・・。」
ソフィーが気遣って声を掛けてきた。
「い、いえ、もうすぐ皆の前に本物の聖女を紹介できると思うと、嬉しくて・・。」
咄嗟に胡麻化す。
するとマシューが言った。
「・・君みたいな素敵な女性が・・やっぱり真の聖女なんだね・・・。」
そしてうっとりとした目つきでソフィーを見つめる。その度に私の心は・・ナイフで抉られたように傷付いていく。でも、駄目だ。ここで泣いては。ソフィーに私のマシューに対する気持ちが気付かれて、気にさせてしまう。マシューに知られたら・・・きっと迷惑がられてしまうに決まってる。
だから、心を強く持たなくては・・・!
そしてマシューは私達を連れて、神殿へと飛んだ―。
神殿へ着くと、そこには大勢の傷付いたソフィーの兵士が床に転がっていた。
そしてソフィーを見つけると声をあげた。
「あ!聖女・・ソフィー様だっ!」
そして、ソフィーに何人かが駆け寄ってきた時・・マシューがソフィーを自分の腕に囲い込むと言った。
「やめろ、ソフィーが怖がるじゃ無いか。」
「!」
その姿は正に愛しい聖女を守る・・・聖剣士の姿だった。
もうマシューの目にはソフィーしか映らない。・・二度と私にその目を向けてくれることは・・・無いのだ。
これ以上・・今の2人を見続ける事は私には出来そうに無かった。きっと今の私は恐ろしいくらい青ざめた顔をしていただろう。これ以上・・あの2人の側にいたら・・きっと私の心はガラスのように砕け散ってしまう・・・。
ほんの少しでも・・・1人になりたい・・・。
私は彼等から離れて、その場を後にした。・・・この時の私はすっかり忘れていたのだ。
絶対に・・・神殿内では1人にならないようにと仮面をつけていたマシューに言われていた事を・・・。
兵士たちが大勢集まっているホールの前の廊下を通り抜け、私は中庭に面した神殿の椅子に腰かけて・・・・ついに我慢していた涙がぽたぽたと頬を伝って落ちて来た。
死んでしまったと思っていたマシューにやっと会えたのに・・・。自分の気持ちを正直に伝え・・・ようやく両思いになれたのに・・・それがたった一瞬で壊れてしまった。
私の目の前で、私ではない他の女性を愛し気に見つめるマシュー。そして・・・それを傍で見ていなくてはならない私。
好きになんて・・・ならなければ良かった。あれ程・・・この世界に来てしまった時、誰も好きになっては駄目だと自分をいさめてきたのに・・。
マシューの側にいる事は・・・とても耐えられない。私はそれ程強くはない。
決めた・・・。彼等とは距離を取るのだ。勿論アラン王子も・・・デヴイット、ダニエル先輩にノア先輩・・グレイにルークからも距離を取らなければ。
だって彼等と関われば・・・嫌でもマシューとも関わってしまう・・!
彼等から離れれば、私はまた・・・一人ぼっちになってしまうだろう。でも心が傷付くくらいなら1人になった方が・・・まだずっとマシに思えた。
この世界が・・・平和になるのを見届けたら、私はここを去ろう。
そして・・当初の予定通り、誰も知らない土地で・・・暮していくのだ。
私の手元にはまだ『狭間の世界』の鍵と『魔界』の鍵・・両方を持っている。
まだ・・・・門は残っているのだろうか?鍵穴は・・残ってる?
『ワールズ・エンド』へ行ってみよう。
私は立ち上がり・・・その時、突然後ろから誰かに羽交い絞めにされた。
「きゃああっ!だ、誰っ?!」
必死で振りほどこうと振り向くと、そこには全く見た事が無いソフィーの兵士の姿があった。
「へへへ・・・こいつはいい。お前・・・えらく美人じゃ無いか・・・正に俺の好みだ。」
下卑た笑いをした兵士が舌なめずりしながら私の身体をまさぐって来た。
嫌だ、怖い!気持ち悪い!
「だ、誰か!助けてっ!マ・・・!」
マシューの名前を口に出しかけ・・・私は口を閉ざした。そうだ、彼は・・・もう私の聖剣士では無い。マシューはソフィーの・・・っ!
急に私が叫ぶのをやめると、調子に乗った兵士は私を床に押し倒してきた。
だ、誰かーっ!!
恐怖で目に涙が浮かぶ。その時・・・・
「貴様・・・・!何してるんだっ!!」
聞き覚えのある声が突然頭上から聞こえ、男を殴り飛ばした。
「おい、大丈夫だったか?!」
そして私を助け起こし・・・。
「あ・・・れ・・・。おまえ・・・ひょっとしてジェシカか・・・?!」
不意に名前を呼ばれて私は顔を上げた。
そこに驚いた顔で立っていた男性は―。
3
「あ・・・れ・・・。お前・・・ひょっとしてジェシカか・・・?!」
え?その聞き覚えのある声は・・・・?
「テ・テオ・・さん?」
私は床の上に倒れたまま彼を見上げて名前を呼んだ。
「ああ、そうだ。テオだよ。ジェシカ・・・大丈夫だったか?ほら、起き上がれるか?」
テオは心配そうな顔で私に手を差し伸べて来た。
「あ、ありがとうございます・・・。」
手を引かれて身体を起こすが、恐怖で腰が抜けてしまったのか立つ事が出来ない。
それに身体の震えも止まらない。
するとそんな私を見てか、テオが突然抱きしめて来た。
「!」
「大丈夫だ・・・。お前は何もされていない。それにあの男は俺が殴りつけて気絶させてやったから安心しろ・・・。」
まるであやすように抱きしめながら背中や頭を撫でてくれた。
「あ・・・。」
その温もりが嬉しくて・・・私はテオの胸に顔を埋めて泣いた・・・。
恐らくテオは私が恐怖の為に泣いていると思っているのだろう。だけど、私のこの涙は・・・・。今は誰でもいい・・・。側に寄り添ってくれる人がいれば・・・。
そして私はひとしきり泣いた―。
「どうだ、ジェシカ。少しは落ち着いたか?」
ようやく泣き止んだ私をみてテオは尋ねて来た。
「はい、すみません。あんなに・・・泣いてしまって。」
「いいって、それだけ・・怖かったんだろ?本当にここにいるソフィーの兵士達は皆、こうなんだ。女と見れば見境が無くて・・・・。でも、無事で良かったよ、ジェシカ。お前・・・魔界へ行ってきて・・・帰ってきたんだろう?それに・・何かあったんだろう?今にも倒れそうなくらい酷い顔色をしているぞ?ほら。俺に寄りかかれよ。フラフラして危なっかしいからな。」
そう言ってテオが私の肩を抱き寄せて来た。
「・・・ありがとうございます・・・。」
テオの肩に頭を置いて私は目を閉じると尋ねた。
「私達が・・・『ワールズ・エンド』へ向かった後・・・一体何があったんですか?教えてください。最近知り合ったある人からは・・・ライアンさんとケビンさんは・・・ソフィーの兵士になったと聞いたのですが・・。」
「ああ。そこまで知ってたのか、ジェシカ・・・。あの後、ケビンはお前達が心配だと言って・・・実は『ワールズ・エンド』へ向かったんだよ。俺は見張りがあったからその場でずっと待機していたんだ。そしたら・・・・アラン王子とドミニク公爵が『ワールズ・エンド』へ向かっていく姿を目にしたんだ。」
「!」
その言葉にドキッとした。
「それで、さらにそのまま見張りをしていたら、あの2人が・・・ぐったりしているライアンとケビン、マシューにそして・・・レオ?だったか?あいつらを馬に乗せて戻って来たんだ・・・。」
「そ・・そうだった・・・・んですか・・?」
再び身体が震えて来た。その時にはマシューは息を吹き返していたのだろうか・・?
「で、そこから先は・・・悪い、何があったのか良く分からないんだ。身の危険を感じて・・俺はなりを潜めていたから。ただ、いつの間にかライアンとケビンは兵士にされて、マシューの合同葬儀が行われた。『ワールズ・エンド』でジェシカ・・お前に殺害された聖剣士として・・・。」
「ご・・・合同葬儀・・?」
駄目だ・・・今はマシューの名前を聞くだけで・・・倒れそうになってしまう。だけど・・・言わなくては・・・。
「テオさん・・・。マ、マシューは・・・。」
しかし何を勘違いしたのか、テオは私を抱きしめると言った。
「大丈夫だっ!俺は・・・いや、学院中の人間は誰一人としてお前がマシューを殺害した犯人だとは思っていないっ!」
すると背後で声が聞こえた。
「誰が、俺を殺害した犯人ですって?」
!あ、あの声は・・・マシューだ・・・っ!
テオに抱き締められたまま・・・恐る恐る私は顔を上げると、そこにはマシューが立っていた。
「お・・・お前・・・い、生きていたのかっ?!」
テオは驚いた様に叫んだ。
「ええ、その辺りの記憶が混濁して・・・良く分かりませんが、見ての通り俺は生きてますよ。」
マシューの声は依然と変わらず穏やかな声だったが・・・今の私にはとても・・とても遠く離れた存在になってしまった。お願い、貴方の声を聞かせないで。その声は・・私の心を傷つける。心・・・・がひび割れていく。
私は思わずテオにしがみ付いた。
「?どうした、ジェシカ・・・?お前・・・様子がおかしいぞ?」
私が震えていたからだろう。・・・テオが私を抱きしめて来た。
するとマシューが言った。
「あ・・・何か、俺お邪魔だったみたいですね・・・。席外しますよ。」
立去りかけるマシューにテオが声をかけた。
「おい・・・お前・・・マシューだよな?」
「ええ。そうですけど?どうかしましたか?」
「・・・いや、何でも無い・・・。後で、2人だけで話がしたい。1時間後に・・この場所に来てくれるか?」
え・・・?テオ・・・。一体どうするつもり・・・?だけど、私はマシューの顔を見る事が出来なった。あの・・・私の事を意にも介さないマシューのあっさりした態度は・・・私の心を傷つけるには十分すぎる程だった。彼の顔など見ようものなら・・再び涙が止まらなくなりそうだった。
「ジェシカ・・・。マシューの奴・・・行ったぞ?」
テオが優しげな声で私に言った。
「あ・・・。」
私は顔を上げてテオを見た。
「・・・っ!おまえ・・・何て顔してるんだよ・・・っ!」
テオがクシャリと顔を歪めて私を見ると、再び強く抱き寄せて来た。
「今は・・・何があったかは聞かないでおくが・・・泣きたいなら我慢しないで泣け。俺の胸でよければ・・・いつでも貸してやるから・・・っ!好きなだけ泣いてしまえよ・・・。」
「テ・・テオさん・・・。」
「テオでいいよ。」
「え・・・?」
私は涙を浮かべてテオを見た。
「俺はさん付けで呼ばれるようなタイプの男じゃないさ。いいからテオって呼んでみろよ。」
「テ・・・テオ・・?」
零れ落ちそうな涙をこらえて私はテオの名前を呼んでみた。
「ああ・・・それでいい。ジェシカ。」
テオは私を見て笑顔で言った。
「テ・・・テオ・・・。」
私はもう、あふれ出る涙を止める事が出来なかった。そしてテオの胸に顔を埋め・・・涙が枯れるまで泣き続けた。
さようなら、マシュー。泣くだけ泣いたら・・・貴方への想いを・・・未練を・・全て断ち切ります・・・っ!
そして、泣きじゃ来る私をテオは・・・いつまでも優しく抱きしめてくれた―。
「ジェシカ、今のお前じゃ・・・とても話をするのは無理だと思う。あいつから俺が話を聞くから・・・取りあえず、生徒会室へ行ってろよ。」
言いながらテオは私に鍵を渡してきた。
「これは・・?」
「生徒会室の鍵さ。・・・もう誰も使っていないんだ。殆ど俺の部屋みたいに私物化しているよ。ジェシカ・・学院に着いても・・・驚くなよ?それじゃ・・また後でな。」
テオに神殿の外まで見送られると、私は学院へ向かった。
だけど・・・ジェシカの姿のままで学院に戻っても・・・大丈夫なのだろうか?それに・・・魔物の群れは・・・今どうなってる?今は誰が・・・『ワールズ・エンド』で見張りをしているのだろう?他の人達は・・・?
考える事が沢山あり過ぎたけど・・・けれどその考え事のどれもが全て最終的にはマシューと・・・ソフィーに繋がってしまう。駄目だ、あの2人の事を思うだけで・・・また悲しみで押しつぶされそうになる。本当はこんな風に泣いてる場合じゃないのに・・。魔界へ行ったかもしれないソフィー・・・そして彼女を追った公爵は・・・今どうしているのだろう・・?
でも・・・今はそんな事を忘れて・・・自分の心を休めたい・・・。
私はテオから預かった生徒会室の鍵を握り締め・・・重たい足取りで生徒会室へと向かった―。