第7章 2 彼の声
1
私が夢の中で見た光景・・・・。
それは目の前の彼が鉄仮面の下から血を流し、ベッドに伏している姿だった。
そして、傷ついている彼を看病していた彼女は・・・一瞬見えた姿は・・・アメリアだった。
そして・・夢の中で彼女が歌い始め・・・奇跡が起こった最後の瞬間・・それは瞬きをする程の短い時間だったが、私は彼女の真の姿を見たのだ。
緩やかにウェーブのかかったストロベリーブロンドの髪・・・青く澄んだ瞳・・そして愛くるしい笑顔の彼女は・・・ソフィー・ローラン。
私が書いたこの小説のヒロインだった。
一目見てすぐに分かった。ああ、やっぱり彼女が本物のソフィーなのだと。
だから・・・アラン王子やノア先輩、ダニエル先輩・・・ついでに元生徒会長があれほど強く惹かれたのだ。
今、聖女として君臨し、さらには魔界の門を開けただけでなく何処かに行方をくらましてしまった彼女は真っ赤な偽物。
どういう経路でこんな事になってしまったのか、私にはさっぱり理由が分からないが、アメリアは本来の自分を・・偽物のソフィーに奪われてしまったのだ。
姿だけでなく、その役割も・・・。
では、あのソフィーの正体は何なのだろう?恐ろしい魔法を使い、人々の心を自在に操り・・・尚且つ今私の目の前にいる彼を呪いにかけて苦しめるなんて・・本当に只の人間なのだろうか・・?
『どうした?』
不意に彼が私の肩を叩き、メモを見せて来た。
「あ、すみません・・・。少し考え事をしていて・・。」
すると彼は首を傾げて私を見る。
『考え事?』
まるで私にそう尋ねているように感じたので私は言った。
「魔界の門を開けたソフィーは一体何処へ消えてしまったのかなって思って・・・。」
『分からない・・・。でも・・あんな女なんて、もうどうでもいい・・・。』
「でも・・貴方に呪いをかけたのはソフィーなんですよ?ソフィーなら呪いを解く方法を知ってるはずです。私は・・貴方の呪いを解きたいんです。」
『え・・?今何て答えた・・・?』
「え?あ・・・わ、私・・。」
今になって私は気が付いた。
「あれ・・・・?どうして私、貴方と普通に会話しているんだろう・・・?」
そして目の前にいる彼を見上げる。すると彼も私をじっと見降ろし、再び私の頭の中に彼の声が聞こえて来た。
『どうして・・・俺の話そうと思っている言葉が・・・お前に伝わっているんだ?』
そんな事を聞かれても、私には分からない。いや、むしろ誰かに教えて貰いたい位だ。一体何故急にこんな事になってしまったのか・・。それとも一緒に居る時間が長かった為、何らかの力が働いて私に彼の言葉が聞こえるようになったのか・・・?
「わ・・・分かりません。何故こうなったのか私には分かりませんけど・・・何故か貴方の言葉が頭の中に聞こえてくるんです。・・・ひょっとすると貴方と一緒に居る時間が長いから・・でしょうか?」
『・・・名前・・・。』
「え?」
『お前の名前・・・何だっけ?』
「ジェシカです。ジェシカ・リッジウェイ」
『ジェシカ・・・。』
初めて名前を呼ばれた。
「はい。」
『俺を看病してくれた女とは・・・一度も意思疎通が出来た試しは無かった。お前よりもずっと長い時間一緒に過ごしたのに・・・。』
私は頭の中に流れ込んでくる彼の言葉を黙って聞いていた。すると彼は突然私の両手を握り、自分の額に持って来た。
『こうしていると・・・すごく落ち着く。それに・・不思議な事に・・・俺はお前の事を以前から知っていたような気が・・・するんだ。』
私は黙って彼の話を聞いていた。何故か・・・今すごく重要な話を聞かされている気分になったからだ。
『お前・・・やっぱり俺の聖女に・・・向いているんじゃないか・・・?』
その時、私は自分の左腕が光っている事に気が付いた。そして今目の前にいる彼の右腕も光っている。が・・・彼はその事には気が付いていない様だった。
彼に・・・私の腕が光っている事を悟られてはいけない。
咄嗟に彼の腕を振り払い、私は自分の左腕を彼の目に触れないように後ろ手に隠した。彼に・・・私のこの腕は見られてはいけない!何故かそう強く思ってしまったのだ。だって・・・きっとこの人はソフィーの聖剣士になる人だから・・・。そして、彼もまたアラン王子達のように・・・彼女を愛するに決まっているから・・。
『嫌・・・だったか?』
その声はどこか悲しげだ。
「い・・・いえ、嫌だとかそういう訳では無く・・た、ただ・・驚いただけです。」
『手を握っただけで?・・・もう何回も俺はお前を抱きしめた事もあるのに・・・?その時は今のような態度をとってはいなかったぞ?何故なのだ?理由があるなら教えてくれ。』
「も・・・もうその辺で・・許して下さい・・・。」
理由?そんな事・・・聞かれても私には分からない。ただ・・あまり親しくなっては駄目だという警告が私の中で聞こえて来る。
何故親しくなってはいけないのか?
自問自答してみる。
・・・・それは・・この人は・・・真の相手に巡り会えたら、その人の元へ行ってしまうから・・・。親しければ親しいほど、悲しみが強くなるから・・これ以上深入りしては自分が傷つく事になるから・・。
『仮面を被ったこの俺が・・・怖いから?』
突然不意を突かれた彼の言葉に私は顔を上げた。
「そ、そんなんじゃ・・・・ありません。」
少しの間、彼は私を見つめて・・・言った。
『あと・・2時間もすればお前の仲間達とワールズ・エンドで合流だ。・・・湖の場所は大体分かる。・・・馬に乗って探しに行こう。』
彼は私から視線を逸らすと言った。
「は、はい・・・。」
私は自分の左腕と彼の右腕を見た。
もう、私達の腕は・・・光ってはいなかった・・・。
彼の転移魔法で神殿に戻った私達は、彼には自分専用の馬がいる事を教えられた。
そして神殿の裏手に行ってみると小さな厩舎があり、そこに1頭の馬がいた。
彼は素早く馬にまたがると私の腕を掴んで軽々と引き上げ、自分の前に座らせると言った。
『馬に乗るのは初めてか?』
「い、いえ。・・最近初めて乗せて貰いました。」
『・・・そうか、多少は慣れているんだな?なら・・・行こう。』
彼は馬を走らせた。馬上で私は彼に尋ねた。
アメリアさんとは・・・どのくらいまで一緒に居たのですか?」
『・・・丁度お前の手配書が学院中に貼られる頃だ。その日を境に城から姿を消した。俺は・・ソフィーに当然尋ねたよ。そしたら・・・仮面が締め付けだして・・・。』
彼の話に私は慌てた。
「ま、まさか・・・アメリアさんの事を考えただけで仮面の呪いが発動するのですか?!」
『いや。それはないな・・。それだったらアメリアを探しに等行けないだろう?』
あ・・・そうだ。言われてみれば確かに。アメリアの事で呪いが発動するなら、今頃彼はマスクによって苦しめられているはずだ。
「そう・・・ですよね。言われてみれば確かに・・・。で、でもソフィーが貴方を監視していたから・・・彼女を探しに行けなかったんですね?」
しかし私の問いに彼は意外な事を言って来た。
『いや・・そもそも探しに行こうと言う気持ちにすらならなかったんだ・・・。散々俺はあの女に世話になってきたのに・・・。今だって、そうだ。ただお前に彼女を探す手伝いを乞われたから、今一緒に探しに行こうとしているだけなんだ。』
「え・・・?」
振り返って思わず彼を見上げる。
『薄情な・・・人間だと思っているだろう?自分でもそう思う。だけど・・・こんな風に思うのもひょっとするとソフィーの暗示にでもかけられているのかもしれないな。アメリアには執着するなって・・・。』
「・・・。」
考えて見れば確かにそうかもしれない。だってアメリアこそ本物のソフィーなのだから。だから・・偽物のソフィーはアメリアを自分の監視下に置いたんだ。
『・・・湖が見えてきたぞ。』
彼の言葉に私は前方を見た。
この湖のどこかに・・・城があるんだ・・・。
アメリア、いいえ。
この世界の本物の聖女、ソフィー。
必ず貴女を見つけて助け出してあげるからね―。
2
そこは森に囲まれた湖だった。大分夜も更けてきて辺りはすっかり暗くなっている。
湖はとても澄んでいて綺麗だった。私は空を見上げた。
どんよりと曇った暗い空。・・・これで星々や月を見る事が出来たなら・・それはきっと美しい光景を目にする事が出来たはずなのに・・・。
『どうした?空を見上げたりして・・・。』
彼が私に背後から声を掛けて来た。
「いえ・・・相変わらず陰鬱な天気だなと思って・・・。」
『そうか・・。』
「私が魔界に行っていたのは知っていますよね?魔界も・・・こんな空しか見えなかったんです。だから・・・この世界に戻って来るのが私はすごく楽しみにしていたのに・・・青い空、白い雲。そして・・茜色に染まる夕日に空に輝く満点の星々と美しい月・・・。それらが全て失われていたなんて思いもしなくて・・・。」
『こんな空になったのは・・・ソフィーが正式な聖女宣言をした直後だったんだ。あの日はとても美しい空だった・・・。なのにあの女が自分が正式な聖女になった事を全校生徒の前で告げた直後に・・・暗雲が立ち込め、雷と共に激しい雨が降り・・・。その場にいた全員が驚いていた。・・ソフィー自身・・本人すら唖然としていた顔をしていたな。恐らくあの場にいた全員が感じたんじゃ無いか?偽物が聖女を名乗ったから・・・天が怒ったと・・・。だけどソフィーは言ったんだ。こんな事になったのは全て・・・ジェシカが魔界の門の封印を解いたからだと・・。』
私は彼の話を黙って聞いていた。
全ての聖剣士の聖女になれるのは特別に選ばれた女性のみだ。
それなのに・・・偽物が聖女を名乗った事で・・・この地に異変が起こったのかもしれない。いや・・もしかするとこの異常事態が起こっているのはセント・レイズ諸島に限らず、世界中で同じ現象が起こっている可能性だって・・・
一刻も早くアメリア・・・いや、聖女『ソフィー』を見つけださなければ・・・。
「・・城を探しましょう。『ワールズ・エンド』に戻る前に。」
『ああ、分かった。』
・・・そして私たちは2時間程城を探し回ったが・・・結局この日は見つかる事が無かった。
『ワールズ・エンド』へ戻ると、そこには疲労困憊したデヴィットとアラン王子がいた。
2人とも、地面に座ねそべったまま荒い息を吐いていた。
「ど、どうしたんですかっ?!2人とも!」
仮面の聖剣士と再びこの地へ戻って来た私は2人の余りの悲惨な様子に驚いて駆け寄ると尋ねた。
「あ、ああ・・・。ジェシカ・・・戻って来たのか?」
青白い顔色のデヴィットは無理に笑みを作って私を見た。
「やっと・・・交代の時間・・なのか・・?」
アラン王子が目を閉じながら言った。
「一体何があったんですか?!」
2人の側に跪くと私は尋ねた。
「ああ・・・。最初に門の見張りをしたダニエルとあの・・・ヴォルフという男と見張りを交代した・・数時間後の事だった。突然またあそこから魔物の群れが現れて・・幾ら倒しても倒しても、きりが無いくらいだった・・・・。」
言葉を話すのも辛そうに途切れ途切れに説明するデヴィット。
「それは・・・大変でしたね・・。お疲れでしょうから・・・すぐにここを出たら休んで下さい。」
するとアラン王子が言った。
「そう言えば・・ジェシカは俺の聖女だったよな。ひょっとして・・・傷以外も治せるんじゃないか・・・?」
「え・・・?」
アラン王子は身を起こすと、いきなり私の頭の後ろに手を添えて口付けて来た。
「!」
「あっ!!」
それを見たデヴィットは何処にそんな力が残っていたのか、身体を起こし・・結局崩れ落ちた。
一方、私とアラン王子はキスされた直後に2人の身体が一瞬強く輝いた。
「な・な・な・何するんですかっ?!アラン王子っ!」
アラン王子を強く押しのけると、何故か彼は不思議そうな顔を浮かべている。
「し・・・信じられないっ!あれ程・・・疲労困憊していたのに・・体力が完全に戻っているっ!」
アラン王子は自分の両手を見つめながら興奮している。
「え・・・?」
「す、すごいっ!やっぱりお前は俺の聖女だっ!最高だ・・・っ!」
言いながらさらに抱き付いてこようとするアラン王子よりも先に何故か仮面の剣士が私を腕に囲い込んできた。
「「あっ!!」」
今度はアラン王子とデヴィットが同時に声を上げる。
「お・・おいっ!お前・・・か・・勝手に俺のジェシカに触るな・・。」
デヴィットが苦し気に顔を歪めながら彼に言う。・・・いつの間にか『俺の聖女』から『俺のジェシカ』になってるんですけど・・・。
「そうだっ!貴様・・・馴れ馴れしくジェシカに触れるなッ!」
アラン王子は今にも剣を抜きそうな勢いで喚く。いやいや、それより今・・・アラン王子は人前で、しかもいきなりキスしてきましたよねっ?!
しかし彼は激しく首を振るとますます強く私を背後から抱きしめて来る。
これではますます収集が付かなくなってくる。
仮面の聖剣士に言った。
「あ、あの・・・離して貰えますか・・・?」
すると彼はようやく私を抱きしめるのをやめたが、何故か私の左手は彼にしっかりとホールドされている。
「あの・・・?」
私は彼を見上げた。すると彼の言葉が頭の中に流れ込んでくる。
『駄目だ。手を離したらお前は白髪の男に襲われてしまうかもしれない。』
確かにデヴィットは身動きが出来ないものの、強い視線でこちらを睨み付けている。
だけど・・・。このままではデヴィットは神殿へ戻るまでの体力は無いだろう。
私はアラン王子に言った。
「アラン王子・・。すみませんが、デヴィットさんを連れて神殿に戻って頂けますか?多分この調子では・・・デヴィットさんは1人で動けないと思うので・・・。」
「ああ、そうだな。よし、分かった。俺がデヴィットを馬に乗せて連れて帰ってやろう。」
アラン王子は頷く。するとそれを聞いたデヴィットが抗議した。
「おい!何だ、その話は!ジェシカッ!俺も・・・アラン王子と同じ事をお前にすればきっと体力が回復するはずなんだ、だから・・・っ!」
ああ!もうどうしてデヴィットはそういう恥ずかしい事を人目を気にせずに言ってしまうのだろうか?こんなにイケメンなのにそのデリカシーの無さで、魅力も半減だ。
「すみません。人前でああいう真似は嫌です。アラン王子も・・・二度とあんな真似はしないで下さいね。」
「「なら人前じゃ無ければいいんだなっ?!」」
何故か綺麗にハモるデヴィットとアラン王子。するとその言葉を聞き、再び仮面の彼は私を腕に囲い込み、まるで二人を威嚇するかのように剣に手を添えた。
「「「!」」」
これには流石の私達も驚いた。
「何だ・・・お前、やる気か?」
アラン王子は彼を睨み付けながら剣に手を添える。
「くっ・・・!俺も動ければ・・・っ!」
デヴィットは地面に這いつくばりながら、彼を睨み付ける。
『・・・・。』
一方仮面の彼は無言で彼等を見つめ・・・。
「やめてくださいっ!」
たまらず私は大声で叫んだ。
「今は仲間割れをしている場合ではありません。一刻も早く門を修繕して再び封印する方法を考えなくてはならないのですから・・・。お願いですから・・少しでも仲良く・・出来ませんか?」
「「「・・・。」」」
3人供黙って私の言葉を聞いていた。私は再びアラン王子を見ると言った。
「それではアラン王子。デヴィットさんを・・・よろしくお願いします。神殿へ戻られたら・・・どうぞお体を休めてください。」
「あ、ああ・・。分かった。」
そしてアラン王子はデヴィットを馬に乗せると神殿へと帰って行った。
残された私たちは破壊されてしまった門を見上げた。
・・・これから再び長い時間が始まるのだ―。